学位論文要旨



No 119976
著者(漢字) 森,高
著者(英字)
著者(カナ) モリ,タカシ
標題(和) フルオロアルケン類への分子内求核的付加反応を利用する含フッ素ヘテロ環化合物の合成
標題(洋) Synthesis of Fluorine-Containing Heterocyclic Compounds by Using Intramolecular Nucleophilic Addition to Fluoro Alkenes
報告番号 119976
報告番号 甲19976
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4705号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 助教授 小川,桂一郎
 東京大学 助教授 磯部,寛之
内容要旨 要旨を表示する

 含フッ素ヘテロ環化合物は興味ある生理活性を示すことが知られており、その簡便な合成法の開発は有機合成化学上の重要な課題の一つとなっている。筆者はこの点を踏まえ、フッ素の代表的な性質である強い電子求引性と脱離能に着目し、ジフルオロビニル化合物およびトリフルオロメチルビニル化合物への分子内求核的付加反応を利用する、フッ素原子やフルオロアルキル基をもつ各種5、6員環ヘテロ環化合物の合成法の開発について研究を行った。

1、ジフルオロビニル化合物の分子内求核置換を利用する3-フルオロキノリンの合成

 gem-ジフルオロアルケンに求核剤を作用させると、付加―脱離を経てフッ素の置換が進行するが、通常グリニャール試薬や有機リチウム試薬などの強い求核剤としか反応しないなど制約が多い。筆者は、この反応を分子内反応へ展開すれば、エントロピー効果によって、比較的弱い求核種を用いても置換反応が円滑に進行するのではないかと考えた。そこで、イミンとシアン化物イオンから発生させたα-シアノカルボアニオンを求核種として、ジフルオロビニル化合物の分子内置換を検討した。オルト位にイミン部位をもつβ,β-ジフルオロスチレン1にK2CO3と触媒量のKCNを作用させたところ、3-フルオロキノリン3を得ることができた(式1)。ここでは、発生するα-シアノカルボアニオン2によるビニル位フッ素の分子内置換が進行し、最後にHCNが脱離してキノリン3を与える。生じたHCNからシアン化物イオンが再生するため、触媒的に反応が進行する。通常イミンにシアン化物イオンを作用させると、イミンの二量化が進行するが、(式1)の系ではα-シアノカルボアニオン2がジフルオロアルケン部位で速やかに捕捉されるため、イミン同士の二量化を抑え、環化生成物を収率良く得ることができた。

2.ジフルオロビニル化合物への分子内ラジカル付加を利用するフルオロキノリン類の合成

 上述のアニオン環化に続いて、gem-ジフルオロアルケンへのラジカル付加を検討した。5-ヘキセニルラジカルの分子内ラジカル環化では、通常6-endo-trigに比べ5-exo-trig環化が速やかに進行し、5員環化合物を優先的に生成する。一方、gem-ジフルオロアルケンのジフルオロメチレン炭素は強い求電子性を有するため、分子内に求核的なラジカルを発生させれば、この位置で選択的にラジカル環化が進行し6員環の生成が期待できる。実際(式2)に示すように、オルト位にイソシアノ基をもつβ,β-ジフルオロスチレン4にスズヒドリドを作用させると、発生するα-スタンニルイミドイルラジカル5がジフルオロアルケンに速やかに付加し、6-endo-trig環化が選択的に進行した。生成する2-スタンニルジヒドロキノリン6にStilleカップリングを行い、(A)DBUを用いる脱HFまたは(B)NaBH4を用いる還元を行うことで、それぞれ3-フルオロキノリン8および3,3-ジフルオロテトラヒドロキノリン合成することができた。さらに、この環化法では、ジフルオロビニル基上に様々な置換基Rをもつイソシアニド4を合成することが可能であり、3-フルオロキノリン8を経て、クリプトレピンの11位置換体10も合成することができた。

3.トリフルオロメチルビニル化合物を出発物質とする含フッ素6員環ヘテロ環化合物の合成

 トリフルオロメチルビニル化合物に求核剤を作用させると、フッ化物イオンの脱離を伴うSN2′型の置換反応が進行するが、この反応は有機リチウム試剤などの強い求核剤を用いたり、ビニル基上に電子求引基を必要とするなど制約が多い。筆者は、これを分子内反応へと展開すれば弱い求核剤を用いても置換反応の進行が期待でき、分子内に求核部位をもつトリフルオロメチルビニル化合物から、ジフルオロメチレン基を有する6員環化合物が得られると考えた。またプロトン性条件下で反応を行えば、フッ化物イオンが脱離せずに分子内付加が進行し、トリフルオロメチル基を有する6員環化合物が得られると予想した。

 オルト位にトシルアミドメチル基をもつα-トリフルオロメチルスチレン11のイソキノリンへの変換を、無水条件下KHを作用させて試みたところ、発生するトシルアミダートイオンによる分子内置換が進行し、4位にジフルオロメチレン基を有するテトラヒドロイソキノリン12を得ることができた。一方、オルト位にホルミル基をもつ13にプロトン性条件下であるDMF-H2O混合溶媒中でNH4OAc(条件C)あるいはNH2OH・HCI(条件D)を作用させると、系中にイミンやオキシムが生じ、続いてイミノ基窒素との環化が進行し、4位にトリフルオロメチル基を有するジヒドロイソキノリン類14および15をそれぞれ収率良く得ることができた(式3)。

 続いて4-ジフルオロメチルキノリン合成を検討し、イミン16にDMF中で触媒量のKCNおよび等モル量の塩基を作用させたところ、対応するキノリン18が得られた(式4)。

4.トリフルオロメチルビニル化合物を出発物質とする含フッ素5員環ヘテロ環化合物の合成

 同様の手法を5員環形成に適用することにしたが、これはBaldwin則で不利とされる5-endo-trig環化となる。α-トリフルオロメチルスチレンのオルト位に求核部位をもつ19や20を用い、非プロトン性条件下でトシルアミダートイオンおよびチオラートイオンによる分子内置換を行うことで、3位にジフルオロメチレン基を有するインドリン21や2,3-ジヒドロベンゾチオフェン22を合成することができた。また、同じ出発物質を用いて、プロトン性条件下で分子内付加を試みたところ、3位にトリフルオロメチル基を有するインドリン23や2,3-ジヒドロベンゾチオフェン24が得られた(式5)。

 さらに、4位に求核部位をもつ2-トリフルオロメチル-1-アルケン25-27を用い、(式5)と同様の環化反応をトシルアミダートイオン、チオラートイオン、活性メチレンのエノラートで検討した。非プロトン性条件下では4位にジフルオロメチレン基を有するピロリジン28、テトラヒドロチオフェン29、シクロペンタン30が、またプロトン性条件下では4位にトリフルオロメチル基を有するピロリジン31やテトラヒドロチオフェン32を得ることもできた(式6)。このように反応条件を選択することで、同一の出発物質からトリフルオロメチル基、ジフルオロメチレン基を有する環状化合物を作り分けることができる。

 以上、筆者は、ジフルオロビニル化合物およびトリフルオロメチルビニル化合物の分子内反応を利用して、比較的弱い求核種による置換あるいは付加を効率的良く進行させ、フッ素原子やフルオロアルキル基を有する各種5、6員環ヘテロ環化合物の系統的な合成法を開発することができた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、フルオロアルケン類への分子内求核的付加反応を利用して、含フッ素ヘテロ環化合物の簡便な合成法を開発した結果について、4章にわたって述べたものある。

 含フッ素ヘテロ環化合物は特徴的な性質を有することが知られており、その効率的な合成法の開発が有機合成化学上の重要な課題の一つとなっている。筆者は、ジフルオロビニル化合物およびトリフルオロメチルビニル化合物を出発物質とし、フッ素の特性である電子効果と脱離能に着目して、これらの分子内環化を行うことで、含フッ素5、6員環ヘテロ環化合物の簡便な合成法を開発している。

第一章では、gem-ジフルオロビニル化合物の分子内求核置換を利用する3-フルオロキノリンの合成について述べている。gem-ジフルオロビニル化合物は求核剤と反応し、付加-脱離を経てフッ素の置換を起こすが、有機リチウム試薬などの強い試薬としか反応しない。筆者は、この反応を分子内反応へと利用すれば、比較的弱い求核種を用いても反応が進行するのではないかと考え、イミンとシアン化物イオンの反応により発生するα-シアノカルボアニオンを用いたgem-ジフルオロビニル化合物の分子内置換を検討している。その結果、オルト位にイミン部位をもつβ,β-ジフルオロスチレン1にK2CO3と触媒量のKCNを作用させると、3-フルオロキノリン3が合成できることを見い出している(式1)。

 第二章では、gem-ジフルオロビニル化合物への分子内ラジカル付加を利用するフルオロキノリン類の合成について述べている。5-ヘキセニルラジカルの分子内環化は、通常6-endo-trigに比べ5-exo-trig環化が優先し、5員環化合物が生成することが知られている。これに対し、筆者はgem-ジフルオロアルケンのジフルオロメチレン炭素は強い求電子性を有するため、分子内に求核的なラジカルを発生させれば、この位置で選択的にラジカル環化が進行し6員環が生成するのではないかと考えた。実際(式2)に示すように、オルト位にイソシアノ基をもつβ,β-ジフルオロスチレン4にスズヒドリドを作用させると、発生するα-スタンニルイミドイルラジカル5がジフルオロアルケンに速やかに付加し、6-endo-trig環化が選択的に進行する。生成する2-スタンニルジヒドロキノリン6にStilleカップリングを行い、それぞれ3-フルオロキノリン8および3,3-ジフルオロテトラヒドロキノリン9へ誘導している。さらに、この環化法を、クリプトレピンの11位置換体10の合成にも利用している。

 第三章では、トリフルオロメチルビニル化合物を出発物質とする含フッ素6員環ヘテロ環化合物の合成について述べている。筆者はトリフルオロメチルビニル化合物の分子内に求核種を発生させ、これによる置換あるいは付加反応を行い、ジフルオロメチレン基やトリフルオロメチル基を有するヘテロ環化合物が合成できることを見い出している。すなわち、オルト位にトシルアミドメチル基をもつα-トリフルオロメチルスチレン11に無水条件下KHを作用させると、発生するトシルアミダートイオンによる分子内置換が進行し、4位にジフルオロメチレン基を有するテトラヒドロイソキノリン12が得られる。一方、オルト位にホルミル基をもつ13にプロトン性条件下であるDMF-H2O混合溶媒中でNH4OAc(条件C)あるいはNH2OH・HCl(条件D)を作用させると、イミンやオキシムが生成した後、イミノ基窒素との環化が進行し、4位にトリフルオロメチル基を有するジヒドロイソキノリン類14および15が生成する(式3)。

 また、イミン16にDMF中でDBUおよび触媒量のKCNを作用させると、4-ジフルオロメチルキノリン18が得られる(式4)。

 第四章では、トリフルオロメチルビニル化合物を出発物質とする含フッ素5員環ヘテロ環化合物の合成について述べている。第三章で示した手法を5員環形成に適用しているが、これはBaldwin則で不利とされる5-endo-trig環化を実現したことになる。

 α-トリフルオロメチルスチレンのオルト位に求核部位をもつ19や20を、非プロトン性条件下で塩基処理すると、生じるトシルアミダートイオンおよびチオラートイオンによる求核的な5-endo-trig環化が進行して、3位にジフルオロメチレン基を有するインドリン21や2,3-ジヒドロベンゾチオフェン22を得ることができる。同じ出発物質を用いて、プロトン性条件下で分子内付加を行い、3位にトリフルオロメチル基を有するインドリン23や2,3-ジヒドロベンゾチオフェン24が生成することも明らかにしている(式5)。

 さらに、4位に求核部位をもつ2-トリフルオロメチル-1-アルケン25や26を用い、(式5)と同様の環化反応をトシルアミダートイオン、チオラートイオンで検討している。非プロトン性条件下では4位にジフルオロメチレン基を有するピロリジン28、テトラヒドロチオフェン29が、またプロトン性条件下では4位にトリフルオロメチル基を有するピロリジン30やテトラヒドロチオフェン31を得ることができる(式6)。このように反応条件を選択することで、同一の出発物質からトリフルオロメチル基、ジフルオロメチレン基を有する環状化合物の作り分けに成功している。

 以上述べたように、フルオロアルケン類への分子内求核的付加反応を利用する含フッ素ヘテロ環化合物の合成に関する本研究業績は、有機フッ素化学の分野のみならず有機合成化学の分野に貢献すること大である。なお、本研究は、岩井悠、市川淳士との共同研究であるが、論文提出者の寄与は十分であると判断される。従って、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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