学位論文要旨



No 119984
著者(漢字) 野中,秀紀
著者(英字)
著者(カナ) ノナカ,ヒデノリ
標題(和) マウス肝類洞内皮細胞の網羅的遺伝子発現解析とマーカー遺伝子の発現
標題(洋) Global gene expression analysis and development of the liver sinusoidal endothelial cell
報告番号 119984
報告番号 甲19984
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4713号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 渋谷,正史
 東京大学 教授 菅野,純夫
 東京大学 教授 深田,吉孝
内容要旨 要旨を表示する

緒言

 肝臓は代謝,解毒などを担う肝細胞(肝実質細胞)と,それらを支持する非実質細胞によって極めて特徴的な細胞構築がなされている.非実質細胞は,類洞と呼ばれる肝臓特異的な血管を構成しており,血管内皮細胞の類洞内皮細胞,周皮細胞の星細胞,肝在住マクロファージであるクッパー細胞などが含まれる(図A).肝組織形成機構の解明は,単に生物学的な興味の対象であるばかりでなく,再生医療への応用も期待でき意義深い.肝臓が新たに構築される際には肝細胞が分化増殖するだけでなく,非実質細胞も分化増殖をする.更にこれらが協調的に進行することで,高度に組織化された臓器形成が可能となる.従って,肝組織形成の機構を包括的に理解するためには,それぞれの細胞種がどのような振る舞いを示すのかを詳細に解析する必要がある.本研究では,肝臓の発生や再生過程において,個々の細胞種,特に肝類洞内皮細胞がどのような挙動を示すのかについて明らかにすることを目的に解析を行った.

結果と考察

肝再生過程におけるOSMの作用機序について

 IL-6ファミリーサイトカインの一つであるOncostatin M (OSM)は肝発生,肝再生に重要な因子である.OSM受容体(OSMR)欠損マウスでは急性肝障害や部分肝切除による肝再生が顕著に遅延する.しかし,OSM産生細胞やOSMが作用する細胞については不明であった.そこでまず始めに,肝再生過程におけるOSMの作用機序を解明する事を目的として以下の解析を行った.肝再生過程でOSMを発現する細胞は非実質細胞中のCD45陽性血液細胞であった.一方,OSMRの発現は,肝細胞及び非実質細胞中のCD45陽性細胞の一部とCD45陰性細胞で認められた.OSMはin vitroにおいて非実質細胞に作用し,マトリックスメタロプロテアーゼの阻害因子であるTIMP-1の発現を誘導した.また,肝類洞内皮細胞ではOSMの刺激により形態変化が誘導された.OSMと同じファミリーに属するIL-6の遺伝子欠損マウスはOSMR欠損マウスと同様,肝再生に異常を示す.しかしTIMP-1の発現誘導活性や形態変化の誘導活性はOSMと比べると顕著に低かった.以上の結果から,OSMは肝障害・再生の過程において(1)CD45陽性の血液細胞より産生され,肝実質細胞,非実質細胞両者にわたる様々な細胞に作用すること,(2)肝類洞内皮細胞はその標的細胞の一つであること,また(3)IL-6とは異なる活性を持つことが示された.

SAGEによる肝類洞内皮細胞の遺伝子発現解析

 網羅的遺伝子発現解析は,生命現象を解析するための有効な手段である.現在までに肝再生や肝臓の病態モデルにおける遺伝子発現解析の前例はあるが,これらは全て肝臓全体のサンプルを用いたものであった.様々な細胞種で構成される肝臓で,それぞれの動態や機能を理解するためには,各細胞集団ごとに遺伝子発現解析を行う必要がある.本研究では,肝再生過程においてOSMが作用する細胞の一つである肝類洞内皮細胞に着目し,SAGE (Serial analysis of gene expression)法による遺伝子発現解析を行った.正常肝および四塩化炭素投与後24時間経過した障害肝より肝類洞内皮細胞を分離し,SAGEライブラリーを作製した.各ライブラリーから約1,600クローンの配列を決定した結果,正常肝32,867タグ,障害肝37,493タグの発現プロファイルを得た.障害肝で発現が増加する遺伝子には,細胞増殖を負に制御する遺伝子(Cdkn1a, Irf1)などが存在した.一方,障害肝で発現が減少する遺伝子には,細胞増殖を正に制御する遺伝子(Kdr, Nrp)や蛋白の細胞内輸送に関わる遺伝子(Gosr2, Ap1b1など)が存在した.これら遺伝子群の発現変動から肝障害時には,肝類洞内皮細胞の増殖能や異物取込み能が一過性に低下していることが考えられた.本研究で同定した肝障害時に発現が変動する遺伝子の中には,肝臓全体のRNAでは検出が困難なものが多数認められたことから,限定された細胞集団における遺伝子発現解析の有効性が確認された.

肝類洞内皮細胞マーカー遺伝子の同定とモノクローナル抗体の作成

 肝類洞内皮細胞の分離・識別は,比重の差や,一般的な内皮細胞のマーカーであるPECAM-1やVE-Cadherinの発現を指標に行われてきた.しかし,これらの方法では,肝類洞内皮細胞と他の内皮細胞を厳密に区別できない.肝類洞内皮細胞に特異的なマーカーがあれば,より厳密に肝類洞内皮細胞を分離することが可能となるばかりか,肝類洞内皮細胞の発生,分化についても,その発現を指標に議論できるようになると期待される.そこで,先のSAGEの結果を利用して肝類洞内皮細胞マーカー遺伝子の同定を試みた.Web 上に公開されているマウス各臓器や細胞株由来のSAGEライブラリーと,本研究で作成した肝類洞内皮細胞のSAGEライブラリーを比較し,肝類洞内皮細胞のライブラリーで多く発現するが,その他のライブラリーでは発現が少ない,あるいは認められない,という条件を満たすタグを抽出した.得られた23個のタグのうち11個は既に,肝類洞内皮細胞を含む内皮細胞で多く発現していると報告のあるものであり,本スクリーニングの有効性が確認された.残りのうち4個は,まだ十分に解析されていない遺伝子であり,新たな肝類洞内皮細胞マーカー遺伝子候補として注目している.

 既知の遺伝子の中には,肝類洞内皮細胞の特徴の一つであるヒアルロン酸の取込みに関わる膜蛋白質,Stabilin-2(Stab2)が存在した.マウスStab2のクローニングはごく最近であり,細胞分離に使用可能な抗体などの報告はなかった.そこで肝類洞内皮細胞の分離や識別に使用可能な抗マウスStab2モノクローナル抗体の作製を行った.得られた抗体は,フローサイトメトリー,免疫組織染色,ウェスタンブロットに使用可能であり,更に本抗体による肝類洞内皮細胞の分離はPECAM-1を指標にしたときと比べ純度が高かった.成体マウス肝臓におけるStab2の発現は,類洞領域においてのみ認められ門脈や中心静脈では認められない.よって,本抗体により「肝類洞内皮細胞とその他の内皮細胞を厳密に識別する」ことが可能となった.

肝類洞の構築と肝類洞内皮細胞マーカー遺伝子の発現

 肝類洞内皮細胞が,肝発生過程のどの時期に他の内皮細胞とは異なる特徴を獲得するのかは,これまでほとんど明らかにされていなかった.そこでStab2の発現を指標に,肝発生過程における肝類洞の分化,成熟の様子を観察した.肝原基は,胎齢8日目の内胚葉前腸領域が隣接する心臓からのシグナルを受けることで形成される.肝芽細胞へと運命決定を受けた細胞が増殖するためには,Flk-1/ PECAM-1陽性の内皮細胞からのシグナルが必要であることが既に報告されている.その後,出生時までの肝臓は造血器官として機能する.この時期の門脈や中心静脈は,その周囲に胆管や肝動脈などが存在せず未発達であり,出生後にこれらの構造が完成する.まず,肝原基においてStab2陽性細胞が出現する時期の同定を免疫組織染色により行った.その結果,Stab2陽性細胞は胎齢10日目,36体節期以降に出現することが明らかとなった.肝芽細胞の増殖を促す胎齢8〜9日目の内皮細胞にはStab2が発現していないことから,この時期の内皮細胞は肝類洞内皮細胞へと運命決定をうける以前の内皮細胞であると考えられる.その後の胎児肝臓におけるStab2の発現は, 成体肝とは異なり類洞にも "大きな" 血管にも認められた."大きな" 血管におけるStab2の発現は出生後,胆管や肝動脈などが形成されるにつれて消失していた.次にStab2陽性細胞が内皮細胞であるという点について,CD45,PECAM-1の発現とアセチル化LDLの取込み能を指標に検討した.胎齢13日目の胎児肝臓におけるStab2陽性細胞はCD45陰性/PECAM-1陽性細胞の一部であり,CD45陰性/PECAM-1陽性/Stab2陰性細胞はアセチル化LDLの取込み能を有しないのに対し,CD45陰性/PECAM-1陽性/Stab2陽性細胞のほとんどがアセチル化LDLの取込み能を有していた.したがって,胎児期におけるStab2陽性細胞は内皮細胞であり,Stab2は胎児期においても肝類洞内皮細胞を分離・同定する良いマーカーとなることが明らかとなった.また,Stab2陽性細胞における他の細胞表面抗原の発現を検討した結果, CD34は胎児期においてのみ発現が認められたのに対し,FcRやc-Kitの発現は成体期で発現が増加することが明らかとなった.以上の結果から,肝臓の血管系はStab2陰性の初期型,全ての血管がStab2陽性となる胎児型,そして門脈や中心静脈でのStab2の発現が消失する成体型の分化形態が存在し,肝類洞内皮細胞においてもその細胞表面抗原の発現が大きく変化することが示された(図B).

結言

 本研究は,OSMR欠損マウスの表現系を手がかりに,OSMの肝再生過程における詳細な作用機序を明らかにすることを目的に開始された.その過程において, OSMの作用細胞の一つが肝類洞内皮細胞である事を同定し,肝類洞内皮細胞の網羅的遺伝子発現解析を行うことで肝再生過程での動態を示唆する結果を得た.またその結果をもとに,肝類洞内皮細胞の研究ツールとして肝類洞内皮細胞のマーカー遺伝子Stab2を同定し,そのモノクローナル抗体を作製した.更にStab2の発現を指標にすることで,今までほとんど明らかにされていなかった肝類洞および肝類洞内皮細胞の肝発生過程における挙動を明らかにした.肝類洞内皮細胞は肝発生,肝再生,免疫応答など様々な局面においてその重要性が示唆されている.しかしこれら先行研究は,細胞の分離が不十分であり真に肝類洞内皮細胞の機能を示しているとは言い難い.今後は,本研究で作製した抗体を用いることでこのような問題点を克服し,肝類洞内皮細胞の分化や,生理的な機能における特殊性を議論できるようになると考えている.

図 A:肝臓を構成する細胞

  B:肝臓血管系の発生とStabilin-2の発現

緑;stabilin-2養成内皮細胞,橙;Stabilin-2陰性内皮細胞

P;門脈,C;中心静脈,A;肝動脈,B;胆管

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は7章からなる。第一章の緒言に続き、第二章から第五章までは研究結果が、第六章では結言、第七章では材料と方法が記述されている。

 第二章では、肝臓構成細胞を分離することにより、肝再生過程におけるoncostatin M (OSM)の作用機序について明らかにしている。OSMは肝再生過程に重要なサイトカインであり、その受容体(OSMR)欠損マウスは肝再生に異常を示す。OSMR欠損マウスでは、肝障害後の肝細胞の増殖活性が野生型と比べ低く、アポトーシスが亢進しており障害が持続する。しかし、OSMの産生細胞や作用点については明らかにされておらず、その作用機序は不明であった。本研究では、肝臓構成細胞を分離しOSMおよびOSMRの発現について検討することで、まずOSMの発現がCD45陽性非実質細胞で認められること、OSMRの発現は肝細胞、CD45陽性、陰性非実質細胞と肝臓を構成する様々な細胞種で認められることを明らかにした。また、初代培養系を用いOSMが非実質細胞に作用しtissue inhibitor of metalloproteinase (TIMP)-1 の発現を誘導することを明らかにした。OSMR欠損マウスを用いた解析から、生体内においてもOSMはTIMP-1の発現を誘導していることが示唆された。また、OSMは肝類洞内皮細胞にも作用することを明らかにした。以上の結果から,肝障害時にはCD45陽性非実質細胞がOSMを産生し肝細胞の生存・増殖を促進すること、それは肝細胞に直接作用するだけでなく,非実質細胞に作用し,炎症反応やマトリックス産生を調節することにより行なわれていることが示唆された。

 第三章では、OSMが作用する細胞の一つであり、肝形成時に重要な役割をもつことが知られている肝臓特異的な内皮細胞、肝類洞内皮細胞に着目し行った解析について述べている。申請者は、肝類洞内皮細胞の肝再生過程における動態や機能を遺伝子レベルで明らかにすることを目的として、Serial analysis of gene expression(SAGE)法による遺伝子発現解析を行った。既に、肝臓の病態などを解析する目的でマイクロアレイなどによる遺伝子発現解析が行われているが、それらは肝臓全体のサンプルを用いたものであった。本研究では、肝類洞内皮細胞における遺伝子発現やその変動を正確に捉えるために、細胞集団を分離し遺伝子発現解析を行っている。その結果、正常肝・障害肝類洞内皮細胞における約6,000遺伝子の発現プロファイルが明らかにし、肝臓全体のサンプルを用いた場合では検出が困難であると思われる遺伝子も多数同定した。本研究の成果は公共のデータベース(SAGEmap /Gene Expression Omnibus database, URL: http://www.ncbi.nlm.nih.gov/geo/info/linking)に公開されており,利用・閲覧が可能となっている。

 第四章では、肝類洞内皮細胞の分離・識別のためのマーカー遺伝子の同定,モノクローナル抗体の作製と,抗体を利用した肝類洞内皮細胞の分離について述べられている。肝類洞内皮細胞の動態や機能についての解析が十分に進展していない原因には、細胞を分離・識別するための良いマーカー遺伝子とその抗体が存在しないことが挙げられる。そこで、申請者は先のSAGEの結果と、公開されているSAGEデータベースを利用し、肝類洞内皮細胞のマーカー遺伝子を同定した。それらの中で,Stabilin-2 (Stab2)に着目し,マウスStab2に対するモノクローナル抗体を作製した.この抗体による肝類洞内皮細胞の分離は、既存の抗体と比較し純度が高いことが明らかになった。本抗体を用いることで、肝類洞内皮細胞の動態や機能についての解析が進展することが期待される。

 第五章では、Stab2の発現を指標に肝類洞および肝類洞内皮細胞の発生について解析した結果について述べられている。肝類洞内皮細胞は、マウスでは胎齢15日目頃から有窓構造やマーカー遺伝子の発現が認められることが知られていた。またラットの解析から「肝類洞内皮細胞は,門脈や中心静脈とは別個に発生する」というモデルが提唱されていた。本研究では、Stab2の発現が胎齢10日目の肝臓で既に認められること、胎児期の肝臓では成体での門脈や中心静脈に相当する「大きな」血管においてもStab2の発現が認められるが、出生後の門脈や中心静脈ではその発現が消失すること、胎児期のStab2陽性細胞はCD45陰性/PECAM-1陽性でアセチル化LDLを取込むことが可能な内皮細胞であることを明らかにしている。また、肝臓以外の組織では、臍帯静脈や卵黄嚢の血管でStab2の発現が認められることから「卵黄静脈・臍帯静脈由来の門脈・中心静脈より肝類洞内皮細胞が発生する」というモデルを提唱している。内皮細胞は臓器ごとに特殊化されていることが知られているが、臓器形成のごく初期からその特殊化が認められるとの報告はなかった。本研究の成果は、内皮細胞の分化についての新たな知見を得たという点で意義深い。

 なお、本論文第二章は中村康司、斉藤弘樹、田中稔、宮島篤との共同研究、第三章、第四章は菅野純夫、宮島篤との共同研究、第五章は宮島篤との共同研究であるが、申請者が主体となって実験および考察を行ったもので、申請者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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