No | 119985 | |
著者(漢字) | 樋野,展正 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ヒノ,ノブマサ | |
標題(和) | 動物細胞の遺伝暗号拡張による非天然型アミノ酸のタンパク質への導入とシグナル伝達研究への応用 | |
標題(洋) | Incorporation of unnatural amino acids into proteins by expanded genetic codes in mammalian cells for providing new strategies for the research on signal transductions | |
報告番号 | 119985 | |
報告番号 | 甲19985 | |
学位授与日 | 2005.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第4714号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物化学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | タンパク質に天然にはない新たな置換基を導入することで,プローブ分子や,新規機能分子として働かせることができる.反応性の高いアミノ基やチオール基をターゲットとするタンパク質の化学修飾は広く行われ,蛍光基やクロスリンカーを導入することにより,タンパク質の挙動や,相互作用の解析が可能になっている.しかし,これらの官能基はタンパク質中に複数箇所存在することが多く,望みの部位を特異的に修飾することは困難である.そこで近年,生物の持つ翻訳システムを改変し,遺伝暗号を拡張することによって,天然にはない置換基を側鎖にもつ非天然型アミノ酸を,生きた細胞内で,タンパク質中に部位特異的に導入する手法が開発されている.この手法は,まず大腸菌細胞を用いて達成され,その後,動物細胞,酵母細胞でも可能になっている.動物細胞内に,非天然型アミノ酸を特異的に認識するEscherichia coli由来のチロシルtRNA合成酵素(TyrRS)を,Bacillus stearothermophilus由来のアンバーサプレッサーtRNAとともに発現させた時,このアミノ酸はアンバー・コドンに対応してタンパク質に導入される.E. coli TyrRSはこのサプレッサーtRNAのみをアミノアシル化し,逆に,このtRNAは内在性のアミノアシルtRNA合成酵素に認識されない.このように,この原核生物由来のTyrRSとtRNAは動物細胞の翻訳システムと「直交性」を保っており,非天然型アミノ酸がアンバー・コドン以外の位置に取り込まれないことを保証している.動物細胞内において,任意の部位に非天然型アミノ酸を有するタンパク質を発現させることで,より生理的な条件下におけるタンパク質の挙動の解析が可能になると考えられる. 本研究では,この技術を利用した細胞内シグナル伝達研究のための新たな手法を開発した.第一章では,動物細胞内でSrcチロシンキナーゼの自己リン酸化部位に3-ヨードチロシン(I-Y)を導入し,このアミノ酸が実際にリン酸化されることを示し,また,リン酸化されたI-Yが特定のチロシンフォスファターゼに対する耐性を持つことを示した.このことは, 細胞内の特定のシグナル経路を選択的に制御できる可能性を示唆している.また,第二章では,動物細胞内でGrb2タンパク質のSH2ドメインに光クロスリンク能を持つパラベンゾイルフェニルアラニン(pBpa)を導入し,細胞に365 nmの光を照射することにより,共発現させたEGF受容体とリン酸化依存的にクロスリンクさせることに成功した.また,細胞に発現する内在性タンパク質とも効率よくクロスリンクがかかることを示した.この手法により,細胞内で生じているタンパク質複合体を安定化し,また,それらを特異的に検出することが可能になることから,既存の手法では確認されなかったタンパク質間相互作用を同定できると考えられる. 第一章 動物細胞内における3-ヨードチロシンのリン酸化とその制御 動物細胞内において,タンパク質のチロシン残基のリン酸化状態は,チロシンキナーゼとチロシンフォスファターゼによって可逆的に制御されている.3-ヨードチロシン(I-Y)は,チロシンの3位にかさ高いヨード原子を有しており,キナーゼやフォスファターゼの認識に影響を与える可能性が大きい.そこで,細胞内に3-ヨードチロシンを導入したタンパク質を発現させ,そのリン酸化,脱リン酸化について調べた. ヒトSrcチロシンキナーゼの自己リン酸化部位である419番目のコドンをアンバー・コドンとし,この遺伝子をI-Y特異的E. coli TyrRS変異体とBacillus stearothermophilus由来のアンバーサプレッサーtRNAの遺伝子とともにCHO細胞中に発現させた.培地中にI-Yを添加した時,I-Yが導入されたSrcが発現することが確認された.さらにこの時,導入されたI-Yがリン酸化されていることが明らかとなった. 次に,リン酸化されたI-Y(pI-Y)が,チロシンフォスファターゼであるCD45もしくはPTP1Bによって脱リン酸化されるかどうかを調べた.基質としてリン酸化チロシン(pY)もしくはpI-Yを導入した合成ペプチドを用いた時,これらの酵素は,pI-Yに対し,pYを,優位に脱リン酸化することが示された.また,pI-Yを含むSrcを用いた場合には,ある程度の脱リン酸化が確認されたが,pYを含むSrcに比べてかなり弱いものであった.しかしながら,細胞内でpI-Yを含むSrcがすみやかに脱リン酸化されることが確認され,細胞内に発現する何らかのフォスファターゼにより脱リン酸化されることが示唆された.PTP1Bは,pI-Yを認識する際にヨード原子と衝突することが予想される位置に,かさ高いイソロイシン残基を持つ.また,細胞内にはこの部位がアラニンなどの小さな残基に置き換わっているフォスファターゼが存在する.これは,pI-Yのチロシンフォスファターゼに対する感受性が,基質認識領域中に存在するひとつの残基のバリエーションによって決定される可能性を示唆している.これらのことから,pI-YはCD45,PTP1Bを含むある種のフォスファターゼに特異的に耐性を示す可能性があり,特定のシグナル経路の制御に利用できると考えられる. 第二章 動物細胞内における,光クロスリンク能を持つ非天然型アミノ酸のタンパク質への部位特異的導入と,in vivo 光クロスリンク法の開発 パラベンゾイルフェニルアラニン(pBpa)は光クロスリンク能を持つベンゾフェノン骨格をその側鎖として有する非天然型アミノ酸である.酵母細胞において,pBpaを特異的に認識するE. coli由来TyrRS変異体が開発され,動物細胞内においてpBpaがタンパク質に導入できる可能性が示唆された.そこで,シグナル伝達に関わるアダプタータンパク質であるGrb2のSH2ドメインにpBpaを導入し,リン酸化タンパク質とのクロスリンク形成について調べた.まず,pBpaの導入部位として,Grb2とペプチドリガンドとの複合体構造に基づいて,リガンド結合部位近傍に存在する,111番目のロイシン残基を選択した.対応するコドンをアンバー・コドンに置換し,FLAGタグ配列を付加したgrb2遺伝子と,E. coli由来のpBpa特異的TyrRS変異体,B. stearothermophilus由来のアンバーサプレッサーtRNAの遺伝子をCHO細胞内に導入し,培地中にはpBpaを添加した.Grb2変異体の発現は,pBpa添加時にのみ確認されたことから,Grb2遺伝子の111番目のコドンに対応して,pBpaが導入されたことが示された.この変異体を以下Grb2(pBpa111)と表記する. EGF受容体は,EGF刺激により自己リン酸化し,Grb2のSH2ドメインと結合することが知られている.EGF受容体とGrb2(pBpa111)をCHO細胞内に共発現させた時,両者はEGF刺激に依存して相互作用することが免疫沈降法によって示された.さらに,EGFで刺激したこれらの細胞に,氷冷下で直接365 nmの光を最長30分間照射した場合,次のような結果が得られた(図).1. Grb2(pBpa111)発現細胞にのみ,光の照射時間に依存して増加する産物が確認された.2. EGF刺激をしていない細胞に光を照射した場合には,このような産物は確認されなかった.3. この産物は,抗EGF受容体抗体,抗FLAG抗体の両者によって検出された.4. この産物は,EGF受容体とGrb2の分子量を足し合わせたのと同じ,200 kDa程度の分子量を有していた.以上のことから,この産物は,EGF受容体とGrb2のクロスリンク複合体であると結論された. 次に,SH2ドメイン中の異なる部位にpBpaを導入した場合のEGF受容体とのクロスリンク形成について調べた. EGF受容体とのクロスリンクは複数箇所で形成されたが,リガンドに近接し,さらにリガンド側を向いている残基をpBpaに置換した時,最も効率よくクロスリンクが起こり,Grb2内部を向く残基や,リガンドから離れた位置に存在する残基をpBpaに置換した場合には,クロスリンクは見られなかった.このように,クロスリンクの効率は,pBpa導入部位からリガンドまでの距離,または導入されたpBpaの側鎖の向きに依存することが示された. 最後に,Grb2(pBpa111)と,CHO細胞に発現する内在性タンパク質とのクロスリンク形成について調べた.この結果,光照射に依存して,Grb2に結合することが知られるErbB2をはじめとする,数多くのクロスリンク複合体が生じていることが確認された. このin vivo 光クロスリンク法は,相互作用するタンパク質どうしを細胞内でクロスリンクさせることから,不安定なタンパク質複合体を安定に単離することができる.また,細胞を破砕した後に生じるような,本来の相互作用を反映しない複合体と区別することができる.このことは,動物細胞内におけるタンパク質間相互作用を調べる上で非常に有用であり,今後様々な相互作用の同定に応用できると考えられる. in vivo photocrosslinking of pBpa-containing Grb2 with the EGF receptor | |
審査要旨 | タンパク質に天然にはない新たな置換基を導入することで,プローブ分子や,新規機能分子として働かせることができる.近年,生物の持つ翻訳システムを改変し,遺伝暗号を拡張することによって,天然にはない置換基を側鎖にもつ非天然型アミノ酸を,生きた細胞内で,タンパク質中に部位特異的に導入する手法が開発されている.この手法は,まず大腸菌細胞を用いて達成され,その後,動物細胞,酵母細胞でも可能になっている.動物細胞内に,非天然型アミノ酸を特異的に認識するEscherichia coli由来のチロシルtRNA合成酵素(TyrRS)を,Bacillus stearothermophilus由来のアンバーサプレッサーtRNAとともに発現させた時,このアミノ酸はアンバー・コドンに対応してタンパク質に導入される.E. coli TyrRSはこのサプレッサーtRNAのみをアミノアシル化し,逆に,このtRNAは内在性のアミノアシルtRNA合成酵素に認識されない.このように,この原核生物由来のTyrRSとtRNAは動物細胞の翻訳システムと「直交性」を保っており,非天然型アミノ酸がアンバー・コドン以外の位置に取り込まれないことを保証している.動物細胞内において,任意の部位に非天然型アミノ酸を有するタンパク質を発現させることで,より生理的な条件下におけるタンパク質の挙動の解析が可能になると考えられる. 論文提出者は,この技術を利用した細胞内シグナル伝達研究のための新たな手法の開発と,その検証を行った. 本論文は序章を含めた4章からなる.序章は,研究の背景と目的について述べられている.第1章は,チロシンの3位にかさ高いヨード原子を有する3-ヨードチロシン(I-Y)をタンパク質に導入した場合の,I-Yのリン酸化と,特定のフォスファターゼによる脱リン酸化に対する耐性について述べられている.論文提出者は,まず,ヒトSrcチロシンキナーゼの自己リン酸化部位にI-Yを導入し,これがリン酸化されることを示した.次に,リン酸化ヨードチロシン(pI-Y)残基のチロシンフォスファターゼに対する感受性を,pI-Yを含む合成ペプチドもしくはSrcを基質として調べた.このとき,CD45およびPTP1Bは,これらの基質をほとんど脱リン酸化しないことを示した.しかしながら,細胞内には,pI-Yを含むSrcを脱リン酸化するフォスファターゼが存在することが示唆された.これについて,論文提出者は,既に結晶構造が解かれているヒトPTP1Bとリガンドペプチドとの複合体構造と,チロシンフォスファターゼの基質認識部位におけるアミノ酸配列の相同性を基に考察を加えており,pI-Yのチロシンフォスファターゼに対する感受性が,基質認識領域中に存在するひとつの残基のバリエーションによって決定される可能性について言及している.また,低分子量チロシンフォスファターゼなど別のファミリーに属するものによる脱リン酸化も考えられる. 第2章は,光クロスリンク能を持つパラベンゾイルフェニルアラニン(pBpa)をタンパク質に導入することによるin vivo光クロスリンク法の開発について述べられており,既存技術に対する利点について議論されている.論文提出者は,既に開発されている pBpa特異的TyrRSを用いて,動物細胞内でpBpaをアダプタータンパク質Grb2のSH2ドメインに導入した.細胞に365 nmの光を照射することで,pBpaをリガンド結合部位近傍に導入した複数のGrb2変異体が,一過性に発現させたEGF受容体とそのEGF刺激によるリン酸化に依存してクロスリンクした.これらのクロスリンク体は,pBpaと結合リガンドとの間の距離に依存して形成された.さらに,pBpa導入Grb2は,ErbB2をはじめとする内在性の複数のタンパク質とクロスリンクを形成することを示した.このin vivo光クロスリンク法は,相互作用するタンパク質どうしを細胞内でクロスリンクさせることから,不安定なタンパク質複合体を安定に単離することができる.また,細胞を破砕した後に生じるような,本来の相互作用を反映しない複合体と区別することができる.このことは,動物細胞内におけるタンパク質間相互作用を調べる上で非常に有用である. 第3章では,本研究で開発された技術の細胞内シグナル伝達研究への応用について,また,様々な非天然型アミノ酸の利用について総合的に議論されている. なお,本論第2章は,東京大学の横山茂之教授,坂本健作助手(現・理化学研究所),小林隆嗣修士,岡崎有羽子氏,理化学研究所の林明子修士との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する. したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める. | |
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