学位論文要旨



No 119988
著者(漢字) 棚橋,貴子
著者(英字)
著者(カナ) タナハシ,タカコ
標題(和) 花形成制御因子FLO/LFY遺伝子のヒメツリガネゴケ相同遺伝子の機能解析
標題(洋) Functional analysis of homologs of floral regulator FLO/LFY genes in the moss Physcomitrella patens
報告番号 119988
報告番号 甲19988
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4717号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,雅啓
 東京大学 教授 野中,勝
 東京大学 講師 上島,励
 東京大学 助教授 樋口,正信
 自然科学研究機構 教授 長谷部,光泰
内容要旨 要旨を表示する

 近年のシロイヌナズナを中心とした数多くの研究により、花の形成を制御する複雑な遺伝子ネットワークの全貌が明らかになりつつある。このネットワークの中で、中心的な役割を担う因子の一つが、陸上植物特有の転写因子をコードしているFLO/LFY遺伝子である。被子植物シロイヌナズナの相同遺伝子LFYは、花成を促進する複数のシグナルを統合し、栄養成長から生殖成長への転換を誘導する。そして花器官のアイデンティティーを決定する花のホメオティック遺伝子群(主にMADS-Box遺伝子群に含まれる) の転写を活性化することで花の形成の制御に深く関わる。花の形成を制御するFLO/LFY相同遺伝子の機能は被子植物の間で概ね保存されている。FLO/LFY相同遺伝子がMADS-Box遺伝子を発現誘導する機能は、裸子植物でも保存されていると推定されているが、シダ植物では保存されていないことが、それぞれの相同遺伝子の発現解析から示唆されている。しかしながら、被子植物以外の群ではFLO/LFY相同遺伝子の機能欠損型変異体は得られていないため、それらの植物でのFLO/LFY相同遺伝子の機能は分かっていない。

「FLO/LFY相同遺伝子→MADS-Box遺伝子」という制御系は花自身の出現よりも先に確立されていたらしいが、ではFLO/LFY相同遺伝子はもともとどのような機能を担っていたのか。FLO/LFY相同遺伝子の祖先的機能とその進化を考察するために、本研究ではコケ植物におけるFLO/LFY相同遺伝子の機能を明らかにすることを目的とした。

 まずFLO/LFY相同遺伝子に保存的な配列から縮重プライマーを設計し、RT-PCR法によりヒメツリガネゴケから2つのFLO/LFY相同遺伝子PpLFY1、PpLFY2を単離し、TAIL-PCR法によりそのゲノムDNA配列も決定した(図1A,B)。両者は互いによく似た配列をしており(塩基配列で89.5%同一)、推定アミノ酸配列PpLFY1、PpLFY2はそれぞれ、シロイヌナズナLFYとの同一度が49.5% 、48.5%、類似度が77.8% 、78.1%であった。また両遺伝子はエクソンーイントロン構造も共通しており、被子植物の相同遺伝子よりもイントロンを1つ余分に含む構造をしていた。またゲノムサザン解析により(図1C)、ヒメツリガネゴケのFLO/LFY相同遺伝子は今回得られたPpLFY1、PpLFY2のみであることが推定された。

 RT-PCR法によりPpLFY1、PpLFY2は茎葉体や胞子体で原糸体よりも強く発現していることが分かった(図2)。2つの遺伝子のより詳しい発現パターンを調べるために、PpLFY1-GUSまたはPpLFY2-GUSタンパクを発現するラインを作出した。融合タンパクの発現パターンを調べたところ、両者は共通した発現パターンを示した(図3)。胞子が発芽してできる原糸体では発現は見られず、芽でまず発現が観察された。芽は成長して茎葉をもつ茎葉体をつくるが、茎葉体の茎頂および側芽の茎頂で発現が見られた。生殖器官である造精器では発現は検出されなかったが、造卵器およびその内部の卵細胞ではその発生過程を通じて発現が検出された。また若い胚全体と発生中の胞子体の中の胞子嚢、足でも発現が見られた。

 次にPpLFY1、PpLFY2の機能を推定するためにそれぞれの一重破壊株、および二重破壊株を作出した。これらの株は原糸体、茎葉体の形態には野生株との差異は見られず、造精器や造卵器の形成も正常だった。ところが胞子体の形成を誘導すると、野生株が90%以上の茎葉体で胞子体を形成する条件で、PpLFY2一重破壊株はそれより若干低い胞子体形成率を示した。PpLFY1一重破壊株はラインによる違いがあったが、いずれも野生株よりもずっと低い胞子体形成率を示し、二重破壊株はどのラインでもほとんど胞子体を形成しなかった(表1)。

 遺伝子破壊株で胞子体を形成しないのはどの発生段階で欠損があるためなのか。PpLFY1-GUSおよびPpLFY2-GUSの発現は造精器や精子で検出されなかったこと、また遺伝子破壊株でも造卵器の中に侵入する精子が観察されたことから、遺伝子破壊株で精子に欠損はないと考えられた。そこで造卵器に注目して、遺伝子破壊株の卵細胞および胚の共焦点レーザー顕微鏡 (CLSM) による観察を試みた (図4)。野生株では、受精後の接合子は造卵器腹部の空間を満たすように膨張して、造卵器の長軸に垂直な方向で分裂して、2細胞の胚を形成する。一方でPpLFY二重破壊株では、膨れた接合子および2細胞以上の胚は全く観察されなかった。観察されたのは一細胞の未受精卵または膨張していない接合子のみで、二重破壊株の卵細胞は受精後の接合子の段階で発生が止まっていると推測された。

 さらに遺伝子破壊株の卵細胞と野生株の精子の交雑を試みて、遺伝子破壊株の卵細胞の受精能が正常かどうかを検証した。その結果、遺伝子破壊株と野生株の交雑受精によって生じたと考えられる胞子体が5個得られた。これらの胞子体は形態に異常はなく、含まれる胞子の発芽率もほぼ正常だった。これにより遺伝子破壊株は受精能に欠損はないことがわかり、PpLFY1、PpLFY2は受精後の過程で機能する因子であることが確かめられて、CLSMによる観察結果とも合致した。

 PpLFY二重破壊株がまれにつくる胞子体は異常な形態を示した(図5)。これらの形態異常の胞子体は、ヒメツリガネゴケと近縁のPhyscomitrium cyathicarpumで報告されている単為生殖で形成された胞子体と共通した形態をしており、PpLFY二重破壊株で形成された胞子体も単為生殖によるものである可能性が高かった。一方でPpLFY二重破壊株で形成された胞子体は、その他の異常形態も観察され、胞子の稔性も非常に低かった。これらは単為生殖により形成された胞子体には見られない特徴で、PpLFYの機能欠損により生じた表現型だと考えられた。異常形態の胞子体は器官形成は概ね正常だったが、細胞分裂に異常があることが組織切片の観察から明らかとなった。このことは、PpLFY1とPpLFY2が接合子の第一分裂に至る過程のみならず、胞子体のその後の形成過程でも細胞分裂を制御していることを示唆している。

 この研究により、ヒメツリガネゴケのFLO/LFY遺伝子PpLFY1、PpLFY2は受精後の接合子の第一分裂を制御する因子であることが明らかとなった。また2つの遺伝子は、その後の胞子体形成においても適切な細胞分裂を制御することが示唆された。これらの結果は、PpLFY遺伝子が胞子体形成を細胞分裂の制御を介して普遍的に制御していることを示している。被子植物のFLO/LFY遺伝子は花形成の制御因子であり、報告のある機能欠損型変異体の中に細胞分裂に異常のある変異体は一切報告されていない。FLO/LFY遺伝子は被子植物でもコケ植物でもその発生過程に重要な機能を果たす因子であるが、陸上植物の系統によって全く異なった機能をもつ因子に進化したことが本研究により明らかとなった。

図1 PpLFY1、PpLFY2の遺伝子構造とゲノムサザン解析 (A)PpLFY1 (B)PpLFY2 (C)PpLFY1、PpLFY2のゲノムサザン解析

ハイブリダイゼーションと洗浄は厳しい条件(65℃)と緩やかな条件(55℃)のそれぞれで、gPpLY1、gPpLFY2をプローブに用いて行った。b:Bg/ll、e:EcoRl

図2 PpLFY1、PpLFY2のRT-PCRによる発現解析

表1.各下部の胞子体形成率

図3 PpLFY2-GUSタンパク発現ラインのGUS染色パターン

(A)芽(B)茎葉体(矢印:茎頂 矢尻:側芽)(C-F)造卵器 矢印:卵細胞(G)造精器(H)造卵器とその内部の若い胚(I-K)単離した胚(L-P)胞子体の発生 Sp:胞子嚢 Sp:さく柄 F:足

スケールバー 50μm in(A,C-P);1mm in(B).

図4 卵細胞、接合子、胚の発生

(A-F)野菜株 (G-J)PpLFY二重破壊株 (A,G)若い卵細胞 (B,H)造卵器に精子(矢尻)が侵入 (C,I)受精卵/接合子 (D)接合子の第一分裂(矢印は分裂面) (E)2細胞期の胚(F,J)未受精卵 (D)以外の矢印は細胞核を示す。スケールバー 25μm

図5 胞子体の発生

(A-D)野生株 (E-K)PpLFY二重破壊株 (A,B)造卵器内で成長する胚 (C,D)成熟した胞子体 (E,F)単為生殖で形成された胞子体にも共通して見られる異常形態の胞子体 (G-K)異常形態の胞子体

スケールバー 100μm

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章からなる。第1章の序論では、植物の形態形成に重要な役割を果たすFLORICAULA/LEAFY(FLO/LFY、以下LFYと略)遺伝子についてのこれまでの研究がまとめられ、最初の陸上植物であるコケ植物セン類の1種ヒメツリガネゴケのLFY相同遺伝子の解析が植物形態と形態進化を理解する上で重要であることが述べられている。LFY遺伝子は被子植物シロイヌナズナなどで栄養成長から生殖成長への転換を誘導する転写因子をコードし、さらに、花器官のアイデンティティを決定するホメオティック遺伝子群の転写を活性化することにより花の形成の制御に深く関わる。被子植物の独特の器官である花の形態を支配するLFY遺伝子の相同遺伝子が、花の咲かないシダ植物やコケ植物ではどのような機能をもっているかを明らかにすることは、陸上植物におけるこの遺伝子の機能と進化を探る上で重要であることを指摘し、本研究の動機づけが明瞭に述べられている。ヒメツリガネゴケは外来DNAとゲノムDNAの相同組み換え率が高いため遺伝子ターゲティングが容易なモデル植物であり、本研究に適していることにも言及している。第2章はヒメツリガネゴケから単離されたLFY相同遺伝子PpLFY1、PpLFY2をTAIL-PCR法により決定した塩基配列の比較、およびゲノムサザン解析からPpLFY1、PpLFY2が唯一のヒメツリガネゴケLFY相同遺伝子であると考えられることをまず示し、さらに発現パターンについて述べている。RT-PCR法およびPpLFY1-GUS、PpLFY2-GUSタンパクの発現パターン解析により、PpLFY1、PpLFY2がコケの原糸体ではほとんど発現せず、茎葉体(配偶体)の芽、茎頂、造卵器と卵細胞、および若い胞子体と発生中の胞子嚢と足で発現することを確かめた。このことから、形態形成が活発に起こっている配偶体と胞子体の組織で広く発現することを示した。第3章はPpLFY1、PpLFY2がLFY遺伝子と同様の機能をもっているかどうかを明らかにするために、これらをシロイヌナズナに遺伝子導入し過剰発現させて表現型への影響を調べた研究について述べている。結果は正常な個体と変わらない表現型を示した。これから、PpLFY1、PpLFY2はシロイヌナズナとは同じ機能をもっていないことが示唆された。さらに、裸子植物では遺伝子導入解析により、裸子植物LFY相同遺伝子がシロイヌナズナと同様の機能をもっているといわれているので、コケ植物の発現パターンは裸子植物とも異なっていることが示された。第4章はPpLFY1、PpLFY2の機能解析の結果が述べられている。両遺伝子について一重破壊株と二重破壊株を作出し、表現型を調べたところ、造卵器を含む配偶体組織は正常であったが、胞子体形成率がPpLFY2一重破壊株は若干低く、PpLFY1一重破壊株は非常に低く、さらに二重破壊株ではほとんど胞子体ができないという結果が得られた。PpLFY1、PpLFY2の機能をさらに特定するために、遺伝子破壊株の卵細胞と胚の形態を共焦点レーザー顕微鏡で観察した。その結果、二重破壊株の卵細胞は受精後の接合子の段階で発生が停止していると推定された。さらに、遺伝子破壊株雌親と野生株雄親の交雑実験から破壊株の卵細胞の受精能は正常であることを確かめ、ごく低い率で生じるさまざまに異常な胞子体の構造観察から、PpLFY1、PpLFY2は接合子の発生以外にも胞子体の形成過程にも関与している可能性が示唆された。第5章は総合考察として、得られた結果と先行研究の知見を総合して、LFYと相同遺伝子の進化と、それに関連する植物進化について推論している。本研究によって明らかにされたように、コケ植物ヒメツリガネゴケにおいて接合子の発生を制御するのに関わるLFY相同遺伝子は他の陸上維管束植物のものとは大きく異なる機能をもつ。これに対して、原始的な維管束植物であるシダ植物ミズワラビではLFY相同遺伝子CrLFYはシュート頂や若い胞子葉で発現するが、このシダのMADS-box遺伝子の発現パターンとは異なるので、CrLFY遺伝子によるMADS-box遺伝子の発現制御はシダ段階ではできあがっていないと考えられている。種子植物ではLFY遺伝子がMADS-box遺伝子の発現を誘導して花器官のアイデンティティを決定する制御系が存在する。これら相同遺伝子の比較から、PpLFY はきわめて微少で単純なコケ植物の胞子体の初期発生を制御していることを示し、その後の機能変化によって後発の陸上植物の複雑に分化した胞子体が生じた可能性を示唆した本研究は注目に値する発見を含んでいる。FLO/LFY遺伝子は陸上植物からのみ知られており、その進化が陸上植物の進化と多様化に深く関与したと考えられるが、本研究によって陸上植物の進化、特に胞子体の初期進化についての理解が大きく前進したといえる。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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