学位論文要旨



No 119990
著者(漢字) 黄,郁慈
著者(英字)
著者(カナ) ファン,ユス
標題(和) 転写因子Brn-2と相互作用する因子の同定とその解析
標題(洋) Identification of the proteins that interact with Brn-2 and analysis of their mode of interaction
報告番号 119990
報告番号 甲19990
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4719号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 植田,信太郎
 国立遺伝学研究所 教授 斎藤,成也
 東京大学 教授 青木,健一
 東京大学 助教授 近藤,修
 東京大学 講師 井原,泰雄
内容要旨 要旨を表示する

1. 序論

 哺乳類において著しく発達している大脳新皮質は、神経細胞が六層に層状化してできる複雑な組織である。大脳新皮質の構築には、神経細胞の正しい増殖・分化・遊走が必要であるが、これらを可能にするには、発生過程における多数の遺伝子発現が正確に調節されなければならない。遺伝子発現の制御は主に転写因子と呼ばれるDNA 結合蛋白質を中心に、転写因子、転写因子と共同して働く因子、転写因子の標的遺伝子などの分子間相互作用によってなされている。新皮質で特異的に発現するような転写因子群の転写制御機構の解析は新皮質構築の分子メカニズム解明の鍵となるであろう。

 class IIIPOU(Brn-1, Brn-2, Brn-4, SCIP )は発生過程を通じて新皮質を含む中枢神経系で発現している転写因子群である。中でもアミノ酸配列と発現パターンの極めて類似した二つの転写因子、Brn-1 とBrn-2 のダブル欠損変異マウスでは、大脳新皮質の発育不全や、層化構造が乱れることが明らかにされている。単一遺伝子の欠損変異マウスでは、たとえば野生型のBrn-1 が、欠損したBrn-2 の機能を代償するなどで新皮質構築の異常は認められていない。本研究ではclass III POU 転写因子群の転写制御性メカニズムをより明らかにするためにBrn-2 に注目し分子生物学的な機能解析を行った。

 Brn-2 蛋白質のC 末端側は、POU ドメインと呼ばれるclass III POU 転写因子群内で高度に保存されているDNA 結合ドメインがあり、N 末端側に転写活性化領域がある。哺乳類のBrn-2 転写活性化領域にはグリシン(G) 、グルタミン(Q) 、プロリン(P) という単一アミノ酸リピート構造が見られる(図1)。この単一アミノ酸リピート構造の構成はBrn-1蛋白質とは異なり、Brn-1 とBrn-2 の機能

的な差異を産み出しうる領域である可能性がある。また、下等脊椎動物のBrn-2 では転写活性化領域のアミノ酸リピート構造の種類や長さが保存されていない。従って、このような構造の獲得により、進化の過程において哺乳類Brn-2 転写因子に機能的な変化が起こり得た可能性がある。そこで、Brn-2 の転写活性化領域に結合する蛋白質の同定を試みた。

2. 結果と考察

 Brn-2 のN 末端側領域をprobe (bait) として(図1)、酵母の遺伝学的な性質を利用した酵母ツーハイブリッド法により、マウス脳由来cDNA library をスクリーニングした。スクリーニングは異なる性質の候補蛋白質をより多く得るために、Brn-2N1-122 (Brn-2 蛋白質のN 末端側領域1 から122 番目のアミノ酸残基までの領域、以下同様に記載)および、Brn-2N1-250 の2 種類を用いそれぞれ独立に行った。

2-1. Brn-2N1-122 と相互作用する蛋白質

 Brn-2N1-122 をbait としてスクリーニングを行った結果、3 個の候補配列が得られ、DNA配列とアミノ酸配列をin silico で解析した。その結果、生体内で相互作用する可能性がほとんどないものとフレームが合わなかったものを除いたら、1 つはJun-activation-domain-binding protein 1 (Jab1) というコアクチベーターであった。CPRG レポーターアッセイによってBrn-2 とJab1 間の相互作用を定量し、両者の特異的な結合を明らかにした。また、Brn-2 の欠失変異体を用いてレポーターアッセイを行い、Brn-2N1-67 領域がJab1 と結合する領域であることを示した。

 次に、表面プラズモン共鳴(Surface plasmon resonance; SPR) 現象を利用した相互作用測定装置Biacore を用いてJab1 とBrn-2 との相互作用をin vitro で検証した。Biacore はセンサーチップ上の生体分子間の相互作用をリアルタイムにモニターすることができ、リガンドとアナライトの結合・解離する量に応じてSPR シグナル(RU) に変換できる。まず、GST タグをN 末端側に付けたJab1 を大腸菌で大量発現させて、GST 結合カラムを使って蛋白質を回収・精製した。その後センサーチップに固定化したBrn-2 N 末端側転写活性化領域(CM5-Brn-2N-chip) に、精製Jab1 蛋白質を結合させた。その結果、Jab1 特異的な結合シグナルが得られたことから、Jab1 とBrn-2 はin vitro 状況下でも相互作用することを明らかにした(図2)。

 Jab1 はAP-1 転写因子の補助活性化因子として発見され、MIF やp27kip1 やLFA-1 など他の蛋白質との結合を介し、細胞周期・増殖や遺伝子発現などいろいろな細胞現象を調節することが報告されている。また、Jab1 欠損体は出生前死であることから、正常な発生になくてはならない遺伝子であることが示唆されている。また、Jab1はCOP9 signalosome のサブユニット(CSN5) として発現し、他のサブユニット(CSN2) はP19 細胞株においてBrn-2 の発現を誘導することが報告されている。最近、Alzheimer's disease やParkinson's disease など神経変性疾患に関与している小胞体ストレス応答にも関わっていることが示唆された。この過程でJab1 はER stress transducers (IRE1) と結合・解離することによって、神経細胞死の初期反応に関与するとされる。今後、Brn-2、Jab1 、CSN2 、IRE1 の間の相互作用ネットワークを解明することにより、神経細胞の発生や神経変性症などの理解に貢献できると考えられる。

2-2. Brn-2N1-250 と相互作用する蛋白質

 Brn-2N1-250 を用いて酵母ツーハイブリッド法によりスクリーニングした結果、84 個の候補クローンが得られ、78 個のDNA 配列とアミノ酸配列をin silico で解析することができた。その結果、28 個はBrn-2 と生体内で相互作用する可能性がほとんどなく、14 個はコードされるアミノ酸配列のフレームが合わなかった。また、他の14 個は3' UTR 領域しか含まず、2 個はDNA 配列の向きが逆であったため、解析から省いた。6 個については相同性がある遺伝子が見つからなかった。残った14 個について次の解析を試みた。

 Brn-2 の単一アミノ酸リピート構造を全て欠失させた転写活性化領域(Brn-2N△GQP) を使ってCPRG レポーターアッセイを行ったところ、9 個はBrn-2N1-250 との結合がBrn-2N△GQP との結合より25 倍以上の高活性を示した。この9 個についてはBrn-2 と相互作用する際に単一アミノ酸リピート構造が関与する可能性が示唆された。大腸菌での組換え蛋白質発現実験では、6 個の蛋白質について発現・精製が成功し、Brn-2 との相互作用をBiacore を用い検証した。うち、2 個(2810432D09RIK 、NAV1)については特異的な結合シグナルが得られた。

 2810432D09RIK は機能未知の蛋白質であり、マウスのtranscriptome 解析により同定された。発現パターンなどはまだ不明であるが、黒色腫(melanoma) に発現する可能性が示唆されている。Brn-2 は中枢神経系の他に、黒色素芽細胞(melanoblast) 、黒色素細胞(melanocyte) と黒色腫で発現することが知られて、特に黒色腫で大量に発現している。Brn-2 の発現を抑制すると黒色腫の増殖は著しく減少することから、Brn-2 はmelanocytic 転写因子群と相互作用することによって、黒色素細胞の表現型を調節することが示唆されている。今後、2810432D09RIK の機能を解析することによって、細胞増殖に関するBrn-2 の役割を解明できるであろう。

 neuron navigator 1 (NAV1) は、線虫のunc-53 遺伝子のヒトの相同遺伝子として同定された。unc-53 は遊走性細胞の前方・後方移動の誘導に必要とされる。ヒトにはNAV1 、NAV2 、NAV3 が同定されている。ヒトとマウスのNAV1 は発生中の脳で高度に発現するが、出生後に発現が低下することが報告されている。Brn-1、Brn-2 のダブル欠損変異マウスの大脳新皮質ニューロンの移動に問題が生じたことを考えると、NAV1 はBrn-2 と共に脳の発生に関与している可能性がある。

3. 結論

 本研究では転写因子Brn-2 と相互作用する蛋白質を三種類(Jab1 、2810432D09RIK 、NAV1) 同定した。相互作用をCPRG assay 並びに、SPR バイオセンサーで検証した。このうち、2810432D09RIK とNAV1 については、哺乳類Brn-2 の特徴的なアミノ酸リピート構造が相互作用に関与することを示した。このことは、Brn-2 とBrn-1 の機能的差異、及び、哺乳類Brn-2 の遺伝子構造の進化と機能進化の関係を蛋白質間相互作用の視点から考察する上で役立つであろう。また、今後、Jab1 、2810432D09RIK 、NAV1 とBrn-2 の相互作用のネットワークを研究することによって、新皮質の発生、神経変性疾患などの理解につながると考えられる。

図1:Brn-2 の構造と使ったbait

図2:違う濃度のJab1 とBrn-2 との結合

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は4章からなり,第1章は中枢神経系の発生,分化に関与する転写因子classIIIPOU特にclassIIIPOU転写因子の一つであるBrain-2の概要について,第2章から第4章まではBrain-2蛋白と相互作用して下流の遺伝子発現に影響を及ぼすcofactor群の探索とその同定について,述べられている。

 転写因子群のアミノ酸配列を比較すると,DNA結合ドメインはほぼ完全に配列が一致し機能が保存されてきている,転写活性化ドメインは生物分類群間で顕著な違いがある。哺乳類classIIIPOUでは様々な種類の単一アミノ酸リピート構造が転写活性化ドメイン内に存在するが,下等脊椎動物ではこれらの構造が欠失している。転写活性化ドメインは様々な蛋白質と相互作用し,標的遺伝子群の発現を調節することが知られており,アミノ酸リピート構造の有無によって相互作用する蛋白質の種類や相互作用の様式が変化した可能性が考えられる。classIIIPOU転写因子の一つBrn-2はアミノ酸リピート構造の進化上の差異が最も顕著であり,哺乳類Brn-2のグリシン,グルタミン,プロリンの3種類のアミノ酸リピート構造は下等脊椎動物では全て完全に欠失している。そこで本研究では哺乳類Brn-2に着目し,以下の研究をおこなっている。

 マウスBrn-2のN末端側領域をbaitとして酵母ツーハイブリッド法によりマウス脳由来cDNAlibraryをスクリーニングした。Brn-2N1-122(マウスBrn-2蛋白質のN末端側領域1から122番目のアミノ酸残基までの領域)をbaitとしてスクリーニングにより3個の候補クローンを得た。insilico解析の結果,そのうちの1つは,Jun-activation-domain-bindingprotein1(Jab1)であることを示した。また,CPRGレポーターアッセイによってBrn-2とJab1間の相互作用を定量し,両者の特異的な結合を確認している。また,Brn-2の欠失変異体を用いてポーターアッセイを行い,Brn-2N1-67領域がJab1と結合する領域であることを示した。さらに,表面プラズモン共鳴(Surfaceplasmoneresonance;SPR)現象を利用した相互作用測定装置を用いてJab1とBrn-2との相互作用をinvitroで検証している。GSTタグをN末端側に付けたJab1を大腸菌で大量発現させて,GST結合カラムを使って蛋白質を回収・精製した後センサーチップに固定化したBrn-2N末端側転写活性化領域(CM5-Brn2N-chip)に,精製Jab1蛋白質を反応させ,Jab1特異的な結合シグナルを得ている。以上の結果から,Jab1とBrn-2はinvitro状況下でも相互作用することを明らかにした。

 一方,Brn-2N1-250(マウスBrn-2蛋白質のN末端側領域1から250番目のアミノ酸残基までの領域)を用いて酵母ツーハイブリッド法によりスクリーニングして84個の候補クローンを得ている。これらクローンのDNA配列とアミノ酸配列をinsilicoで解析し,このうちの28候補はBrn-2と生体内で相互作用する可能性はなく,14候補はコードされるアミノ酸配列のフレームが合わないと推測された。また,他の14候補は3'UTR領域しか含まず,2候補はDNA配列の向きが逆であったため,解析から省いた。6候補については相同性がある遺伝子が見つからなかった。したがって,残った14候補についてBrn-2の単一アミノ酸リピート構造を全て欠失させた転写活性化領域(Brn-2N△GQP)を使ってCPRGレポーターアッセイを行ったところ,9候補はBrn-2N1-250との結合がBrn-2N△GQPとの結合より25倍以上の高活性を示した。この9候補についてはBrn-2と相互作用する際に単一アミノ酸リピート構造が関与する可能性が示唆された。大腸菌での組換え蛋白質発現・精製が成功した6候補についてBrn-2との相互作用をBiacoreを用い検証した結果,2候補について特異的な結合シグナルを得た。

以上,本研究は転写因子Brn-2と相互作用する3種類の新たな蛋白質を探索・同定し,脳で特異的に発現している転写因子の役割を解明するための貴重な知見を明らかにしている。なお,本論文第2章は植田信太郎との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって,博士(理学)の学位を授与できると認める。

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