学位論文要旨



No 119994
著者(漢字) 越川,滋行
著者(英字)
著者(カナ) コシカワ,シゲユキ
標題(和) オオシロアリHodotermopsis sjostedtiの兵隊分化に伴う形態形成と遺伝子発現に関する研究
標題(洋) Caste-specific morphogenesis and gene expression during soldier differentiation in the damp-wood termite Hodotermopsis sjostedti(Isoptera,Termopsidae).
報告番号 119994
報告番号 甲19994
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4723号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,忠夫
 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 藤原,晴彦
 北海道大学 助教授 三浦,徹
内容要旨 要旨を表示する

 シロアリ(Isoptera)はアリ・ミツバチ等と並んで最も高度な社会性を発達させている昆虫グループのひとつであり、その社会を構成する個体の多型(カースト)の発生と調節機構はこれまで多くの研究者の関心を集めてきた。これは同一の遺伝的背景を持ちながら環境の作用で異なった形態を生じる「表現型多型」の顕著な例としても注目すべき現象である。本研究で用いた材料であるオオシロアリ(Hodotermopsis sjostedti)はシロアリ目の中では比較的原始的な特徴を多く残すと言われており、カースト分化経路が比較的単純である(図1)。また実験室での飼育が可能で、体サイズが大きく、幼若ホルモン類似体による兵隊分化誘導法が確立されているため、カースト分化の研究材料として適している。本研究では、カーストにより異なった形態が形成される過程を明らかにするため、オオシロアリを材料として、兵隊分化における形態・組織形成と遺伝子発現に関する研究を行った。

第一章:オオシロアリの兵隊分化における形態とアロメトリーの変化

 まず兵隊分化の過程で起こる形態変化を明らかにし、組織形成・遺伝子発現レベルの研究の基盤とするため、様々なカーストや発生ステージの個体について形態計測を行った。主成分分析等による解析の結果、兵隊分化の際には繁殖虫(有翅虫)への発生経路から逸脱し、頭部の大型化に代表される特徴的な形態変化が起こることがわかった。形態計測の測定部位の中では大顎の長さが最も顕著な変化を見せ、特に先端部の伸長が最も大きかった。また軟X線による撮影により大顎クチクラの発達を観察した結果、兵隊への脱皮の後、徐々にクチクラの肥厚・硬化が起きることが明らかになった。以上のような変化は、擬職蟻から兵隊への分化に伴い、大顎の機能が摂食から攻撃に大きく転換することを可能にしている。(Koshikawa et al. 2002)

第二章:兵隊分化時の大顎表皮組織の形成

 形態変化に先立って起こる組織の改編について、走査型電子顕微鏡およびパラフィン組織切片による観察を行った。一般に本種を含む下等シロアリ類の後胚発生過程では脱皮の間隔が状況に応じて変化し、一定でないが、脱皮の直前の個体は脂肪体が発達し、腸内容物が排出されるため識別することができる。しかし通常の飼育環境で観察されるのは、ほとんどの場合、静止脱皮と呼ばれる擬職蟻から擬職蟻への脱皮である。擬職蟻から前兵隊への脱皮は頻度が低く、また脱皮前にはどのカーストへの脱皮か区別できないため、脱皮前の組織形成を観察することは困難であった。そこでJHAの投与による兵隊分化誘導系を用いて擬職蟻から前兵隊への分化を誘導し、兵隊分化時の組織形成を観察した。また比較のために静止脱皮直前の個体を使用した。静止脱皮の場合では、古い大顎クチクラ内部にほぼ同じサイズの新しい大顎が形成される。それに対し、兵隊分化の最初の脱皮である擬職蟻から前兵隊への脱皮過程では、古い大顎クチクラの内部に、複雑な表皮の折り畳み構造を持つ、特異な大顎組織の形成が観察された(図2)。このような表皮の折り畳み構造により、脱皮後の急速な大顎伸長を可能にしていると考えられる。(Koshikawa et al. 2003)

第三章:大顎形態形成に伴って発現する遺伝子群の探索

 以上のような組織形態レベルの研究成果をもとに、兵隊分化時の大顎伸長に伴って発現する遺伝子の同定を試みた。擬職蟻、JHA投与により兵隊分化が誘導された擬職蟻、前兵隊、兵隊の大顎からRNAを抽出し、蛍光ディファレンシャルディスプレー法によって分化過程で高い発現が見られる遺伝子の候補を得た。そのうち既知の遺伝子と相同性があり、リアルタイム定量PCRにより兵隊分化の途上の大顎で発現量が増加することが確認されたものが12遺伝子であった。データベース上の類似配列から推定されたそれらの遺伝子は、Cuticle Protein(クチクラタンパク)、U2AF(スプライシング因子)、RhoGEF(シグナル伝達関連因子)、Staufen(mRNAの局在を調節するタンパク)、Ribosomal protein(リボーゾームタンパク)、Cib(アクチン結合タンパク)、SAP(核酸結合タンパク)、DJ-1(癌遺伝子、詳細な機能未知)などと相同性の高いものであった。それらの中でもCuticle Proteinは4種類が得られたが、前兵隊でのみ発現が大きく上昇するものがあり、カースト特異的なCuticle Proteinの例として興味深い。それ以外の遺伝子は分化に伴う形態形成との関連が推定されるが、それらの多くは、前兵隊への脱皮直前のステージで最も強い発現が認められた。脱皮の直前には遺伝子発現を伴った多くの変化が起こるためと考えられる。(論文投稿中)

第四章:アクチン結合タンパクHsjCibと形態形成における役割

 前章で得られた遺伝子の中でも、アクチン結合タンパクをコードする遺伝子cibのホモログ(HsjCib)は大顎組織において、前兵隊への脱皮直前に発現量が顕著に増加する。またショウジョウバエのCibは細胞骨格のアクチン繊維の重合を通じて細胞の形態形成を調節することが知られているため、シロアリのホモログも同様の機能を持つことが推定された。前章で得られたHsjCib部分配列を基に5'-および3'-RACE法によって、cDNA全長配列をクローニングした。その結果、5種類のアイソフォームが得られ、最長のアイソフォームはWH2 domainが5つ連続して並んだ構造をとっていた。短いアイソフォームは、最長のアイソフォームのいずれかのエキソンを欠いただけの構造であり、WH2ドメインを4つ持つものが3種類でそれぞれ長さは同一、ドメインを3つ持つものが1種類得られた(図3)。

 次にタンパク質の発現を確認するため、anti-Drosophila Cib抗体を用いて、ウエスタンブロットを行ったところ、クローニングの結果から予想される3つのバンドが検出された。また各Isoformに共通する領域を含むRNAプローブを合成し兵隊分化途上の大顎組織切片に対してin situハイブリダイゼーションを行ったところ、表皮組織での発現が確認された(図4)。

 これまでに知られているホモログはMultimeric β-thymosinと総称されるが、WH2ドメインの数は生物種によって異なり、ショウジョウバエのCib (ドメイン数は3)、ウミウシのCPS24/29 (4または5)、線虫のtetraThymosinβ (4)、ユウレイボヤのCi-thymosinβ(5)、アメーバのActobindin (2)などである。WH2ドメインを持つタンパク質において、ドメイン数とタンパク機能の関係は明らかでないが、ドメインの数よりも、最もN末側に位置するドメイン内のアクチンと相互作用する領域の配列が機能に重要な変化をもたらすとされている。例えば、Cibはアクチン繊維の重合を促進するのに対し、thymosin β4は重合を阻害する。HsjCibの5つのアイソフォームはのうち2つが促進型、3つは阻害型に配列が似ていた。少なくとも、アイソフォーム間で、アクチンに対する作用が異なっているものと推測された。リアルタイムPCRによってHsjCibの各組織での発現量を測定したところ、促進型と抑制型の発現量の割合は組織によって異なっていたが、いずれの組織でも促進型の発現量が多かった。兵隊分化時の形態形成は組織ごとに異なるが、HsjCibの各isoformも他の細胞骨格制御因子とともに、それらの違いに関与していると思われる。

 以上のような形態レベルから分子レベルに及ぶ研究により、シロアリの兵隊分化の過程の理解が進んだと考えている。本研究はシロアリの兵隊分化時の形態形成に関してこれまでで最も詳細な研究例であり、シロアリの兵隊カースト発生過程での遺伝子発現を扱った初めての研究例である。形態形成には他にも多くの因子が関係していることが予想されるが、それら相互の関係は今後の課題である。今後は本研究で用いた手法を応用し、本研究で扱ったよりも制御の上流にあたる、カースト分化決定機構の解明に取り組もうと考えている。社会性を担うカーストの発生と制御は表現系多型の最も顕著な例であるが、本研究がその至近要因に迫る端緒となることを期待している。

図1.オオシロアリのカースト分化経路.擬職蟻は前兵隊を経て兵隊へと分化する.(Miura et al.,2004に基づき作成)

図2.オオシロアリの大顎形成.

(A)精子脱皮の際の大顎形成.

(B)前兵隊への分化時の大顎形成.

脱皮後に折り畳み構造が伸張して長い大顎を形成する.

図3.HsjCibの各isoformと予想されるスプライシング様式.白は非翻訳領域、黒はタンパク質コード領域、灰色はスプライシングで除かれる配列を示す.

図4.HsjCibのin situハイブリダイゼーション.

A:アンチセンスプローブ.

B:センスプローブ(ネガティブコントロース).

兵隊分化時の大顎表皮組織でHsjCibの発現が認められる.スケールは200μm.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は4章から構成ざれている。第1章では、兵隊分化の過程で起こる形態変化を明らかにし、組織形成・遺伝子発現レベルの研究の基盤とするため、様々なカーストや発生ステージの個体について形態計測を行っている。主成分分析等による解析の結果、兵隊分化の際には繁殖虫(有翅虫)への発生経路から逸脱し、頭部の大型化に代表される特徴的な形態変化が起こることを見いだしている。形態計測の測定部位の中では大顎の長さが最も顕著な変化を見せ、特に先端部の伸長が最も大きかった。また軟X線による撮影により大顎クチクラの発達を観察した結果、兵隊への脱皮の後、徐々にクチクラの肥厚・硬化が起きることを明らかにしている。

 第2章では、形態変化に先立って起こる組織の改編について、走査型電子顕微鏡およびパラフィン組織切片による観察を行っている。一般に本種を含む下等シロアリ類の後胚発生過程では脱皮の間隔が状況に応じて変化し一定でないが、脱皮の直前の個体は脂肪体が発達し、腸内容物が排出されるため識別することができる。しかし通常の飼育環境で観察されるのは、ほとんどの場合、静止脱皮と呼ばれる擬職蟻から擬職蟻への脱皮である。擬職蟻から前兵隊への脱皮は頻度が低く、また脱皮前にはどのカーストへの脱皮か区別できないため、脱皮前の組織形成を観察することは困難であったので、JHAの投与による兵隊分化誘導系を用いて擬職蟻から前兵隊への分化を誘導し、兵隊分化時の組織形成を観察している。また、比較のために静止脱皮直前の個体を使用している。静止脱皮の場合では、古い大顎クチクラ内部にほぼ同じサイズの新しい大顎が形成される。それに対し、兵隊分化の最初の脱皮である擬職蟻から前兵隊への脱皮過程では、古い大顎クチクラの内部に、複雑な表皮の折り畳み構造を持つ、特異な大顎組織の形成が観察されている。そこで、このような表皮の折り畳み構造により、脱皮後の急速な大顎伸長を可能にしていると考察している。

 第3章では、以上のような組織形態レベルの研究成果をもとに、兵隊分化時の大顎伸長に伴って発現する遺伝子の同定を試みている。擬職蟻、JHA投与により兵隊分化が誘導された擬職蟻、前兵隊、兵隊の大顎からRNAを抽出し、蛍光ディファレンシャルディスプレー法によって分化過程で高い発現が見られる遺伝子の候補を得ている。そのうち既知の遺伝子と相同性があり、リアルタイム定量PCRにより兵隊分化の途上の大顎で発現量が増加することが確認されたものが12遺伝子あった。それらの中でもCuticle Proteinを4種類が得ているが、前兵隊でのみ発現が大きく上昇するものがあり、カースト特異的なCuticle Proteinの例として興味深いものである。それ以外の遺伝子は分化に伴う形態形成との関連を推定し、それらの多くは、前兵隊への脱皮直前のステージで最も強い発現が認められていて、脱皮の直前には遺伝子発現を伴った多くの変化が起こるためと考察している。

 第4章では、アクチン結合タンパクHsjCibと形態形成における役割を研究している。前章で得られた遺伝子の中でも、アクチン結合タンパクをコードする遺伝子cibのホモログ(HsbCib)は大顎組織において、前兵隊への脱皮直前に発現量が顕著に増加している。またショウジョウバエのCibは細胞骨格のアクチン繊維の重合を通じて細胞の形態形成を調節することが知られているため、シロアリのホモログも同様の機能を持つことと推定している。前章で得られたHsjCib部分配列を基に5'-および3'-RACE法によって、cDNA全長配列をクローニングしている。その結果、5種類のアイソフォームが得ていて、最長のアイソフォームはWH2 domainが5つ連続して並んだ構造をとっていた。短いアイソフォームは、最長のアイソフォームのいずれかのエキソンを欠いただけの構造であり、WH2ドメインを4つ持つものが3種類でそれぞれ長さは同一、ドメインを3つ持つものが1種類得ている。次にタンパク質の発現を確認するため、anti-Drosophia Cib抗体を用いて、ウエスタンブロットを行い、クローニングの結果から予想される3つのバンドが検出している。また各Isoformに共通する領域を含むRNAプローブを合成し兵隊分化途上の大顎組織切片に対してin situハイブリダイゼーションを行い、表皮組織での発現が確認している。

 以上のような形態レベルから分子レベルに及ぶ本研究により、シロアリの兵隊分化の過程の理解を一層進めている。本研究はシロアリの兵隊分化時の形態形成に関してこれまでで最も詳細な研究例であり、シロアリの兵隊カースト発生過程での遺伝子発現を扱った初めての研究例である。

 なお、本論文の第 章は松本忠夫、三浦徹との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク