学位論文要旨



No 119998
著者(漢字) 塚田,岳大
著者(英字)
著者(カナ) ツカダ,タケヒロ
標題(和) ウナギの海水適応におけるナトリウム利尿ペプチドの役割 : 統合生理学的研究
標題(洋) The role of atrial natriuretic peptide in seawater adaptation in eel : An integrative physiological study
報告番号 119998
報告番号 甲19998
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4727号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹井,祥郎
 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 教授 岡,良隆
 東京大学 助教授 朴,民根
 東京大学 助教授 兵藤,晋
内容要旨 要旨を表示する

序論

 海産の真骨魚類は、体液浸透圧を海水の約3 分の1 に保っているため、体内外の塩濃度の差に従って絶えず塩分が流入し、水分が奪われる。そのため海水魚は、海水を飲むことによって脱水から身を守っている。飲み込んだ海水は食道の脱塩などにより前腸に至るまでに体液とほぼ同程度に希釈され、その後、腸で塩分と共に水が体内に取り込まれる。いっぽう、余分に摂取した一価イオンは、鰓の塩類細胞などから排出される。このように飲水とそれに続く腸からの吸収、及び鰓を介した水やイオンの輸送は、魚類の海水適応に極めて重要であり、これらの輸送調節には多くのホルモンが関与している。

 心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP )は主に心房から分泌され、脊椎動物で広く浸透圧調節に関与しているホルモンである。魚類では、海水移行時に一過性に血中ANP レベルが上昇することや、ANP の連続投与を行うと用量依存的に血漿Na 濃度が減少することから、ANP は魚類の血漿Na 濃度を下げ、海水適応を促進するホルモンであることが注目されている。しかし、ANP の血漿Na 調節に関わる部位やANP の作用機構についてはまだ明らかになっていない。本実験の目的は、ANP による血漿Na 濃度減少作用のメカニズムを明らかにして、魚類の海水適応における役割を解明することにある。そこで、優れた浸透圧調節能をもち、外科手術に強い耐性をもつ日本ウナギ(Anguilla japonica)を用いて、個体レベルにおけるANP の作用機構を詳細に調べた。

 本論文は2つの章からなる。第一章では、魚類の浸透圧調節部位におけるANP の作用を個体レベルで調べ、血漿Na 濃度が減少する原因を明らかにした。第二章では、ANP の生理機能のひとつである飲水抑制作用に着目し、その作用メカニズムを組織学的、生理学的に調べた。

ANP による血漿Na 濃度減少作用のメカニズムを探る

 序論で述べたように、海水ウナギの血中にANP を投与すると、血漿Na 濃度が減少する。体内外のNa 収支から考えると、血漿Na 濃度が減少する原因は、(1)鰓や腎臓によるNa 排出の促進、または(2)飲水および腸からのNa 摂取の抑制、が考えられる。しかし、ウナギでは哺乳類とは異なり腎臓でのNa 利尿作用がないことがわかっている。そこで本章では、腎臓以外の浸透圧調節部位(鰓、飲水、腸)に着目し、ANP の作用を調べた。

 はじめに、魚類において最も重要な浸透圧調節器官である鰓におけるANP の作用を調べた。まず、22Na を用いて体内外のNa の動きを調べたところ、約1300 μmol/100 g/h のNa が体表(主に鰓上皮)を通って出入りしていることがわかった。そこで、海水ウナギの体内に22Na を投与して、Na 排出速度に対するANP の作用を調べたが、排出速度はその前後に投与したsaline の時の値(time control) と変わらなかった。従って、ANP は最も主要なNa 排出部位である鰓に作用して血漿Na 濃度を下げるのではないことが明らかとなった。

 次に、ANP の飲水への作用を調べた。海水ウナギの食道と胃にカニューレを挿入し、経時的に飲水量を測定する系を用いて調べたところ、ANP は飲水を強力に抑えると同時に血漿Na 濃度を減少させ、両者には有意な相関があった。次に、ANP を投与して飲水量が減少しているウナギに海水を強制的に飲ませたところ、ANP による血漿Na 濃度減少作用は見られなくなった。従って、ANP の飲水抑制作用が血漿Na 濃度の減少に関与していることがわかった。

 次に、ANP の消化管における作用をin vivo で調べた。まず、食道から直腸にいたる消化管各部位の内容液の組成を調べ、イオン濃度の変化から各部位におけるNa 吸収量を計算したところ、主な吸収部位は食道と中腸であった。そこで、これらの部位の両端を縛って袋を作り、その中に人工的に作った内容液を入れて、水や各イオンの吸収を無麻酔下で調べた。ANP を血管内投与すると、中腸でのNa の吸収が強力に抑えられたが、食道では変わらなかった。従って、腸からのNa の吸収にもANP が関わっていることが示唆された。

 上記の実験で得られた結果をもとに、海水ウナギのNa 収支を計算した(図1)。定常時では、飲水やその後に続く腸からのNa 摂取量は約380 μmol/100 g/h で全Na 摂取量の約30%に相当した。いっぽう、ANP を投与すると、その摂取量が約75 μmol/100 g/h にまで減少し、これは血漿Na 濃度を減少させるのに十分な量であった。このように、海水ウナギでは、ANP は鰓や腎臓からのNa の排出を促進するのではなく、飲水とそれに続く腸からのNa 吸収を抑制することにより血漿Na 濃度を減少させることがわかった。

 これらの実験は、体外からANP を投与したものであり、体内に存在するANP がNa 摂取の抑制に関与しているかどうかはわからない。そこで、ANP と特異的に結合する抗体を海水ウナギの血中に投与して血漿ANP を除いたところ、正常ウサギ血清を投与した対照群に比べて、血漿Na 濃度と飲水量が徐々に増加した。従って、内因性ANP が長期的に血漿Na 濃度や飲水の抑制に関与していることがわかった。

ANP の飲水調節メカニズムを探る

 第一章の実験で、ANP の飲水抑制作用が魚類の血漿Na 濃度の調節に極めて重要であることが示唆されたため、第二章では、ANP の飲水調節メカニズムを詳しく調べた。本実験では、ANP が脳に作用し飲水を調節していると予想して、脳内におけるANP 受容体(NPR-A)の分布を調べた。まず、脳を7 つに分け各部位におけるNPR-A の発現をRT-PCR で調べたところ、全ての部位でNPR-A の発現がみられた。次に免疫染色法を用いてNPR-A の脳内分布を詳しく調べたところ、脳全体の血管系にNPR-A が局在し、RT-PCR の結果と一致した。また、脳の嗅球から小脳に至るまでNPR-A 陽性の神経細胞は確認できず、延髄の網様体に存在する比較的大きな神経細胞や、飲水調節に関与している舌咽・迷走神経運動野(GVC)ニューロン、哺乳類で嘔吐や血圧調節に関与している最後野(AP)の神経細胞にNPR-A が局在していた。いっぽう、血液中のANP が飲水を抑制することから、ANP はAP のように血液脳関門を欠く脳室周囲器官群に作用していると考えられる。そこで、アルブミンに結合するため血液脳関門を通過できないトリパンブルーを血中に投与しところ、視索前核、およびAP や松果体などの脳室周囲器官にトリパンプルーの蛍光反応がみられた。NPR-A が存在して血液脳関門を欠く部位がAP のみであることから、血中のANP がAP の神経細胞に作用して飲水を抑制していることが示唆された。そこで、海水ウナギのAP を破壊したところ、実験群は偽手術群と比べて飲水量が減少するとともに、血液中に投与したANP により飲水量が抑制されなくなった。このことから、AP が魚類の飲水調節、とりわけANP の飲水抑制作用に関与していることが示唆された(図2)。

考察

 これまでANP は、海水魚の主要なNa 排出部位である鰓に作用して排出を促進すると考えられていた。しかし本研究により、ANP は鰓に作用するのではなく、飲水や腸からのNa 摂取を抑制することで、血漿Na 濃度を減少させることを明らかにした。また、海水移行後に血中ANP レベルが一過性に上昇することから、ANP は環境変化に対して短期的に作用するホルモンであると考えられていた。しかし、海水に適応したウナギの内因性ANP を不活性化すると飲水と血漿Na 濃度が並行して上昇することから、ANP が短期的だけではなく長期的に海水魚の飲水と血漿Na 濃度を低く保っていることが示唆された。そして、ANP の飲水抑制作用には脳室周囲器官であるAP が関与していることがわかった。AP の神経細胞の一部は、飲水に関わる上部食道平滑筋を支配しているGVC ニューロンに投射していることが明らかになっている。このことから、血液中のANP はAP で受容された後、GVC ニューロンを介して飲水を抑制していると考えられる。序論でも述べたように、海水魚には飲水が必須であり、体外からの水の摂取を抑制することは海水適応において不利のように見える。しかし、海水を飲むことは同時に塩分を過剰に摂取することでもあり、海水魚は常に塩分の過剰に曝されている。そのため、陸上で生活する四足動物と比較して魚類では飲水の抑制メカニズムが発達している。魚類の浸透圧調節におけるANP の役割を考察すると、ANP は海水魚において飲水や腸からのNa 吸収を抑制することによって、魚類の海水適応を促進するホルモンであると考えられる。

図1:海水ウナギにおけるNa 収支(A)とANP を一時間投与したときのNa 収支の変化(B)の模式図

図2:脳を介したANP の飲水抑制機構

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、General Introduction、Chapter 1A, Chapter 1B, Chapter 2、およびGeneral Discussionの5部より構成されている。

 Chapter 1Aでは、ウナギを海水という高い浸透圧環境に適応させるホルモンである心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP)の作用を、統合生理学的に調べている。ANPは、海水に適応したウナギの血漿ナトリウムイオンを減少させることにより、高いナトリウム環境(血漿の3倍)である海水に適応させるホルモンである。そこで、魚類におけるナトリウムの出入り口である鰓、飲水と腸、腎臓、これらすべてにおけるANPの作用を、血管や消化管へのカニュレーション、22Naのフラックス実験などのさまざま手法を駆使して、個体レベルでナトリウムの出入りを測定した。その結果、ANPが海水ウナギの血漿ナトリウム濃度を下げる作用は、飲水と、その後の腸からのナトリウムの吸収を抑制する結果起こることを、実際に測定した値を基に定量的に証明した。すなわち、飲水と腸からのナトリウムの吸収が海水ウナギの体表からのナトリウムの流入の約30%を占め、ANPはそれを4分の1に抑制する結果、血漿ナトリウム濃度が約3.5%減少することがわかった。ホルモンのナトリウム代謝に対する作用を、全ての出入り口において定量的に測定した統合生理学的研究は、これまでにない画期的なものである。

 Chapter 1Bでは、Chapter 1Aで明らかにした外から投与したANPの作用ではなく、血液中を循環する内因性のANPの生理作用を調べている。すなわち、血液中のANPが飲水や血漿ナトリウム濃度の調節に関与しているかを調べるため、ANPの抗体を血液中に投与することによりANPと結合させ、作用できるANPを血液中から除いた。すると、海水ウナギにおいて飲水量が次第に上昇して、その結果血漿ナトリウム濃度も上昇した。したがって、内因性のANPが生理的に飲水を抑制し、それにより血漿ナトリウム濃度の過剰な上昇を抑制して、海水への適応を促進していることが明らかになった。内因性のANPの作用を明らかにした例は魚類では初めてで、哺乳類を含めて数少ない。

 そこで、Chapter 2では、ANPの飲水抑制作用に関与する脳内の作用部位を調べている。飲水は一連の統合された行動であるため、脳で調節されていると考えられる。そこで、まずANPの作用部位を同定するため、ANPの受容体の存在部位を免疫組織化学法を用いて調べている。また、脳は血液中の物質から脳・血液関門により守られているが、血漿アルブミンと結合して関門を通過しないトリパンブルーを投与して、脳内の染色部位を調べた。その結果、血液中のANPは、血液・脳関門がない脳室周囲器官の一つである最後野に作用して、飲水を抑制している可能性が強く示唆された。そこで最後野を熱凝固により破壊した後に血液中にANPを投与したところ、ANPによる飲水抑制作用が消失した。したがって、最後野がANPの飲水抑制作用の作用部位であることが明らかになった。魚類においてホルモンの脳内作用機構はまだほとんどわかっていないのが現状で、この魚類における結果は将来の新しい発展を予感させる。このように、本研究は(1)個体レベルで統合的にホルモンの作用機構を明らかにした、(2)ホルモンの脳内作用機構を明らかにした、という点で画期的なものである。

 なお、本論文のChapter 1Aのうち、22Naを用いたフラックスの実験はJ. Clifford Rankin博士との共同研究であり、Chapter 2の免疫組織化学法などは兵藤晋博士との共同研究であるが、実験は全て論文提出者本人が行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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