学位論文要旨



No 119999
著者(漢字) 山西(吉崎),史子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマニシ(ヨシザキ),フミコ
標題(和) 尾索動物ホヤ補体系遺伝子群の分子生物学的研究
標題(洋) Molecular Biological Studies on the Complement Genes of Urochordate Ascidians
報告番号 119999
報告番号 甲19999
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4728号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野中,勝
 東京大学 教授 田嶋,文生
 東京大学 助教授 野崎,久義
 東京大学 講師 上島,励
 東京都立大学 助教授 西駕,秀俊
内容要旨 要旨を表示する

 補体系は自然免疫の一員で、感染初期の生体防御に重要な役割を果たす。哺乳類では補体系は30以上の血清蛋白質および膜蛋白質から構成され、外来異物の認識、中心因子C3の限定加水分解による活性化および異物表面へのC3沈着による貪食促進、異物表面での膜破壊複合体形成による溶菌等の生理機能を有する。補体系遺伝子はこれまでに調べられた全ての脊椎動物とウニ、マボヤ、ナメクジウオ、さらにはカブトガニ等の無脊椎動物から同定されており、補体系の起源は前口動物と後口動物の分岐以前に遡ることが示唆されている。また、哺乳類の補体遺伝子には何組もの遺伝子重複の産物と考えられる遺伝子族が存在し、遺伝子重複が補体系の機能拡大に重要な役割を果たしてきたことが示唆されている。系統発生学的な研究から、全ての有顎脊椎動物は哺乳類のものとほぼ同じ補体系を有することが判明しつつあるが、それ以前の補体系の進化の詳細は不明のままに残されている。

 ホヤの属する尾索動物亜門は、脊椎動物亜門、頭索動物亜門とともに脊索動物門を構成しており、脊椎動物の進化を考える上で貴重な情報を提供しうるグループである。これまでに、尾索動物マボヤから複数の補体遺伝子が単離されており、複数成分よりなる補体系が尾索動物に存在することが示唆されている。しかしながら補体系全体としての進化の様子を明らかにするために必要な、補体系遺伝子の網羅的な解析は行われていない。本研究では、尾索動物の段階での補体系の全貌を遺伝子レベルで明らかにすることを目的として、ゲノム情報に基づいたヒト補体遺伝子のホヤ・オルソログの網羅的な同定と、補体B因子(Bf)の遺伝子・ゲノム構造の解析を行った。

第一部 カタユウレイボヤ(Ciona intestinalis)ドラフトゲノム配列からのヒト補体遺伝子オルソログの同定

 マボヤ補体遺伝子、ヒト補体遺伝子のアミノ酸配列を問い合わせ配列とした相同性検索、および補体因子に特徴的なドメインの組み合わせを指標とした検索により、カタユウレイボヤゲノムから補体遺伝子の候補を選出した。内柱と胃のcDNAライブラリを作成しておこなったEST解析、および京都大学で行われた発生段階をおってのEST解析の情報をあわせて遺伝子候補の配列を修正し、アミノ酸配列およびドメイン構造の予測を行った。オルソログの認定は補体遺伝子に固有のドメイン構造、及びClustalXによるアラインメントに基づいて近隣結合法で作製した分子系統樹により行った。

 ほとんど全てのヒト補体遺伝子について、ホヤ・ホモログが存在することが確認された。中心因子C3とその近縁分子C4/C5、セリンプロテアーセBf/C2, セリンプロテアーゼMannose binding protein (MBP)-associated serine protease (MASP)1/2/C1r/s, 膜溶解に働くC6/C7/C8/C9の各遺伝子族(以下、C3族、Bf族、MASP族、C6族と略記)については、ドメイン構造だけではなく分子系統樹でも複数のヒト側のメンバーと複数のホヤ側のメンバーの間に明確なオルソログの関係が認められた。一方、異物認識に関わるMBP, C1q, ficolinの各族については、ヒト側のメンバーに補体以外の遺伝子も含まれており、必ずしも明確なオルソログ関係は認められなかった。前者に属するもののなかには哺乳類のものと比べてドメイン構造が完全に一致するもの(C3族とMASP族)と、ドメイン構造が一部異なるものが認められた。ホヤBf族オルソログはN末側にShort consensus repeat (SCR)、Low-density lipoprotein receptor (LDLR)、SCRの3ドメインを余分に持ち、ホヤC6族オルソログはC末側のSCR、factor I MAC(FIM)ドメインを欠いていた。

 補体制御因子であるI因子は、FIM, Scavenger receptor, LDLR, Serine proteaseからなるユニークなドメイン構成を示すが、このドメインの組み合わせはカタユウレイボヤゲノム中には認められず、I因子はホヤには存在しないと結論された。トリプシン型セリンプロテアーゼのみからなるD因子、SCRドメインの繰り返しからなる制御因子についてはドメイン構造の特徴が乏しく、ホヤにも多くのホモログが存在したものの、オルソログの同定には至らなかった。

 多くの遺伝子族についてはホヤに複数の遺伝子の存在が認められたが、分子系統樹による解析からはいずれの分子もカタユウレイボヤ単独あるいはマボヤの分子と共に単系統のクラスターをつくり、これらの遺伝子族は尾索動物、脊椎動物の分岐後に、それぞれの系統で独立の遺伝子重複によりメンバーを増やしたことが示唆された。

 哺乳類の補体因子のセリンプロテアーゼ(SP)ドメインには、活性中心セリンのコドンがTCNで、触媒ヒスチジンの周囲に保存されたシステイン(ヒスチジンループ)を持つ、トリプシン型SPに一般的なTCNタイプ(Bf/C2, MASP1)と、活性中心セリンのコドンがAGY、ヒスチジンループを欠き、さらにSPドメインをコードする領域にイントロンがないAGYタイプ(MASP2,3,C1r/s)があり、後者はこれまでに哺乳類補体MASP族のみから見つかっている。カタユウレイボヤのMASPは全てがTCNタイプだったのに対してBfはAGYタイプの配列だがコードする領域にイントロンがあった。この分断エクソンでコードされたCiBfのSPドメインは、脊椎動物C1r、C1s、MASP2、MASP3に見られるイントロンレスのSPドメインをコードする領域が出来る際にレトロポジションのドナーとなった可能性も考えられる。

 以上の結果から、尾索動物でも外来異物の認識、中心因子C3の限定加水分解による活性化、膜破壊複合体の形成という各反応に関わる遺伝子が存在することが明らかになり、哺乳類補体系に使われている遺伝子の基本セットは尾索動物と脊椎動物の分岐以前に確立されたことが示唆された。一方、ホヤC6族オルソログでは他の補体成分との相互作用に必要と考えられるドメインを欠くことや、認識分子では系統的に哺乳類補体系遺伝子と直接対応がつかないことなどから、ホヤでこれら遺伝子の産物が一つの系として働いているとは考えにくい。従って、脊椎動物の補体系は、尾索動物との分岐後の遺伝子重複と新たなドメインの獲得により、一つの反応系として完成したものと思われる。一方、カタユウレイボヤにおいても補体系遺伝子は独自の遺伝子重複により、哺乳類に匹敵するほど数を増やしており、獲得免疫非存在下でホヤの補体系が独自の発展を遂げたことを示唆している。

第二部 カタユウレイボヤBf遺伝子の構造とゲノム構成

 哺乳類のMHC(Major Histocompatibility Complex)領域には、リンパ球への抗原提示という獲得免疫の中心的な反応に関与する遺伝子がクラスター構造を形成しており、その遺伝子の並び方は有顎脊椎動物を通じてよく保存されている。このなかのクラスIII領域にヒトでは、補体C4、C2、Bfの3遺伝子が存在し、軟骨魚類サメでもMHC領域にこれら補体遺伝子の連鎖があることが明らかになっている。MHCの進化上の起源を明らかにする目的で、リンパ球や抗原提示システムの存在しない尾索動物ホヤで、Bf/C2オルソログの詳細な構造解析を行い、C3/C4/C5オルソログとの連鎖の有無を検討した。

 カタユウレイボヤESTデータベースに対する相同性検索、cDNAライブラリのスクリーニング、ゲノム配列からの予測に基づくRT-PCRにより、3種の哺乳類MHCクラスIII補体遺伝子Bfオルソログ、CiBf-1、CiBf-2、CiBf-3を得た。それぞれ、999、998、963残基のアミノ酸をコードすると予測された。

 Bf遺伝子領域および周辺の塩基配列をゲノムデータベースからの情報及び単離したBACクローンの解析により決定し、詳細な解析を行ったところ、3つのBf遺伝子はゲノムの約50kbの領域に存在し、遺伝子間で非常に保存性の高い領域がモザイク状に存在することが明らかになった。

 タンデムな遺伝子重複により生じたと考えられる3つのBf遺伝子だが、発現様式は3遺伝子の間で異なることがノザンブロッティング、RT-PCRの結果から明らかになった。獲得免疫非存在下でホヤの補体系が独自の遺伝子重複によって成分を増やし、発展したという第一部の考察を支持する結果である。

 脊椎動物MHC領域に存在する補体遺伝子Bf、C2のカタユウレイボヤオルソログCiBfと、C3/C4/C5のオルソログCiC3-1、CiC3-2は連鎖していないことがホヤ初期発生胚から作成した染色体標本を用いた染色体FISH法により明らかになった。この結果は両遺伝子の連鎖は、尾索動物の分岐後に脊椎動物の系統で成立したことを示唆する。同じ時期に生じたとされる補体古典経路では、第二経路C3 転換酵素のBf, C3からそれぞれ生じたとされるC2とC4からC3 転換酵素が構成される。したがって、C2、C4遺伝子の連鎖は、重複により生じた両遺伝子が共進化を遂げ新たな反応形を確立することに寄与した可能性が示唆される。

 本研究では脊椎動物以外の動物で初めて補体系の全体像を明らかにした。さらに、遺伝子構造の詳細な解析から尾索動物Bf遺伝子がドメイン・シャフリング、遺伝子重複を経験したこと、C3遺伝子との連鎖を示さないことを明らかにした。以上の結果から、補体系の原型は尾索動物と脊索動物が分岐する以前に確立され、その後、尾索動物と脊索動物の補体系は各々独自の進化を遂げたことが示された。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は二部からなり、第一部では尾索動物カタユウレイボヤドラフトゲノム配列からのヒト補体遺伝子オルソログの同定、第二部ではカタユウレイボヤBf遺伝子の構造とゲノム構成の解析を行っている。

 補体系はこれまで主に哺乳類を使って研究され、自然免疫の主役を担う高度に複雑化したシステムであることが明らかになっている。近年の研究から、補体系は脊椎動物だけではなく、ウニやホヤなどの後口無脊椎動物、さらには節足動物カブトガニなどの前口動物にも存在することが明らかになった。しかしながら、一つの生物種から補体系遺伝子の全セットを明らかにした研究は哺乳類以外ではこれまでには存在せず、システム全体の進化を捉えるためには情報が不足していた。

 第一部ではcDNAライブラリを作成しておこなったEST解析、および京都大学で行われた発生段階をおってのEST解析の結果を利用して、尾索動物カタユウレイボヤから補体遺伝子のクローニングが行なわれた。また、2002年に公表されたカタユウレイボヤドラフトゲノム配列を対象に補体遺伝子の網羅的な探索が行なわれた。ゲノム配列からの探索には、従来よく用いられる配列の相同性を利用した検索とともに、ドメイン構造に基づき、あるドメインを持つ遺伝子候補をすべて抽出した後に組み合わせから補体遺伝子候補を探索するという新規な方法が併用された。その結果、外来異物の認識、中心因子C3の限定加水分解による活性化、膜破壊複合体の形成という各反応に関わる遺伝子が存在することが明らかになり、哺乳類補体系に使われている遺伝子の基本セットは尾索動物と脊椎動物の共通祖先ですでに確立されていたことが示唆された。さらに、カタユウレイボヤから同定した遺伝子と既知の脊椎動物補体遺伝子の比較を行うことで、尾索動物と脊椎動物が分岐した後に脊椎動物の系統で生じた変化を特定し、脊椎動物補体系がドメインの追加や挿入、遺伝子重複などの変化を積み重ねて進化したと考察している。第一部の解析結果は、脊椎動物以外で初めて補体系遺伝子の全貌を明らかにしたものとして高く評価され、その結果脊椎動物補体系がどのように複雑な反応系として進化してきたかが判明した。

 第二部では、脊椎動物MHCクラスIII領域で保存されている補体遺伝子Bf、C2、C4の連鎖に注目し、MHC遺伝子を持たない尾索動物でそれらのオルソログ同士が連鎖しているか否かを明らかしている。カタユウレイボヤESTデータベースに対する相同性検索、cDNAライブラリのスクリーニング、ゲノム配列からの予測に基づくRT-PCRにより、哺乳類MHCクラスIII補体遺伝子Bf/C2オルソログ、CiBf-1、CiBf-2、CiBf-3のcDNAがクローニングされた。CiBf遺伝子領域の詳細な解析により、3遺伝子が約50kbの範囲に存在し、遺伝子間で非常に保存性の高い領域がモザイク状に存在することが明らかになった。また、発現様式は3遺伝子の間で異なることが、ノザンブロッティング、RT-PCRの結果から示された。Bf遺伝子の構造、発現パターンは、ホヤにおける遺伝子重複による補体系の機能拡張を示唆した。CiBfと、脊椎動物C3/C4/C5のオルソログCiC3-1、CiC3-2の間の連鎖解析は、染色体Fluorescent in situ hybridization (FISH) 法による、染色体上への物理的マッピングにより行われた。その結果、カタユウレイボヤではこれら3遺伝子座が別々の染色体上にあり、連鎖はないことが明らかになり、MHC領域における補体遺伝子の連鎖は尾索動物の分岐後に脊椎動物の系統で成立したことが示唆された。この結果から論文提出者は、新たな反応経路である古典経路のC3転換酵素(C4C2)が、第二経路のC3転換酵素(C3Bf)の遺伝子重複で生じた後、連鎖が共進化を助けたのではないかと考察している。機能関連遺伝子の集積したMHC領域の進化過程の解明に、重要な手がかりをあたえるものと評価できる。

 本研究は、ホヤにおいて哺乳類以外の動物としては初めて補体遺伝子群の全体像を明らかにし、Bf遺伝子構造の詳細な解析によりC3遺伝子との連鎖がないことを示した。その結果、脊椎動物の補体系の進化過程の大筋が明らかになるとともに、MHCの成立過程にも重要な情報がもたらされた。現在さまざまな動物でのゲノムプロジェクトが進行しつつあるが、本研究で示された道筋に従い、今後同様の解析を行うことで、補体系の進化過程がより詳細に明らかにされると期待される。

 なお、本論文第一部は、安住薫ら18名、第二部は、井川俊太郎ら4名との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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