学位論文要旨



No 120003
著者(漢字) 谷口,健司
著者(英字)
著者(カナ) タニグチ,ケンジ
標題(和) 地球観測データと数値モデルの統合活用による夏季インドモンスーン形成過程の研究
標題(洋) A study on the onset of Indian summer monsoon by integration of the earth observation data and numerical simulations
報告番号 120003
報告番号 甲20003
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5945号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 教授 佐藤,愼司
 東京大学 教授 喜連川,優
 東京大学 教授 柴崎,亮介
 東京大学 助教授 松本,淳
 東京大学 助教授 沖,大幹
内容要旨 要旨を表示する

 19世紀後半以後の急速な技術発展による人間活動の活発化に伴い,地球環境の変化が近年問題視されるようになってきた.アジアにおいては,夏季モンスーンによる降水が,人々の暮らしを支え,また時として被害を与える.温暖化等による地球環境の変化は,それらの年々変動や発生領域の集中化などをもたらすと予測されている.モンスーンアジアに属する我が国でも,近年異常気象による災害が頻発し,それらは地球環境変動によるものであるとの見方が強い.そうした中で,旱魃や洪水といった気象災害に対しては,事後的対策だけではなく,効果的な水資源利用計画と,事前の災害予防策がより重要であると考えられる.そのためには,日々の気象予報及び中長期的な気候変動予測の精度向上が不可欠であり,一層の気候メカニズムの理解が不可欠である.以上のような背景のもと,本論文では夏季アジアモンスーンに焦点をあて,研究を行った.中でも古くから研究対象であり,依然として全容解明に至っていない夏季インドモンスーンの形成過程の解明に取り組んだ.本研究では現地観測,衛星データの解析,数値実験といった方法を統合的に活用し,現象解明に取り組んだ.

 本研究で行った夏季インドモンスーンの風系に関する季節進行の概観から,ソマリジェットと呼ばれるアフリカ東岸を吹く強い南風の形成と,インド洋東部から中央部での西風の形成がはじめにみられ,それらがつながり,強化されるとともに北へと広がることによってインドに強い西風をもたらす夏季モンスーン循環が形成されることがわかった.

 ソマリジェットは南半球からアラビア海に多量の水蒸気を輸送するといわれ,夏季インドモンスーンにおいて重要な要素のひとつである.ソマリジェットに関して,その季節進行に着目した解析を行った結果,チベット高原西部での大気加熱との関連が見出された.平均標高4000mを越えるチベット高原は夏季アジアモンスーンを駆動する熱源として重要であるといわれているが,その役割は未だ解明されていない.ここで見出されたソマリジェット形成との関連は,その役割を端的に示すものといえる.チベット高原の大気加熱は,その与える影響の重要性もさることながら,その加熱プロセスの理解も重要である.チベット高原の大気加熱に関してはこれまでも研究されてきたが,十分な理解はなされていない.そこで本研究では,チベット高原の大気加熱プロセスの解明に取り組んだ.

 また,夏季インドモンスーンは急激に開始することでも知られている.しかし,その季節進行については,これまで詳細な研究はなされておらず,急激な開始がもたらされるプロセスは解明されていない.インドの雨季は強い西風の開始によってもたらされるといわれ,本研究でインドの雨季開始とアラビア海の風系の季節進行に関して比較したところ,急激な雨季の開始と急激な風速の強化が非常によい対応を示した.このことから,アラビア海の風系に関する指標をもって夏季インドモンスーン開始日の定義を行ったところ,従来の研究と比較して,降水の季節進行をより良く反映する結果を得た.この結果より,風系の形成が,夏季インドモンスーン開始をもたらすといえる.そこで本研究では,ソマリジェット形成から夏季モンスーン開始に至る一連のプロセス理解のために,大気場の季節進行を詳述した.

 チベット高原の大気加熱に関しては,現地観測を実施し,そこで取得されたデータと衛星観測データとを用いた解析を行い,日々の大気温度の日周変化を詳細に検討した.その結果から,チベット高原東部では雨季開始以前でも,活発な積雲活動によって効果的な大気加熱が生じることを明らかとした.また,積雲活動や大気加熱は総観規模場の変動による影響を大きく受けることをも明らかにし,チベット高原での大気加熱に重要な役割を果たす積雲活動を考える上では,高原スケールの現象と総観規模場の変動との相互作用を考慮する必要があることを示した.

 また,チベット高原の大気加熱と積雲活動の季節進行に関して解析を行い,積雲活動には時期ごとに明確な変化がみられ,大気加熱の時期的な変化もそれと対応することを明らかにした.チベット高原の積雲活動は,4月から5月にかけて頻繁にみられ,5月中旬から6月中旬までは頻度が減少する.さらに6月中旬以降,再度積雲活動の頻度が増す.大気加熱は,積雲活動の活発な4月から5月中旬では大きく,積雲活動の休止とともに停滞する.積雲活動の再開期には再度加熱が進行し,やがて気温は安定した状態となる.

 積雲活動の時期ごとの変化に関してその原因を調べたところ,各時期における大気の成層状態の違いによるものであることが明らかとなった.4月から5月の積雲活動期には絶対不安定な大気成層による対流活動によって積雲活動が生じる.休止期においては条件付不安定な大気成層をなすが,大気が飽和していないために対流活動は生じにくく,積雲活動の頻度も減少する.積雲活動再開後の大気成層は,条件付不安定かつ飽和という条件をみたし,対流活動が生じやすく,積雲活動が頻繁に起こる.こうした時期ごとの大気成層は,最初の積雲活動期から休止期においてはチベット高原自身の大気加熱によって変化し,休止期から積雲活動が再開する時期においては,インドモンスーン開始による水蒸気の流入によって変化するとの考察を得た.これまでチベット高原はインドモンスーンに影響を与える役割を担うと考えられてきたが,本研究の結果,インドモンスーンの季節進行がチベット高原の気象現象に影響を与えうることが示唆された.

 さらに本研究では,以上のチベット高原の大気加熱に関する解析から得られた知見をもとに数値実験を行い,チベット高原上の対流活動,積雲活動と大気加熱に関する理解を深めた.雲水過程を含んだ実験と含まない実験結果の比較から,雲水過程を含んだ際には非常に活発な対流とそれに伴う積雲活動が生じ,それによって大気が加熱された.一方,雲水過程を適用しない数値実験においては対流活動は大気下層に限定され,大気加熱も上層まで及ばなかった.これらの結果より,チベット高原の大気加熱において積雲対流活動が重要な役割を果たすことが再度示された.積雲活動の季節変化に関する数値実験からは,各時期ごとの対流活動,積雲活動および大気加熱の特徴が示された.

 夏季インドモンスーンに関するこれまでの研究においては,「急激な開始」「大規模な海陸熱コントラストによる循環場の形成」などといった説明ばかりで,その形成過程の詳細に関しては議論されてこなかった.本研究では大気場の季節進行を詳細に検討し,上記の風系形成にはアラビア半島および中東域と,アラビア海およびインド西部との間の熱コントラストの形成が不可欠であることを明らかにした.それに加え,上記の熱コントラストの形成には,アラビア海およびインド西部の温位低下が重要であることを示した.

 さらに大気場の詳細な解析を行い,温位低下に至る大気場の変化には循環場自身のフィードバックを伴う漸進的な変化の場合と,アラビア海に発生する低気圧によって急激な温位低下がもたらされる場合とがあることを明らかにした.解析対象とした24年間のうち,12年において低気圧による急激な大気場の変化がもたらされ,インドモンスーン開始の予測には低気圧の発生,発達のメカニズム理解が重要であることを示した.こうした大気場の季節変化に関してはこれまで詳述されなかったが,本研究によって今後の夏季インドモンスーン開始に関する研究がより一層進むものと考えられる.

以上の研究成果を以下に簡潔にまとめる.

・ソマリジェットの形成とチベット高原西部の大気加熱の対応を示した

・アラビア海の風系に関する指標を与えて,雨季開始をより良く反映する夏季インドモンスーン開始日を定義した

・チベット高原の雨季開始以前の大気加熱における積雲活動の重要性を示した

・チベット高原の積雲活動および大気加熱の季節進行とその対応を明らかにした

・チベット高原上での積雲活動の季節ごとの違いの要因を明らかにした

・夏季インドモンスーン開始には漸進的な大気場の変化による場合と強い低気圧による急激な大気場の変化による場合のふたつのプロセスがあることを示した

 夏季アジアモンスーンシステムの全容解明には,依然として多くの課題が残されているが,以上の成果によって,その理解がより一層進み,今後の研究の発展が期待される.

 また,本研究で大規模データを用いた解析を進めるにあたっては,そのためのデータ解析ツール群の構築を行った.その中で,大量のデータ処理とその解析結果の閲覧が可能な解析ツールを構築し,本研究においても有効活用された.本研究で構築したツール群が多くの改善点を有していることは否定できないが,今後それらとデータベースなどとの統合を行い,単なるツールからシステムへと成長することによって,新たなスタイルでの研究を行うことが可能となると考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は,現地観測データおよび衛星データと数値気象予報モデルの出力の解析,数値実験とを統合的に活用して,夏季インドモンスーンの形成過程の解明を目的とするものである.

 本研究では,まず数値気象予報モデルの出力を用いて夏季インドモンスーンの風系の季節変化を分析することにより,ソマリジェットと呼ばれるアフリカ東岸を吹く強い南風の形成と,インド洋東部から中央部での西風の形成・強化・北方への拡大の2つのプロセスが,夏季インドモンスーン循環の形成に重要であることを示した.

 次に第一の点であるソマリジェットに関して,その季節進行に着目した解析を行った結果,チベット高原西部での大気加熱との関連が見出された.そこでチベット高原で現地観測を実施し,そこで取得されたデータと衛星観測データとを用いた解析と数値シミュレーションを行い,日々の大気温度の日周変化を詳細に検討し,チベット高原東部では雨季開始以前でも,チベット高原の山岳と谷の地形効果によって生じる活発な積雲活動によって効果的な大気加熱が生じることを明らかにし,それがチベット高原の大気加熱に,ひいてはインドモンスーンの開始に重要な役割を果たすことを示した.

 第二の点である西風の形成・強化・北方への拡大に関しては,数値気象予報モデルの出力を用いて大気場の季節進行を詳細に検討し,上記の風系形成にはアラビア半島および中東域と,アラビア海およびインド西部との間の熱コントラストの形成が不可欠であることを明らかにした.さらに,この熱コントラストの形成には,アラビア海およびインド西部の温位低下が重要であることを示し,温位低下に至る大気場の変化には循環場自身のフィードバックを伴う漸進的な変化の場合と,アラビア海に発生する低気圧によって急激な温位低下がもたらされる場合とがあることを明らかにした.

 本研究では,衛星データや数値気象予報モデルの出力などの大容量の情報を用いた解析を進めるに当たって,情報科学技術研究グループとの共同で,大量のデータを統合的に解析し,可視化するツール群を開発している.これらのツール群は本研究の遂行に有効かつ不可欠であっただけでなく,今後益々増大する地球観測データから統合解析によって新たな知的な創造価値を生み出すシステムづくりに貢献するところが大である.

 以上,本研究は大容量情報解析システムの構築とその利用によって,アジア域の水資源管理に必要となる夏季インドモンスーンの形成過程の物理的メカニズムの解明を進め,それを通じて社会に有用な水循環予測精度の向上に貢献しており,社会的有用性に富む独創的な研究成果と評価できる.よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク