学位論文要旨



No 120005
著者(漢字) 中川,善典
著者(英字)
著者(カナ) ナカガワ,ヨシノリ
標題(和) 政策論争における主張の説得力評価と意思決定支援に関する研究
標題(洋)
報告番号 120005
報告番号 甲20005
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5947号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀井,秀之
 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 教授 家田,仁
 東京大学 助教授 堀田,昌英
 東京大学 助教授 加藤,浩徳
 東京大学 助教授 城山,英明
内容要旨 要旨を表示する

 政策過程に関しては様々な問題点が指摘され、ネガティブな評価が下されることが非常に多い。その中で、本研究では二つの問題点に注目している。第一は、政策過程が特殊な前提の上に成り立っており、あらゆる意見を視野に入れていないという問題である。あらかじめ選択肢の範囲を絞った上で意思決定を行えば、何らかの意味で「よりよい」政策が選択される可能性があらかじめ排除されてしまう。可能なら、選択肢のあらゆる方向性を考慮した上で意思決定をするべきである。

 第二は、各選択肢の長所・短所が十分明らかにされないまま、政策が決まってしまうという問題である。どのような選択肢も、長所と同時に短所を合わせ持っているのが普通である。そして、長所は強調されがちであるが、短所は明示化されにくいという傾向があるように思われる。ある選択肢を受け入れるということは、それが持つ長所・短所を同時に受け入れるということでなければならない。

 以上のような問題点を解決することは、政策に賛成する人はもとより、反対する人までもが、ある程度は納得して政策に従うことを可能にするための最低限の条件であろう。そこで本論文ではまず、これら二つの問題点を解決することを目的とする。

 第一の問題点に関しては、ある政策論点(例えば「道路関係四公団をどうするか?」「裁判員法をどうするか?」「死刑制度をどうするか?」など)に関して、専門家や利害関係者が様々な案を持っていることが常である。そこで、それらの案を可能な限り網羅的に収集し、再構成することで、ありうる選択肢の方向性をなるべく網羅的に明らかにする手法を提案する。これが第一の目的である。

 第二の問題点に関してはまず、各選択肢がどのような価値を増進し、またどのような価値を阻害するのかを明らかにすることが必要であり、そのために、現代日本の政治においてどのような事柄が価値として認識されているのかを特定する。次いで、各選択肢と各価値との、そのような対応付けがどの程度の妥当性を持っているのかを二つの観点から確認する手法を提案する。以上のことは、各選択肢がどのような長所・短所を持っているのか、そして政策実行によりその長所・短所が現実化する可能性や程度はどの程度なのかを把握する助けとなる。これが第二の目的である。

 以上のような第一・第二の目的に対応した手法により、ある政策論点に対してどのような選択肢がありうるのか、各選択肢を諸価値から正当化するための最低限の基準は満たされているのかが明らかになる。これにより、明らかに不合理な選択肢は自然に淘汰されるだろう。すると、最後に必要となるのは、生き残った選択肢からどのように一つを選ぶのか、あるいはどのように一部に絞るのかという問題である。この問題に対する一つの指針を与えるのが本論文の第三の目的である。

 このような三つの目的を持つ本論文の構成を以下で述べつつ、研究内容の詳細を紹介する。

 まず第I部の「問題とその対策の全体像の把握」においては、ある問題に対して様々な認識の下、様々な人たちが持っている対策についての希望やアイデアを網羅的に列挙し、「それらを実行するか否か」というタイプの諸論点を生成する。そして、それらの論点を構造化することにより、代表的な選択肢を生成する。そのための手法を第1章で提案する。代表的な選択肢のセットとは、あらゆる潜在的な選択肢がそのセットの中のどれかの選択肢で近似できるような、選択肢のセットのことである。

 第II部の「対策選定を巡る意見対立の基礎研究」においては、第I部で生成した代表的選択肢のセットから一つを選ぶ際にどのような意見対立がありうるのかを類型化する。第2章では類型化に関する仮説を生成し、第3章では実際の意見対立を分類することで仮説の一応の妥当性を確かめる。ここでは、意見対立を「一つひとつの選択肢の説得力を巡る対立」と「選択肢間の優越性比較を巡る対立」とに分類する。また、前者を更に3つに細分類した。なお、意見対立を類型化するにあたっては、一つの選択肢を支持する論証は「事実認識」と一般的な「価値原則」によって構成されるというモデルを前提とする。そして、現代日本の政治論争で使用される「価値原則」を可能な限り収集し、分類・体系化する。「一つひとつの選択肢の説得力を巡る対立」が更に三つに再分類されることの理由は、このモデルを基にして「論証のどの部分に反論の余地があるか」を考察することにより、説明される。

 第III部の「対策選定の支援手法」は、第I部で作成した選択肢の中からどれを選択するかを検討する段階である。この段階は、第II部の結果に対応して、一つひとつの選択肢の説得力を吟味する段階と、諸選択肢の中から一つ(あるいは一部)を選択する段階とに細分類される。説得力吟味のために、第4章では各選択肢を支持するために価値原則を適用することの妥当性を明らかにする手法を提案し、第5章では各選択肢が前提とする事実認識の妥当性を明らかにする手法を提案する。

 第4章、第5章で説得力を吟味することにより、代表的選択肢のうちで明らかに説得力に欠けるものは淘汰されるであろうが、一般にはそれによりどの選択肢を選ぶべきかまでは決まらない。そこで、第6章では「類似した論点で類似した選択をすれば、類似した満足度が得られる」という原理を前提として、選択肢の中から一つ(あるいは一部)を選択することを補助する手法を提案する。なお、第5章において、事実認識の妥当性について合意が形成できない場合には「どのような情報が明らかになれば合意が形成できるか」についての合意を形成することが目指される。これは、各選択肢がどのような事実認識に関する前提を持っているのかを明示化することに対応している。これによって、一つの選択肢を選び実行に移す際、その選択肢とそれが前提としている事柄とを意識的に関係付けることができ、前提が崩れたことが明らかになった場合に意思決定を柔軟に変更することが可能となる。

 第IV部の「まとめと今後の課題」においては、第7章において、提案した諸手法を社会にどう実装するかについての戦略を考察した。第8章では、本論文全体のまとめを述べるとともに、提案した諸手法を今後どのように整備・拡充していくかについての方針を示す。

審査要旨 要旨を表示する

  本論文は、政策に関する意見対立がある中での意思決定を、工学的なアプローチにより支援することを試みたものである。

 現在、日本の政策過程には様々な問題点が指摘されているが、その中で本論文が注目しているのは二点である。第一は、政策過程が特殊な前提の上に成り立っており、あらゆる意見を視野に入れていないという問題である。そして第二は、各選択肢の長所・短所が十分明らかにされないまま、政策が決まってしまうという問題である。

 以上のような問題点を解決した上で、意思決定を補助することを目的とした本論文は、以下のような構成になっている。

 まず第I部の「問題とその対策の全体像の把握」においては、ある問題に対して様々な認識の下、様々な人たちが持っている対策についての希望やアイデアを網羅的に収集・再構成することで、代表的な選択肢を生成する手法が提案される(第1章)。代表的な選択肢のセットとは、あらゆる潜在的な選択肢がそのセットの中のどれかの選択肢で近似できるような、選択肢のセットのことである。

  第II部の「対策選定を巡る意見対立の基礎研究」においては、第I部で生成した代表的選択肢のセットから一つを選ぶ際にどのような意見対立がありうるのかが類型化される。その結果、一つひとつの選択肢の説得力を巡る対立は主に「事実認識の妥当性を巡る対立」「価値原則の適用の妥当性を巡る対立」に帰着されると結論付けられる。ここで、価値原則とは、政策の「よさ」の拠り所となるような一般原則であり、現代日本の政治論争においてどのような価値原則が用いられているのかも、この第II部で実証的に明らかにされている。

 第III部の「対策選定の支援手法」は、第I部で作成した選択肢の中からどれを選択するかを検討する段階である。この段階は、第II部の結果に対応して「一つひとつの選択肢の説得力を吟味する」段階と、諸選択肢の中から一つ(あるいは一部)を選択する段階とに細分類される。そしてまず、説得力吟味のために、各選択肢を支持するために価値原則を適用することの妥当性を明らかにする手法と、各選択肢が前提とする事実認識の妥当性を明らかにする手法とが提案される。次いで、アナロジーの考え方を用いて、選択肢の中から一つ(あるいは一部)を選択することを補助する手法が提案される。

 以上が本論文の要旨であり、以下はその評価である。

 第一に、本論文は「政策過程が特殊な前提に立っている」という大変重要な問題点に着目し、それを解決するための手法を第I部で提案している。ありうる政策の方向性をなるべく網羅的に明らかにするためのこの手法は、非常に高い利用価値を有していると評価できる。

 第二に、第II部において事実認識の妥当性を明らかにする手法が提案されている。近年、ダムや堰の建設の是非を巡る意見対立が水理学上の論争に帰着するなど、事実認識の相違をどう扱うかが重要な問題になっている。この手法は広範な分野で適用することができるだろう。

 第三に、第II部において、アナロジーを用いて意思決定を補助する手法が提案されている。意思決定にアナロジーを用いること自体は目新しくはないが、本論文では、独自に明らかにした価値原則を基に「どのような価値原則が衝突しているか」という観点から論点間の類似性を定義した点に新規性が認められる。

 このような長所を持つ本論文にも、もちろん短所がないわけではない。

 第一に、第1章では代表的選択肢の生成手法が提案されているものの、完全なマニュアル化がなされているとまでは言えない。すなわち、現段階においては、誰がこの手法を使用して分析しても同じ結果が得られるとは言い切れない。本章においては三つの事例への適用例が示されているが、適用例を今後さらに増やすことによって、どのような事例にも対応したマニュアルが形成されてゆくのであろう。

 第二に、これは著者も十分認識している点であるが、第4章では価値原則の適用妥当性に関する基準の確立が目指されているものの、実際には基準についての仮説が提出されるに止まっている。今後は、原則の適用事例との比較により仮説を修正・検証する作業が必要であろう。

 第三に、第6章ではアナロジーを用いて、ある政策論点に関する選択肢の中から一つあるいは一部を選んだり、合意調達力の高い選択肢を追加したりする手法が提案されており、それ自体は興味深い。しかし、この手法が効果を存分に発揮するためには、非常に多くの政策論点に関する分析結果や議論結果を蓄積してゆくことが不可欠である。これは手間とコストが大変かかる作業であるから、論文提出者に要求するのは酷であり、やむをえないが、今後はそのデータベースを構築することが必要であろう。

 以上のように、本論文にも若干の短所はあるが、それらは上述した本論文の価値を損なうものではなく、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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