学位論文要旨



No 120009
著者(漢字) 斉藤,理
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,タダシ
標題(和) 19世紀ベルリン派と建築のポリクロミー
標題(洋)
報告番号 120009
報告番号 甲20009
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5951号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,道夫
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 助教授 岸田,省吾
 東京大学 助教授 曲渕,英邦
内容要旨 要旨を表示する

第1章 「ポリクロミー」とは何のことか  建築史のなかの色彩問題

 先ず、建築と色彩との関係性、ポリクロミーの概念規定を記した後、ポリクロミー建築をめぐる研究史を概観することで従来の建築史研究の中では扱われてこなかった課題点を明確化させ、本研究の分析課題として呈示した。

・本論の分析課題:

1.ポリクロミーの問題が、19世紀ドイツ建築においてどのように受容され、実践されたかについて考察。

2.ポリクロミーの問題を各建築家の作家性に帰するのではなく、時代的考察をも交えながら その特質を多面的に分析。

3.細部装飾とポリクロミーとの関係性を検証。

・本研究で扱う時代区分: 19世紀のベルリン建築アカデミーを中心とする「ベルリン派」における、シンケル派第1世代(主に1800年頃に生まれた世代で、1830年代から60年代に活躍)からシンケル派第2世代(主に1820年代に生まれた世代で、1860年代から70年代に活躍)に掛けての動向に焦点を当てることとし、これをケーススタディとしながら「なぜ建築家は色彩を施すのか」という本質的問題をも視野に入れつつ建築史的に考察する旨を明記した。

・分析に用いる資料は、主として当時彩色された図面資料とし、使用する図面資料、検索機関についても解説した。

第2章 規範の提示  シンケル作品のポリクロミー

 19世紀のベルリンにおける建築と色彩をめぐる状況を振り返りながら、K.F.シンケル(1780-1841)の建築作品に見られる色彩性をいくつかの作品事例を通して考察し、その特色と意義について論じた。

・その結果、シンケルがポンペイ装飾、ラファエロを範としたルネサンス装飾、ヘレニズム(古代ギリシァ)起源の装飾等を直写するのではなく、独自の色彩的感性に基づいて作品化させていく1810年頃から30年代にかけての変遷が明らかになった。

・加えて、シンケルがパターンブックの使用に強い関心を寄せていたことを図面資料から実証すると共に、シンケルが見本帳の編集にも携わり、そうした資料を創作活動の源泉とする設計手法を開拓していた点を指摘した。

第3章 範型としてのポンペイ  シュテューラーとシュトラック

 ポンペイの多彩色装飾が、19世紀ベルリン派の建築家の間でどのように範型として受容され、応用されたのかをシンケル派第1世代に属する建築家A.シュテューラー(1800-65)、J.H.シュトラック(1805-80)の彩色図面、月例設計競技作品、『建築スケッチブック』等の図面分析を通して論述した。

・殊にシュテューラーによる「クランツラーハウスの改修」(1835)、「新博物館」(1859)などの彩色図面の分析、同じくシュテューラーの論文「ポンペイにおける室内装飾について」(1840)の解読を通して、そのポリクロミー観が実作品にどのように反映されたのかを検証した。

・シュトラックの場合は、「ヴェーゲナー邸」(1840)、「ボルズィッヒ邸」(1868)等いくつかの邸宅建築内部の彩色計画図面を参照しながら、シンケルに影響された「繊細」な表現に包含する彩色法が確立されたことを跡付けた。

・その結果、シンケル派第1世代においては、シンケルの「古代ギリシァ的ルネサンス」という多彩色装飾の特色を継承しながら、緻密で繊細に彩色することで、異なる様式をも一建築作品のなかで色彩的に融合させていく試みがなされていたことが明らかになった。

第4章 色彩装飾教育の確立 ベッティヒャーのテクトニック

 シンケル派第1世代の建築家・理論家K.ベッティヒャー(1806-89)の理論・実践両面の活動を詳細に分析し、ベルリン・アカデミーにおいて色彩装飾教育が確立されていく過程を明らかにした。

・その際、

1.ベッティヒャー自ら編纂した色彩装飾の見本帳

2.ベッティヒャーが自著『古代ギリシァ人の構築術』(1844/52)で示した「テクトニック」論に基づく彩色法

3.建築アカデミーを中心に行われた色彩装飾演習

という三側面を以って、ポリクロミーに関するある種の「超時代的(zeitlos)」な価値基準を有する新しい彩色法、装飾教育が確立されていったとする見解を示した。

・とりわけ、従来まったく検証されることのなかった、ベッティヒャーの指導の下に行われた色彩装飾演習(ゼメスターアルバイト)についても、ヘーリングなど当時の学生が残した演習図面を詳細に分析することで、ポリクロミーと細部装飾とをテクトニック論に基づき密接に関連付けていた当時の彩色教育の実態が明らかになった。

第5章 多様な試みの模索  「色彩の詩人」、グロピウス

 シンケル派第2世代に当たる建築家M.グロピウス(1824-80)の創作活動を振り返り、そのうちに、ベッティヒャーのテクトニック論に基づくポリクロミーとシンケルの繊細な多彩色とが共存しながら、多様性を模索する方向へ展開していたことを指摘した。

・グロピウスを含むシンケル派第2世代とベッティヒャーとの関わりを検証するため、19世紀末に顕在化してくるベッティヒャーに対する批判的見解について再考し、それが「考古学的正当性の欠如」と「独善的な細部の表象」に起因することを指摘した。さらに、ベッティヒャーの評価をめぐって、19世紀当時の歴史家C.グリットと建築家W.トゥッカーマンの間で闘わされた論争について明らかにしつつ、当時見られたシンケル派内の思潮的変容を跡付けた。

・グロピウスが記したポリクロミー論(1868)を解読し、そこに「色彩装飾の機能的独立」、「調和の問題」、「有機性の創出」が希求されていたことを明らかにした。

・そうしたポリクロミー観に基づいて様々に試みられた、独特の躍動性を備えた彩色事例、さらには「テクトニック・ポリクロミー」の建築事例を挙げながら、その特質を「軒蛇腹への塗色」、「テラコッタ装飾」、「スグラフィット装飾」、「マジョリカ焼きタイル装飾」の4つに分類しつつ解明した。

第6章 建築家の自由と能力  コルシャーからルーカエへ

 B.コルシャー(1834-68)、R.ルーカエ(1829-77)らシンケル派第2世代のポリクロミーに対する意識が、第1世代のそれとは次第に乖離し、やがて、必ずしもシンケルやベッティヒャーの範に囚われずに、色彩独自の論理性から新しい彩色法を模索する動きへと移行していく過程を明らかにした。

・シンケル派第2世代のコルシャーがベッティヒャーの下で作成した装飾演習図面と、シュティーアーの影響を受けたネオ・ルネサンス的ポリクロミーとを比較考察し、上の過程を跡付けた。

・加えて、光や色の空間的効果について記したルーカエの示唆的な論文「建築空間の4つの効力」(1869)を解読した上で、実際の邸宅建築事例などと照合しながら、ルーカエが、色彩装飾の問題を「光の効果」や「色の主調性」などを手がかりに現実的感覚に近い三次元的空間性を伴った問いへと展開させた点を指摘した。また1860年代末に提示された色彩装飾の意義についても総括した。

・1870年代に出された3つの論文、E.マグヌス「芸術的見地からみたポリクロミー」(1874)、W.v.ベツォルト「美術と工芸のための色彩学」(1874)、G.T.フェヒナー「多彩色の彫刻、建築に関する問題」(1876)から明らかになる、当時の色彩をめぐる認識の変容について、建築家の色彩を扱う能力が求められるようになった建築分野の変容と併せて論じた。

第7章 建築における色彩が意味するもの  「ブランデンブルク門」と「ポンペアヌム」、2つの復元現場から

 2002年に完工した「ブランデンブルク門」と「ポンペアヌム」という2つの彩色復元事例を通して、建築と色彩の問題、19世紀の建築家らが多彩色装飾を施した動機付けについて、さらには記念物保護とポリクロミーの問題に関して、第2〜6章の考察を踏まえ総括的に論じ、本論のまとめとした。

・本論の分析課題第1に対する解として、ベッティヒャーが提示した「ポリクロミーの文法化」に沿って彩色法を規定化しようとする方向性が、やがて第2世代に至って、創造性を求める方向性へと変異していく流れを総括した。

・第2の解として、シンケルのポリクロミーが持つ有機性を継承したシュテューラー、シュトラック、ルーカエらの動きが、やがて「創作者」から「鑑賞者」へという色彩をめぐる思潮上の変容の動きに合流していった点を明らかにした。

・第3の解として、細部装飾の意義を明らかにし、細部にまで分析対象を拡げることで、19世紀におけるポリクロミーの問題を再考することができ、学究的な深化をもたらすことを指摘した。

>>付属図版資料集 <19世紀建築と彩色図面>

 本論文に付属する図版資料として、19世紀における彩色された建築・装飾図面をまとめて集成した。この図面編では、作者不明など匿名性の強い図面資料をも考察の射程に入れられるよう、作家性に囚われず網羅的に掲載した。

第8章 (別章) 装飾見本帳が建築へ及ぼす影響について

 19世紀のドイツで編纂・刊行された多色刷りの装飾見本帳を概観しつつ、その変容過程、種別、用途について分析し、それら装飾見本帳が建築創作活動にどのように影響したのかを時間的変遷にしたがって考察した。

・その結果、19世紀の見本帳は、当初、ギリシァやポンペイ、あるいはイタリア・ルネサンス期といった、地域的にも時間的にも隔たりのある建築物の色彩性を記録、伝達し、受け手の側にある知悉を与えるための媒体として期待されていたのに対し、次第にシンケルやベッティヒャーといった同時代の個別の建築家による創作性を公にし、新たな創作を喚起させるような、言い換えれば、多方面の用途へ応用できる実用性が重視されるようになったという変容過程が明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

 本学位請求論文は,19世紀ドイツ建築におけるポリクロミーの変容過程とその特質を,シンケルの試みを出発点とし,1830年代から1870年代にかけてのベルリン派の動向と重ね合わせ,具体的な図版の分析を通じて明らかにするものである.

 なお,研究にあたっては,ベルリン美術図書館を初めとする7機関の資料を1年半の歳月をかけて閲覧を行っている.

 本論文は,本論7章と本人が撮影した約500枚のオリジナルの図版の複製からなる付属図版資料集に加えて装飾見本帳を扱った別章1章から構成される.

 第1章は,序にあたるものであり,ポリクロミー建築をめぐる研究史を概観し,本論文での3つの分析視点を提示している.第1は19世紀ドイツにおけるポリクロミーの受容と実践過程を明らかにすること.第2にポリクロミーの問題を作家性に帰するのではなく,時代的考察を踏まえながら多面的に分析・把握すること.第3に細部装飾とポリクロミーの関係性の検証である.

 第2章では,シンケルの建築作品に見られる色彩性を検証し,その特色と意義について論じている.その結果,1)シンケルは,ポンペイ装飾,ラファエロを範としたルネサンス装飾,ヘレニズム装飾を参照するものの,それを直写するのではなく,独自の色彩的感性に基づいて作品化させていること,2)ポリクロミーに関してパターンブックの使用に関心を寄せていたこと,3)彼が見本帳の編集にもかかわり,これを創作活動の源泉とする設計手法を開拓したことを明らかにしている.

 第3章は,論文提出者が「シンケル派第1世代」と呼ぶシンケルの第1後継世代であるシュテューラーとシュトラックを取り上げ,彼らの彩色図版,月例設計競技作品,『建築スケッチブック』等の図面を分析している.その結果,シンケルの「古代ギリシア的ルネサンス」という多彩色装飾の特色を継承しつつ,異なる様式をも一建築作品に色彩的に融合させていく試みがなされたことを実証している.

 第4章ではシュテューラーやシュトラックと同世代であるベッティヒャーを取り上げている.そこでは,ベッティヒャーが自ら編纂した色彩装飾の見本帳,自著『古代ギリシア人の構築術』,建築アカデミーでの色彩装飾演習が分析されている.その結果,1)彼が構築した色彩装飾体系の内容,2)その体系がテクトニックと色彩装飾を密接に関連付けるあらたな色彩装飾の基盤を構築したこと,3)これに基づいた当時の彩色教育の実態が明らかにされている.また,彼による理論的基盤の確立が,他方でその色彩選択の感覚的自由度を制限するという指摘は,以降のポリクロミーの進展理解に重要な視座を与えるものである.

 第5章では,論文提出者が「シンケル派第2世代」と呼ぶ,「シンケル派第1世代」に続く建築家の一人であるグロピウスの創作活動が分析された.その結果,ベッティヒャーのテクトニック論に基づくポリクロミーとシンケルの多彩色が共存しながら多様性を模索する方向へ展開していることが明らかにされた.また,彼が記したポリクロミー論の解読から,「色彩装飾の独立」,「調和の問題」,「有機性の創出」が希求されていたことを明らかにしている.

 第6章では,「シンケル派第2世代」であるコルシャーとルーカエが取り上げられている.その結果,コルシャーが,「シンケル派第1世代」と次第に剥離し,色彩独自の論理性に基づく新たな彩色法を模索する過程を跡付けることに成功している.更に,ルーカエの論文「建築空間の4つの効力」を解読し,建築事例と照合することで,ルーカエが色彩装飾の問題を3次元空間との関連で展開させたことを明らかにしている.

 第7章は,結論に相当する.そこでは,ポリクロミーの受容と実践過程の流れを,シンケルを経て,「シンケル派第1世代」では,ベッティヒャーが提示した「ポリクロミーの文法化」に沿って彩色法が規定される一方で,「シンケル派第2世代」に至って,創造性を求める方向に変異すると総括している.また,ポリクロミーの多面的な特質に関しては,シンケルの有機性を継承した「シンケル派第1世代」,「シンケル派第2世代」の動きが,最終的にルーカエにおいて「創作者」から「鑑賞者」の視点へと拡大され,新たな思潮上の特質を持つに至ったと総括する.更に,細部装飾との関連について,彩色図面や装飾見本帳に見られる細部装飾の多様性がその創造性の証左であるとし,これまでの創造性に乏しい低迷期の現象として描き出されてきたこの時代の動向に対する見解に異を唱えている.

 別章では,装飾見本帳を取り上げ,その変容過程,種別,用途について論じている.その結果,19世紀の見本帳が,地域的にも時間的にも隔たりのある建築物の色彩性を記録,伝達する媒体から,次第に新たな創作を喚起し,多方面に応用できる実用性が重視されるように変容する過程を明らかにしている.

 以上,本論文が明らかにした,シンケルを経て「シンケル派第1世代」におけるベッティヒャーの理論的基盤の確立,引き続く,「シンケル派第2世代」における創造性への変異,およびその思潮上の特質,さらには細部装飾の多様性に見る創造性の発露は,これまでの19世紀ドイツ建築に関する見解に新たな建築史的視座を提示する優れた業績といえる.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格として認められる.

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