学位論文要旨



No 120010
著者(漢字) 早川,紀明
著者(英字)
著者(カナ) ハヤカワ,ノリアキ
標題(和) ベネチアの街路パターンの形態論的研究
標題(洋)
報告番号 120010
報告番号 甲20010
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5952号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大野,秀敏
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 助教授 曲渕,英邦
内容要旨 要旨を表示する

 本研究はベネチアの街路空間を、グラフで表現された2次元的なネットワークと捉え、その形態の定量的な把握を可能にする理論の確立と実践を第1の目的とし、実践で得た数値的な特徴に基づいた街路パターンを新たに生成することを第2の目的とした。

 第2の目的に基づいて、まず街路の生成プロセスを抽象化したアルゴリズムを考案し、これを《生成モデル》とした。その生成手順は、まず、1)成長の基点となる線的な初期条件を与えること、から始まり、次に、2)そこからツリー構造で街路を生成し、最後に、3)ツリーをつないでループを作る、というものである。線的な要素(河川や街路)を都市発生のきっかけとみなす。

 本研究で提案した既存街路パターンの分析手法は、この生成モデルの各手順に対応する要素にパターンを分解し、個々の要素の分析を行うというものである。たとえば、ツリー構造を作るときに、それぞれの辺の長さはどれくらいであるべきか、その角度はどれくらいであるべきか、一つの辺につながる他の辺の数はいくつくらいか、といった情報が必要となる。また、ループ化するときも、どの程度の頻度でループを設ければよいか、などが問題となる。そこで既存街路パターンから、ツリー構造やループといった、《生成モデル》の各手順で扱う形態と同じ構造を取り出す手法を考案し、これを《分析モデル》とした。

 ツリーについては、街路パターンの中で強い線状の形態を持つ要素をベースとし、そこから派生するような構造を抽出する手法を提案している。この手法は、各ノードから、ベースとなる線状の形態に対する近接性に基づいてツリーの形状を得るものである。《生成モデル》がツリー構造を生成するときに参考とする形態としてふさわしいものである。

 《分析モデル》のうちツリーの形態分析は、《生成モデル》によるパターン生成の大部分をツリー構造が占めることから、本研究の形態分析の中で最重要の分析である。ここでは、ある辺が、ある位置に、ある形態で存在する原因を、「周囲の辺」との関係性から説明した。対象辺に対する「周囲の辺」を、「1.親子関係にある上位の辺(親)」と、「2.直接つながってはいないが近隣にある近傍の辺」に分けて考察した。まず、辺の角度について、ある辺が親の辺に対して、どれくらい直線的につながるか、あるいは直交しているか、を問題にし、近傍の辺との関係性においても、その平行、直交の度合いを見て、親子関係のそれと比較検証した。また、辺の長さについて、親の辺の長さや角度によって、子の辺の長さが決定されているかどうかを見、さらに近傍の辺の端点にあわせて辺の長さを調整しているかどうかもあわせて検証した。

 形態分析においては、提案した分析手法を用いて、ベネチア島内における街路パターンの地域差をいかに記述できるかも問題にした。ベネチアにおいて、大運河に接する領域と海岸に接する領域を同じ指標を用いて形態分析し、差異と類似の指摘を試みた。また、本研究のような分析手法が他に例がないため、同一の領域に対して手法の適用方法を3通り試すなど、手法自体の問題点も検証した。

本研究の意義を総括すると、次の3点に大きくまとめられる。

[1]都市における街路パターンの形態を定量的に示すための概念と理論を構築し、《分析モデル》として提示した。

[2]ベネチアという具体的な都市を対象とし、《分析モデル》を用いて街路パターンの形態分析を実践した。

[3]《分析モデル》の手順を遡るような《生成モデル》を提示し、ベネチアの形態分析の結果を利用して、これらの指標において、ベネチアと同質の特徴を備える新たな街路パターンを生成して提示した。

[1]について、街路パターンの形態を定量的に示すためのアプローチは他にいくつもあるが、可逆性を念頭においたものは類例がなく、この点独自性がある。

[2]については、本論以外にも様々なアプローチで試みられているものであり、個々の指標では共通する点も多いが、再生成を念頭に置いた分析のパッケージを組み立てている点は特筆できる。

[3]について、街路パターンの再生成を試みた例は他にもあるが、定量分析のデータに基づいた再生成としては他に例がない。

個々の内容に従い、具体的な特徴と成果を以下に示す。

まず[1]に関する事柄から述べる。

・街路パターンという複雑な現象を理解するのに、現象をそのまま理解しようと試みるのではなく、理解しやすい部分(ツリーやループ)に分け、その総体として全体像を理解すればいいという、考え方を示し、そのための数理的なアルゴリズムを示した。これは他の都市の街路パターンも、同じ手法により対等に分析することが可能であることを意味する。

・ツリー構造における「枝の長さ」、「枝の角度」、「枝の分岐数」といった再現の容易な形態的指標に着目し、全体を通じて可逆性の高い分析プロセスを提示した。

・《分析モデル》適用の際、線状の形態の与え方を変えることにより、街路パターンを複数の視点から眺めることのできる方法論を組み上げた。一つの街路パターンの解釈は一通りではなく、多義的な読み取りの可能なものである。評価の視点により、複数の解釈を許容する「適用の幅の広い分析手法」を提示している。

・ツリー構造やループ構造から、世代をパラメータとして要素を抽出し、定量的な把握を可能とする手法を提示した。これは分析自体の精度を高め、同時に、新たなパターンの段階的な生成にあわせて、世代ごとにルールを設定することを可能にする。

以下はツリー構造の分析についての事柄である。

・ツリー構造を局所的な部分に着目して分析する手法を提示している。ツリーの局所的な構造を、物理的に連結した「親子関係」と、互いの可視性により認識される「近傍関係」とに分けて分析する考え方を示し、ツリーの形態構造を相互補完的に説明する方法論を組み立てた。

・「近傍関係」における形態分析において、他の辺からの「影響線に対する吸着の度合い(スナップ)」という新たな指標を考案し、これにより物理的に非連結な2要素が互いに及ぼしあう作用について説明することを可能とした。

次いで[2]に関連することがらを列挙する。

・ベネチアを記述した数値データとして、単純に一つのデータベースとしての価値がある。これらのデータは今後、他の地域との比較分析に用いることができる。

・ベネチアの2つの領域を取り上げ、地域の差異を記述した。大運河に接する領域では、街路パターンは基本的には直交を指向しているのであるが、直交の精度は完全ではなく、「手書きのスケッチのようなブレ」を伴う。このブレのいくつかは、近傍の辺に対して形態の調整を行った結果であると解釈でき、ベネチアの街路網が一見複雑ではあるが、局所的にはつじつまを合わせながら合理的に成長していることを把握した。一方、海岸領域のツリーの長さ・角度の調整には機械的な精度がある。ベネチアの大運河に接する領域の複雑さの原因を主に2点にまとめ、1)大運河の線形の複雑さ、2)パターンに原理的に含まれるブレ、であるとした。

・大運河両岸の統計的な傾向の一致検定、各種指標における理論的な分布形状との適合度検定を行い、多くの指標で有意な結果を得た。これに基づいて《生成モデル》のルールを決定できた。

次いで[3]に関連することがらを列挙する。

・既存の街路パターンにおける各指標の数値的な特徴を用いて、新たなパターンを生成した。これは、その特質をある程度備えたまま拡張することが可能であることを意味する。特徴的な地域の再開発などにおける一つの都市設計ツールとして用いることが可能である。ただし、《生成モデル》のループ化の手順では満足のいくアルゴリズムを作れず、問題が残った。

・形態分析の結果を利用して見せたことで、形態分析において改良する指標、追加する指標などについて把握できた。一元化した《生成モデル》自体の限界も示したことにより、より複合的、局所的なルールを用いた将来の《生成モデル》に向けて、原型的な位置づけとなりうる。

最後に本研究を通じて明らかにされた問題点および今後の課題と展望について以下にまとめる。

・ケーススタディーでは、分析対象領域の中では、街路パターンの形態は一様に扱い、直接的に分析手法を利用した。実際には、これらの領域の中においても、形態の異なるいくつかの街路パターンが含まれていた。これらを一括して形態分析することは、特徴を相殺した平均化につながり、地域の描写としてはふさわしくない結果もあった。適切な形態分析を行うためには、事前にどのような処理を行えばよいのか検証する必要がある。

・《分析モデル》で分解した各構成要素に適用した各種統計指標は、指標間、構成要素間で独立したものとして扱った。本研究において指標として扱わなかった「密度」などの項目も必要であると考えられ、これらを包含した理論式の導出が望ましい。この理論式の導出は《生成モデル》における生成ルールの精緻化にもつながり、より現実に即した新たなパターンの創出を可能にする。

・街路パターンを都市の様式の基礎的な位置づけとし、その形態に含む、法則性の解明を試みてきた。これに一応の区切りを持ったことにより、街路パターン以降に目を向ける準備ができた。地割り、建物自体の特質も備えた包括的な都市像をシミュレーションすることを視野に入れる方向性もあり得る。

・《生成モデル》において、統計的な各指標については既存の街路パターンと同質な特徴を持つ、新たなパターンを生成することに、ある程度は成功した。しかしこの新たな街路パターンが本当に「ベネチアらしい」街路であるのか分からず、ベネチア「らしさ」を計量する評価指標を考案する必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「ベネチアの街路パターンの形態論的研究」と題した研究であり、その目的は、前段ではベネチアの街路パターンを定量的に把握することであり、後段ではベネチア的な特性をもった街路パターンを新たに生成することである。

 研究方法は、現実のベネチアの街路網を線分に還元したうえでグラフ理論を援用して解析し、それをもとに街路の生成モデルを提示し、それによって、ベネチアの街路網に似た街路網の生成を試みている。このような推論のしかたはアブダクティブ(仮説推量的)な方法と言え、いわゆる自然発生的な集落の街路パターンのように、誰が何時どのようにして街路を整備したかを遡ることが不可能な場合には極めて有効な方法である。

本論文は、序と第1章から第7章および参考資料からなる。7つの章は4つに大別され、第1章から第4章は方法論の提示、第5章は現実のベネチアの街路網の解析の実行、第6章はベネチアに似た街路網の生成のシミュレーション、第7章は総括である。

第1章は「理論」編の導入部で、後段での街路網の生成を念頭においた分析の考え方を示している。《生成モデル》は街路網の生成プロセスを抽象的に模式化した仮説である。ベネチアに対しては、成長の基点となる線状の初期条件からツリー状に成長し、最後にループ化するモデルを措定している。《分析モデル》は、この生成手順に対応し、実際に存在する街路網の幾何学的特性をツリー構造、ループ構造で解析し、要素間の数値的関係を統計的に求め、それを再度《生成モデル》に返すという考え方である。

第2章では《分析モデル》において、実街路網からツリー構造、ループ構造を取りだす方法、アルゴリズムを提示し、その妥当性を説明している。

第3章では分析対象領域の設定と、分析データであるグラフの作成方法について述べている。

第4章では具体的な形態分析の方法に言及している。ツリー、ループといったトポロジーごとに、生成モデルとして利用可能な分析項目を設定している。特に、ツリーの形態分析は、《生成モデル》によるパターン生成の大部分をツリー構造が占めることから、本研究の形態分析の中で最重要の分析となっている。ここでは、ある辺が、ある位置に、ある形態(長さ、角度)で存在する根拠を「周囲の辺」との局所的な関係性から説明することを試みている。「周囲の辺」との関係性を、対象辺と物理的に連結した「親子関係」と互いの可視性により認識される「近傍関係」とに分けて分析する考え方を示し、ツリーの形態構造を相互補完的に説明する方法論を組み立てている。また、「近傍関係」における形態分析において、他の辺からの「影響線」に対する吸着の度合い(スナップ)という新たな指標を考案し、これにより物理的に非連結な2辺が互いに長さ、角度といった形態を決定しあう作用について説明している。

第5章では形態分析の結果と考察を述べている。街路パターンの再現に必要な統計分析結果を示し、また、ツリー構造における世代ごとの分析結果の違いから、ベネチア内の地域における街路網形態の違いについて言及している。

第6章では、形態分析の結果を用いて、新たな街路パターンを生成する方法論について述べ、シミュレーションの結果を提示し、考察している。

最終章である第7章では、本研究における総括と展望を論じている。また、参考資料には、本論中に示さなかったが意義ある図表、分析データ集、プログラムリストが納められている。

本研究の意義を総括すると、以下の4点に大きくまとめられる。

1.都市における街路パターンの形態を定量的に記述するための概念と理論を構築し、《分析モデル》として提示した。

2.このモデルをベネチアという具体的な都市に適用し、《分析モデル》を用いてベネチアの街路パターンの形態分析を実践した。

3.《分析モデル》と同型の《生成モデル》を提示し、それで架空の街路パターンを生成して提示した。

これまでは、都市の街路パターンの研究でグラフ理論が用いられる場合も、多くの研究は街路網の「性質」を記述するに留まり、本論が示したような街路パターンの生成法を提示したものは少ない。《生成モデル》が作りだした街路パターンは元のベネチアの街路パターンによく似ており、《分析モデル》と《生成モデル》の適切さを概ね証明したことになるり、筆者の採用したアブダクティブなアプローチの適切な適用の例となっている。そして、このことは、いわゆる自然発生的な街路網であるベネチアの街路網が何年にも渡り多数の手によって形成されてきたにも関わらず、街路形成のルールが集団的に共有されていたことを、結果として示して興味深い。

以上のように、本研究は、都市設計学、建築学の発展に寄与するところが多大である。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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