学位論文要旨



No 120012
著者(漢字) 尹,東植
著者(英字)
著者(カナ) ユン,ドンシク
標題(和) ルイス・カーンの建築作品に関する研究 : 軸構成と「ずれ」の手法
標題(洋)
報告番号 120012
報告番号 甲20012
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5954号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 岸田,省吾
 東京大学 教授 難波,和彦
 東京大学 教授 加藤,道夫
 東京大学 助教授 千葉,学
 東京大学 助教授 西出,和彦
内容要旨 要旨を表示する

 ルイス・カーンは大学時代ポールク・レーの指導の下でボザール建築を学んだ。ボザールは建築構成上の幾何学的な調和を重要視し、平面に軸性や左右対称性に基づいた厳格な幾何学的構成という特徴を持っている。この特徴はルイス・カーンの建築で、ボザールの影響で近代建築では否定された軸性、対称性、中心性、モニュメンタリティなどの特徴がみられることは既に指摘されてきた。しかし、カーンは卒業後モダニズムの洗礼を受けているだけ、グリッドによる空間構成、主軸からの離脱の要素の導入などモダニズム的要素も同時に存在している。

 本論文では上述のようなルイス・カーンの建築に共存する異なる二つの特徴に着目する。ボザール建築の最も基本的な特徴である軸による対称構成とそれに反する軸構成に対する離脱(本論文ではずれとよぶ)がそれであり、カーンの建築全体を通して現れる空間構成の原理とも言える。本論分では「軸構成とずれ」の観点からルイス・カーンの建築を再解釈するとともに、「軸構成とずれ」によって生じる視知覚的効果を明らかにすることを目的とする。まず、ルイス・カーンの全作品の中から共同作品、都市計画、公共事業などを除く全53の作品に関してして軸構成とずれがどのように生じているのかの分析を行った。分析の結果、ほとんどの作品で明確な軸構成がみられ、軸構成の特徴によって4つの類型に分けられる。

カーンの作品の軸構成において生じるずれは大きく二つに分けられ、一つは建物的ずれであり、もう一つは動線のずれである。建築的ずれはプロセス上の変形によって軸構成が崩れた場合に生じるずれと、強い軸構成のなかにそれに反する要素をいれることで生じるずれがあり、動線のずれはアプローチ軸と内部動線軸および視覚軸が構成軸と不一致によって生じている。

各類型別に生じるずれの手法は異なったりするが、全体を通して何らかの形でずれが生じていることがわかる。

以上の分析結果をふまえて「軸構成とずれ」によって生じる視知覚的分析を行った。

「軸構成とずれ」によって生じる観察者の行動と視覚像の変化は次のように各段階に分けてまとめられる。

■アプローチのずれ

アプローチ軸は2つに分けられ、2種類の軸を組み合わせることでアプローチさせている。一つは建物の横を通り過ぎる軸で、観察者が進むにつれて建物の視覚像が回転する。もう一つは建物に向かって進む軸で、視覚像は回転せずにズーム・インでエントランスの確認、ファサーどの詳細などがわかってくる。

また二つのパターンで組み合わされ、一つは「建物の横を通り過ぎる軸+建物に向かって進む軸」、もう一つは逆順を取っている。

これらは運動感のある、多様な視覚像の形成による正面性のあいまい化につながり、建物は一つのイメージとして正面を見せ付けることなく多様な視覚像を見せる。また観察者は視覚像の回転と拡大という知覚過程の中で、観察者による建物の明確な輪郭、中心を知覚することができる。

■エントランスのずれ

ボザール建築ではエントランスが構成軸上に位置することに対して、カーンの建築では軸からはずれたところに設けられており、次の現象が起こる。

一つはエントランスの隠蔽である。一般的に建物に向かうときエントランスは最初の目的先で、強い視覚対象となり、他の部分は背景となる。しかし、エントランスの隠蔽によって目的先が確定できず、視覚対象は建築全体となる。すなわち視線は固定されずに建物全体を動き回る、いわゆる探索の過程が生じる。

もう一つは斜めの視線軸の形成である。斜めの視線は物理的に視覚軸の長さが伸びるだけでなく、角の線が形成する軸が多様となり、動的な空間が形成される。また動きによって角の方向が変わるのでさらに動的な空間と感じられる。

また空間の知覚において、軸上の視線ではバランスの取れた1消点の空間として、一瞬して認識されるに対して、斜め視線では空間像の不均等から、バラスをとろうとする視線の旋回が生じ、それによって空間を限定する面が継起的に認識される。また空間を限定する各要素の継起的展開は空間の輪郭を明確にするだけでなく、回転による中心の生成にもつながる。

■内部動線のずれ

カーンの作品では動線を軸からずらし自由な動きをさせることで多様な空間体験ができる。メロン・センターが代表的な例で、軸と動線をうまく絡ませている。具体的には、エントランス・コートの領域と中心を知覚し、中心に接近し、また内部動線の中心となる円形階段室に接近し、階段室での回転運動が行われる。この回転によって後ろにあったエントランス・コートが認識され、また旋回しながらライブラリー・コートに入り、中心と領域の知覚が行われるのである。即ち、全体を通して旋回による領域と中心の形成、中心への接近のプロセスが行われていることである

■アプローチのずれ/視覚像の回転と拡大

アプローチにおける観察者の行動は旋回と接近の組合せとなっており、それによって視覚像は回転と拡大する。建物は一つの外観をみせるのではなく、刻々と変わる多様な視覚像を見せることで、建物全体の明確な外形と細部の質感が知覚される。また回転運動の回転軸として、建物を貫く中心軸が現れる。

■エントランスのずれ/部分視が重なる全体像の形成と面が継起的に展開するパノラマ

エントランスの隠蔽は視線の遊動を引き起こす。エントランスが主な視覚対象として限定されることなく、マッスの隅々まで探索するプロセスを経て得られる部分視が重なり、外形の全体像が知覚される。

隅部に位置するエントランスによって視線軸も斜めに形成される。斜めの視線軸によって、視線は空間の軸方向に固定されることなく、旋回するようになる。この旋回によって空間を作っている壁などの建築要素が継起的かつ連続的に展開し、認識される。また空間を作り出している建築的要素に囲われた強い中心性を持つ空間の知覚につながる。

■内部動線のずれ/視覚像の回転と中心性のある空間形態の認識に至るプロセス

中心空間への斜行ないし旋回する進入によって視線も旋回する。これによって観察者は明確な空間領域と中心を知覚し、次いで空間の中心に誘導される。このときの動線、視線の旋回は、上述した斜め視線軸によって知覚された面の継起的展開と空間の回転の知覚を一層強める。また、視点が軸外から軸上へ移動する過程における多様な視覚像からなる動的空間の認識を経て、一つの空間形態という静的な空間の知覚に達する。最後に観察者が空間の中心に到達した瞬間、これらの全プロセスを通して形成された一つの明確な領域と中心性を備えた、静的な空間形態を明確に再確認できるのである。

上述のように一連のプロセスを通して観察者はルイス・カーンの建築空間の知覚形態を認識する。外部から中心空間に至るまで、視線の旋回によって生じる視覚像の回転と、その結果として知覚される中心への接近によって生じる具体的質感と明確な中心性をもった建物外形全体、および一つの明確で閉じられた内部空間の形態が連続的に認識される。すなわち、多様な視覚像の知覚プロセスを通し、明確な空間形態と強い中心性を持つ「ルーム」の知覚に到達するのである。

カーンにとって軸構成は建築に永続性を与える幾何学的秩序、明確な構築性を獲得するための基本的な手段であったが、軸構成に基づいた平面構成は厳格な空間を作り出し、空間だけでなく人間の動きまでも支配してしまう恐れがある。また軸が強調されることでルームの性格が弱まる恐れもある。そこでカーンは「ずれ」の手法を用いたのである。外部のアプローチ軸から内部の動線軸まで、全体を通して行われた一連の「ずれ」の手法をみると、この「ずれ」が偶然発生したもの、または外部の条件によって必然的に生じたものではなく、カーンが意図的に操作していたことがわかる。

各段階でみられる軸構成に対する「ずれ」はいずれも人の動きを構成軸から離すための操作であるが、重要なことは人の動き、即ち視点が軸から離れることによって「存在形態」とは違う「知覚形態」が生み出されるようになったことである。

カーンの作品における「存在形態」は、幾何学的マッスによる明確な形態、構築性の表現による安定した静的で不変の空間、軸構成による求心性などの特徴を持つ 一方、「ずれ」の手法から生まれる「知覚形態」は、明確な領域と中心を持つルームとしての空間像に至るまでの、人によって探索され、経験されて始めて認識されるような、多様で可変的な一連のプロセスである。一つの物理的な存在としての建物に二つの異なる形態が共存する。それがルイス・カーンの建築作品の一つの大きな特徴であり、建物が人に知覚像を一方的に押し付けるのではなく、人は建築の経験を通し「ルーム」の感覚を実感できるようになるのである。

即ち軸構成による厳格な建築空間における「軸構成に対するずれ」は、人の動きを通して初めて知覚できるような、いきいきとした空間体験を生み出しているのである。

図1 軸構成の類型

図2 建築的ずれと動線のずれ

図3 アプローチのずれ

図4 視覚対象がエントランスの場合

図5 視覚対象が建築全体の場合

図6 軸上の視覚軸

図7 斜めの視覚軸

図8 内部動線のずれ

各段階の<ずれ>によって生まれてくる視覚像の特徴は次のようにまとめられる。

図9 視覚像の回転

図10 視覚像の拡大

図11 視線の遊動によるプロセスを経った全体像の形成

図12 視線の旋回による面の継起的展開

図13 面の継起的展開とプロセスの結果としての一つの空間形態の形成

審査要旨 要旨を表示する

この論文は、ルイス・カーンの建築作品に見られる視知覚的効果と、それを生起させる建築的手法を明らかにすることによって、カーンによって作られた空間を実際に即し理解することを目的としている。

本論文は、五つの章によって構成されている。

第1章では、研究の背景と目的、研究対象と分析方法が説明される。これまでルイス・カーンに関する研究は、その思索、あるいは概念的な空間構成や設計過程の分析に限られてきたが、本論文は、カーンの建築作品における実際の空間の知覚像と、その建築的な手法を実証的に示すことが目的とされる。カーンはアメリカンボザールとモダニズムの両者から影響を受けており、その作品においても軸構成と軸からの「ずれ」が生む知覚的効果について分析することによって、十全な空間構成の理解に達することができるとされる。

研究対象は適当と判断される53作品が選ばれ、その中でも完成度が高く、かつ年代的な偏りがないよう選択された10作品について知覚像の詳細な分析が行なわれる。

次いで、二段階に分かれた分析方法が説明される。具体的には53作品について軸構成と「ずれ」のあり方が検討され、次に三次元モデリングを用い空間のシークエンシャルなシュミレーションを行ない、軸と「ずれ」によって生起する空間的効果を明らかにするという手順である。分析の項目として、1)主軸の抽出、2)建築構成の変形、3)軸構成の類型、4)アプローチとエントランスの位置、5)内部の軸、6)軸構成に対する「ずれ」、7)視知覚的分析の七つが挙げられている。

第2章では、分析に先立つ予備的な考察が行なわれる。前半では、カーンの教育的背景、即ちアメリカンボザールの設計方法、ならびにカーンが影響を受けた建築家等の思想、設計方法、作品の特徴などを概観した上で、カーンの各作品における具体的な影響関係について考察している。

後半では、カーンの経歴と既往研究を概観してる。既往研究は四つのカテゴリーに分けられるが、いずれも作品の空間的特徴の理解という点で不十分であることが説明される。

次いで、研究目的との関係から、建築における知覚作用と知覚形態の概念を論じている。建築の形態にには存在形態と知覚形態が存在し、空間の体験はその両者から成り立っているとされ、客観的な概念化作用を重視する存在形態の分析に加え、実際の知覚を重視する知覚形態の分析が必要であることが論じられる。

第3章では、上記の手順に従って、カーンの53作品の分析が行なわれる。まず、図面、写真等の資料と実地調査の結果を総合し、空間構成と軸構成、アプローチと内部における動線軸を抽出し、アイソメトリックの模式図として表記される。

次いで、上記53作品の分析結果が、平面、パルティ、変形、エントランス位置、アプローチの各項と、それらを総合した分析図を列記した一つの図表にまとめられる。これから、例外的な作品を除く48作品に、対称型、一軸併置型、集中型、グリッド型の四つの軸構成の類型が存在すること、「ずれ」には建築的な「ずれ」と動線の「ずれ」が存在し、前者は軸構成の崩れと対立する軸構成の併置の二つに分かれることが示される。また、軸構成の類型と「ずれ」には相関関係が存在し、対称型と一軸併置型では建築的変形が少なく、逆に集中型ではそれが多いこと、グリッド型では輪郭形の違いによって他の三類型と同様な傾向が存在することなどが明らかにされる。

第4章では、選択された10作品について、コンピューターのモデリングソフトを用いた空間シュミレーションによる空間の視知覚分析が行なわれる。分析は、建築の平面図上でアプローチと内部における動線軸を図示し、アプローチの動線軸上から見た対象建物外観とエントランスの見え方、次いでエントランスからの内部空間の見え方、さらに内部空間を進み中心空間に達するまでの空間の見え方が呈示される。

第5章では、4章の分析結果に考察を加え、結論が明らかにされる。まず、観察者の行動と視覚像の変化をアプローチの「ずれ」、エントランスの「ずれ」、内部動線軸の「ずれ」の三段階でまとめ、知覚形態を抽出している。アプローチの「ずれ」では、観察者の旋回によって像の回転が、接近によって拡大と重層的展開が見られることが示される。エントランスの「ずれ」では、視線の遊動によって探索的な諸段階を経て全体像が形成されること、視線の旋回によって面の継起的展開が生起すること、さらに、内部空間における「ずれ」では、観察者の旋回によって面の継起的展開生じ、また脱軸と軸上の動きが交替し、動的な空間と静的な空間の知覚が継起することが明らかにされる。さらに、旋回しつつ中心に接近することを通し、中心のある明確な領域が知覚されることが明らかにされる。

また、中心空間に到るプロセスには最短距離で結ぶことと流動的空間を経由させることの二つパターンが存在し、共に中心空間が予測されないように計画されていること、カーンの中心空間がボザールのそれと対照的に、遠心性をもつことなどが示される。

以上をまとめ、「軸構成とずれ」による知覚像の特徴として、アプローチにおいては視覚像の回転と拡大、エントランスにおいては部分視が重なった全体像の形成、ならびに面の継起的展開、内部においては視覚像の回転と、明確な中心を備えた空間形態の認識であるとされる。

最後に総括として、カーンの建築作品には、「ずれ」の手法が生み出す変化に富んだ知覚像が、安定した静的な空間と共存することによって、明確な領域と中心をもつ空間の認識に到る一連のプロセスが生まれていること、そのプロセスこそ、カーンの言う「ルーム」の感覚の実体に他ならないという解釈が明らかにされる。

以上のように、本論文は、従来の静的な形式理解では捉えられないカーンの作品における空間的現象と、それを生起させる具体的な手法を明らかにし、また、CGという限定はあるものの、シークシャルな空間体験を擬似的に再現し、評価するための方法を呈示した。本論文は、建築の豊かな空間現象を理解し、建築設計へも応用可能なこうした基本的知見を明らかにすることによって、建築設計・設計理論分野の発展に寄与した。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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