学位論文要旨



No 120013
著者(漢字) 奈尾,信英
著者(英字)
著者(カナ) ナオ,ノブヒデ
標題(和) ルネサンス期のイタリアにおける作図法理論の展開 : 前遠近法的作図法から透視図法の応用へ
標題(洋)
報告番号 120013
報告番号 甲20013
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5955号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,道夫
 東京大学 教授 難波,和彦
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 助教授 藤井,恵介
 東京大学 助教授 千葉,学
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は,ルネサンス期のイタリアにおいて,透視図法が成立する以前に用いられていた前遠近法的作図法,および,透視図法が成立した後の透視図法理論の応用に関して論じたものである。すなわち,第I部と第II部においては,透視図法理論の草創期において,どのような前遠近法的作図法が存在していたのかについて考察している。第III部においては,透視図法が確立し,建築家や芸術家たちにその方法が流布したあとの展開期に焦点を当てる。

 具体的には,第I部ではパドヴァのジョヴァンニ・フォンターナが直筆手稿「戦争兵器の書」に描いた図の作図法を考察している。第II部ではシエナのマリアーノ・タッコラが直筆手稿「技術論」I-IIと「技術論」III-IVに描いた図の作図法を考察している。第III部においては,アルベルティの簡略作図法やピエロ・デッラ・フランチェスカの直接法が確立されたあとの第2の局面である透視図法理論の応用期に着目し,シエナで生まれローマで活躍したバルダッサーレ・ペルッツィの描いた図面の作図法について考察している。

 なお,本研究のにおける章立ては,以下の通りである。

序論

本論:第I部「パドヴァにおける作図法理論の展開」

第1章「ルネサンス期におけるパドヴァ・スクールの展開:ウィテロからフォンターナへ」

第2章「ルネサンス初期パドヴァにおける前遠近法的作図法:フォンターナの「戦争兵器の書」における図的表現(1)」

第3章「ルネサンス初期パドヴァにおける前斜軸測投象的作図法:フォンターナの「戦争兵器の書」における図的表現(2)」

第4章:ポンポニオ・ガウリコの透視図法理論:『彫刻論』のなかの記述」

本論:第II部「シエナにおける作図法理論の展開」

第1章「ルネサンス初期のシエナにおける芸術家たち:芸術家兼技術者の系譜」

第2章「シエナの芸術家兼技術者マリアーノ・タッコラ:その生涯と著作」

第3章「ルネサンス初期のシエナにおける前遠近法的作図法(1):タッコラの「技術論」I-II・III-IVにおける図的表現」

第4章「ルネサンス初期のシエナにおける前遠近法的作図法(2):タッコラの「技術論」III-IVにおける図的表現(1)」

第5章「ルネサンス初期のシエナにおける前遠近法的作図法(3):タッコラの「技術論」III-IVにおける図的表現(2)」

第6章「15世紀のシエナ・スクールにおける表現法の展開:タッコラの図的表現の継承(1)」

本論:第III部「ローマにおける透視図法理論の展開」

第1章「16世紀のシエナ・スクールにおける表現法の展開:タッコラの図的表現の継承(2)」

第2章「ルネサンス期のローマにおける透視図法理論の展開(1):ペルッツィのスケッチにおける簡略作図法」

第3章「ルネサンス期のローマにおける透視図法理論の展開(2):ペルッツィの舞台背景画における透視図法」

第4章「ルネサンス期のローマにおける透視図法理論の展開(3):ペルッツィの舞台装置における立体透視図法」

第5章「ルネサンス期のローマにおける透視図法理論の展開(4):ペルッツィの「サン・ピエトロ大聖堂の計画のための鳥瞰図」における透視図法」

第6章:(補足)「ピエロ・デッラ・フランチェスカの透視図法理論」

 フォンターナは「戦争兵器の書」のなかで,7種類の表現法を用いて図を描いていた。それらは,a)遠近法風の図,b)逆遠近法風の図,c)直軸測投象風の図,d)カヴァリエ投象風の図,e)ミリタリ投象風の図,f)遠近法風な表現と斜投象風な表現が組み合わされた複合型の図,g)中世において用いられた2次元表現の図である。とくに,フォンターナが描いた遠近法風の図は,中世パドヴァの学者ウィテロ,あるいは,イスラムの学者アルハゼンの光学理論のひとつである複眼理論の影響を受け,中央部の上下に2つの焦点が設けられる作図法で描かれていることが明らかになった。この作図法は,左右に2つの焦点が設定される2焦点法と区別するため,《上下2焦点法》とでも呼べるものである。

 フォンターナが描いた斜軸測投象風の図に関しては,外縁奥行線が「平行型」,「V字型」,「平行-V字型」,「V字-平行型」になる4種類の作図法が用いられていた。そのうち,外縁奥行線が「V字型」になる作図法は,中世の光学理論に基礎づけられていたものであった。そして,フォンターナが用いた「平行-V字型」の作図法が,アルベルティ,ギベルティ,フィラレーテらの建築家や芸術家が,簡略作図法による表現方法を追い求めていた時代に,アルベルティの友人でヴェローナ生まれの建築家マッテオ・デ・パスティにより用いられていたのである。このことから,ルネサンス期においては,透視図法による表現が唯一の作図形式だったわけではなかったことが理解できよう。このフォンターナにおいて用いられ,デ・パスティにより継承された斜投象形式の「平行-V字型」の作図法(=《「平行-V字型」作図法》)も,焦点が画面手前に収束する構図ではあるが,前遠近法的作図法のひとつであるといってもよいだろう。

 つぎに,シエナで活躍したマリアーノ・タッコラに焦点を当てた。タッコラは,塔や建物を空間のどの場所に配置したとしても,塔は遠近法風に,建物は斜軸測投象風に描いていたことが判明した。さらに,「技術論」I-IIの73葉[表]の階段図に着目し,その作図法を考察した。その結果,タッコラは斜投象形式の構図でありながら,左上に設定された焦点に奥行方向が収斂するが,奥行方向の距離の値が定められない前遠近法的作図法を用いて階段図を作図していた。この方法は,《斜投象的作図法》とでも呼べるものである。

 さらに,「技術論」III-IVの「岩礁に設置する城塞」図(17葉[裏])に着目し,そこでタッコラは,3種類の作図法を用いていることがわかった。それは,a)塔の上部を描くために用いた作図法,b)城壁と小舟をつなぐための斜めに描かれた2本の木材を描くために用いた作図法,c)木材の土台に用いられている作図法である。とくに,a)塔の上部を描くために用いた作図法は,2焦点法における成角透視の作図線と一致し,c)木材の土台に用いられている作図法は,平行透視の作図線と一致していることが明らかになった。

 「岩礁に設置する城塞」図で明らかになった平行透視の作図線を検討するために,そのほかに「井戸水を汲み上げるためのクレーン」図(24葉[表])と「クランクを備えた製粉器」図(38葉[表])に着目し,それらに共通する作図法を考察した。そこで明らかになったのは,一番手前の水平線から斜め上方へ23°の対角線を引くことで,奥行方向の水平線までの間隔を決定していたことである。

 したがって,「技術論」III-IVにおいてタッコラは,パオロ・ウッチェッロが用いた2焦点法の構図とは異なるものの,《2焦点法》を用いた可能性と《対角線法》を用いていた可能性を指摘できたのである。

 フォンターナやタッコラとは,1世紀ほどのちの時代の人物であり,タッコラと同じシエナの出身でローマで活躍したバルダッサーレ・ペルッツィの場合は,シエナの画家アンブロージョ・ロレンツェッティが描いたような画面の寸法に対応してグリッドを想定し,その目盛りに沿って透視図を描く簡易作図法を用いていることが判明した。すなわち,舞台背景画を描く際にペルッツィが用いた作図法もアンブロージョ・ロレンツェッティの作図法と類似のものであると考えられるので,中世後期から使われていた前遠近法的作図法のひとつであると推測できる。仮に名称をつけるとすれば,画面上のグリッドを用いた作図法であるから,《グリッド法》とでも呼べるであろう。ペルッツィの作図線は,アンブロージョ・ロレンツェッティの作図線と酷似していて,さらにまた,ペルッツィの図は,タッコラの図的表現を継承していたのであるから,タッコラが活躍していた15世紀前半のシエナにおいても《グリッド法》が知られていた可能性は高いと推測できる。

 以上のように,透視図法の草創期には,《2焦点法》と《対角線法》という経験的作図法だけではなく,《上下2焦点法》,《「平行-V字型」作図法》,《斜投象的作図法》,《グリッド法》,さらに,フォンターナやタッコラにみられたように,いくつかの作図法が組み合わされた《複合型作図法》などの前遠近法的作図法が混在していた様相が明らかになったのである。

 透視図法の展開過程における第2の局面は,ペルッツィの舞台装置において実現した"だまし空間"でも呼べる空間の成立である。これら人間の眼の錯覚を利用した空間設計は《立体透視図法》と呼ばれ,ペルッツィは,この理論を用いて《バッキス姉妹》の舞台装置をデザインすることで,実際の距離の約1/3.8の奥行寸法で,舞台上に街路空間を実現させたのであった。

 レオナルド・ダ・ヴィンチの鳥瞰図風なスケッチとペルッツィの描いたサン・ピエトロ大聖堂の平面計画図は,ともに鳥瞰図としては,歴史上最初期のものである。ペルッツィは,「サン・ピエトロ大聖堂の平面計画のための鳥瞰図」を描く際に,透視図法を用いていた。ここでペルッツィが用いた方法は,距離点法の成立に関して重要な位置を占めていると考えられる。なぜなら,ポンポニオ・ガウリコの透視図法理論が距離点法であった可能性も考えられ,さらに,ペルッツィも距離点法と同様の作図線を用いてサン・ピエトロ大聖堂の鳥瞰図を描いていたからである。

 本研究で明らかにしたのは,フォンターナやタッコラの前遠近法的作図法による実践とペルッツィの透視図法の応用としての実践である。

審査要旨 要旨を表示する

 本学位請求論文は,15世紀から16世紀初頭のイタリアにおける遠近法の成立過程とその応用を,テキストの解釈に基づいた発展史として捉えるのではなく,実際に描かれた「図」そのものの分析により明らかにしようと試みるものである.

 本論文は,序論と本論3部から構成されている.

 序論では,先行研究のレヴューと本研究の視点が提示され,論文の構成が記述される.

 第1部は,パドヴァのフォンターナに関する3章とガウリコの『彫刻論』を扱った第4章から構成される.

 第1章は,第1部の序にあたり,ウィテロからはじまるパドヴァ・スクールを概説し,次章以降で扱われるフォンターナの生涯と著作を整理するものである.

 第2章,第3章では,フォンターナが著した手稿「戦争兵器の書」を取り上げ,その図の分析を行っている,その結果,第2章では,7種の手法が使用されていることが明らかにされた,さらに彼の4図をより詳細に分析することで,その複数の焦点を用いた前遠近法的作図法の構図が,ウィテロによる視覚論である『光学』に見られる「複眼理論の略図」と類似していることを指摘し,パドヴァ大学で培われてきた中世の光学理論の影響を例証している,第3章では,斜軸測投象的図を分析し,4種の手法の存在を明らかにした.

 第4章では,アルベルティの『絵画論』やピエロ・デッラ・フランチェスカによる『絵画の透視図法』以降に記されたガウリコの『彫刻論』第2章における「透視図法」を扱っている,その結果,ガウリコの理論をアルベルティの簡易作図法の延長線上に置く立場と,より進んで距離点法を想起させるというという二つの解釈の立場があり,どちらをとるかいかんによって透視図法理論の展開が大きく異なるとしている.

 第2部はシエナのタッコラに関する6章から構成される.

 第1章は,第2部の序にあたり,アルベルティの『絵画論』に先行するシエナにおける芸術家,技術者の透視図法に関する試みを俯瞰するものである,これを踏まえて,第2章では,タッコラの生涯と著作が整理される,第3章では,彼の「技術論」における図を分析し,描かれる対象ごとに斜軸測風と遠法的図法が使い分けられていることを明らかにしている,さらに「階段図」の作図方法について検討を行い,正方形作図から始められたと仮定するなら,その作図プロセスが説明可能であるとしている,第4章では「岩礁に設置する城砦」図を分析し,そこに3種の図的表現法が混在していることを明らかにしている,図面から想定された作図過程を推察するために論文提出者によって引かれた収斂線にやや無理はあるが,複数の表現法の混用の可能性の発見は評価できる.

 第5章では,タッコラの3図を分析し,水平面格子の遠近法的作図法に,ひとつの作図雛形(構図)を前提とする共通の方法が用いられている可能性を提示している,線遠近法の厳密な幾何学的理解とは別に,作図雛形(構図)に基づく作図手法の存在が先行するという指摘は,興味深いものである.

 第6章では,タッコラの図の写しが分析され,そのマルティーニへの影響について詳述する,その結果,タッコラの図が微妙に表現法を変えつつも,マルティーニ等に継承され,機械の図的表現法の革新の出発点になったとされる.

 第3部はローマのペルッツィに関する5章とピエロ・デッラ・フランチェスカの『絵画の透視図法』を扱った補章から構成される.

 第1章は第3部の序に当たる.

 第2章では,ペルッツィの描いた「簡略作図法理論図」と「全視覚体系の側面図」が分析される,その結果,前者については,アルベルティの理論の継承が認められ,ピエロ・デッラ・フランチェスカとも酷似していることが明らかにされている.また,後者については,手描きスケッチのため厳密には正確な値をとらないものの,透視図上で等間隔に配置されるよう人物を配置する検討を行う図であることが明らかにされた,すなわち,ペルッツィは,アルベルティやピエロ・デッラ・フランチェスカによる先行研究の上に,その応用を試みるための検討を行っていたことが示される.

 第3章,第4章,第5章では,それぞれ,「喜劇のための舞台背景画の習作」,「喜劇《バッキス姉妹》の舞台装置」の平面図と立面図,「サン・ピエトロ大聖堂のための計画のための鳥瞰図」を分析している,その結果,それらが,同郷のロレンツェッティの使用したグリッドを用いた作図雛形(構図)や「プロスペッティーヴァの習作」における作図雛形(構図)などに従っていることが実証されている.

 第6章は,補章であり,ペルッツィが依拠したと考えられるピエロ・デッラ・フランチェスカの透視図法理論の内容を説明するものである.

 以上,本学位請求論文は,論文提出者によって引かれた分析のための補助線の適用に部分的には無理も存在するが,総体としてみるなら,これまで理論の発展史的観点から捉えられてきた透視図法をその実践の過程から捉え直す事で,経験的手法として片付けられてきた前遠近法的作図法に新たな意味づけを与えるものである.また,アルベルティによる遠近法の確立以降も,理論的正当性とは別に作図雛形(構図)の適用による実践の存在を実証している.つまり,理論と実践が相互に影響しつつも,並存しつつ変容する過程をつまびらかにしている.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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