学位論文要旨



No 120017
著者(漢字) 栗川,幹雄
著者(英字)
著者(カナ) クリカワ,ミキオ
標題(和) 高齢者の姿勢と身の回り空間の研究 : ADLにおける物的環境利用
標題(洋)
報告番号 120017
報告番号 甲20017
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5959号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 西出,和彦
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 岸田,省吾
 東京大学 助教授 平手,小太郎
 東京大学 助教授 曲渕,英邦
内容要旨 要旨を表示する

第1章 研究の背景

 平成13年3月施行の第4次医療法改正時に病床区分が一般病床と療養病床への変換を行ったことからも判別できるように、高齢者の居住空間とADLの重要性が現実味を帯びてきた。東京都が推奨する住宅設計指針では手すりの設置は適切な高さと適切な位置とされている。しかし、それは明確には定められていない。

第2章 研究目的

 本論文の目的は、筆者がその立場から、実際の高齢者に了解を得、人間工学(ergonomica)1、もしくは人体計測学(anthropometrics)の手法用い,立ち上がり・歩行動作の実験を行うことで、今まで得られなかった後期高齢者の物的環境利用のデータを採取し、それらを基礎として高齢者の身の回り空間内の手すりの適切な設置および形状に考察を加え、手すりに対する一般的常識が適切であるか否かを検証するものである。

第3章 老化

 A療養病床入院患者の肩関節の可動域を調査することにより、立ち上がり動作における、上肢の使用が、どの範囲まで可能なのか、調査を行った。結果、肩関節屈曲角3 ̄5 ̄4aは右平均106°、左平均104°であった。肩関節外転角は右平均93°、左平均89°であった。

また座面先端長は、左右差があった場合でも距離の大きい値を選択し、平均91cmであった。

療養病床に入院中の高齢者は、調査の結果、上肢のROMの制限が顕著であり、立ち上がり動作や歩行のサポートも困難なことが予想され、手摺りの設置の身体からの位置は若年者層よりも、大きな影響を及ぼすと考えられる。

第4章 ROM(関節可動域)制限

 A病院療養病床入所高齢者25名の膝関節可動域を測定した。その結果、日本整形外科学会における膝関節伸展の正常可動域は0度であるが、半数以上が0度以下、つまり拘縮を起こしており、可動域に制限が見られた。また、膝関節周辺の筋肉、特に立ち上がり時に必要とされる筋肉―大腿四頭筋―の短小が顕著であった。そのため、立ち上がり動作に必要な筋力が発揮できずに、立ち上がり動作や歩行などの移動動作なども困難になると考えられ、ADL(日常生活活動),QOL(生活の質)の障1害と移行すると思われる。

第5章 手すりの設置基準

 この章では手摺り設置も含めた住宅設計について、建設省、東京都はどのような基準を採用しているのかを調査した。既存のマニュアルでは、縦手摺り(垂直型)は立ち上がり動作に用いられ、横手摺り(水平型)は移動用の使用に適しているとされる。では、横手摺りは立ち上がり動作には適していないのか、縦手摺りは、本当に立ち上がり動作に適しているのだろうか。実験を行う前段階での基礎知識としてこの章を捉えてみた。

第6章 立ち上がり動作と手すり使用の安定性

 物的環境の利用は、安定から不安定、不安定から安定という状態の変化を生み出すために、必要な行為である。安定の原理や立ち上がり動作を考えていくことにより、手摺りの使用方法やその役割は、各動作によって異なることが理解できる。

第7章 高齢者による手すり使用の立ち上がり動作実験

 高齢者層の実際の立ち上がり動作を観察することは、実験の条件設定を行ううえでも、必要なことと考えられる。前手摺りはその形状から、立ち上がり動作において、体を前方に移動させる役割、つまり先行動作における体幹の屈曲(重心の前方移動)を補助する役割があるのではないかと考えられる。横手摺りを使用しての立ち上がり動作は、前手摺りを使用した場合よりも、容易に行えた。高齢者の立ち上がり動作において、手摺りの設置方向と使用方法が大きな影響を及ぼすと考えられる。

第8章 若年者による手すり使用の立ち上がり動作実験(高齢者を想定として)

 高齢者の立ち上がり動作を想定し、足底の位置と腎部の位置を固定した条件設定により、手摺りを使用しての立ち上がり動作を、赤外線反射式座標計測装置と床反力計を用い、運動学的及び運動力学的に分析することにより、矢状面での身体部位の軌跡と床反力の手摺りの位置による影響を明らかにした。結果として、手摺りの形状や設置場所によって、手摺りの身体に及ぼす影響が変化することを示すことになった。既存のマニュアルでは、縦手摺りは、立ち上がり動作時の身体支持に適していると記述しているが、前手摺りや横手摺りであっても、その設置場所によっては、立ち上がり動作に適している場合も考えられる。

第9章 手すりと歩行

 手すりの高低による歩行の影響を調べるため、平行棒の高さを変化させ、療養病床入院患者の平行棒内歩行の速度に影響を及ぼすかを観察記録した。結果、平行棒の高さが増すにつれ、歩行時間が増加する傾向にあった。訓練用平行棒や、杖などの歩行用補助具は高さ調節ができるために、その高さによるリスクは回避することは可能であるが、身体能力の落ちたものなどには、歩行時間による目的地までの距離と時間のリスクも考慮すべきであることが分かった。手すりなどで伝い歩きをしている高齢者をよく病棟内で見かけるが、手すりの床面から、手すりまでの距離は一定であり、高さの影響から歩行バランスを崩す可能性も今回の実験により示唆される結果となった。

第10章 手すりと高齢者のADL

 この章では実験・観察からのデータを基礎とし、高齢者の生活環境における、手すりの役割を在宅生活も含めて述べることにする。

 療養病床に比べて、在宅での生活は、玄関での上がり権の段差や階段昇降など事故につながる環境が存在する。手すりの必要性は身体の安定性の保持以外に事故を未然に防ぎ、日常生活が安全に行われることも目的とされる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、高齢者の動作を人間工学的に実験分析することにより、高齢者の立ち上がりや歩行など姿勢を移行する日常的動作をささえる身の回りの空間、特に手摺りの空間的位置を検討することを目的としている。

 高齢化が急速に進展している状況の中で、身体能力で若年者に劣る高齢者は手摺りなどの利用が必要となるが、それらの整備が十分に行われていない療養病床の現状、東京都等が推奨する住宅設計指針の手摺りの設置高さと位置の明確な根拠がないことを研究の背景としている。

 また人間工学的研究において、若年健常者を被験者とした実験だけでなく、療養病床入所後期高齢者の日常生活動作(ADL)の実態を可能な限りとりいれることを基本方針としている。

 まず、老化によって起こる身体的状況を把握した。

 第3章では、療養病床入院患者の肩関節の可動域を調査し、肩関節屈曲角は右平均106°、左平均104°、肩関節外転角は右平均93°、左平均89°、また座面先端長は平均91cmであることを明らかにした。療養病床に入院中の高齢者は、上肢の関節可動域の制限が顕著であり、立ち上がり動作や歩行のサポートも困難なことが予想され、手摺りの設置位置が大きな影響を及ぼすことを明らかにした。

 第4章では、療養病床入所高齢者25名の膝関節可動域を測定し、半数以上が拘縮を起こしており、可動域に制限が見られ、膝関節周辺の筋肉、特に立ち上がり時に必要とされる筋肉―大腿四頭筋―の短小が顕著であり、立ち上がり動作や歩行などの移動動作が困難になることが明らかになった。

 次に、高齢者が抱える身体的問題をふまえ手摺りの設置基準を検討した。

 第5章では手摺り設置の基準を整理し、第6章では、安定の原理や立ち上がり動作を考えていくことにより、手摺りの使用方法やその役割について検討した。

 第7章では、高齢者の実際の立ち上がり動作を観察し、前手摺りは立ち上がり動作において体を前方に移動させる役割、つまり先行動作における体幹の屈曲(重心の前方移動)を補助する役割があること、横手摺りを使用しての立ち上がり動作は、前手摺りを使用した場合よりも、容易に行えることを見出した。高齢者の立ち上がり動作において手摺りの設置方向と使用方法が重要であることを確認し、次章の実験の条件設定の基礎とした。

 第8章では、高齢者の立ち上がり動作を想定し、足底の位置と臀部の位置を固定した条件設定により、手摺りを使用しての立ち上がり動作を、赤外線反射式座標計測装置と床反力計を用い、運動学的及び運動力学的に分析することにより、矢状面での身体部位の軌跡と床反力の手摺りの位置による影響を明らかにした。結果として、手摺りの形状や設置場所によって、手摺りの身体に及ぼす影響が変化することを明らかにした。既存のマニュアルでは、縦手摺りは立ち上がり動作時の身体支持に適しているとされているが、前手摺りや横手摺りも、その設置場所によっては、立ち上がり動作に適している場合もあることを明らかにした。

 第9章では、手摺り(平行棒)の高さが療養病床入院患者の平行棒内歩行の速度に与える影響を観察記録し、平行棒の高さが増すにつれ歩行時間が増加することを明らかにした。

 最後に、第10章では、実験・観察のデータを基礎とし、高齢者の生活環境における、手摺りの役割と設置位置についてまとめた。

 以上のように本論文では、療養病床入所後期高齢者の日常生活動作の実態観察調査と高齢者の動作特性を踏まえた実験から、高齢者の立ち上がりや歩行などの日常的動作をささえる手摺り等の物的環境の有効性と空間的位置の条件を明らかにすることができた。対象が身体をとりまく比較的小スケールのものではあるが、人間工学的手法を建築計画学に取り入れることにより実証できる根拠に基づいた提言ができたことの意義は大きい。以上のように本論文は建築計画学の発展に大いなる寄与を行うものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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