学位論文要旨



No 120019
著者(漢字) 高橋,典之
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ノリユキ
標題(和) 鉄筋コンクリート建物の長期的耐震修復性能に関する研究
標題(洋)
報告番号 120019
報告番号 甲20019
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5961号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 塩原,等
 東京大学 教授 久保,哲夫
 東京大学 教授 壁谷澤,寿海
 東京大学 助教授 中埜,良昭
 東京大学 助教授 野口,貴文
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は,供用期間中に発生が予想される中小地震のレベルと頻度を考慮した複数回の地震動を統合的に対象とすることによって,鉄筋コンクリート建物の長期的耐震修復性能評価のための経済指標として「ライフサイクル耐震修復経費指標」を算出する際に,供用期間を通じた損傷の累積やユーザーの意思による補修の要否判断を評価できるようにし,また,これを非構造部材に対しても適用できるように拡張し,最終的な評価結果を性能設計に活用できるように表示する一連の方法について検討を行うことを目的とした研究である。

 本論文は本章9章から構成されている。以下に,本論文の内容を構成に従って各章毎にまとめて示す。

 第1章では,性能規定型耐震設計法あるいは性能評価型耐震設計法と呼ばれる新しい建築物の耐震設計が必要とされるに至った背景を説明し,本研究のねらいおよび特色を示した。建物の性能を「基本性能」と「基本経済性能」に大別し,基本性能には建築物の使用性および安全性が含まれること,基本経済性能には耐久性および修復性が含まれることを説明した。性能設計法が必要とされるに至った背景の一つとして,建築主(ユーザー)にとって建築物は資産としての意味合いが強く,地震発生時に如何に資産を保護できるかが重要な要求事項になっていることを説明し,資産・財産の保護を目的とした耐震設計法の確立が本研究の究極的な目的でもあることを指摘した。また本研究の特徴として,建物の基本経済性能である耐震修復性能を供用期間を通じて長期的に評価するために考え出された新しいモデルの存在を説明した。

 第2章では,建築物の性能評価および性能設計に関する既往の研究結果をまとめ,建築物の性能設計の今後について言及した。性能評価および性能設計のルーツは,耐震診断および限界状態設計法に見ることができ,耐震診断は建築物の性能をレベル表示するアイデアの根幹を成し,限界状態設計法は性能確認型設計法の考え方の基礎を成していることを説明した。性能のレベル表示から派生した「性能マトリックス」は,性能を明示するという目的を果たすには十分な意味を持っていたが,工学的に一義に決めることの出来ない建物基本経済性能に対して限界状態レベルを定めることは難しいことから,基本経済性能の評価が求められている現状に対応できなくなってきていることを指摘し,性能マトリックスによる性能設計手法が「性能設計の第一世代(旧世代)」として扱われ始めたことを示した。これに対して「次世代の性能設計」あるいは「性能設計の第二世代」として現在検討されているのは,建物基本経済性能に対して定量的な評価を可能とする性能評価型設計手法であることを説明した。その上で,本研究で開発している長期的耐震修復性能の評価手法は,今後の性能設計が向かうべき「性能設計第二世代」の目標と対応していることを示した。また,本研究が唱えているライフサイクルの考慮には,既往のライフサイクルに関する研究で検討されてきた内容とは異なる,新しい概念(入力地震動シナリオ,補修シナリオ)が含まれていることにも言及した。

 第3章では,本研究で考案した「ライフサイクル入力地震動シナリオ」の作成法について説明し,その妥当性について検討を行なった。「ライフサイクル入力地震動シナリオ」の作成にあたっては,極値分布の推定に用いるプロッティング・ポジション公式の考え方に基づき「ライフサイクル入力地震動シナリオ」が算定されることを説明した。また,「ライフサイクル入力地震動シナリオ」の算定式について,「年非超過確率累積値」という概念を用いて妥当性を検証した。最後に,「ライフサイクル入力地震動シナリオ」の算定式の積分可能な別形式を提案し,プロッティング・ポジション公式に基づく方法との違いが,事実上有意な差とはならないことを検証した。

 第4章では,鉄筋コンクリート建築物の構成要素を分類し,各構成要素の損傷評価に着目した際に,鉄筋コンクリート構造物の地震応答として選択されるべき工学量を整理して示した。次に,目的とする工学的応答量を求めるのに適した地震応答解析手法を選択することを目標として,一般的な地震応答解析手法を,線形静的,線形動的,非線形静的,非線形動的の4種類に分類しそれぞれの特徴を簡単に説明した。

 第5章では,耐震修復性能の評価技術に求められる精度・難易度に応じて,用いられるべき損傷評価手法が異なることから,できるだけ多くの損傷評価手法について紹介し,各損傷評価手法の特徴について論じた。まず,建物全体系レベルで見た損傷評価手法と,部材レベルで見た損傷評価手法とに大きく2分し,主に見た目の損傷状態から評価される損傷指標である損傷度について説明した。次に,工学的応答量から推定される損傷指標について既往の研究をまとめ,これらの損傷指標は主に残存耐震性能を示す指標であることを言及した。さらに,より詳細な評価が求められるような場合を考慮して,ひび割れ幅などの具体的な損傷の量を示す損傷指標のことを「損傷量指標」と定義し,損傷量指標として考えられる様々な損傷評価手法について詳細な分類を行なった。特に,ひび割れ図を用いた画像処理手法によって評価される損傷量指標については,ひび割れ量だけでなく欠損面積を求めることも可能なことから,今後有効な損傷評価手法になると考え,実際に幾つかの試験体を例に具体的な損傷量評価を行なった。最後に,非構造部材については,適当な損傷指標を検討するよりも,フラジリティ曲線による損傷量評価が適していると判断し,非構造部材に対するフラジリティ曲線の作成手法およびフラジリティ曲線を特定する損傷発生時の工学的応答量の中央値および変動係数について言及した。

 第6章では,本研究で考案した「補修シナリオ」の定義および「補修シナリオ」の設定方法について説明した。まず,鉄筋コンクリート建物における補修の目的および対象を明らかにし,分析を行なった。そこでは,補修の対象となるのは主にひび割れやコンクリートの剥落など外表面に表出する部位であること,補修の目的は主に防水性の確保,耐久性・美観(機能性)の確保,構造安全性の確保の3つに分類されることを指摘した。次に,本研究で考案した「補修シナリオ」について,補修の方針という意味では2つの意味が含まれていること,1つは補修後あるいは未補修の場合に構造特性に予想される影響をモデル化することを意味し,1つは補修の目的に応じてユーザーが行なう補修の要否判断を予めメニューとして組み込む手段を意味することを説明した。本研究では,補修の主目的に応じて3種類の補修シナリオを検討することとし,特に構造安全性の観点からコンクリートの剥落が生じたら部材を補修するシナリオを検討する際には,コンクリートの剥落開始を表すことの出来る5章で言及した損傷量指標が有効であることを指摘した上で,当該損傷量指標をより簡便な別の損傷指標に換算して用いることを提案した。

 第7章では,5章で評価した損傷量指標あるいは損傷指標を,建物の基本経済性能である耐震修復性能の評価に適した経済指標としての「修復経費指標」に換算する修復費用関数モデルを提案した。また,建築物を資産価値として評価する場合の基本的な考え方について論じ,「経済的な側面から見た耐久性」を「資産価値の低下速度」として長期的耐震修復性能の評価に含める場合に重要となる「割引率」の考え方について言及した。

 第8章では,第3章から第7章までに示したモデルを用いて,鉄筋コンクリート建物の長期的耐震修復性能を表す「ライフサイクル耐震修復経費指標」を算出し,耐震修復性能を定量的に評価・比較できることを確認した。また,建物構成要素ごとに定められるモデルおよびシナリオの違いがライフサイクル耐震修復経費指標の算出結果に与える影響を比較検討した。最後に,「ライフサイクル入力地震動シナリオ」の最大地震動と同じ大きさの地震動1回の入力から算定される耐震修復経費指標に対して,ライフサイクル入力地震動シナリオの入力から算定される耐震修復経費指標の比を「ライフサイクル影響係数」として定義し,供用期間を通じた複数回地震動の影響を定量的に評価することができた。

 第9章では,本研究で提案した長期的耐震修復性能評価手法に関する検討で得られた知見について総括するとともに,今後の課題に関して取り纏めた。

 以上により,本研究では,鉄筋コンクリート建物の長期的耐震修復性能の定量的評価手法を提案した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、本章9章から構成されている。

 第1章「序論」では、研究の目的と研究の背景が示されている。1995年の兵庫県南部地震の後、性能評価型耐震設計法と呼ばれる新しい建築物の耐震設計の重要性が確認され、本研究では、その中で特に建築主にとって建築物の資産・財産としての価値の保護を目的とした耐震設計法の確立を目的とする研究が行われるに至った社会的背景が述べられている。

 第2章「耐震修復性原論」では、建築物の耐震設計が性能評価型耐震設計に移行しつつある現状を概観し、今後の建築物の性能評価型耐震設計のあり方についての展望について述べている。性能評価型耐震設計法のルーツは、耐震診断に端を発する性能のレベル表示のアイデアと限界状態設計法に求められ、複数の地震動の大きさに対する応答の組み合わせで性能を評価する「性能マトリックス」に受け継がれたが、耐震修復性能に対しては、限界状態を合理的に定義することは難しく、資産・財産の保護性能の評価が求められている現状に対応できなくなってきていることを指摘し、「性能設計第二世代」として、耐震性能を定量的な連続量として評価することを可能とする性能評価型設計手法が現在検討されているとした。本研究で取り扱う長期的耐震修復性能の評価手法は、「性能設計第二世代」の目標と呼応していることを示している。

 第3章「入力地震動シナリオ」では、長期的耐震修復性能の評価用入力地震動である「ライフサイクル入力地震動シナリオ」の作成法について述べ、その妥当性について検討を行なっている。「ライフサイクル入力地震動シナリオ」の作成のために、極値分布の推定に用いるプロッティング・ポジション公式の考え方に基づく「ライフサイクル入力地震動シナリオ」を提案している。

 第4章「建築物の地震応答モデル」では、鉄筋コンクリート建築物の構成要素を分類し、各構成要素の損傷評価に必要な地震応答とすべき工学的応答量を整理している。さらに工学的応答量を求めるのに適した地震応答解析手法を、線形静的、線形動的、非線形静的、非線形動的の4種類に分類しそれぞれの特徴について述べている。

 第5章「損傷評価モデル」では、耐震修復性能の評価技術に求められる精度・難易度に応じて、用いられるべき損傷評価手法が異なることから、既存の損傷評価手法を体系化し、各損傷評価手法の特徴について述べている。より詳細な評価のためのひび割れ幅などの具体的な損傷の量を示す損傷指標のことを「損傷量指標」と定義し、損傷量指標として考えられる様々な損傷評価手法の分類・体系化を行なっている。特に、ひび割れ図などを用いた画像処理手法が今後有効な損傷評価手法になると想定して、具体的な損傷量評価を行なっている。非構造部材については、フラジリティ曲線による損傷量評価が適していると判断し、非構造部材に対するフラジリティ曲線の作成手法およびフラジリティ曲線を特定する損傷発生時の工学的応答量の中央値および変動係数について試算結果を示している。

 第6章「補修シナリオ」では、「補修シナリオ」を定義し、鉄筋コンクリート建物における補修の目的および対象を明らかにし、分析を行なっている。補修の目的を、主に防水性の確保、耐久性・美観(機能性)の確保、構造安全性の確保の3つに分類している。また、「補修シナリオ」について、ユーザーの補修の要否判断基準により耐震修復性能について異なった結果が得られることを示している。

 第7章「耐震修復費用評価モデル」では、5章で評価した損傷量指標あるいは損傷指標を、建物の基本経済性能である耐震修復性能の評価に適した経済指標としての「修復経費指標」に換算する修復費用関数モデルを提案している。また、建築物を資産価値として評価する場合の基本的な考え方について論じ、「経済的な側面から見た耐久性」を「資産価値の低下速度」として長期的耐震修復性能の評価に含める場合に重要となる「割引率」の考え方について述べている。

 第8章「長期的耐震修復性能評価結果」では、第3章から第7章までに示されたモデルを用いて、鉄筋コンクリート建物の長期的耐震修復性能を表す「ライフサイクル耐震修復経費指標」を算出し、耐震修復性能を定量的に評価・比較できることを確認している。また、建物構成要素ごとに定められるモデルおよびシナリオの違いがライフサイクル耐震修復経費指標の算出結果に与える影響を比較検討している。また、「ライフサイクル入力地震動シナリオ」の最大地震動と同じ大きさの地震動1回の入力から算定される耐震修復経費指標に対して、ライフサイクル入力地震動シナリオの入力から算定される耐震修復経費指標の比を「ライフサイクル影響係数」として定義し、供用期間を通じた複数回地震動の影響を定量的に評価を試みている。

 第9章「結論」では、本研究で提案した長期的耐震修復性能評価手法に関する検討で得られた知見について総括するとともに、今後の課題に関して取り纏めた。

 このように、本研究は建築物の耐震設計の目標となる性能をユーザーにわかりするために、鉄筋コンクリート建物の長期的耐震修復性能評価のための経済指標として「ライフサイクル耐震修復経費指標」を提案し、ユーザーの意思之より建築物の耐震性能の選択を可能とする将来の耐震設計のあり方の方向性と具体的な手法を提示し、算出例によってたものである。少子高齢化・社会資本のストックの維持管理が重要となる我国にとって極めて有用な研究であり、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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