学位論文要旨



No 120021
著者(漢字)
著者(英字) Almeher Khurshid Shahid
著者(カナ) アルメヘル クルシド シャイド
標題(和) 建築設計実務における環境行動研究の応用に関する研究
標題(洋) A Study on the Applications of Behavior Research in Architectural Design Practice
報告番号 120021
報告番号 甲20021
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5963号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 西出,和彦
 東京大学 教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 岸田,省吾
 東京大学 助教授 曲渕,英邦
内容要旨 要旨を表示する

導入:

 行動と環境の関係は、社会科学、心理学、社会学、地理学、そして文化人類学と環境デザイン分野建築、都市と地域計画、そしてインテリアデザインの研究者の関心を集めてきた。結果として、私たちは文化的景観(ラポポート1990)に住み、また、ある時間と場所の人間環境システムの規則と枠組みを共有しなければならない。いかなるデザインも、それだけでは存在し得ない。人間の習慣は、ある時点で決められ、そして永遠に続くというものではないのだ。むしろ、それは住人の変わりゆく要求を絶え間なく受け入れている。現在の建築理論は、そのような見方に対する適切な答えを欠いている。なぜなら、時間とともにかわる人間の要求とそれらのデザインに対する暗示について、ほとんど知られていないからである。環境行動研究(Environment Behavior Research, EBR)はそのような要求を扱う分野である。

研究の目的:

 EBR、または環境行動研究は、1970年代の初めに日本に紹介された(船橋、1997)が環境行動研究は日本の設計界において、広く歓迎されている現象ではない。しかし、興味深いことに、主に日本建築学会(AIJ)に属する研究者によって展開されてきた建築計画研究(Architectural Planning Research, APR)委員会は、同じような特質をもっている。APRの研究者たちは最初期の頃からEBRの諸側面に焦点を当ててきた。一方で、それが属する研究領域は異なる名前をもち、また目的と展望において多少異なっていた(船橋、1997)。しかしながら、問題はどの程度まで、EBRの知識が建築設計の専門家に対して届いたかということにある。

 このようなことを概観した上で筆者が試みようとすることは、日本の建築設計事務所に属する設計の専門家の横断図を作成し、彼らの環境行動研究に対する態度を調査することである。正確には、本研究は医療・福祉分野の設計者がEBRの情報にどれだけの関心を寄せているのかということを評価する試みである。

方法:

 行動研究と建築家に対する理論的な研究と既往の研究によって、以下に述べるいくつかの仮説を立てることができる。建築家たちは、EBR情報を使用することにあまり興味がないように思える。同時に、建築家たちはEBRが設計に貢献し得る方法についてなじみがないように思われる。この二つの仮説を組み合わせることにより、筆者は、EBRはその最大限の範囲まで利用されていないと考えるに至った。また、研究者たちは、この知識の蓄積をさらに充実させようとする絶え間のない努力が、設計に対してそもそも何かを示唆しているのかどうか、知る必要がある。

 データを集めるため、多くの実務を行っている設計の専門家に接触する最良の方法は、自己記入方式のアンケートによる調査である。この研究の主題は本質的に質的であるため、いくつかの自由記述型質問や、多数の選択肢を持つ質問が適切であると考えられる。アンケートでは、設計者に行動研究にたいする態度と、自己評価の項目が尋ねられた。

理論的背景:

 第2章ではEBRの理論的背景が述べられる。ここには、世界と日本におけるこの分野の発展の概略が含まれる。この章は、設計者たちがEBRが提供できると思われる助言を完全には利用しきってはいないということを示す根拠の提示によって結論付けられる。第3章は、この研究の理論的特有性が述べられる。研究の方法はここで詳しく議論される。また、EBRと設計の間の、理論の適応の方法におけるずれについて、ここで客観的に説明する。ここでは以下のことが発見された。すなわち、適切な理論構築の欠如が、設計界におけるEBRに対する意識の欠如を招いたのである。この章は、最後に本研究の理論付けについての議論がされる。

調査デザインと実行方法:

 研究の目標のため、自己記入形式のアンケート調査が行われた。サンプルの特徴と調査方法については、Delphi Methodologyに従った。アンケートは、5つの基本的な領域について情報を得るためにデザインされた。5つの基本的な領域とは、1)EBR情報を認知しているか、2)EBR情報の有用性、3)デザイナーとしての自己評価、4)EBRに対する態度、そして5)基礎的情報。アンケートは、建築設計の専門家のみに送られた。

 得られたデータのほとんどは順序的数字(ordinal number)であり、名詞的な値(nominal value)は極めて限られている。分析は標準的な統計学的処理に従い行われた。説明をよりよいものとするため、いくつかの数学的モデルもまた開発された。この分析のためのアンケート回収率は49%(183通)であった。

分析と統合:

 分析には、日本の設計界の興味深い姿が現れた。回答者の80%が、デザインにおける一番の関心が「ユーザーニーズ」であると述べている。このデータを、設計者たちがユーザーニーズを引き出すために用いている情報源と相関させた場合、大多数の設計者が実際にはEBR情報を、いかなる情報源であれ、使用している。認知と有用性の反応についてのデータ分析からは、3分の2の設計専門家がEBRについて熱心に関心を持っている。熱心に関心を持っているということは、設計者たちがEBRについて知らされており、いつでも研究情報を受け入れる用意があるということを意味している。再び、3分の2の回答者が行動研究情報に関して、簡単なアクセス方法がないと述べている。アンケートの最後に、設計者たちが最もよく参照する資料を聞く項目があるが、建築家たちのきらびやかな雑誌に対する典型的な嗜好が、ここでもまた示された。学術的な雑誌や書籍に対して、参照の度合いが低いことは、研究者たちに設計者と交流する際の異なった方法を考え出すことを促すだろう。

結論:

 調査によれば、設計者の間の中に、EBRの定義についてあいまいな感覚が存在することは明らかである。設計者たちは、同時に何が行動研究であり何がそうでないのか、混乱しているように思える。研究者は、その境界がはっきりしていたならば、より良い結果を生み出すことが出来たはずであると信じる。この理論的知識の欠如は、EBRが建築教育の中であまり配慮されていないことの、因果的な反映と言えるであろう。

 調査の分析により、日本の設計事務所における設計専門家について、3つの結論が導かれた。1)医療福祉施設の設計者たちは、極めて配慮深く、また成熟した組織である。2)設計者たちは、積極的にユーザーニーズを配慮し、また活用のできる情報が提供されたならば、喜んで使用する。3)EBRの理論的な側面について、知識の欠如がある。

 EBR情報が設計専門家に届いていない理由は、行動研究情報が設計者の情報のニーズについて取り組んでいないためである。以下の議論は、それらのニーズや参照を述べる試論である。

1.設計者は判断を助ける情報を好む。設計者は自分たちのために判断がなされることを欲しない。

2.設計者は、研究が提供する情報の定義と範囲について、はっきりと認識してはいない。この、あいまいさにたいするジレンマを設計者が乗り越えることを助け、また研究の立場を設計者に明らかにすることは、研究者の責任である。

3.情報の意味は、その背後にある過程や方法論よりも重要である。

4.研究者は、設計者は研究者の助けがあろうと無かろうと前進していかざるをえないということを知るべきである。

5.設計業務により束縛される時間は、また設計者に研究者から見れば受け入れることができると思うものよりもはるかに正確でなく、信頼性のない情報を受け入れさせてしまう。

6.設計者は棒グラフや言葉によるプレゼンテーションよりも絵やイラストなどの情報についてよりなじみがあるため、情報が描写的であればあるほど、設計者にとって受け入れやすくなると考えられる。

7.研究者は情報を評価するより良い手段をもたないため、情報源の評判や真実らしさが決定的になる。

 上記の議論を別として、4つの他分野における議論(その一つの変化がEBR全体の状況を改善させるために役立つと思われる)を簡単に述べる。

1.設計過程のプログラミングの時点で、人間のニーズを盛り込む。

2.建築教育の中心的な過程に、行動研究を導入する。

3.設計者と研究者の協働を増やす。

4.大学と設計事務所との協働。

 極めて知識が豊かで将来指向の強い設計界のなかで、研究者と設計者で知識を分け合うことはおそらくその違いを掛け橋する唯一の方法である。これは、同じような興味を持つ共同体にとって、研究の知識の蓄積を全体的な方法で豊かにする。

Expertise of the Responding Architects

Goals of Design

Consciousness Model

Use Frequency of Reference

審査要旨 要旨を表示する

 この論文は、建築計画研究(Architectural Planning Research, APR)ならびに環境行動研究(Environment Behavior Research, EBR)の問題意識と成果がどの程度まで、建築設計の専門家に対して届いているかを検証し、日本の建築設計の専門家、特に医療・福祉分野の設計者の研究に対する姿勢を調査して、研究成果への関心の状かを評価することを目的としている。

 本論文は、6章より構成される。

 第1章では、研究の背景、用語の定義、研究の限界・目的・方法を述べている。特に背景では、行動と環境の関係は社会科学(心理学、社会学、地理学、文化人類学)と環境デザイン分野(建築、都市、地域計画、インテリアデザイン)の研究者の関心を集め、我々は文化的枠組みの中に住み、ある時間と場所の人間・環境システムを共有しなければならないため、いかなるデザインも単独では存在しないという論点を示している。

 第2章では、環境行動研究の海外での理論的発展と日本の建築計画研究の流れを示し、その相違点の分析を行ない、環境行動研究、設計に対する理論的研究と既往の研究、ならびに研究成果とデザインの関係についての考察をおこなっている。

 第3章では、本研究を進めるに当たっての基礎的な問題点、理論的な特有性について考察している。ここでは設計者は、第一に研究成果を使用することに興味がない、第二に研究成果が設計に貢献し得る方法についてなじみがない、という二つの仮説を提唱している。言い換えれば、研究成果が最大限に利用されていない理由を示唆し得るのではないかということである。また、研究方法の詳細な議論がされている。

 第4章では、調査内容・実施方法を述べている。研究の主題は本質的に質的な内容であるため、自由記述型質問や多数選択肢質問による自己記入形式のアンケート調査を採用して、建築設計の専門家を対象に郵送で行なっている。サンプルの特徴と調査方法についてはデルファイ法(Delphi Methodology)を用いている。アンケートは、1)研究成果を知っているか、2)研究成果の有用性、3)設計者の自己評価、4)研究への姿勢、5)基礎的情報5つの基本的な領域に分けている。

 第5章では、調査結果の集計・分析と考察をおこなっている。アンケート回収率は、49%(183通)と高い。データのほとんどは順序的数字(ordinal number)で、数量的な値(nominal value)は極めて限られていたが、分析は一般の統計学的処理に従っている。いくつかの数学的モデルも用いられている。回答者の80%が、設計での一番の関心が「ユーザーニーズ」と述べており、このニーズを引き出すために用いた情報源と相関させて大多数が研究成果を如何なる情報源であれ利用していることを明らかにしている。3分の2が研究成果に関心を持ち、また3分の2が研究情報への簡単なアクセス方法がないと述べている。

 第6章では、結論をまとめている。日本の医療福祉施設の設計専門家像は、1)極めて配慮深く、成熟した集団、2)積極的にユーザーニーズを配慮し、情報は好んで利用、3)研究の理論的側面の知識は欠如、という結論を導いている。また研究成果が届かない理由は、研究情報自体が設計者のニーズに合っていないためであり、設計者は、1)判断を助ける情報を好み、判断されることを欲しない、2)研究成果の定義と範囲の認識不足の解消は研究者側の責任、3)情報自体の意味は、背後の研究過程や方法論よりも重要視、5)設計者は研究成果の有無なしで決定しなければならないことを研究者が自覚する、6)設計の時間的制約により、信頼性が無くても情報を得る状況にある、7)設計者は棒グラフや言葉よりも絵やイラスト情報の方が受け入れやすい、8)研究者は成果の適切な評価手法がないため、評判や真実らしさが決定的になることを述べている。最後に今後の考慮点として、4つの視点を提案している。

 以上のように、本論文は建築計画・環境行動研究の建築設計実務との関係について、実状調査と分析考察を通して基本的な知見を示し、建築計画学の発展に大きな寄与したものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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