学位論文要旨



No 120022
著者(漢字)
著者(英字) Ehab Mohamed Ali Elwageeh
著者(カナ) エルワギー エハブ モハメド アリ
標題(和) イスラム都市における階層と統一の観念 : 中世イスラム都市カイロに関する研究
標題(洋) THE SENSE OF HIERARCHY AND UNITY IN ISLAMIC CITY : A STUDY OF THE MEDIEVAL ISLAMIC CAIRO
報告番号 120022
報告番号 甲20022
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5964号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 助教授 藤井,恵介
 東京大学 助教授 村松,伸
内容要旨 要旨を表示する

論旨

 本論文は、イスラムの教義に基づくイスラム教徒の要求を体現する、イスラム建築の主要な性質を明らかにすることを目的とする。イスラムの共同体には、宗教の教義・伝統・文化に関連して、建築に対する特別な要求がある。なぜなら、イスラムというのは、単なる宗教ではなく、生活全体に関わるものであるからである。

 本論文では、イスラム教徒の社会や生活環境に対して、イスラムの伝統が確立した本質的原理と枠組を探求することを目的とする。

 多くの先行研究は、伝統的な規定をただ羅列するのみといった傾向があり、この伝統の社会的・精神的側面を明らかにしていない。

 よってそれらは、例えば、なぜ、どのようにイスラムが社会的交流(パブリックスペース)とプライバシー(プライベートスペース)を必要としたかといった問題や、精神的要求に関連する伝統的形態になぜ共通するものがあるかといった問題を説明できない。

本論文の目的

・パブリックとプライベートな領域に分割された社会的空間の背景にある、一般的な社会文化的枠組を見出し、イスラム空間の階層性の概念を理解可能にする。

・伝統的形態の創造の背景にある、一般的な精神的枠組を見出し、象徴的意味・中心性の概念・神による統一についての深い理解を可能にする。

研究方法

本論文は、次に挙げる三つの本質的かつ実証的な論点を中心に据える。

1.イスラムと環境の関係と、イスラム都市に表出するそれらの関係の結果を整理する。2.イスラム都市の空間における階層と統一の観念について、社会文化的・精神的なイスラム信仰の影響を明らかにする。

3.イスラム都市カイロの空間の時代による変遷を通して、事実に則した検討を行い、表出した観念を見出す。

論文構成

本論文は三部構成とし、その前に序論を設ける。

第1部:理論的・歴史的研究

 最初の二つの章では、伝統的イスラム都市・建築・都市空間の分野で著された先行研究を概観する。

 第1章は三つの節によって構成される。第1節は、伝統的な社会的・精神的原則の基礎となったイスラム法であるシャリーアの本質や起源に関する議論を扱う。第2節では、年代的・地理的原理に則したイスラム建築の歴史を概観する。第3節では、自然的・都市的環境の発展に関するイスラムの視点を扱う。

 第2章は二つの節によって構成される。第1節では、イスラム都市の基本的な概念を検証し、都市の構造に影響を与えたイスラム教徒の信仰の主要概念を明らかにする。第2節では、イスラム建築や都市空間を概観することで、イスラム都市におけるイスラム的空間の概念の定義について扱う。

第2部:分析的研究

 第2部は、二つの章によって構成される。ここでは、伝統的イスラム都市空間を分析する枠組を提案する。

 第3章は、社会文化的枠組に関するものである。この枠組の中で、イスラムの生活全般において主要な源泉となり典拠となるシャリーアを用いることで、イスラム都市空間の階層性の概念・原則を明らかにすることができる。それらの原則は社会・近隣・家族・個人という四つの社会的規模と、彼らの都市のゾーニングと土地利用に関する考えで説明される。ここでは、建築や都市のオープンスペースにおける空間の階層(パブリック・セミパブリック・セミプライベート・プライベート)の概念の分析を通して、伝統的形態の概念に焦点を当てる。

 第4章は、精神的枠組に関するものである。この枠組の中で、伝統的イスラム建築空間の象徴主義の真理を明らかにすることができる。それはまた、スーフィー(イスラムの神秘主義)の影響と、それにおける神による統一に関する概念について扱うことになるであろう。この章では、形態の創造の過程に関するスーフィーの信仰と宇宙論的解釈を分析することにより、イスラムの伝統的形態の創造の背景となる一般的な象徴的枠組を、三つの節を通して明らかにしようと試みる。第1節では、伝統的イスラム建築に関して一般に知られている三つの基本的原則(中心・垂直軸・水平方向)を扱う。第2節では、空間・形状・表層の概念が必然的に形態の創造の過程に関わることを、手短に概観する。第3節では、イスラム的空間で使用される主要な建築的要素の内面にある象徴的な意味を明らかにしようとする。

第3部:実際的研究

 第3部では、歴史的ケーススタディの実地調査と視覚的資料から集められたデータの分析を行う。ここは、ケーススタディを行い、伝統的イスラム都市カイロの空間分析から提案した枠組を検証する二つの章によって構成される。

 第5章では、イスラム都市カイロの歴史的形成を概観し、社会文化的枠組と精神的枠組による分析から、カイロの空間における階層と統一の概念を見出す。

 第6章では、総合的枠組みに関するものである。社会文化的枠組と精神的枠組を、どのように統合するかに焦点を当てる。なぜなら、これまでの枠組ではイスラム空間を静的空間として扱うが、現実のイスラム都市空間は動的空間であるためである。つまり、本章の目的はイスラム都市カイロの空間の時代による変遷を通して、空間体験とその意味を扱うことである。それは、都市空間(オープンスペース)における空間の階層性と連続性と、建築内部空間におけるアプローチや室間移動の経験の分析により解明される。

 そして、第7章は、イスラムの歴史的空間を扱うために、本論の各部分から抽出した結論と提言で構成される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論は、中世イスラム都市カイロを素材として、建築・都市空間のヒエラルキッシュな構成原理とその背後に存在する意味体系を明らかにしたものである。イスラム都市研究は1990年代から盛んになり、日本でも多くの研究が蓄積されてきたが、その複雑な空間構成と意味について総合的な理解を示すまでには至っていなかった。本論はイスラムにおける建築・都市の物理的な空間がいかなる観念を背景にして形成されたかについて、はじめて統一的な解釈を試みたという点で、先行研究を一歩乗り越えたものである。

 本論は3部から構成される。第1部は当該分野における先行研究の批判的検討とイスラム法シャリーアおよび宗教教典コーランから導かれる空間の意味体系の提示を行っている。続く第2部では伝統的イスラム都市における空間のヒエラルキーを、主としてシャリーアを典拠としながら、社会・近隣・家族・個人およびパブリック・セミパブリック・セミプライベート・プライベートという枠組みで分析する。第3部は上記の基礎的考察から導き出された空間概念を用いて、中世イスラム都市カイロのケーススタディを行い、その妥当性を検証している。

 第1部は2章からなり、第1章では伝統的な社会的・精神的原則の基礎となったイスラム法シャリーアの意味および起源について検討を加え、イスラム建築および都市環境に対する人々の基本的な観念や振る舞いについて明らかにする。第2章では具体的にあらわれているイスラム都市空間のさまざまな要素について概観し、それがいかにイスラム法や宗教教典と深く結びついているかに注目する。

 第2部冒頭の第3章では、イスラム社会における生活全般を規定したと考えられるシャリーアを詳しく分析し、それが個人から社会へと至る同心円的な都市空間のあり方、公共空間と私的空間の分節と密接不可分な関係にあったことを論じている。44章ではイスラム社会の精神的パラダイムを取り上げ、イスラムにおける宗教的宇宙観および象徴主義的な概念の抽出を試みている。ここでは「中心」「垂直軸」「水平方向」という方向・位置概念および「空間」「形態」「表層」という空間概念が現実の建築・都市空間の組成の基本的枠組みを与えていることが指摘されている。

 第3部では、上記4章での基本概念を具体的に適用すべく、カイロのケーススタディが行われている。すなわち第5章でカイロの歴史的都市形成過程を通観し、空間を構成しているヒエラルキー(階層性)とユニティ(統一性)の概念の導出が計られる。第6章では都市の動的な性格に焦点を移し、カイロという都市の具体的空間体験を通して、空間と空間を結合・分節する仕組みについて論究する。そして終章である第7章で全体的な結論が述べられる。

 以上みたように、本論は従来迷宮空間として捉えられてきたイスラム都市は、形態的には複雑な様相を呈していたとしても、その背後にある空間構成原理はきわめて明快であって、宗教的・歴史的に育まれた宇宙観や象徴性がその前提となっていたことを一部仮説的ではあるにせよ、可能な限り実証したのであり、その成果は、当該分野の研究史上有益な貢献となっている。また、推論のプロセスも一定の妥当性をもつものと評価される。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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