学位論文要旨



No 120030
著者(漢字) 春日,郁朗
著者(英字)
著者(カナ) カスガ,イクロウ
標題(和) 水道水源湖沼における溶存有機物の動態と生物学的応答の指標化に関する研究
標題(洋)
報告番号 120030
報告番号 甲20030
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5972号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古米,弘明
 東京大学 教授 国包,章一
 東京大学 教授 味埜,俊
 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 講師 中島,典之
内容要旨 要旨を表示する

 水道水源として重要な湖沼やダム湖(以下,水道水源湖沼)では,富栄養化の進行に伴い,増加する溶存有機物(Dissolved Organic Matter:DOM)が水道原水の水質に様々な悪影響を及ぼしている。従来のDOM評価には,CODなどの包括的な指標が用いられてきたが,多様な起源と特性を有する水道水源湖沼DOMの評価には限界がある。詳細な化学分析を駆使するアプローチも試みられているが,雑多な成分から構成される低濃度のDOMを濃縮・分画等せずに特性評価することは困難である。

 更に,DOMの評価に関する重要な課題として,生物学的な視点の不足が挙げられる。水道水源湖沼のDOMの特性やその動態を理解するためには,発生源から湖沼への流入・滞留過程における生物学的な分解・変換作用を無視することはできない。しかし,従来の生物学的な視点によるDOM評価も,BODやBDOCなどの包括的な評価に留まっており,起源の異なるDOMに対して,湖沼内のどのような細菌群が分解に関与し,DOM特性がどのように変化するのかについては不明な点が多い。また,各地の湖沼で増加している難分解性溶存有機物(Refractory DOM:RDOM)の起源や実体,生成過程の解明にも,生物学的視点に基づいた知見が不可欠である。

 そこで,本論文では,DOM評価の新たな指標として,起源の異なるDOMに対する湖沼細菌群集の生物学的応答に着目した。特定の細菌群がある起源のDOMに対して優先的に応答したり,生分解過程の特定の段階でRDOMの生成に関与したりするのであれば,これらの生物学的応答とDOMの動態との関係を応用することで,生物学的視点から水道水源湖沼におけるDOMの特性評価を行うことができると考えられる。

 生物学的応答を評価するために,起源の異なるDOMを個別に水道水源湖沼水に添加したマイクロコズム実験を行った。真正細菌の16S ribosomal RNA遺伝子を標的としたPCR-DGGEや単離を通して,応答する細菌群を特定した。更に,単離株の基質利用特性試験を行い,添加DOMと基質利用特性との関係を探った。また,芳香族化合物の好気分解に関与するcatechol 1,2-dioxygenase,catechol 2,3-dioxygenaseをコードする機能遺伝子(C12O遺伝子,C23O遺伝子)にも着目し,機能遺伝子レベルから生物学的応答を評価した。一方,生分解の進行に伴う添加DOMの特性変化については,蛍光特性,消毒副生成物生成能など多角的な化学分析を用いて評価し,PCR-DGGEのバンドパターンやC23O遺伝子構成の変化との対応を考察した。

 まず,印旛沼流域のDOMの特性を把握するために,印旛沼に流入する異なる河川水などのDOMを多角的な化学分析によって解析した。その結果,東部流入河川と西部流入河川ではDOM特性に差異があることが示され,DOM特性と流域特性が密接に関係していることが明らかになった。また,湖沼DOMの起源として特定の河川の寄与が示された。各流入河川水について生分解実験を行ったところ,生分解に伴ってSUVA値が湖沼DOMの値に近づくと共に,DOCあたりのTHMFPが増加する(特に臭素付加型のTHMFPの収率が増加)傾向が示された。

 流入河川水DOMを化学分析した結果を踏まえ,異なる流入河川水のDOMや印旛沼沿岸のアシから調製したアシ腐植質などを湖沼水に個別に添加したマイクロコズム実験(Run 1)を行い,細菌群集の応答をPCR-DGGE,単離,catechol dioxygenase遺伝子から評価した。

 PCR-DGGEの解析からは,異なる流入河川水DOMを添加した系列において,培養1,2日後にβ-ProteobacteriaのAquaspirillum属やMethylophilus属の配列に近縁なバンドの強度が強くなる傾向が確認され,この時期の外来性DOMに応答する細菌群には共通性があることが示唆された。また,アシ腐植質を添加した系列では,β-ProteobacteriaのComamonadaceae科の細菌群やγ-ProteobacteriaのAcinetobacter属の配列に近縁なバンドが特異的に現れ,DOMの種類によって湖沼細菌群集の応答に差異があることが示された。

 一方,各マイクロコズムから単離した細菌の基質利用特性からは,添加したDOMの特性との関係を確認できなかった。

 Catechol dioxygenase遺伝子の検出を行ったところ,C12O遺伝子は検出されなかったが,C23O遺伝子については流入河川水DOM,アシ腐植質を添加した系列において,培養1,2日後から検出された。DOMの添加によって,潜在的に芳香族化合物をmeta開裂する能力を有する細菌群が誘導されたことが示唆された。2日後,10日後に検出されたC23O遺伝子のクローンライブラリーを作成したところ,extradiol dioxygenaseの配列に共通の特徴を有する非常に多様な配列が得られた。系統解析の結果,これらはextradiol dioxygenaseのSubfamily I.2.A,B,Cに属するC23Oに近縁であった。また,これらの既知のグループとは系統的に異なるCluster Xに属する配列群(Ralstonia sp. KN1及びAlcaligenes eutrophus 335のC23Oに近縁)も多数得られた。2日後のクローンライブラリーは系列ごとに特徴的な構成だったが,10日後にはCluster Xに属する配列が全体に優占する傾向を示した。Cluster Xに属するC23O配列の優占は,生分解の進行に伴うDOMの安定化と関係していると考えられた。このことから,起源の異なるDOMに対して特定のC23O遺伝子群が誘導されることが推察され,C23O遺伝子構成とその遷移に着目することで生物学的視点からDOMの特性・生分解過程を評価できる可能性が示唆された。

 続いて行ったマイクロコズム実験(Run 2)では,生活排水DOM,底泥溶出DOM,藻類細胞由来DOM,藻類体外排出DOM,カテコールを湖沼水に添加して,印旛沼の滞留時間と同程度の20日間の培養を行い,DOMの動態と湖沼細菌群集の応答との関係を評価した。

 20日間のDOCの減少率は,底泥溶出DOMを添加した系列と対照系では低かったが,その他の系列では60〜70%に達し,SUVAの値が一定の値に収束する傾向を示した。DOMの蛍光特性をEEMSで分析した結果,生活排水DOMを添加した系列において,タンパク様物質に由来するとされるピークの相対蛍光強度がDOCと同様の減少傾向を示すなど,各系列に特徴的な変化が検出された。臭化物イオンを段階的に添加した条件でTHMFPを測定したところ,生分解の進行に伴って,全般的に臭素付加性が高まる傾向が確認されたが,DOMの構造変化を明確に示すほどの変化は認められなかった。

 PCR-DGGEの解析からは,底泥溶出DOMを添加した系列と対照系では群集構造の変化が小さかったのに対し,その他の系列では培養初期に細菌群集が特異的な応答を示した後,DOMの消費と共に再び類似した構造に収束する傾向が示された。培養2日後には,生活排水を添加した系列でSphingomonas属の配列に近縁なバンド,藻類由来のDOMを添加した系列では,Flavobacterium属,Aquaspirillum属などの配列に近縁なバンド,カテコールを添加した系列ではAcinetobacter属に近縁なバンドなどが特異的に現れた。

 Catechol dioxygenase遺伝子の検出を行ったところ,Run 1同様,Run 2でもC12O遺伝子は検出されなかった。C23O遺伝子については,対照系を含めた全系列において培養2日後から検出された。培養2日後には,生活排水DOM,藻類細胞由来DOM,藻類体外排出由来DOM,カテコールを添加した系列において,Subfamily I.2.A,B,Cに属するC23O配列がそれぞれ特徴的な優占パターンを示した。10日後,20日後にはこれらの系列間の差異が減少し,Run 1と同様にCluster Xに属するC23O配列がすべての系列で優占した。培養後期にはDOM特性が類似する結果が得られており,生分解に伴うDOMの安定化とCluster Xに属するC23O配列の優占化には対応があった。一方,底泥溶出DOMを添加した系列と対照系では,培養2日後の時点からCluster Xに属するC23O配列が優占していた。これらの系列では,ライブラリーの組成が類似しているだけでなく,PCR-DGGEのバンドパターン変化も類似していたことから,対照系において誘導されたC23O遺伝子は,底泥由来の難分解性DOMと関係している可能性が示唆された。実際,湖水のサンプリング時には降雨の影響があり,底泥の巻上げによって,底泥由来の難分解性DOMの負荷が通常よりも多いことが推測された。

 珪藻類や藍藻類が大量発生している時期の印旛沼や諏訪湖表層水ではSphingomonas属が保持するSubfamily I.2.BのC23Oに近縁な配列が圧倒的に優占しており,藻類(細胞)由来のDOMには,Sphingomonas属が応答することが示唆された。

 以上,起源の異なるDOMに対して湖沼細菌群集が特異的な応答を示し,その応答がDOMの動態と対応して変化することが明らかになった。このことから,PCR-DGGEやC23O遺伝子構成によって示される生物学的な応答が,水道水源湖沼におけるDOMの動態を評価する指標として有用であることが提示された。

審査要旨 要旨を表示する

 湖沼やダム湖などにおいては富栄養化の進行に起因して溶存有機物(Dissolved Organic Matter:DOM)の増加が見られ,水道原水の水質として様々な障害の原因となっている.多様な起源と特性を有する湖沼水中のDOMの評価のために,詳細な化学分析による解析も試みられているものの,多様な成分から構成される低濃度のDOMを濃縮・分画等せずに特性評価することは困難である.

 また,水道水源湖沼のDOMの特性やその動態を理解するためには,発生源から湖沼への流入・滞留過程における生物学的な分解・変換作用を無視することはできない.そして,起源の異なるDOMに対して,湖沼内のどのような細菌群が分解に関与し,DOM特性がどのように変化するのかについては不明な点が多い.また,各地の湖沼で増加している難分解性溶存有機物(Refractory DOM:RDOM)の起源,生成過程の解明にも生物学的視点に基づいた知見が不可欠である.

 本論文は,上記の背景のもと,生物学的視点から水道水源湖沼におけるDOMの特性評価を行うことを目的として,起源の異なるDOMに対する湖沼細菌群集の生物学的応答とDOMの動態に着目した研究の成果をまとめたものである.

 本研究は,「水道水源湖沼における溶存有機物の動態と生物学的応答の指標化に関する研究」と題して,9つの章から構成されている.

 第1章では,研究の背景と目的,および論文の構成を述べている.

 第2章では,溶存有機物に関する既存の研究をとりまとめて示している.

 第3章では,千葉県印旛沼を対象とした,調査方法とマイクロコズム実験方法を説明している.さらに,化学分析方法,分子生物学的手法,細菌群集構造や遺伝子の解析法を取りまとめている.

 第4章では, 印旛沼流域のDOMの特性を把握するために,印旛沼に流入する異なる河川水などのDOMを多角的な化学分析によって解析した結果が示されている.東部流入河川と西部流入河川ではDOM特性に差異があること,DOM特性と流域特性が密接に関係していることなどを明らかにしている.また,湖沼DOMの起源としての各流入河川水について生分解実験を行い,生分解に伴ってSUVA値が湖沼DOMの値に近づくと共に,DOCあたりのTHMFPが増加する(特に臭素付加型のTHMFPの収率が増加)傾向を示すことを明らかにした.

 第5章と第6章では,異なる流入河川水のDOMやアシ腐植質などを湖沼水に個別に添加したマイクロコズム実験(Run 1)を行い,それぞれの添加有機物に対する細菌群集の応答を,真正細菌の16S ribosomal RNA遺伝子を標的としたPCR-DGGE,単離と単離株の基質利用特性試験,catechol dioxygenase遺伝子組成から調べている.まず,生分解の進行に伴う添加DOMの特性変化について,蛍光特性,消毒副生成物生成能など多角的な化学分析を用いて評価した上で,PCR-DGGEの解析から,流入河川水DOMを添加した系列において,β-ProteobacteriaのAquaspirillum属やMethylophilus属の配列に近縁なバンドの強度が培養1,2日後に強くなることや,外来性DOMに応答する細菌群には共通性があることを明らかにした.また,アシ腐植質を添加した系列では,β-ProteobacteriaのComamonadaceae科の細菌群やγ-ProteobacteriaのAcinetobacter属の配列に近縁なバンドが特異的に現れ,DOMの種類によって湖沼細菌群集の応答に差異があることを示した.

 特に第6章では,芳香族化合物の好気分解に関与するcatechol 1,2-dioxygenase,catechol 2,3-dioxygenaseをコードする機能遺伝子(C12O遺伝子,C23O遺伝子)に着目して,生物学的応答を評価している.培養から2日後,10日後に検出されたC23O遺伝子のクローンライブラリーを作成した結果,extradiol dioxygenaseの配列に共通の特徴を有する非常に多様な配列が得られ,それらは,extradiol dioxygenaseのSubfamily I.2.A,B,Cに属するC23Oに近縁であった.また,これらの既知のグループとは系統的に異なるCluster Xに属する配列群(Ralstonia sp. KN1及びAlcaligenes eutrophus 335のC23Oに近縁)が存在したことを新たに見出している.このCluster Xに属するC23O配列の優占は,生分解の進行に伴うDOMの安定化と関係していることを示した.これらのことから,起源の異なるDOMに対して特定のC23O遺伝子群が誘導されることが推察され,C23O遺伝子構成とその遷移に着目することで生物学的視点からDOMの特性・生分解過程を評価できる可能性が示唆している.

 第7章と第8章では,生活排水DOM,底泥溶出DOM,藻類細胞由来DOM,藻類体外排出DOM,カテコールを湖沼水に添加したマイクロコズム実験(Run 2)に関する,DOMの動態と湖沼細菌群集の応答との関係を評価している.

 PCR-DGGEの解析からは,底泥溶出DOMを添加した系列と対照系では群集構造の変化が小さかったのに対し,その他の系列では培養初期に細菌群集が特異的な応答を示した後,DOMの消費と共に再び類似した群集構造に収束する傾向があること,生活排水を添加した系列でSphingomonas属の配列に近縁なバンド,藻類由来のDOMを添加した系列では,Flavobacterium属,Aquaspirillum属などの配列に近縁なバンド,カテコールを添加した系列ではAcinetobacter属に近縁なバンドなどが培養初期に特異的に現れることを示している.

 特に第8章では,Catechol dioxygenase遺伝子のクローンライブラリーの結果を解析・整理している.培養2日後に,生活排水DOM,藻類細胞由来DOM,藻類体外排出由来DOM,カテコールを添加した系列において,Subfamily I.2.A,B,Cに属するC23O配列がそれぞれ特徴的な優占パターンを示すこと,10日後,20日後にはこれらの系列間の差異が減少し,Run 1と同様にCluster Xに属するC23O配列がすべての系列で優占したことから,生分解に伴うDOMの安定化とCluster Xに属するC23O配列の優占化の関係を再確認した.一方,底泥溶出DOMを添加した系列と対照系では,培養2日後の時点からCluster Xに属するC23O配列が優占しており,クローンライブラリーの組成やPCR-DGGEのバンドパターン変化が類似していたことから,対照系において誘導されたC23O遺伝子は,底泥由来の難分解性DOMと関係している可能性があることを示した.

 また,珪藻類や藍藻類が大量発生している時期の印旛沼や諏訪湖表層水ではSphingomonas属が保持するSubfamily I.2.BのC23Oに近縁な配列が圧倒的に優占しており,藻類(細胞)由来のDOMには,Sphingomonas属が応答することを示している.

 第9章では,上記の研究成果から導かれる結論と今後の課題や展望が述べられている.

 このように本論文は,起源の異なるDOMに対して湖沼細菌群集が特異的な応答を示し,その応答がDOMの動態と対応して変化することを明らかにしている.そして,PCR-DGGEやC23O遺伝子構成によって示される生物学的な応答が,水道水源湖沼におけるDOMの動態を評価する指標として有用であることを示し,その手法も確立している.これらの研究成果は,水道水源における溶存有機物の特性評価や水質問題の対策検討において非常に有用なデータや知見を提供しており,都市環境工学の学術分野の進展に大きく寄与するものである.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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