学位論文要旨



No 120033
著者(漢字) 花澤,信太郎
著者(英字)
著者(カナ) ハナザワ,シンタロウ
標題(和) 関東の都市における歴史的な街路パターンの計画技法に関する研究 : 「第一軍管地方二万分一迅速測図原図」に記録された情報を中心として
標題(洋)
報告番号 120033
報告番号 甲20033
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5975号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西村,幸夫
 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 教授 内藤,廣
 東京大学 助教授 北沢,猛
内容要旨 要旨を表示する

第1章 研究の背景と目的

・研究の背景と意義

 日本の多くの都市は、今後人口の減少と市街地の縮小という局面を迎えることが予想され、もとめられる都市の空間像が現在までとは異なったものとなることが考えられる。このような背景のもとで、現在の都市の構成原理に強く影響をおよぼしていると考えられる、歴史的な街路の空間構成について考察することは、これからの日本の都市のデザインを考える上で、有益な知見をもたらすものと考えられる。

・既往研究のレヴュー

 従来の論考では、都市の中における場面に関する論考、城下町、宿場町など特定の出自の都市に関する論考が発表されており、それぞれの形態についての分析が加えられている。また、都市史の立場から各時代の都市について通史的に分析した論考も発表されているが、同一の時代における、都市の出自をこえた街路の形態の比較分析という点については、まだ考察の余地があると考えられる。

・研究の目的と方法

 本研究では、近代都市計画導入以前の関東平野における、一定規模以上の都市と集落の街路の構成を悉皆調査することによって、その構成原理について考察することを目的とする。

第2章 近代都市計画導入以前における都市の形成

・古代から戦国時代まで

 藤原京、平城京、長岡京、平安京などの都市群は、7世紀末には条坊制による都市を計画する技術が、そして8世紀初頭にはこれを実現する能力が大和朝廷にあったという点を示している。その後、戦国期から近世には城下町という形で、計画された都市郡が全国各地において建設された。

・徳川家康入城以降の関東平野の整備

 全国の統一をなしとげた徳川家康は、江戸に入城すると、江戸への陸路と交通網を整備した。関東平野の都市の中には、このような整備をうけて江戸時代に発展したものが存在する。

第3章 「第一軍管地方二万分一迅速測図原図」についての検証

・成り立ちと復刻までの歴史

 「第一軍管地方二万分一迅速測図原図」、(以下本研究では「迅速測図原図」とする)は、1880年(明治13)から1886年(明治19)にかけて、陸軍参謀本部によって実施された、わが国初の広域測量の成果である。測量の範囲は、三浦半島、房総半島をふくむ関東平野全域におよび、その特徴として次の点があげられる。

 1.フランス式の彩色図として作成されていることで、さまざまな土地利用の種別が理解できる

 2.等高線による地形の表現、および河川が記録されており周囲の地理的状況が把握できる

 3.家屋の様子が、記録されているために、都市における街並みの様子を把握することが可能となっている

・「迅速測図原図」に関する先行研究

 先行研究においては、「迅速測図原図」が当時としては最新の測量によって表現されたことが指摘されている。また、東京と横浜、その他特定の地物をのぞいては、維新時と大きな変化がなかったことが指摘されている。

第4章 関東平野における一定規模以上の都市の形態の比較

・一定規模以上の都市の選定と分類

 対象となる街の選定に関しては、つぎの基準を満たすものとする。

 1.両側に連担した町並あるいは7割以上の密度で家屋が記録されている街路。

 2.そのような街路が合計10町以上一定の地域に記録されていること。

・選定された都市の形状の分類

 本研究においては、街道沿いに線状に形成され、主要な街路の方向が1方向の都市を、線状形成の都市とし、主要な街路の方向が2方向以上であるものを、平面形成の都市とする。さらにそれぞれの形状の都市について、その主要な街路の形態に着目すると、次のような分類が可能になる。

 1.主として線分からなり、街路が一定の方向を向いているもの

 2.2本以上の線分からなり明確な屈曲の認められるもの

 3.街路の中央部に曲線が認められるもの

 4.街路は一定の方向を向いているが、途中で細かいゆらぎの認められるもの

 5.線分により湾曲された形態の形成されたもの

 6.上記に分類されない特殊な形態のもの

以上の12の分類における街路の形態を分析すると、伝統的な都市の街路の構成においては、地形に制約のある立地の場合でも、街路の計画において、かなりの選択性があることが確認された。そこで次の事項に着目しながら、街路の形態の分析を行うこととする。

 1.宿場町のなかでも、江戸四宿とよばれた、品川宿、板橋宿、内藤新宿、千住宿の各宿は、それぞれ明確に違う街路の構成がどのようであったか。

 2.東海道、中山道、甲州道中、日光道中の主要な4つの街道の宿場町は、それぞれ形態に関連性が存在するか。

 3.線状形成の都市、面状形成の都市の双方において、街路が単一のから形成される場合、屈曲して接合された線分から形成される場合、曲線から形成される場合が認められるが、それぞれの構成についてどのような特徴があるか。

第5章 江戸四宿における街路構成の比較

 この章では、品川宿、板橋宿、内藤新宿、千住宿の江戸四宿における街路構成の比較と分析を行っている。その結果として、次の点が導出された。

 1.品川宿は、品川橋を中心として南北に街路からの景観を意識しながら形成された可能性が高いこと。

 2.板橋宿の板橋においては、品川宿の品川橋と同様の、街路が橋を渡るときの、回りこむような形態が確認される。

 3.内藤新宿は、先行して敷設された玉川上水を意識しながら、角度をともなう街路構成がなされている。

 4.千住宿では、千住大橋を中心として、微妙な角度のつけられた街路構成がなされている。

第6章 主要街道の都市における街路の形態の比較

 この章では、江戸からの五街道について、その宿場町の街路の形態を比較している。その分析の結果は次の通りである。

 1.東海道の各宿は、宿の内部において街路がその方向を変えるような位置に計画的に立地させられた可能性が大きいこと。また、宿の内部においては、橋の近くに高札が設置される傾向が大きいこと。

 2.甲州道中においては、途中最大の宿場町であった横山宿と、日本橋から最初の宿であった内藤新宿において、屈曲する街路の構成が認められる。

 3.中山道においては、鴻巣宿以南の宿場町と、熊谷驛以北の宿場町における街路の方向性が大きく2つに大別され、熊谷驛以北の宿場まちでは、意図的にそのような方向性がとられた可能性が大きい。日光道中においては、古河宿以南の宿場町と、野木宿以北の宿場町における、街道から宿場町への導入部分の街路構成に相違がみられること。

 以上の分析から、主要な街道における宿場町の形態は、各街道に共通した形態をとる傾向があり、それらは他の街道とは違う特徴が見られるという結果となった。

第7章 主要な街路の形態の区分ごとの構成の分析

 この章では、第4章において抽出した町における主要な街路の形態の分類中で、

 1.主として単一の線分からなる町

 2.2本以上の線分からなり街路に屈曲の認められる町

 3.街路の中央部に曲線の認められる町

の3種類の街路をもつ街について、それぞれ線状・面状2種類の合計6つの分類における対象を選定し、それらの街路のパターンについて検討をおこなっている。その結果として、次の点が導出された。

 1.主として単一の線分からなる町であっても、その細部には街路の屈曲や曲線に街路の構成が認められること。

 2.街路に屈曲が認められる都市については、その屈曲には当初からの計画意図が存在する場合が認められる。

 3.街路に曲線の認められる町である、佐原村については先行の報告においては、その街路は自然発生であると解釈されてきたが、計画的にその形態が決められた可能性が大きいこと。

第8章 街路構成の読解

 この章では、前章までの内容をうけて、街路構成の背後にある思想について考察している。その主な内容は次の通りである。

 1.関東における歴史的な街路の空間構成においては、自然の地理的な変化に街路の空間の変化が重ね合わせられている、いわば空間の変化の重奏性をもった構成が各地で共通的に確認された。

 2.そのような場合の空間の変化は、街路の角度をもってなされる場合と、街路における曲線をもってなされる場合がある。

 3.さらに、関東における歴史的な街路の空間構成においては、1キロメートルから数百メートルの長さにおいて、シークエンスの変化を作り出すような空間構成がなされていたことが推察されること。

第9章 まとめと考察

 この章では、以上までの分析から導きだされた知見をもとに、歴史的な街路の空間構成のもつ意味についての考察を行っている。その内容は次の通りである。

1.近代都市計画以前の関東平野における街路の計画については、多様な主体による多様なデザインがなされていた。

2.歴史的な街路に繰り返しあらわれた、線分、屈曲、曲線、を使用した空間構成は、書道における「真・行・草」の構成における形態と共通するものであり、これは都市の街路のスケールでも書道の書体と共通するような空間構成の作法が存在していたことを示唆するものである。

3.街道や水系に確認された、それぞれに共通してあらわれる街路の構成パターンは、それらの都市間における相互参照、あるいは共通する意識の存在を示すものである。

4.歴史的な街路の構成については、根底においてこのような街路の構成の基本的なパターンを意識しながら、それぞれの都市における工夫が加えられえているものと考えられる。

5.以上のような空間構成の意識と方法は、これからの日本の都市空間を考える上で、有益な情報をもたらすものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は近代都市計画導入以前の関東平野における都市と集落の街路構成に関して、一定の規則性とその原理を見いだすことを目的としている。具体的には1880年から1886年にかけて陸軍参謀本部によって作製されたわが国初の近代的地形図である「第一軍管地方二万分一迅速測図原図」をもとに、東京を除く関東地方の一定規模以上の都市及び集落について、街路形態の分析を行っている。主要な関心は、江戸四宿と呼ばれた品川宿、板橋宿、内藤新宿、千住宿の各宿場町の比較分析、東海道、中山道、甲州道中、日光道中の主要な宿場町の形態の比較分析、その他の都市の構成の比較分析から成っている。

 第1章は研究の目的と方法について述べ、既往研究のレビューをおこなっている。

 第2章は関東平野における近代都市計画導入以前の都市の形成史に関して概観している。

 第3章は本論文で分析に用いる「第一軍管地方二万分一迅速測図原図」の特色を述べ、その資料批判をおこなっている。

 第4章以降が本論の主要な分析部分である。

 第4章では、主要街路の形態について、線分から成るもの、線分により湾曲された形態に形成されたもの、街路の中央部に曲線部分があるものなど合計12に分類し、地形の制約があるなかでも伝統的な都市の街路の形態においては選択性が確保されており、そこには計画的意図が可能であったことを論証している。

 第5章では、江戸四宿において詳細な街路形態分析をおこなっている。その結果、景観を演出するための街路構成が認められること、橋周辺における街路形態の意図的な屈曲が共通していることが確認されている。

 第6章では、江戸からの五街道の宿場町をひろく対象とした広域的な形態分析をおこなっている。その結果、それぞれの街道ごとに宿場町の街路構成に固有の原理が認められることが類推されている。

 第7章では、主として単一の線分から成る都市、二本以上の線分から成り、街路に屈曲が認められる都市、街路の中央部に曲線の部分が存在する都市の三種類の街路形態を有する都市について、線的な都市構成の都市と面的な都市構成の都市のそれぞれ合計六分類について、街路構成の分析をおこなっている。その結果、線分のみから成る都市においても街路の屈曲や微細な曲線部の挿入がみられ、こうした屈曲部に当初からの計画意図の存在が類推されることを明らかにしている。さらに曲線部を有する都市においても、自然地形による制約だけではなく、計画意図を類推することのできる例が存在することを明らかにしている。

 第8章では、以上の考察を総合的にまとめ、街路の読解方法に関して一般的な手法が存在し得ることを示している。すなわち、自然地理的な条件に計画意図が重ね合わされて都市の街路構成がおこなわれていること、その計画意図は街路の屈曲の角度によって示される場合と曲線によって示される場合があること、空間構成の変化は1km以下の空間単位によって分節されることが示されている。

 第9章では、これまでに見いだされた知見をまとめている。

 このように本論文はこれまで自然発生的として、あるいは単なる宿場町の空間構成として一括されてきた都市の街路構成に関して、近代初頭の比較的正確なをもとに、近代的都市計画による改変がおこなわれる直前の状態において、その空間的な計画意図のあり方を詳細に分類しつつ類推し、合理的な推論のもとにいくつかの計画意図の発現のあり方を明らかにしている。分析の出発点となった第一軍管地方二万分一迅速測図原図をもとにしたこうした詳細な分析はこれまでおこなわれたことがなく、分析の結果が新しいだけでなく、有意な類推結果を導き出すことに成功している。こうした分析結果は今後の都市保全の方法に多大な貢献をなしているといえるほか、近代の都市計画における空間構成の手法に新しい視点をもたらしたものとして評価することができる。

 よって本論文は博士(工学)の学位申請論文として合格と認められる。

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