学位論文要旨



No 120059
著者(漢字) 豊田,裕之
著者(英字)
著者(カナ) トヨタ,ヒロユキ
標題(和) ナノ秒領域における絶縁ガスの放電進展現象
標題(洋)
報告番号 120059
報告番号 甲20059
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6001号
研究科 工学系研究科
専攻 電気工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日高,邦彦
 東京大学 教授 仁田,旦三
 東京大学 教授 小田,哲治
 東京大学 教授 石井,勝
 東京大学 教授 小野,靖
 東京大学 助教授 熊田,亜紀子
内容要旨 要旨を表示する

 放電現象は工業的に広く応用され長い研究の歴史を持つが,その進展機構には未だ解明されない点が数多く残されている。これは放電現象が高速に進展する確率的現象であり,印加電圧・媒体・電極などの各種要因を分離して検討することが難しいためである。特に印加電圧は,波頭峻度・波高値・継続時間などのパラメータを持つが,放電はナノ秒オーダの短時間のうちに進展するため,その範囲でパラメータを独立に変化させることが難しい。

 この問題を解決するために理想的な印加電圧波形は,方形波である。なぜならば,方形波電圧では所望の電圧が瞬時に印加され,設定した継続時間だけ波高値が一定に保たれるため,上に挙げた印加電圧に関する問題が解決するからである。

 しかし気体中で数cmオーダのギャップを用いて試験を行うためには,数百kVの波高値とナノ秒オーダの立ち上がり時間を実現する必要がある。従来そのような方形波高電圧を発生することは困難であり,研究報告例はほとんどない。そこで本研究室では新たに開発された急峻方形波高電圧発生装置を導入し,ナノ秒オーダの短時間領域に焦点を当てた放電現象の観測を開始した。本装置は200kVの電圧波高値,16nsの規約波頭長,10μsの継続時間,2.5%の減衰率を実現した画期的な装置である。これを用いることで,放電進展現象の体系的な整理が容易になるのはもちろんのこと,近年ガス絶縁開閉装置(GIS)で問題になっているVery Fast Transient Overvoltage(VFTO)と呼ばれる数MHzの急峻サージを想定した絶縁試験を行うこともできる。

 一方で,現在電力機器の気体絶縁媒体にはSF6ガスが広く用いられているが,同ガスは地球温暖化係数が高く,2005年にも発効する見通しの京都議定書の中では削減対象に指定されている。そのため以前よりSF6代替ガスの模索が多くの研究者によって行われてきた。しかし工業的に扱いやすく絶縁性能の高いガスは提案されておらず, SF6-N2混合ガスが現実的な候補として期待されている。

 こうした背景から,本研究ではSF6とその代替となり得る絶縁ガスを主な対象とし,急峻方形波高電圧を用いてナノ秒オーダの短時間領域で放電進展現象の測定を行った。具体的に測定対象に設定したガスは,SF6,SF6-N2混合,CF3I,CF3I-N2混合,CF3I-Air混合,CF3I-CO2混合の各ガスである。CF3Iガスはもともと消火剤であるハロンの代替として開発された新しいガスで,環境負荷が極めて小さいのが特徴である。地球温暖化係数はSF6ガスの24900に対し,5以下と小さく,オゾン層破壊係数も0.0001と非常に小さくなっている。

 測定項目は,50%絶縁破壊電圧,V-t特性,ストリーマの発光,電流値などである。V-t特性とは,誘電体に電圧を印加し始めてから絶縁破壊に至るまでの時間と電圧の関係を表したもので,電力機器の絶縁性能評価の指標として用いられるものである。

 以下,主な成果を簡単に紹介する。

 1.2 μsの波頭長を持つ標準雷インパルスを用いてV-t特性の測定を行うと,通常放電遅れ時間1 μs程度までしか測定することができない。平等電界中では,この範囲でのSF6ガスのV-t特性は比較的平坦であることが知られている。これに対し,急峻方形波高電圧を用いて測定を行うと,放電遅れ時間10 ns程度までの測定が可能となる。長時間側から放電遅れ時間20 ns付近までは平坦なV-t特性を示すが,それ以内の短時間領域ではスパークオーバ電圧が大きく上昇し,V-t特性が折れ曲ることがわかった。不平等電界中では,V-t特性が2段階に折れ曲る特性が現れる。この特性はギャップ長10 mmよりも20 mmでより顕著に現れる。

 既に述べたように,SF6-N2混合ガスの絶縁特性にはシナジズムが現れることが知られている。急峻方形波高電圧を印加してV-t特性を測定したところ,放電遅れ時間10 ns程度の短時間領域においてもシナジズムが確認された。定量的には,60%までN2を混合しても絶縁特性の劣化はほとんど見られず,それ以上にN2の混合率を増してゆくと急激に劣化する。

 CF3Iガスはもともと消火剤として開発された経緯を持つが,電子の付着係数がSF6と並ぶほどに大きいため,絶縁性能が高い。V-t特性を測定してSF6ガスと比較したところ,同条件でSF6よりも30%ほど高い絶縁性能を持つことがわかった。これは10 ns程度の短時間領域でも変わらず,VFTOなどの急峻サージの進入に対しても十分な耐性を持つことを意味する。

 CF3Iガスの絶縁ガスとしての弱点は,液化温度が高いことである。大気圧で-22.5℃,GISで用いられる0.5 MPaの高気圧では20℃以上の温度で液化してしまう。そこで他の気体と混合して分圧を下げ,液化温度を低下させることを試みた。

 CF3IガスをN2ならびにAirと混合した場合は,V-t特性は混合比に対して線形に変化する。また,CF3I-N2混合ガスとCF3I-Air混合ガスのV-t特性の間には,ほとんど差が見られない。これらの混合ガスでは,CF3Iの混合率が60%の時にSF6ガスと同等のV-t特性を示した。

 これに対してCF3I-CO2混合ガスのV-t特性は混合比に対して線形に変化せず,CF3Iの混合率が40%と60%の間にほとんど差は見られない。

 以上のように実験によって放電特性を見極めることは基本的かつ重要なことであるが,工業的には計算による機器設計が行えることが望ましい。急峻方形波高電圧を用いて得られた測定値は理想に近いため,シミュレーション結果のフィードバックも容易である。そこで,等面積則を適用したV-t特性の定量的評価と,陰極向きストリーマシミュレーションに基づいたストリーマ進展速度の評価を行った。

 等面積則とは,印加電圧波形に対してある電圧を超える部分の電圧-時間積分値が放電特性を決定するというものである。つまり,いったん電圧-時間積分値を求めてしまえば,理想的にはあらゆる印加電圧波形に対してV-t特性が求まることを意味する。本研究の測定から得られた実測値に対しこれを適用したところ,10 ns付近の短時間領域まで含めて良好な一致が見られた。

 続いて陰極向きストリーマシミュレーションにより求めたストリーマ進展速度と,高速度カメラによる光学的測定により取得した実測値を比較したところ,これも良好な一致が見られた。これにより,荷電粒子分布の時間変化がある程度まで推測できるようになった。

 本研究では,主に平等電界の放電特性を調査した。現実には不平等電界が絶縁上の弱点となり,またコロナ放電の発生を経てスパークオーバに至るために過程が複雑になる。そのため不平等電界の特性は,平等電界の特性以上に興味深い点が多い。今後は不平等電界に焦点を当てて研究を進めてゆく必要があると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 放電現象は長い研究の歴史を持ち、その研究成果は工学的にも広く応用されているが、放電現象の進展メカニズムは未だに完全には解明されていない。本論文は、放電進展時の電圧変化を無視できる急峻方形波高電圧を用い、気中放電をナノ秒オーダの短時間領域で詳細に測定することにより、放電進展過程を明らかにし、また、絶縁性能評価に不可欠なV-t特性の推定法を提案したもので、「ナノ秒領域における絶縁ガスの放電進展現象」と題し、9章から構成されている。

 第1章「序論」では、研究の背景と目的について述べている。放電研究の難しさは、放電現象が高速かつ確率に左右される現象であるため、諸要因の分離検討が難しい点にある。方形波電圧は波頭峻度の影響を無視できるため、任意の電界状況を瞬時に作り出せる。これは放電現象の微細な観察、体系的な整理を行うには理想的な電圧波形である。本研究の目的は、この方形波高電圧を用い、短時間領域に焦点を当てて放電進展を詳細に測定し、さらには数値解析によって放電電圧と遅れ時間の関係を求める手法を確立することにあることが記されている。

 第2章「実験装置」では、測定に用いた実験装置の構成を紹介している。使用した急峻方形波発生装置はレーザトリガギャップを備え、規約波頭長16ns、最大電圧波高値200kV、継続時間10μs、減衰率2.5%以下という理想的な方形波高電圧の発生を実現している。レーザトリガギャップを予め導線で短絡することにより、1.8/450μsという標準雷インパルス電圧に近い波頭長を持つ電圧も発生可能である。電極構成は半球-平板電極および針-平板電極である。

 第3章「V-t特性」では、主な測定対象であるV-t特性の定義と、V-t特性を用いた絶縁性能評価について述べている。

 第4章「SF6ガスとその混合ガスの放電特性」では、SF6ガス、SF6-N2混合ガス中のV-t特性、放電遅れ時間、ストリーマ進展の様子について述べている。実験結果は以下のように要約される。

 平等電界中のSF6ガスのV-t特性は、放電遅れ時間10ns以下の短時間領域まで測定可能で、極性差はない。放電遅れ時間20ns以上では従来から知られているように平坦な特性となり、それより短時間側ではスパークオーバ電圧が大きく上昇する。ストリーマの進展速度は正極性が負極性の3倍以上速い。平等電界中のSF6-N2混合ガスのV-t特性には、放電遅れ時間10ns付近の短時間領域においても混合比に対するシナジズムが現れる。

 不平等電界中のSF6ガスのV-t特性は複数の折れ曲り点を持ち、スパークオーバ電圧は平等電界よりも低くなる。印加電圧極性による特性の変化が大きく、スパークオーバ電圧は負極性の方が高くなる。進展速度は平等電界中の半分程度で、正極性が負極性の3倍程度速い。

 第5章「CF3Iガスとその混合ガスの放電特性」では、CF3Iガス、CF3I-N2混合ガス、CF3I-Air混合ガス、CF3I-CO2混合ガス中のV-t特性、放電遅れ時間、ストリーマ進展の様子について述べている。実験結果は以下のように要約される。

 平等電界中のCF3IガスのV-t特性は、放電遅れ時間20ns以上では平坦で、それ以下で大きく上昇する。CF3IガスはSF6ガスに勝る絶縁性能を持ち、放電遅れ時間10μsにおけるスパークオーバ電圧は112kVとSF6ガスより27%程度高い。進展速度は正極性が負極性の1.6倍程度速い。平等電界中のCF3I-N2混合ガスのV-t特性は、放電遅れ時間20ns以上では比較的平坦で、それ以下で大きく上昇する。V-t特性は混合比に対してほぼ線形に変化し、CF3I:N2=6:4の混合ガスがSF6ガスと同等のV-t特性を示す。平等電界中のCF3I-Air混合ガスのV-t特性は、CF3I-N2混合ガスとほとんど変わらない。平等電界中のCF3I-CO2混合ガスのV-t特性は混合比に対してほぼ線形に変化するが、CF3I:CO2=4:6混合ガス中のスパークオーバ電圧が期待されるよりもやや高くなる。

 不平等電界中のCF3IガスのV-t特性は極性差が大きく、負極性の方が傾きが緩やかでスパークオーバ電圧が高い。ストリーマは針電極から進展し、進展速度は次第に速くなる。進展速度は正・負極性で同程度である。

 第6章「数値解析によるストリーマ進展速度の検討」では、SF6-N2混合ガス中のストリーマ進展モデルを構築し、数値解析による検討を行っている。電子密度のピークをストリーマ先端と仮定してストリーク写真を模した画像を描いたところ、SF6混合率40%以上ではストリーマ進展速度が低下してゆくのに対し、20%ではほぼ一定の速度を保ち、0%では速度が増しており、実測値と一致する結果が得られ、数値シミュレーションの有効性が明らかになった。また、数値解析により求めた形成遅れ時間と最低スパークオーバ電圧からV-t特性を推定したところ、実測値に照らして妥当な結果が得られた。

 第7章「等面積則によるV-t特性の定量的評価」では、等面積則によるV-t特性の定量的評価について述べている。印加電圧波形の電圧-時間積分値により決定される面積パラメータは、印加電圧がある値VFを下回ると急激に増大する。適正な評価結果を得るためには、VF以上の印加電圧に対する面積パラメータを用いるのがよいことを明らかにした。このようにして求めた面積パラメータを用いることにより、SF6-N2、CF3I-Air混合ガス中のV-t特性を、放電遅れ時間10ns付近の短時間領域まで精度良く推定できることを示した。また、第6章の解析結果に基づき、、経験則であった等面積則に物理的な解釈を与えるに至っている。

 第8章「結論」では、以上の成果をまとめ、内容を総括している。

 第9章「今後の研究の方向性」では、本研究では初期データの収集にとどまった不平等電界中の放電特性測定の必要性について述べている。

 以上これを要するに、本論文は、電気絶縁設計の観点からその進展特性の解明が待望されている絶縁気体中の放電現象を対象とし、特に火花破壊電圧と破壊遅れ時間との関係(V-t特性)についてナノ秒短時間領域までの特性を明らかにした上で、ストリーマ放電のシミュレーションに基づくV-t特性推定法を新たに提案し、経験則であった等面積則に物理的な解釈を与えている点で、電気工学、特に高電圧、放電工学に貢献するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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