学位論文要旨



No 120064
著者(漢字) 横川,隆司
著者(英字)
著者(カナ) ヨコカワ,リュウジ
標題(和) 生体分子モータを用いたナノ搬送デバイスの製作
標題(洋)
報告番号 120064
報告番号 甲20064
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6006号
研究科 工学系研究科
専攻 電気工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,博之
 東京大学 教授 岡部,洋一
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 下山,勲
 東京大学 助教授 年吉,洋
 東京大学 助教授 野地,博行
内容要旨 要旨を表示する

 Micro Electro Mechanical Systems(MEMS)技術は,誕生から20年余りが経過し,それを用いた多くの製品が生まれてきた.これまで,MEMSは光技術,バイオ技術,無線通信技術など様々な分野との融合が図られ,デバイス製作のための加工技術としての位置付けが大きくなってきた.特に化学,医学,薬学,生化学とMEMSを融合し,デバイス内で流体を扱うマイクロフルイディクスと呼ばれる研究が近年注目を集めている.たとえば, Micro Total Analysis Systems(microTAS)は,化学反応やその検出をマイクロチップ上で行うことを実現しようとする分野である.化学実験に限らず流体を扱った反応検出システムでは,チップの微小化によって分析や反応に要する試薬の量を減らし,反応の高速化やコスト削減を図ることができる.近年では,微細加工技術の発達によりナノスケールにチャネルを微細化することで,チップ全体の更なる小型化を目指す研究が進められている.ここで問題となるのが,流体を流す際の圧力損失増大による溶液導入の難しさや,微量の目的分子を検出する手法の検討などである.そこで,目的分子をマイクロビーズなどに固定することにより,溶媒中での分散状態よりも高濃度に分子を集合させる.さらに,溶液駆動を用いることなくチップ上で一連の処理を行うことができれば,これらの問題を解決することができる.

 このような背景から,抗原抗体反応を用いて目的分子を濃縮固定し,反応や検出を行うイムノアッセイ(酵素免疫測定法)がビーズを用いて行われるなど,ビーズを利用したアッセイが盛んに研究されている.チップ上でビーズを操作する方法としては送液によるものが支配的であったが,より自由にビーズを扱うために誘電泳動,磁場,レーザピンセット等を用いた方法が提案されている.しかし,誘電泳動や磁場を用いた方法では集団としてビーズを操作するため,より少数の目的分子を扱うためには限界がある.レーザ照射においては,対象とする物質の生化学的な機能を奪ってしまうことも危惧される.よって,個々のビーズを直接かつ穏やかに運ぶ方法が望ましい.例えば,生体内の様々な分子は細胞内輸送によって個々の分子が目的の場所から場所へ運ばれている.

 そこで,本研究ではビーズなどのナノスケールの対象をタンパク質生体分子モータにより操作する手法を提案する.この手法をmicroTASなどのチップ上で応用することができれば,送液に代わる新規な目的分子の搬送方法となることが期待される.従来のマイクロフルイディクス技術と生体分子モータを融合することで,新たなハイブリッドナノ搬送システムの創成を目指した.

 本研究では,生体分子モータの中でリニアに駆動する微小管-キネシン系生体分子モータを用いた.モータ分子であるキネシンは,ヘッド部分が10 nm,全長が80 nm程度のタンパク質分子である.レール分子である微小管は,モノマーであるチューブリンを重合することによって得られる直径 25nm,長さ数10 μmのフィラメントである.本研究で用いた従来型キネシンは,微小管のマイナス端からプラス端に向かって一方向に運動するため,微小管をチャネル内に配向させて付着すれば所望の方向へ物体搬送を行うことができ,いわば線路と電車のような関係を微小流体デバイス内で実現することができる.このキネシンの運動は,溶液中のアデノシン-3-リン酸(ATP)を加水分解する際に生じるタンパク質の三次元構造変化に伴ってもたらされ,キネシンは化学エネルギーから運動エネルギーを取り出すことのできるナノマシンとみなすことができる.従来の電気・機械的なビーズ操作方法では,デバイス外部にビーズ駆動システムを設置し操作する必要があった.しかし,生体分子モータによるビーズ操作においては,エネルギー源であるATPが溶液内に存在するためデバイスの微細化にも貢献する.このため,試薬に満たされたmicroTAS中での物体搬送を考えた場合,溶液中で駆動する生体分子モータの方が有利である.

 キネシン-微小管系生体分子モータを工学的な搬送システムに利用するため,まずタンパク精製方法を確立した.キイロショウジョウバエ(D. melanogaster)由来のキネシン(GST(Glutathione S-Transferase)タグ付き全長キネシン(分子量136 kDa))が発現した大腸菌(E. coli)を大量培養した.そして,得られた大腸菌からのキネシン精製方法の最適化を行った.異なる2つの精製方法を確立し,精製方法1により精製したキネシンはビーズアッセイなどの物体搬送用に,精製方法2で精製したキネシンはグライディングアッセイ用に用いた.チューブリンは共同研究者から供給してもらい,本研究ではチューブリンの蛍光ラベルや微小管への重合を行い研究を進めた.これらのタンパク質は,理学分野において20年以上研究されてきたため生物物理的な特性は明らかになりつつあるが,工学的応用に関する研究は近年始まったばかりであり検討すべき問題は多い.そこで,本研究ではハイブリッド搬送システムの実現に至る要素技術の検討を行った.

 第一に,キネシン-微小管系生体分子モータを微小流体デバイスと組み合わせることによって,その機能の評価を行った.微小管は,一般にガラスと親和性がないためポリ-L-リジンを用いてガラスに付着させる方法を用いた.Polydimethyl siloxane(PDMS)レプリカを用いたソフトリソグラフィにより,ポリ-L-リジンをパターニングすることで微小管のパターニングも実現することができた.さらに,SOIウエハからリリースしたシリコン構造にキネシンを付着させることにより,搬送速度308 nm/sでその搬送を実現した.これによって,PDMSとガラスによって作られた一般的な微小流体デバイス内において,またマイクロマシーニングによって人工的に製作したマイクロ・ナノ構造と組み合わせた場合にも,生体分子モータが活性を失うことなく搬送機構の駆動源として働くことが示された.

 次に,生体分子モータをデバイス設計者の意図通りに工学的に制御するため,駆動停止制御性技術の確立を行った.エネルギー源であるATPに加え,ATPをグルコース-6-リン酸(glucose-6-phosphate)とアデノシン-2-リン酸(ADP)に分解するヘキソキナーゼを使用した.停止状態から駆動状態にするために最適化したATP濃度は102 μM,駆動状態から停止状態に遷移させるために最適化したヘキソキナーゼ濃度は103 U/lであった.これらの濃度のATPとヘキソキナーゼを繰り返し用いることによって,応答性良く駆動状態と停止状態を切り替えることに成功した.

 さらに,マイクロ・ナノ構造をデバイス内の目的の場所へ一方向に搬送するために,微小管の極性を配向し,固定する技術を確立した.まずグライディングアッセイとバッファの流体力を利用して微小管の極性を配向し,その配向状態を保ったままグルタルアルデヒドを用いて化学的に固定した.その後,活性のあるキネシンが付着したビーズを微小管の固定されたチャネル内に導入すると,キネシンと微小管の相互作用によりビーズは微小管上に捉えられる.最後にATPを導入すると,約97 %のビーズが微小管のプラス端に向かって一方向に搬送されることを確認した.

 異なる微小管配向方法として,微小管一分子をナノスケールチャネル内に配向・固定する方法も確立した.グライディングアッセイにより,幅500 nmのチャネルに微小管を導入し,水銀ランプを照射しキネシンを失活させることで固定を行った.グライディングアッセイ時に動いている微小管の先端はマイナス端であるから,アッセイによってチャネルに誘導された微小管の極性は自明である.微小管が固定されたナノチャネルに直径320 nmのキネシンビーズを導入すると,数個のビーズが一方向に搬送された.これは,ナノスケールのチャネル内で溶液交換を行うことなく,少数のビーズを扱うための基礎技術である.

 以上の基礎技術を用いて,微小流体デバイス内でのアプリケーションの例として以下の技術を検討した.微小管を配向しておいたチャネル内で,ATPとヘキソキナーゼを交互に注入することで搬送途中の所望の位置で停止駆動を実現した.また,十字チャネルを用いた目的分子の搬送実験を行った.交差するチャネルの一方に微小管を配向しておき,それに直交するチャネルからキネシンビーズを導入し微小管上に付着させる.さらに,目的分子を含む溶液を交差部分に導入することによってキネシンビーズ上に付着させた.このチャネルにATPを加えると,ビーズは微小管上を一方向に目的分子を搬送した.目的分子を特異的にビーズに付着させたり,さらに長距離輸送し反応や検出を行うといったシステムの構築までには至らなかった.しかし,これらの技術は,微小流体デバイス内において自在に搬送を行うための要素技術として重要である.

 本研究では,キネシン-微小管系生体分子モータの工学応用に向けたタンパク質の準備,微小管のパターニニグ,マイクロ・ナノスケールのシリコン構造の搬送,キネシンモータの駆動停止制御技術,微小管の配向による搬送方向の制御等の基礎技術を検討した.さらに,デバイス内での要素技術を検討することにより,より複雑な微小流体デバイスの実現可能性の一端を示すことができたと考える.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「生体分子モータを用いたナノ搬送デバイスの製作」と題し、7章と付録からなっている.

 第1章は序論であり、研究の目的と背景、および論文の構成が述べられている。

 第2章では、本研究で用いるキネシン・微小管系生体分子モータの抽出と精製プロセスの最適化について述べている。また蛍光顕微鏡、暗視野顕微鏡、微分干渉顕微鏡を用いて分子モータの動きを観察する手法などの基礎的検討を行なった結果を記している。

 第3章では、生体分子モータとMEMS構造を融合する技術について、微小管のガラス基板上の選択的付加方法とその凍結保存方法、さらに付加・固定した微小管上でキネシン付加したシリコン微小構造を動かした結果について述べている。物体の動く速度は、308nm/sであった。また、凍結保存に関しては、一月程度の保存に耐えることが分かった。

 第4章では、生体分子モータで運ぶ微小物体の駆動と停止を自在に制御する方法を論じている。分子モータのエネルギー源であるATP(アデノシン3リン酸)とそれを分解する酵素(ヘキソキナーゼ)を交互に注入することで、物体を動かしたり止めたりする制御を繰り返し行うことに成功した。

 第5章では、搬送方向の制御方法について述べている。微小管の化学的方向である+端・-端を97%以上の確度でそろえてマイクロ流路内に固定する二種類の方法を開発した。一方は、流体力による+端・-端の配向と化学物質による固定をする方法、他方は微小管そのものの動きで幅500nmのナノ流路内に導入し、紫外線で固定する方法である。配向した微小管の上で、キネシン付加したビーズを+端に向けて動かすことに成功した。

 第6章では、以上で確立した基礎技術を用いて、マイクロ流路内において一方向搬送と駆動・停止制御を同時に実現するデバイスを作った。また十字型流路を用いて、交点部にあるビーズ上に一方の流路から流した目的分子を捕獲し、そのビーズを他方の流路内へ搬送するデバイスを実現した。これらは、生体分子モータを用いて、マイクロ・ナノ流路内でナノ物体を個別に搬送するシステムの実現可能性を実験的に示した成果である。

 第7章は結論で、本論文の成果を総括している。

 以上これを要するに、本論文はキネシン・微小管系の生体分子モータと人工マイクロ構造を融合する技術を確立し、駆動・停止や進行方向の制御を可能にすることで、生体分子モータの力で人工物を運ぶマイクロ流体システムの実現可能性を実験的に示したもので、電気工学に貢献するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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