学位論文要旨



No 120082
著者(漢字) 中村,優男
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,マサオ
標題(和) マンガン酸化物薄膜における金属・絶縁体転移の発現に関する研究
標題(洋)
報告番号 120082
報告番号 甲20082
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6024号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 鹿野田,一司
 東京大学 助教授 為ヶ井,強
 東京大学 助教授 朝光,敦
内容要旨 要旨を表示する

 ペロブスカイト型マンガン酸化物は、バンド幅やフィリングの制御によって様々な電子相を示すことが知られており、その多彩な電子相を外場によって自由に制御するということがマンガン酸化物の研究における大きなテーマの一つである。特にハーフドープ近傍で現れる電荷軌道整列相では、磁場・電場・圧力といった様々な外場を印加することによって、抵抗率の変化にして数桁にもわたる絶縁体・金属転移が起きることが明らかになり、これはマンガン酸化物の代表的な性質として認知されている。また、光照射によって、この絶縁体・金属転移を非常に高速に起こすことが可能であることも報告されており、マンガン酸化物の電荷軌道整列相はスイッチング材料などへの応用面でも高い潜在力を秘めているといえる。電荷軌道整列相が巨大で高速な外場応答性を示す理由は、マンガン酸化物がいわゆる強相関系と呼ばれて、電荷・軌道・スピン・格子といった自由度の間に強い相互作用を有しており、電荷軌道整列相から金属相への転移が系全体で協力的に起こるためであると考えられている。このような性質をデバイスにおいて利用するためには、最終的なプロセス加工の必要性などを考えると、薄膜化することが必須であると考えられる。これまでに電荷軌道整列相を薄膜で実現する試みが多数なされてきたが、それらはあまり成功しているとは言えない状況であった。その主な理由は、電荷整列転移が格子変形を伴う一次相転移であるため、基板からのストレイン効果によって格子位置が拘束されている薄膜では、電荷軌道整列転移が抑制されてしまうためであろうと考えられてきた。

 本研究では、面内異方性を有する基板を用いることで、マンガン酸化物薄膜において明確な電荷軌道整列転移を起こすことに初めて成功し、そのメカニズムを構造解析及び光学異方性から推察した。対象とした物質はNd1-xSrxMnO3であり、このx=0.5のバルク試料は160 K付近で電荷軌道整列転移に伴う鋭い金属・絶縁体を示すことが報告されている物質である[1]。以下に、本論文の主な結果を示す。

 Nd0.5Sr0.5MnO3 (NSMO)の薄膜を Pusled-laser deposition 法によって、面内等方的なSrTiO3 (STO)の(001)基板、及び異方性を持つ(110), (111) 基板上に作製した。X線構造回折によって、どの基板上の薄膜も基板と配向の揃ったエピタキシャル成長をしていることがわかった。また、(001)基板上の薄膜では面内の格子定数は基板とほぼ完全に一致しており高い結晶性を示したのに対し、(111)基板上では面内の等価な<100>の3軸に対して薄膜の格子定数は全て緩和しており、結晶性はあまり良くなかった。一方(110)基板上では薄膜はやや複雑な構造を示した。図1(a)に(110)基板上の薄膜の(222) 及び(310)近傍のX線逆格子マッピングの結果を示す。面内の特徴的な2軸のうち、[001]方向では基板と薄膜の格子定数が一致しており、[-110]方向には格子が緩和していることがわかる。また(222)のピークが[110]方向に2つに割れており、これは薄膜の[110]軸が[001]及び[00-1]方向にわずかに傾いた2つのドメインが存在していることを示している。この傾き角度は図1(b)に示したように0.42°と求まった。また(110)基板上の薄膜は比較的高い結晶性を保っており、これは[001]方向に強いストレインが効いているためだと考えられる。

 これらの薄膜の磁化及び抵抗率の温度依存性を図2に示す。(001)及び(111)基板上では金属・絶縁体転移は観測されていないが、(110)基板上では明確な強磁性金属から反強磁性絶縁体への転移が観測されている。転移温度はバルクの電荷軌道整列転移温度とほぼ一致しており、また最低温での抵抗率も102 Wcm以上と高いことから、この転移が電荷軌道整列の発現によるものであると考えられる。この(110)基板上の薄膜における金属・絶縁体転移のメカニズムを探るために、次に光学異方性を調べた。

 図3はNSMO/STO(110)薄膜の室温と97 Kにおける透過率スペクトルの結果である。特徴として、室温から[001]と[-110]方向には光学異方性が存在しており、また2軸方向のスペクトルはおよそ2 eV付近で交わっている。これらの特徴は、単一ドメインのバルク単結晶に対して報告されている光学伝導度の結果[2] と非常によく似ており、両者を比較した結果、NSMO/STO(110)における軌道整列面は、[001]軸を含む面であると推測された。このような面としては、試料表面に対して45°傾いた、(100)あるいはそれと等価な(010)面が考えられる。

 図4は、[110]及び[001]方向の格子定数の温度依存性である。試料面間方向の[110]方向には、金属・絶縁体転移点近傍で格子定数の不連続な跳びが観測されており、この転移が構造相転移を伴っていることを示している。また面内の[001]方向の格子定数変化は、基板の温度依存性とエラーバーの範囲内で一致しており、ほぼ基板に固定されていると言える。[110]方向の格子定数の跳びはおよそ0.001 Åであり、バルクにおける変化とくらべて1/20程度と非常に小さい。この理由は、やはり面内の格子定数変化が抑えられているために、体積保存の関係から面間方向の格子定数変化も抑えられているためだと考えられる。

 ここで、(110)基板上でのみ明確な金属・絶縁体転移が起こる理由を議論する。まず、STO(001)基板上の薄膜では、軌道整列面は試料表面に平行な面になっていると考えられる。試料面内方向では基板からのエピタキシャル応力が強く働いており、通常格子位置の変位は抑制されてしまうので、軌道整列面内での格子変形は起こりにくいと予想される。そのため、(001)基板上では温度によらず相が一つに固定されてしまい、磁気輸送特性は単調な振舞いになってしまっていると推測される。一方、(110)基板上の薄膜の軌道整列面は試料表面に対して傾いており、薄膜の法線方向の射影成分を含んでいる。したがって、エピタキシャル薄膜であっても法線方向への原子位置の変位の自由度があるために、軌道整列面内の格子変形が可能である。また、電荷整列転移が起こるためには、Jahn-Teller効果による軌道整列面内での酸素位置の変位が重要である、ということを示唆する結果がバルク試料で得られている。よって、(110)基板上での明確な電荷軌道整列転移が起こるのは、軌道整列面が試料面に対して傾いており、軌道整列面内でのJahn-Teller効果による酸素位置の変位が可能であるためだと考えられる。また、(111)基板上では、薄膜の結晶性が低いために格子欠陥が多く内包されており、この欠陥サイトでのランダムポテンシャルが電荷軌道秩序の長距離秩序を壊すため、強磁性金属的な振舞いを示していると考えられる。

バルク試料のNd1-xSrxMnO3は、x=0.5の近傍で、強磁性金属相、A型反強磁性相、CE型反強磁性相が拮抗しており、物性もドーピング濃度に対して非常に敏感に変化することが報告されている[3]。その性質を利用して、薄膜でも非常に精密な組成制御が可能であることを明らかにした。図5はSTO(110)基板上にx=0.48から0.51まで1%刻みで作製したNd1-xSrxMnO3薄膜の抵抗の温度依存性である。x=0.48の薄膜は金属的な振舞いしか観測されておらず、またx=0.50の薄膜で最も鋭い金属絶縁体転移が観測されている。この様子はバルク単結晶の振舞いをよく再現しており[3]、作製した薄膜の組成ずれが1%以内にあり、かつ薄膜でも1%の精度での組成制御が可能であることをはっきりと示している。また、伝導特性がわずかなドーピング濃度の違いで大きく変化する様子は、FET構造等を用いたキャリア制御による相制御の可能性を期待させる。

 以上、STO(110)基板を用いることで、薄膜でも一次相転移である電荷軌道整列転移を起こすことが可能であることを示した。同様のメカニズムによって、他の電荷軌道整列を示す組成に対しても(110)基板が有効であることが期待され、マンガン酸化物薄膜の、より一層の自由な相制御、そしてそれを利用したデバイス応用への道が開けたと考えられる。

参考文献[1] H. Kuwahara et al. Science 270, 961 (1995).[2] K. Tobe et al. Phys. Rev. B 69, 014407 (2004).[3] R. Kajimoto et al. Phys. Rev. B 60, 9506 (1999).

図1(a) NSMO/STO(110)薄膜の(222)及び(310)近傍におけるX線逆格子マッピング

(b)X線回折より求められた、薄膜の格子歪みの様子

図2 STO(001), (110), (111)基板上のNSMO薄膜の磁化(上図)及び抵抗率(下図)の温度依存性

図3 NSMO/STO(110)薄膜の、[001]及び[-110]軸方向の透過率スペクトル

図4 NSMO/STO(110)薄膜の、面間[110](左図)及び面内[001](右図)軸方向の格子定数の温度依存性

図5 Nd1-xSrxMnO3 (x=0.48〜0.51) / STO(110)薄膜における抵抗率の温度依存性

審査要旨 要旨を表示する

 ペロブスカイト型結晶構造を持つマンガン酸化物は、マンガンの形式価数(ホールドープ量)とAサイト元素のイオン半径を変えることにより、超伝導を除く殆ど全ての電子物性を示すことが知られている。その電子相図は必然的に非常に複雑なものとなり、エネルギー的にほぼ縮退した複数の相の間をわずかな外場によって行き来する現象は、いわゆる超巨大磁気抵抗効果(CMR)をはじめとして、多種類のものが知られている。このような外場誘起相転移現象は、基礎物理としての興味はもちろん、電子素子への応用も期待されるところであるが、応用上欠かせない薄膜化については、研究が立ち遅れている。特に、バルク結晶と同程度の外場敏感性を持った薄膜試料の作製は、多くの試みにもかかわらず、殆ど実現されてこなかった。本論文は、薄膜の組成と基板の格子定数・方位を注意深く選択することにより、これまで実施例が無かった明確な金属・絶縁体一次相転移を示すマンガン酸化物薄膜の作製に成功した経緯をまとめたものである。

 本論文は全6章よりなる。

 第1章では、研究の背景となるペロブスカイト型マンガン酸化物において既に知られている諸物性を、本論文の主題となる歪と欠陥との関連において概観している。また、付加的に行った、異常ホール効果の研究例についても言及している。

 第2章では、本研究で使われた実験手法が解説されている。ここでは、レーザーアブレーション法による試料作製法と最適化のための条件出しの方法、X線回折法、磁気輸送測定法、光学測定法など、以下の章で展開される解析の基礎となる手法について、簡潔に述べられている。

 第3章では、通常広く行われている、ペロブスカイト(001)基板上へのNd1-xSrxMnO3(NSMO)の製膜について検討した結果が述べられている。この場合、基板に適した材料の格子定数は数種の離散的な値しか選択枝が無く、膜の歪は、定性的にはバルク結晶と比較して、(1)基板面内で伸長している、(2)ほぼ歪が無い、(3)基板面内で圧縮されている、の3通りが可能である。これまでの研究で知られているように、この各々の場合に、電子状態はA型反強磁性、強磁性、C型反強磁性となり、室温における常磁性状態からの磁気転移はあるものの、バルク結晶で知られている電荷軌道秩序(COO)相への転移は示さない。バルク結晶では、COOに伴って格子定数が大きく不連続に変化することから、このような転移の欠如は、基板によるクランプ効果であると考え、条件を変えて部分的に基板からの歪の緩和された膜を作製したところ、わずかにCOOの回復が見られた。

 第4章は、前章の結果を踏まえ、より格子変形の自由度が高いと想像される(110)および(111)基板上へのNSMOの製膜について詳細に述べられている。(111)基板上の膜については、高い結晶性を持つ薄膜を得ることが出来ず、欠陥に由来するCOOの崩壊による強磁性が得られたのみであったが、(110)基板上では、明瞭な強磁性金属・COO絶縁体転移を発現させることに成功した。これは基板にエピタキシャルに成長した薄膜において、拘束の無い[110]方向への格子緩和が、(001)面内の非対称な格子変形を許容し、従ってCOO相出現に伴う格子変形を吸収することが可能になったためであると解釈される。実際、透過光学スペクトルからは、COO面が基板面から立ち上がった(001)あるいは(100)面にあることが示され、このような描像を確かなものにしている。さらに、このように格子変形の自由度が緩和された薄膜にあっては、NSMOのドープ量xの1%の変化が、忠実に電子状態に反映されるという、バルクに匹敵する組成敏感性も示された。さらに、バルク結晶以上の磁場敏感さを持ったCMR効果も確認された。

 第5章では、前章で得られた明瞭な相転移を示す薄膜を用いて行った、反強磁性状態におけるホール測定の結果が述べられている。強磁性から反強磁性に移り変わるとき、異常ホール係数は一旦大きな正の値をとり、降温とともに絶対値の大きい負の値に変化するという特徴的な振舞を示したが、その起源については明らかに出来なかった。

 第6章は結論である。

 以上を要するに本論文は、巨大な応答で知られるマンガン酸化物において、バルク結晶に見られる複雑な電子相を再現する薄膜を作製する方法を明らかにしたものであって、酸化物エレクトロニクス応用への第一歩となるものである。

 これらの点で、本研究は物性物理学、物理工学の進展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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