学位論文要旨



No 120083
著者(漢字) 野村,政宏
著者(英字)
著者(カナ) ノムラ,マサヒロ
標題(和) InGaNヘテロ構造における400nm帯光誘起吸収効果とその制御
標題(洋) Photo-induced absorption effect and its control around 400 nm in InGaN heterostructures
報告番号 120083
報告番号 甲20083
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6025号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 志村,努
 東京大学 教授 黒田,和男
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 教授 中野,義昭
内容要旨 要旨を表示する

1. 研究の目的と背景

 本博士論文は窒化物半導体InGaN/GaNダブルヘテロ構造における光誘起吸収効果の特性を詳しく調べ、その効果を用いて二次元光デバイスへの実現を目指して透過率の光制御を行った結果をまとめて考察したものである。

 InGaN/GaNダブルヘテロ構造は格子不整合系であるため構造内に1 MV/cmオーダーの非常に強いピエゾ電界が存在する。そのためInGaNが吸収する波長(〜400 nm)の光を当てて構造内に多量の電子と正孔を生成すると、内部電界を遮蔽するように電子と正孔が逆のヘテロ界面に分離する。その結果内部電界が弱まると遷移エネルギーが変化するために吸収端近傍で大きな吸収係数の変化が観測される。この光照射によって吸収変化が起こる現象を光誘起吸収効果とよぶ。この効果の存在自体は既に報告されていたが、詳細な研究は行われていなかった。本研究はInGaN/GaN材料特有の大きな光誘起吸収効果を詳しく研究し、知られていなかった特性を明らかにしてきた。そしてこの効果を用いて新規な光デバイスを提案した。従来の半導体ナノ構造を用いた光デバイスは外部電界を印加して動作させることが基本であり、結晶成長後に複雑なプロセスを要する。一方、提案した光デバイスは内部電場を光制御することで結晶成長後のプロセスを一切必要としない電極不要な素子を青色波長域で実現できる点で特徴的であり、かつ独創的である。この素子の実現に向けて基礎的な光変調特性を評価し、InGaN材料のポテンシャルを探った。以下、光誘起吸収効果について得られた知見と透過率の光制御に関する結果と考察を具体的に述べてゆく。

2. 光誘起吸収効果について

 研究に用いた窒化物半導体構造は有機金属気相堆積法により作製した。まず始めに、InGaN膜厚が異なる試料でキャリアダイナミクスと光誘起吸収効果の大きさがどう異なるかについて調べた。膜厚5.5〜66 nmまでの四種類のInGaN膜厚をもつ試料を成長した。主な評価法にはフェムト秒過渡吸収分光法を用い、パルス励起後の過渡的な光誘起吸収変化を観測した。パルス励起後、約400 psはバンドフィリング効果によって大きな吸収係数の減少が観測され、キャリア密度が十分に低くなった2 nsでは、パルス光励起により生成された電子・正孔が空間的に分離されて内部電場を遮蔽し、基礎吸収端近傍での吸収の変化となって現れる様子が観測された(Fig. 1)。最も厚い膜厚66 nmの試料で最も大きな吸収係数変化(Δα)を観測し、Δα〜10,000 cm-1という大きな値を得た。そのため、素子の構造としては臨界膜厚以下のできるだけ厚い構造が最適との結論を得た。そしてInGaN膜厚66 nmの試料を用いて光誘起吸収効果について研究を行った。

 次に、素子の動作原理となる物理現象、すなわち光誘起吸収効果を詳細に理解するために過渡吸収分光と時間分解フォトルミネッセンス測定によってパルス光励起後のキャリアダイナミクスについて研究した。励起後ナノ秒以内のキャリアダイナミクスは京都大学のグループによって既に研究されていたが、本研究ではナノ秒領域も含め、さらに光誘起吸収変化が完全に緩和する時間スケールまで研究領域を拡張した。その結果、光誘起吸収変化がナノ秒(既知)、およびサブミリ秒(新規に発見)オーダーの異なる二つの物理現象によって緩和することがわかった。光誘起吸収効果がキャリア寿命より5桁も長いサブミリ秒保持される原因は、ガリウム原子の空孔などのバンドギャップ中にある深い電荷捕獲準位であると考えられる。内部電場によって空間的に分離された電子と正孔はそれぞれ逆のヘテロ界面付近に分布する。それらのうち大部分は、非発光または発光再結合過程によって比較的短時間で緩和し、一部は空間分離を保ったまま電荷捕獲準位にトラップされると考えられる。これらの捕獲された電荷が内部電界を長時間遮蔽し、光誘起吸収変化がサブミリ秒程度保持していると考えられる。この初めて明らかになったサブミリ秒オーダーの吸収変化の緩和は、次に述べる点で非常に重要な意味を持つ。強い内部電界の遮蔽には高密度のシートキャリア密度が必要なため、今までは強力なパルス光励起によってのみ励起直後の一瞬だけ吸収変化を誘起できると考えられていた。しかし、サブミリ秒程度保持される吸収変化を利用すればキャリア生成レートの低い連続(CW)光励起でも大きな吸収変化を誘起することが可能で、安価な半導体レーザーで光誘起吸収効果を利用した光デバイスを駆動できる可能性を示唆した。

3. CW光による透過率の光制御

 上記の可能性検討するため、半導体レーザーからのCW光で誘起される吸収変化を測定した。そしてCW光励起を用いてもパルス光励起の場合に比べて全く遜色ない大きな吸収変化を吸収端近傍で誘起できることを示し、デバイスの駆動光源として高価なパルス光源システムではなく安価で手軽な半導体レーザーを用いることが可能であることを実証した(Fig. 2)。このデバイスの基本動作特性を調べるため膜厚66 nmの単層InGaN試料において波長405 nm、光強度1 W/cm2のCW光を励起光に用いて、断続的にオンオフしたときの透過光強度変化を調べた。その結果、透過光強度変調は約4%となり、変調度が半分に落ちるカットオフ周波数は300 kHzとなった。本光デバイスは二次元的に利用することが期待できるため、フレームレートとして考えた場合非常に高い値であると言える。

 さらに大きな透過率変化を得るためにInGaN/GaN( 60 nm/ 60 nm)の10周期構造を作製した。この試料について波長405 nmのCW光を励起光に用いて励起光をオンオフしたときの透過光強度変調特性をこの試料の最大感度波長である398 nmで調べた。励起光が10 W/cm2のとき透過光強度変化は約30 % (Fig. 3)と非常に大きな値が得られた。カットオフ周波数は励起光強度1 W/cm2において約30 kHzとなった。カットオフ周波数が単層試料と比べて低下した理由は、試料による吸収のため深い位置にあるInGaN膜における励起強度が弱く、早い周波数領域では光誘起吸収効果が完全に立ち上がる前に励起光がオフになるためであると考えられる。しかし、高速でデバイスを駆動したときに透過光強度変調度を低下させる主な原因は光誘起吸収効果の遅い緩和にあるため、何らかの手法を用いて緩和時間を短くすることでカットオフ周波数を引き上げることができる。本研究では、ヘリウムイオンを照射することで緩和時間の短縮に成功し、カットオフ周波数を大きく引き上げることに成功したので次に詳しく述べる。

3. ヘリウムイオン照射による透過率光制御特性の向上

 InGaN/GaN( 60 nm/ 60 nm)の10周期構造を持つ試料に、深さ方向にイオン濃度が均一になるように加速電圧5 〜 350 kVで8段階ヘリウムイオン照射を行った。照射を行わなかった試料を(A)、ピークイオン濃度が1 x 1016 cm-3の試料を(B)、1 x 1017 cm-3の試料を(C)としてイオン照射が試料の特性に与える効果について述べる。

 フォトルミネッセンス強度は照射量が多い試料ほど小さくなり、時間分解四光波混合実験においてキャリア寿命が短いことを確認した。これはイオン照射によって結晶がダメージを受けて新たに欠陥が導入されたことを示す。試料(A)と(B)で光誘起吸収効果の緩和時間を比較するとイオンを照射した試料(B)の方が早い緩和を示しており、その結果遮断周波数は試料(A)が30 kHzであるのに対し試料(B)では130 kHzとなり4倍の高速化を達成した(Fig. 4)。これはイオン照射が電荷捕獲時間のより短い欠陥準位を形成したと考えることでうまく説明がつく。一方で、電荷捕獲時間が短くなったことで一定の励起レートにおいて光誘起吸収効果の原因となる捕獲電荷の数が減少する。そのため効果の大きさは小さくなり、試料(B)では(A)に対して18%の減少がみられた。イオン照射による結晶のダメージがキャリア寿命と移動度が減少し、空間分解能を改善することも確認できたが、試料(A), (C)の空間分解能はそれぞれ500 mm、100 mm程度であり、素子の二次元利用にはさらに改善が必要である。例えば、空間分解能はプロセスによってInGaN層を10 mm角程度のメッシュ状に切ることで向上させることが可能である。以上の結果から、効果の大きさを損なわないピークイオン濃度が1 x 1016 cm-3になる程度のイオン照射を行い、プロセスによって空間分解能を上げることが電極フリーの光アドレス型二次元光デバイスを実現するための有効な手段であると考えられる。

Fig.1 パルス励起後の吸収係数変化の時間発展。左下の数字はブローブパルスの遅延時間。

Fig.2 CW光とパルス励起による吸収係数変化スペクトル。スペクトルは遅延時間2nsで測定した。

Fig.3 InGaN/GaN10周期試料のCW励起時における透過光強度変化。右下の数字は励起強度。

Fig.4 InGaN/GaN10周期試料におけるイオン照射が透過強度変化の周波数依存症に与える影響。

審査要旨 要旨を表示する

 GaN系半導体は、近年青色発光ダイオード、400 nm帯半導体レーザーの実用化とともに大いに注目されている。特に、次世代光ディスクである、Blu-ray disc および、HD-DVDでの光源として採用されたことのインパクトは大きい。本研究はこのGaN系半導体の量子井戸構造を用いて、光源としてではなく、光-光制御による空間光変調器としてのデバイス実現を目指して、光誘起吸収変化の基礎的な検討と、そのメカニズムの解明を目的としている。

 半導体量子井戸を用いた光デバイスでは、しばしば外部電場を印加することによる効果の増強が行われる。GaN/InGaN系量子井戸では、大きな格子不整合のために量子井戸層に歪が生じ、圧電効果を介してピエゾ電場が誘起される。このため、外部電場を印加することなく、大きな光誘起吸収率/屈折率変化が引き起こされることが期待できる。本研究では、さまざまな厚さを持つ量子井戸層を作成し、光照射による吸収変化とキャリアダイナミクスについて実験的な検討を行った。特に消去の次定数の長い現象に着目し、1 mWから1 Wクラスの微弱な連続光で20%以上という大きな吸収率変化を誘起することができた。

本論文は以下の7章からなる。以下に各章の内容を要約する。

第1章では、GaN系発光素子、および周辺材料の研究の現状など、本研究の背景について紹介し、これらを踏まえた上で本研究の目的を示し、さらに本論文の構成について述べている。

第2章では、三族窒化物半導体研究の歴史、応用に関する展望、三族窒化物半導体の性質、GaNへのイオン打ち込みについて述べられている。

第3章では、InGaNヘテロ構造の結晶成長および素子作製に関して述べている。有機金属化学気相成長法(MOCVD)の原理、サファイア基板上へのInGaNエピタキシャル層の成長、素子構造、バリア層の設計、多重量子井戸構造InGaN/GaNサンプルの作製、試料のフォトルミネッセンス測定、およびHeイオンの打ち込みに関して説明がなされている。

第4章では、フェムト秒パルスによるInGaNヘテロ構造のポンプ=プローブ分光による、光誘起透過率変化の計測とキャリアダイナミクスについて述べている。量子井戸層の厚さの異なるサンプルを作製し、非縮退フェムト秒ポンプ=プローブにより、励起後の吸収スペクトルの時間変化を測定し、その違いを議論している。バンドフィリング効果による比較的速い緩和の吸収率の減少と、長い緩和の時定数を持つ吸収の増加が観測された。量子井戸層が厚いほど時定数の長い吸収変化の成分が大きいという結果が得られた。この吸収の増加は、外部電場による吸収率変化、Yellow Luminessence 光誘起吸収率変化の温度依存性等からの総合的な検討により、光励起されトラップされた電荷がピエゾ電荷を遮蔽することにより現れるものである、と結論付けられている。

第5章では連続光による光誘起吸収率変化に関して述べられている。第4章の結果から、長い時定数を持つ吸収率変化は連続光でも現れることが予測された。このことが実験的に確かめられ、特に厚いサンプルで効果が顕著であることが明らかになった。これにより光照射による光の透過率の制御の可能性が示された。この減少は時定数が光強度に反比例するため、光励起されたキャリアがトラップされる過程が、この現象の本質であることが示された。10 W/cm2の連続光の照射により、最大29%の吸収率変化が観測され、

第6章ではHeイオンの打ち込みによるサンプルの抵抗率の増大と、キャリア拡散の低減による空間分解能の向上に関する試みが述べられている。Heイオンの打ち込みにより、空間分解能と時間分解能の向上が実現された。

第7章では、本研究の結果がまとめられている。

 以上のように、本研究はGaN系量子井戸を用いた光変調素子を作製し、光照射による吸収率変化について考察した。フェムト秒光パルスの照射による吸収率変化の実験から、長い時定数を持つ吸収変化が現れることを示し、その発現のメカニズムを明らかにした。さらに連続光でもこの吸収変化が現れることを示し、実用デバイスへの実現の可能性を示した。さらにイオン打ち込みにより、空間分解能、および時間分解能の向上を図り、良好な結果を得た。

 これらの研究は、弱い連続光で動作可能な400nm帯の半導体光変調デバイスの実現可能性を示し、またその吸収率変化の起こるメカニズムに関して詳細な検討を加え、今後のデバイス実現への基礎的かつ新たな知見を与えた点で重要な意義があり、物理工学の発展への寄与は大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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