学位論文要旨



No 120084
著者(漢字) 松原,正和
著者(英字)
著者(カナ) マツバラ,マサカズ
標題(和) 非反転対称性磁性体における非相反的光学効果
標題(洋)
報告番号 120084
報告番号 甲20084
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6026号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 助教授 富重,道雄
 東京大学 講師 藤山,茂樹
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序章

 空間反転対称性と時間反転対称性が同時に破れた物質においては、新規な磁気光学効果が予測されている。そのうちの1つが電気磁気効果における外場を光の周波数領域に拡張した非相反的光学効果であり、特にキラルな物質においては磁気カイラル効果として近年注目を集めている。この現象は電磁波の波数ベクトルkと磁化M(磁場H)に線形な吸収や屈折率の変化として特徴付けられる。すなわち、効果がkに比例するということから、光の進行方向によって異なる光学応答を示すことが分かる。これらの効果は、反強磁性体Cr2O3や常磁性体などにおいて強磁場下で観測されてはいるものの、低い磁場での巨視的磁化の反転が可能な強磁性体(フェリ磁性体)での報告はほとんど皆無である。

 しかしながら、このような新しい磁気光学効果に対して現在までに報告されている効果の大きさは、一部の例外を除くと非常に小さいことが分かっている。例えばEr1.5Y1.5Al5O12結晶に比較的大きな電場(2.36 kV/cm)と磁場(1.85 T)を印加して吸収の変化をΔα = γk・(E × B) と表したときの吸収の変化量は Δα/α〜10-6 程度である。本研究で対象とする物質の1つである極性磁性体GaFeO3は、自発電気分極と自発磁化を同時に持つことにより空間反転対称性と時間反転対称性が同時に破れている珍しい物質である。

 本研究の目的は、種々の(変調)分光技術を駆使して、空間反転対称性と時間反転対称性がともに破れた系において現れることが期待される非相反的光学効果を光(近赤外・可視)、X線を用いて量子力学的な視点から解明することである。将来のスピントロニクスにおける展開を考える上でもこの効果の微視的メカニズムを明らかにすることの意義は大きいと思われる。構成は以下の通りである。第2章で実験方法について説明し、第3章ではEu(tfc)3の磁気カイラル発光について、そして第4章で光学領域における電気磁気光学効果を、極性磁性体GaFeO3について議論する。第5章では、同じくGaFeO3についてX線磁気散乱の手法を用いてより微視的な視点に立って考察する。さらに第6章では、マクロには反転対称性が破れていないスピネル型酸化物Fe3O4とMnCr2O4について同じくX線磁気散乱によってミクロな立場からその起源について議論する。最後に第7章では、本研究の結論を述べる。

第2章 実験方法

第3章 Eu(tfc)3の磁気カイラル発光

第4章 極性磁性体GaFeO3における電気磁気光学効果

 第1章で述べた通り、電気磁気光学効果は電気磁気効果の光の周波数での振る舞いに対応するものである。まずGaFeO3において電気磁気光学効果を検討してみる。磁化容易軸に磁場を印加した場合(H // c)、有限な電気磁気効果のテンソル(MEH効果の場合)はαbcとαcbである。これを光領域に拡張すると、電気磁気光学効果をPi(ω) = χijkkjEk(ω)と表した場合、有限に残るテンソルはχbabとχcacである。つまり、bc面のサンプルに対してa軸方向に平行に光を入射するか反平行に光を入射するかで光学応答が異なることになる。図1(a) に可視・近赤外領域におけるFeのd-d遷移に対応するエネルギー領域でのGaFeO3の吸収スペクトルを示す。Feは基本的には3価で高スピン状態S = 5/2をとっており、基底状態では6A1gとなっている。得られた吸収スペクトルは、以前測定された結果と一致しており、電気双極子・スピン禁制遷移である6A1g → 4T1gへの遷移が1.6 eV付近に、また6A1g → 4T2gへの遷移が2.0 eV付近に見られる。一方、電気磁気光学効果の実験配置は、波数ベクトルkをa軸の向き、すなわちマクロな分極Pと磁化Mの外積P × M の方向に入射している。今の場合k・(P × M)の符号の反転に対して符号を変える光学応答が期待される。図1(b)にT = 10 Kにおける磁場変調吸収スペクトルを示す。これを見ると吸収スペクトルで見られた二つのピークに対応するエネルギー付近にそれぞれ構造が見られるのが分かる。実際にこれが本当に電気磁気光学効果によるものなのかを確かめるため、図2(a),(b)にT = 10 Kにおいて分極の向きを反転したときの磁場変調スペクトルをそれぞれE // b, E // c に対して示す。これを見ると分極の向きの変転に対してE // b, E // c のそれぞれで符号が反転しているのが分かる。つまり得られたスペクトルは通常の磁気光学効果からではなく、電気磁気光学効果に固有なものとなっている。電気磁気光学効果や磁気カイラル効果は、理論的には電気双極子E 1遷移と磁気双極子M 1遷移あるいは電気四重極子E 2遷移の干渉によって生じることが分かっている。今の場合、電気双極子・スピン禁制遷移である6A1g → 4T1gへの遷移と6A1g → 4T2gへの遷移は、マクロな分極やスピン軌道相互作用によって選択則が緩和され、部分的にM 1遷移(あるいはE 2遷移)許容となっていると考えられる。得られたピークの詳細なの同定は、配位子場分裂や電子相関などの影響で分かっていないが、シグナルの大きさは最大3×10-3程度であり(サンプルの厚さt〜30 um)、現在までに得られている電気磁気光学効果や磁気カイラル効果の中では非常に大きな値となっている。つまり、自発電気分極と自発磁化をへせてもつような物質(マルチフェロイクス)においては大きな電気磁気光学効果が期待されることが分かった。

第5章 極性磁性体GaFeO3における非相反的X線散乱

 極性磁性体GaFeO3結晶においては、最近KubotaらによってX線領域において非相反的二色性が見出された。これを受けて、X線回折における非相反的効果の検出を行った。通常、X線は主に電荷によって散乱を受けるため、その散乱強度を解析することによって、物質中の電荷の空間分布を知ることが出来る。これが通常のX線構造解析である。一方、X線はまた物質と磁気的な相互作用をすることができ、この相互作用による散乱強度を解析することによって、物質中の磁気構造を知ることが出来る。この手法がX線磁気散乱法である。ここで取り上げる非相反的効果は、このようなX線Bragg散乱においても、P × Mの反転に対して散乱強度が異なるような寄与をすることが予想される。実際、GaFeO3結晶を用いてX線回折における非相反的効果の検出に初めて成功した。図3に、FeのK 吸収端 (〜7.112 keV) 近傍におけるGaFeO3の吸収スペクトルと (020), (040) 反射におけるX線磁気散乱スペクトルを示す。まず吸収スペクトルを見てみると、7.113 keV付近に Fe 1s → Fe 3d への遷移(プリエッヂ)が、また7.133 keV 付近に Fe 1s → Fe 4p への遷移(メインエッヂ)が見られる。一方、磁気散乱のスペクトルにはどちらの反射においてもプリエッヂ付近で共鳴している成分が見られる。また、(020)反射においては大きな非共鳴成分がのっているのが分かる。ここでサンプルの分極の向きを反転させた時の (040) 反射における磁気散乱スペクトルを図4に示す。このように分極の反転によってシグナルが反転するようなことは、通常の磁気散乱では考えられず非相反的X線散乱の存在を示唆している。それでは次に、得られた磁気散乱スペクトルを微視的な観点から考察する。図5にユニットセルにおけるFeサイトのみを抜き出したものを示す。結晶学的には2種類のサイト(Fe1サイト、Fe2サイト)に分かれる。重要なことはFe1サイトとFe2サイトにおいてc軸方向のスピンの向きが逆であるということに加えて、b軸方向の局所的な変位(分極)の向きも逆であることである。結局、a軸方向のトロイダルモーメントはFe1サイト、Fe2サイトで同じ向きを向く。以上のことから、(020)反射において増大していた非共鳴成分は通常の磁気散乱に、一方、(020)反射においてよりも若干大きな共鳴成分が観測された(040)反射においては、非相反的散乱が共鳴効果として観測されたものと考えられる。

第6章 Fe3O4 における非相反的X線散乱

 前章まで見てきた非相反的効果は、時間反転対称性と空間反転対称性が共に破れた物質においてのみ現れるということが大きな特徴であった。この章では、例え物質がマクロに反転対称性を破っていなくても局所的に反転対称性が破れていれば、共鳴X線磁気散乱の手法を用いることによって同様に非相反的効果を観測することができることを示す。用いたサンプルはスピネル型酸化物 Fe3O4で結晶構造は図6のようになっている。Fe3O4は結晶学的に異なった二つのサイト(Aサイトと呼ばれる四面体サイトとBサイトと呼ばれる八面体サイト)からなっており、空間群は反転対称を持つF d-3mに属している。しかしながらAサイトにおいては局所的に空間反転対称性が破れているのが分かる。X線散乱のサイト選択性を利用すれば、結晶全体としては空間反転対称性を持っているために吸収では非相反効果を観測できないFe3O4においても、散乱を用いれば遷移強度に位相因子が付け加わり非相反効果を観測できるのではないかと期待される。

 まず、図7 (a) にFeのK 吸収端近傍における Fe3O4 powderの吸収スペクトルを示す。先程のGaFeO3 の時と同様に7.117 keV付近に Fe 1s → Fe 3d への遷移が、また7.134 keV 付近に Fe 1s → Fe 4p への遷移が見られる。次に図7 (b) に室温における (222), (333), (444)の各 Bragg 反射におけるX線磁気散乱スペクトルを示す。ここでX線の偏光方向と外部磁場の方向はともに [11-2] に平行である。今、反転対称性が破れているAサイトのみを考えることにする。非相反的X線散乱が空間反転に対して符号を変えることを考慮に入れると、(0 0 0)と(1/4 1/4 1/4)の位置にあるAサイトのFeは互いに空間反転の関係にある四面体によって取り囲まれているため、(222)反射において非相反的X線散乱が強めあい、逆に(444)反射においては弱めあった結果0になることが予想される。これらを踏まえ図7を見てみると、(222)反射においては空間反転対称性の破れに敏感なプリエッヂ近傍においてのみシグナルが現れていることが分かる。これらの結果をさらに構造因子の観点から考察した結果、(222)反射において観測されるシグナルは予想通りFeのAサイトに起因する非相反的共鳴X線散乱に起因することが確かめられた。さらに、得られた非相反的X線散乱の微視的なメカニズムを考えてみると、図8 に示すようにスピン軌道相互作用を介して電気双極子E 1遷移と電気四重極子E 2 遷移の間でスペクトル強度の移動が起こることによって生じることが導かれる。

さらに同じスピネル型酸化物MnCr2O4 においても、MnのK 吸収端、プリエッヂ近傍で(222)反射において非相反的X線散乱を観測した。

第7章 結論

 反転対称性を持たない磁性体における非相反的光学効果を調べた。光学領域においては、Eu(tfc)3の磁気カイラル発光を観測し、また極性磁性体GaFeO3に対して、Feのd-d遷移に対応するエネルギー領域で、波数k, 分極P, 磁化Mに対してk・(P × M)で表されるような電気磁気光学効果を観測した。シグナルが従来のものよりも大きな事からマルチフェロイクスにおける電気磁気光学効果の増大を示唆している。また、GaFeO3のX線磁気散乱では微視的なFeイオンの変位とスピンの外積であるトロイダルモーメントの検出に成功した。このように考えると、光学領域における電気磁気光学効果もマクロな分極Pと磁化Mの積に比例するというよりは、微視的なイオンの変位とスピンの外積の足し合わせとして見なされると考えられる。さらにマクロには反転対称性を持たないFe3O4とMnCr2O4に対して、局所的な反転対称性の破れに起因する非相反的X線散乱を観測した。この結果は、非相反的X線散乱が局所的に反転対称性が破れているサイトにおけるスピンの情報を与える手段となりえることを示唆している。

図1 (a)GaFeO3の吸収スペクトル (b)磁場変調吸収スペクトル

図2 分極の反転における磁場変調スペクトル (a)E // b (b)E // c

図3 FeのK 吸収端近傍での(020), (040)反射におけるX線磁気散乱スペクトル

図4 分極の向きを反転した時の(040) 反射における磁気散乱スペクトル

図5  Feサイトにおけるスピン(赤)、変位(青)、トロイダルモーメント(緑)

図6 Fe3O4 の結晶構造

図7 (a) Feの K 吸収端におけるFe3O4 の吸収スペクトル (b) (222), (333), (444) 反射における磁気散乱スペクトル

図8 非相反的X線散乱の微視的なメカニズム

審査要旨 要旨を表示する

空間反転対称性と時間反転対称性がともに破れた物質においては、誘電性と磁性の結合した新たな光機能性が発現する。そのうちの1つである非相反的光学効果(たとえば光の進行方向の反転により変化する光学応答)は、現在までにその研究例はきわめて限られているが、基礎科学的に興味深く、また応用面においても大きなポテンシャルを秘めていることから、現在、この効果を実験的に検証しようとする機運が高まっている。本論文では、反転対称性を持たない強磁性体における非相反的光学効果を、光学領域およびX線領域での磁場変調分光法によって種々の物質系において検証を行った結果を述べている。

本論文は全6章からなる。

第1章では、研究の背景となる非相反的光学効果(電気磁気光学効果あるいは磁気カイラル効果)の一般的特徴および過去の研究例について概観し、しかる後に本研究の目的と本論文の構成を述べている。

第2章では、実験に用いた試料の表面処理法、磁場変調吸収測定やX線磁気散乱法などの実験方法について説明している。

第3章から第5章に、実験結果、解析結果とそれに関する議論が述べられている。

第3章では、極性フェリ磁性体GaFeO3において行った可視・近赤外領域における電気磁気光学効果の結果を説明している。GaFeO3は、自発電気分極と自発磁化を同時に持つことにより時間反転対称性と空間反転対称性が破れている稀な物質である。実際、電気双極子・スピン禁制のFe3+のd - d遷移に対応するエネルギー領域において、透過光変調成分が3×10-3という、現在までに知られている電気磁気光学効果の中で最も大きな値が観測された。試料の極性の向き(あるいは光の進行方向)を反転すると得られた信号の符号が反転することなどから、これが同効果であることが確かめられている。この結果、強磁性(フェリ磁性)、強誘電性、焦電性など複数の秩序状態が同一相の中で実現している物質(multiferroics)においては、電気磁気光学効果の増強が期待できるということが明らかになった。

第4章では、同じGaFeO3におけるX線磁気散乱スペクトルの測定から、X線散乱における電気磁気光学効果について議論している。FeのK吸収端、特にプリエッヂ近傍において、(0 2 0), (0 4 0) Bragg反射に対して磁気的な共鳴構造を観測し、構造因子を用いた計算結果との比較などからこれが電気磁気散乱によると結論づけている。このように、従来まで吸収測定や屈折率測定においてのみ観測されていた電気磁気光学効果が、X線散乱においても同様に観測されることが初めて明らかになった。

第5章では、マクロには空間反転対称性が破れていないスピネル型酸化物Fe3O4とMnCr2O4におけるX線電気磁気散乱について議論している。Fe3O4 での(2 2 2) Bragg反射において、プリエッヂ近傍で1%にもおよぶ巨大な共鳴成分を観測し、構造因子を用いた計算結果や他のBragg反射における結果との比較などから、これが局所的に反転対称性が破れたFeサイト(Aサイト)に起因する電気磁気散乱によって生じていることを明らかにしている。さらに、Fe-Oクラスターにおける局所的な反転対称性の破れとスピン軌道相互作用を考慮した「電気双極子‐電気四重極子(E 1-E 2)干渉機構」によって、得られた電気磁気散乱スペクトルに微視的な解釈を与えている。この結果は、X線散乱を用いればマクロには空間反転対称性が破れていない物質においても電気磁気光学効果が検出できることを意味しており、これによって今まで限られた物質においてのみ観測可能であった電気磁気光学効果を、広い物質系に拡張できることを示した点は高く評価される。

第6章では、本研究で得られた成果をまとめている。

本論文には3つの補章が設けられている。

付録Aでは、X線磁気散乱の導出、一般論が要約している。

付録Bでは、第4章、第5章で使われている構造因子の具体的な計算が述べている。

付録Cでは、第6章で議論されているX線電気磁気散乱におけるスピン軌道相互作用の効果について述べている。

以上をまとめると、本論文では反転対称性が破れた磁性体において期待される電気磁気光学効果を、光学領域の吸収やX線領域の吸収・散乱における波動ベクトルの反転に関する2色性の観察によって調べた。その結果、極性強磁性体における電気磁気光学効果の著しい増強、X線Bragg散乱における共鳴電気磁気散乱の観測、そしてマクロに反転対称性を持つ物質における電気磁気散乱の検出、など多くの新しくかつ重要な学術的知見を得ている。また、スピンエレクトロニクス分野への応用という意味においても重要な指針を得た。これらの点で、本研究は物性物理学、物理工学の進展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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