学位論文要旨



No 120091
著者(漢字) 斉藤,拓巳
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,タクミ
標題(和) 天然コロイドへの金属イオンの結合に関する研究 : 2相系から3相系への展開
標題(洋) Metal Binding to Natural Colloids :Extension from Binary to Ternary Systems
報告番号 120091
報告番号 甲20091
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6033号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 助教授 常田,貴夫
 東京大学 助教授 長崎,晋也
 東京大学 助教授 溝口,勝
内容要旨 要旨を表示する

1. 序

 人類の諸活動によって環境中に放出される重金属やアクチニドなどの有害金属イオンの生物学的利用能や毒性,移行挙動はそれらのイオンの環境中における存在形態,つまり,化学種分布に大きく依存する.特に,土壌・水環境中に普遍的に存在する天然有機物質(以下,NOM)や金属(水)酸化物(以下,Ox)に代表される天然コロイドは金属イオンに対する高い結合能を有しており,金属イオンの化学種分布を考える上で重要な役割を果たす.天然コロイドへの金属イオンの結合は,コロイドの持つ不均質性や高分子電解質性等によって複雑なものとなる.また,実環境はpHやイオン強度等の化学的条件や天然コロイドの種類および濃度が多様に変化する複雑な系である.このように複雑な実環境において,対象金属イオンの化学種分布を予測する目的で,単一の天然コロイドに対する吸着実験が行われ,幅広い条件下で適用可能な熱力学モデルが構築されてきた.しかし,実環境中には異種の天然コロイドが共存しており,コロイド間の相互作用によって金属イオンの吸着量が単一成分への吸着量の線形和とは異なり,モデルの線形性が成立しないことが報告されている1.これは現状の熱力学モデルの大部分がコロイド間の相互作用を取り入れていないためであり,特に,フミン酸(以下,HA)のような比較的分子量が大きなNOMのOx表面に対する吸着やHA/Ox複合体に対する金属イオンの結合のモデル化は未解決の問題である.

 本研究の目的は,HAと代表的なOxであるゲータイト共存系(3相系)における銅イオン(Cu2+)の結合実験の結果と2相系(Cu2+/HA,Cu2+/ゲータイト系)での結合実験の結果を比較することで,pH,塩濃度,Cu2+濃度,HA吸着量の変化に応じて,HAのゲータイトへの吸着がCu2+の結合に及ぼす影響を評価することである.さらに,得られた情報を基に既存の熱力学モデルにHA-ゲータイト間の相互作用を取り込むことを検討し,金属イオンが生態圏に及ぼすリスク評価の信頼性向上に貢献する.

 上記の目的を達成するために,まず,2相系における結合実験および熱力学モデルパラメータの最適化を行った後,3相系での結合実験を行った.特に,HA-イオン間の静電相互作用に関しては,既往の研究においてモデルの物理的意味やその適応限界に関する議論が十分でないことから詳細に検討した.また,天然コロイドへのCu2+の結合は,常に,同一結合サイトへのプロトン(H+)の結合との競合過程であることから,HA,ゲータイトおよびそれらの複合体へのH+結合実験も行った.

2. 2相系(Cu2+/HA,Cu2+/Ox系)における金属イオンの結合挙動

 マスターカーブ法2を用いた静電相互作用モデルの比較から,イオン-HA間の静電相互作用をモデル化するためには,サイト近傍での静電ポテンシャルの代表値の計算にHA分子周辺に形成される電気二重層(EDL)の寄与を取り込む必要があることが分かった(図1).また,得られたマスターカーブの位置がモデルに依存したことから,現状では,フミン酸へのイオンの結合における自由エネルギー変化を静電的な部分と化学的な部分に分離することが一意にできないことが示唆された.このことから,HAのサイズに関する情報が不要で,多成分系への拡張が容易なDonnan (NICA)モデルが他のモデルと比べて有利であると結論付けられた.

 HAに対するH+およびCu2+イオンの吸着等温線を電位差滴定法およびバッチ法でそれぞれ測定した.得られた等温線に対して,不均質な天然有機物質へのイオンの競合的な結合を扱うための熱力学モデルであるNICA-Donnanモデルを用いてフィッティングを行った結果,一組のパラメータを用いてこれらのイオンの結合を幅広い濃度範囲(3 < pH < 11; 3 < pCu < 13)および異なる環境条件(pH,塩濃度)で表すことができた(図2 (a),(b)).また,最適化されたパラメータの値から,Cu2+が2座配位によってHAに結合していることが示された.特に,その傾向はカルボキシル基型サイトへの結合において大きかった.

 ゲータイトに対するH+およびCu2+の吸着を電位差滴定法およびバッチ法でそれぞれ測定した.得られた等温線に対して,結晶性金属(水)酸化物へのイオンの吸着を扱うための熱力学モデルであるCD-MUSICモデルを適用してフィッティングを行った結果,一組のパラメータを用いて,異なる塩濃度におけるゲータイトの帯電挙動(図3 (a))および異なるpH,塩濃度におけるCu2+のゲータイトへの吸着等温線(図3 (b))を表すことができた.特に,Cu2+の吸着に関しては,広域X線吸収微細構造法によって同定された2座表面錯体およびその加水分解生成物3に加えて,Cu2+に対して高い親和性を有するサイトとの2座表面錯体形成を仮定する必要があった.

3. 3相系(Me/HA/Ox系)における金属イオンの結合挙動

 異なるpH,塩濃度におけるゲータイトへのHAの吸着等温線を測定し,得られた結果を用いて混合系の電位差滴定の結果を解析することで,HA/ゲータイト複合体へのH+の結合挙動の評価を行った.吸着状態でのHAおよびゲータイトの電荷/pH曲線を図4 (a),(b)にそれぞれ挙げた.HAおよびゲータイトはpHと塩濃度に依存する電荷を有しており,吸着に際して互いの電荷を調節する.図1から,低pH領域において吸着したHAに負電荷が誘起され,その量はpHが大きいほど大きくなることが分かった.一方,ゲータイト表面には,HAの吸着によって高pH領域で正電荷が誘起され,低pH領域ではゲータイト表面が高pH領域での電荷を維持したまま,HAが吸着していない場合と同様の帯電挙動を示すことが分かった.また,このような吸着に伴う電荷調節の程度は塩濃度,HA/ゲータイト比にも依存しており,HA/ゲータイト複合体へのH+の吸着がHA吸着層の厚さおよび支持電解質による静電相互作用の遮蔽と密接に関係していることが示唆された.さらに,図4に示した吸着HAおよびゲータイトの電荷から界面でのポテンシャルプロファイルの計算を行った結果,比較的吸着量が大きい場合,界面に負のポテンシャルの"谷"が形成され,一方,比較的吸着量が小さい場合,吸着したHAの負電荷によってゲータイト表面の電荷が効率よく遮蔽されることが分かった.

 次に,HA/ゲータイト複合体へのCu2+の結合等温線を,pH,塩濃度,HA/ゲータイト比が異なる条件で測定し,得られた結果を2相系での吸着実験の結果および3相系でのH+の吸着実験の結果と比較することで,HAのゲータイトへの吸着がCu2+の結合に与える影響を評価した.図5に0.088 g HA (total)/g ゲータイトにおける複合体へのCu2+結合等温線を2相系における各成分への結合等温線およびそれらの和と比較した結果を示した.コロイド間に相互作用が無いと仮定した場合の結合量の和と比べて,3相系でのCu2+の結合は増加しており,その増加量はpHが低いほど大きく,塩濃度が小さいほど,低Cu2+濃度では大きく,高Cu2+濃度では小さくなった.このような3相系におけるCu2+結合量の増加はHA/ゲータイト比にも依存しており,pH 4では,HA/ゲータイト比が小さくなるほど,この増加量が大きくなった.3相系におけるCu2+結合量が2相系での結合量の和と比べて増加することおよびその増加量が上述のpH,塩濃度,HA/ゲータイト比依存性を示す理由としては,HAがゲータイトに吸着することで官能基からH+が脱離する,つまり,HA官能基へのH+の競合が小さくなること,および,HAの吸着によって界面でのポテンシャルが変化することが考えられた.

 以上の結果から,3相系でのイオンの結合をモデル化するためには,HA吸着構造および界面でのポテンシャルの扱いが重要であると結論付けられた.本論では,これら2点に関して3つの異なるアプローチを考え,モデル化に向けた検討を行っている.

4. まとめ

 NICA-DonnanモデルおよびCD-MUSICモデルを用いて,2相系におけるCu2+の結合挙動を幅広い条件で表すことができた.特に,NICA-Donnanモデルで用いられている静電相互作用モデルはイオン-HA間の静電相互作用を表すのに適していることが明らかになった.しかし,3相系におけるCu2+の結合量は,これらのモデルからの予測値の線形和よりも大きく,その理由として,HAの吸着に伴ってHA官能基へのH+の競合が減少することおよび固液界面のポテンシャルが変化することが挙げられた.本論文で得られた結果は,Cu2+のようにHAやOxの(表面)官能基と特異結合を形成する金属イオンのHA/Ox複合体への結合に拡張できるものと考えられ,今後,HAを含む複合系における金属イオンの結合をモデル化する上で重要な情報を与えると共に,実環境における金属イオンの結合挙動の理解に役立つものと期待される.

参考文献1. Vermeer, A. W. P. et al. Environ. Sci. Technol. 1999, 33, 3892.2. de Wit, J. C. M. et al. Environ. Sci. Technol. 1993, 27, 2005.3. Persson, P. et al., J. Phys. IV 1997, 7, 819.

図1. 異なる静電相互作用モデルを用いて計算されたポテンシャルプロファイルの比較(pH 6, 0.017 M KNO3).RS-aopt,Donnan (NICA),Donnan-EVモデルが妥当なマスターカーブを与えた.矢印は各モデルにおいてマスターカーブの計算に使用したポテンシャルプロファイルの代表値を示し,ahは使用したHAの上記の実験条件における流体力学的半径を表す.

図2. HAに対するH+ (a),Cu2+ (b) の結合等温線およびNICA-Donnanモデルによるフィッティングの結果.

図3. ゲータイトに対するH+ (a),Cu2+ (b)の吸着等温線およびCD-MUSICモデルによるフィッティングの結果.

図 4. 吸着HA (a)およびゲータイト(b)の電荷/pH曲線: 0.1 M KNO3;(1) ● 0.22,(2) ■ 0.13,(3) ▲ 0.088,(4) ▼0.044 g HA/ gゲータイト.実線は単一成分の滴定結果を示している.

図5. 0.088 g HA/ゲータイトにおけるHA/ゲータイト複合体へのCu2+の結合等温線および2相系おける各成分への結合等温線(点線: HA,破線: ゲータイト)とそれらの和(実線).

審査要旨 要旨を表示する

 人類の諸活動によって環境中に放出される重金属やアクチニドなどの有害金属イオンの生物学的利用能や毒性,移行挙動はそれらのイオンの環境中における存在形態に大きく依存する.特に,土壌・水環境中に普遍的に存在する天然有機物質(以下,NOM)や金属(水)酸化物(以下,Ox)に代表される天然コロイドは金属イオンに対する高い結合能を有しており,金属イオンの化学種分布を考える上で重要な役割を果たす.しかし,実環境中には異種の天然コロイドが共存しており,コロイド間の相互作用によって金属イオンの吸着量が単一成分への吸着量の線形和とは異なり,モデルの線形性が成立しないことなどが指摘されている.これは現状の熱力学モデルの大部分がコロイド間の相互作用を取り入れていないためであり,特に,フミン酸(以下,HA)のような比較的分子量が大きなNOMのOx表面に対する吸着やHA/Ox複合体に対する金属イオンの結合のモデル化は未解決の問題となっている.本論文は,HAと代表的なOxであるゲータイト共存系(3相系)における銅イオン(Cu2+)の結合実験の結果と2相系(Cu2+/HA,Cu2+/ゲータイト系)での結合実験の結果を比較することで,pH,塩濃度,Cu2+濃度,HA吸着量の変化に応じて,HAのゲータイトへの吸着がCu2+の結合に及ぼす影響を評価したものであり,7章から構成されている.

 第1章では,天然中における重金属イオンの化学形態や生物学的利用能,NOMとの結合モデルなどに関する既往の知見を整理し,重金属-NOM-鉱物3相系における重金属の動態モデリングの重要性を指摘するとともに,本研究の化学的,工学的重要性と新規性について明らかにして,本論文の目的を述べている.

 第2章では,マスターカーブ法を用いた静電相互作用モデルの比較が行われ,イオン-HA間の静電相互作用をモデル化するためには,サイト近傍での静電ポテンシャルの代表値の計算にHA分子周辺に形成される電気二重層(EDL)の寄与を取り込む必要があることを明らかにしている.また,得られたマスターカーブの位置がモデルに依存することから,現状では,フミン酸へのイオンの結合における自由エネルギー変化を静電的な部分と化学的な部分に分離することが一意にできないことを示している.このことから,HAのサイズに関する情報が不要で,多成分系への拡張が容易なDonnan (NICA)モデルが他のモデルと比べて有利であると結論付けている.

 第3章では,HAに対するH+およびCu2+イオンの吸着等温線が電位差滴定法およびバッチ法で測定されている.不均質な天然有機物質へのイオンの競合的な結合を扱うための熱力学モデルであるNICA-Donnanモデルを用いて実験結果をフィッティングした結果,一組のパラメータを用いてこれらのイオンの結合を幅広い濃度範囲(3 < pH < 11; 3 < pCu < 13)および異なる環境条件(pH,塩濃度)で表すことに成功している.また,最適化されたパラメータの値から,Cu2+が2座配位によってHAに結合していること,特にその傾向はカルボキシル基型サイトへの結合において大きいことを明らかにしている.

 第4章では,ゲータイトに対するH+およびCu2+の吸着が電位差滴定法およびバッチ法で測定されている.結晶性金属(水)酸化物へのイオンの吸着を扱うための熱力学モデルであるCD-MUSICモデルを用いて実験結果をフィッティングした結果,一組のパラメータを用いて,異なる塩濃度におけるゲータイトの帯電挙動および異なるpH,塩濃度におけるCu2+のゲータイトへの吸着等温線を表すことに成功している.特に,Cu2+の吸着に関しては,広域X線吸収微細構造法によって同定されている2座表面錯体およびその加水分解生成物に加えて,Cu2+に対して高い親和性を有するサイトとの2座表面錯体形成を考慮しなければならないことを明らかにしている.

 第5章では,異なるpH,塩濃度におけるゲータイトへのHAの吸着等温線が測定され,得られた電位差滴定の結果を解析することで,HA/ゲータイト複合体へのH+の結合挙動の評価が行われている.HAおよびゲータイトはpHと塩濃度に依存する電荷を有しており,吸着に際して互いの電荷を調節すること,そして低pH領域において吸着したHAに負電荷が誘起され,その量はpHが大きいほど大きくなることを明らかにしている.一方,ゲータイト表面には,HAの吸着によって高pH領域で正電荷が誘起され,低pH領域ではゲータイト表面が高pH領域での電荷を維持したまま,HAが吸着していない場合と同様の帯電挙動を示すことも明らかにしている.これらの結果から,吸着に伴う電荷調節の程度は塩濃度,HA/ゲータイト比にも依存しており,HA/ゲータイト複合体へのH+の吸着がHA吸着層の厚さおよび支持電解質による静電相互作用の遮蔽と密接に関係していると述べている.さらに,比較的吸着量が大きい場合,界面に負のポテンシャルの谷が形成され,一方,比較的吸着量が小さい場合,吸着したHAの負電荷によってゲータイト表面の電荷が効率よく遮蔽されることも明らかにしている.

 第6章では,HA/ゲータイト複合体へのCu2+の結合等温線が,pH,塩濃度,HA/ゲータイト比が異なる条件で測定され,2相系での吸着実験の結果や3相系でのH+の吸着実験の結果と比較することで,HAのゲータイトへの吸着のCu2+の結合に与える影響が評価されている.コロイド間に相互作用が無いと仮定した場合の結合量の和と比べて,3相系でのCu2+の結合は増加しており,その増加量はpHが低いほど大きく,塩濃度が小さいほど,低Cu2+濃度では大きく,高Cu2+濃度では小さくなることが示されている.このような3相系におけるCu2+結合量の増加はHA/ゲータイト比にも依存し,pH 4では,HA/ゲータイト比が小さくなるほど,この増加量が大きくなることが示されている.そして,3相系でのイオンの結合をモデル化するためには,HA吸着構造および界面でのポテンシャルの扱いが重要であると結論付け,さらにこれら2点に関して3つの異なるアプローチを考え,モデル化に向けた検討が行われている.

 第7章では,本研究の総括と結論が述べられ,重金属-NOM-鉱物3相系における相互作用の描像が示されている.

 以上要するに,本論文では,重金属の自然環境中における挙動を,重金属-天然有機物質-鉱物間の相互作用として捉え,相互作用機構にまで踏み込み,環境動態モデリングとして解明したものである.これらはシステム量子工学,特に重金属の環境挙動解明に寄与するところが少なくない.よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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