学位論文要旨



No 120092
著者(漢字) 澁谷,憲悟
著者(英字)
著者(カナ) シブヤ,ケンゴ
標題(和) 量子閉じ込めを効果を利用した室温作動可能な超高速半導体シンチレータの開発
標題(洋)
報告番号 120092
報告番号 甲20092
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6034号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 中澤,正治
 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 関村,直人
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東北大学 教授 浅井,圭介
 東北大学 教授 石井,慶造
内容要旨 要旨を表示する

0. 緒言

物質の中には、放射線に照射されると蛍光を発する性質を持つものがある。これらはシンチレータと呼ばれ、放射線センサーとして広く利用されている。このシンチレータの性能を表すパラメータのうち特に重要なのは、吸収した放射線の単位エネルギー当たりに発生する光子の数で定義される蛍光強度と、蛍光の減衰時定数で表現される応答速度である。

 つまり、「明るさ」と「速さ」を兼ね備えたシンチレータが理想的であるが、概して有機物のシンチレータは応答速度に優れるが蛍光強度で劣り、無機物のシンチレータは蛍光強度に優れるが応答速度に劣るなど、一長一短がある。現状では、目的に応じて種々のシンチレータを使い分けて対応しているものの、核医学や高エネルギー物理学などの先端の放射線計測分野では、両方を兼ね備えた高機能シンチレータが強く望まれている。

 その一例として、癌の診断などに用いられるPET(陽電子断層映像装置)が挙げられる(図(1))。予め被験者に陽電子放出核種で指標された癌マーカーを投与し、生理的に標的細胞に集積するのを待ってから、放射能分布を測定する。対消滅線は、二本が同時に正反対の方向に発生するため、これを被験者の周囲に同心円状に配置したシンチレータで計測すると、癌細胞の分布(有無)に関する情報が得られる。

 PETでは、より少ない被爆量・撮像時間で、より高い解像度の診断画像が得られることが好ましい。PET装置の性能は、用いられるシンチレータの特性に著しく依存するため、より高性能なシンチレータが強く求められている(文献(1))。

 本研究の目的は、従来の材料では困難であった、「明るさ」と「速さ」を兼ね備えたシンチレータを実現する手法を開発し、その成果を先端の放射線計測分野に還元することにより、技術革新を促すことである。

1. 目的を達成する方法

主な無機シンチレータが応答速度に劣るのは、発光中心として機能する不純物準位の活性化寿命が、最も短い三価のセリウムでも数十ナノ秒であるため、キャリアが発光に至るまでの時間的なボトルネックとなるためである。有機シンチレータが応答速度に優れるのは、単一分子内のπ電子遷移により蛍光を生ずるため、このような中間的なエネルギー状態を経由せずに、直ちに電子と正孔が再結合するからである。

 無機シンチレータが蛍光強度に優れるのは、発光中心が禁制帯中に深く孤立した準位であるため、熱などの外部からの摂動に影響されずに、受け取った電子のエネルギーを効率よく光に変換できるからである。有機シンチレータが蛍光強度に劣るのは、伝導体の電子を輻射課程に導く機構を内包しないため、必然的に無輻射遷移により熱として失われるエネルギーの割合が増大するからである。

 したがって、「明るさ」と「速さ」を兼ね備えたシンチレータの実現には、無輻射遷移を抑制する何らかの機構が必要であり、それは電子と正孔の速やかな再結合を妨げるものであってはならない。

 今世紀に入ってから、半導体の励起子発光が高速な応答性により注目されている。室温で半導体に放射線を照射してもほとんど発光しないことから、これまで半導体がシンチレータとして検討されることはほとんどなかった。しかし、カリフォルニア工科大学のデレンゾらが、沃化鉛のような幾つかの直接ギャップ半導体に対して、液体ヘリウム温度付近の極めて低い温度で放射線を照射したところ、サブナノ秒の減衰時定数を持つ極めて高速な応答が確認された。しかし、この蛍光強度は温度の上昇とともに急激に減衰し、室温付近では実用性が完全に失われた(文献(2))。

 励起子発光が温度の上昇とともに減衰する理由は二つあり、一つにはキャリアの移動度の増大に伴って欠陥などの無輻射中心に出会う確率が増大すること、二つには格子振動のエネルギーが励起子の束縛エネルギーを上回ると、励起子準位が熱的に不安定になることである(文献(3))。

 学位申請者は、半導体を低次元化することによって、これらの問題が同時に解決される可能性を見出した。つまり、量子閉じ込め構造によってキャリアの熱運動を抑制すれば、実質的に無輻射中心の密度を低下させることができる。また、量子閉じ込め効果によって電子と正孔の波動関数の重なりを大きくすれば、励起子の束縛エネルギーが増大するので、格子の熱振動によって自由な電子と正孔に乖離される確率が低下する。

2. 仮説の検証

この仮説を検証するための低次元構造体として、ハロゲン化鉛系ペロブスカイト型有機無機ハイブリッド化合物を選んだ。この物質は、直鎖アルキルアミンとハロゲン化鉛の化合物であるが、図(2)に示すように、有機物と無機物が交互に積層した特徴的な構造を自己組織的に形成することが知られている。有機層は絶縁体であり、無機層は半導体であることから、化合物自体が無機層を量子井戸とする天然の超格子(多重量子井戸)構造となっている(文献(4))。

 この化合物に放射線が照射されると、電子が伝導帯に励起され、価電子帯には正孔が残されるが、いずれも無機井戸層に深く閉じ込められて、高々数ピコ秒の極めて短い時間で励起子を形成する。励起子は電子が正孔に落ち込むことによって消滅し、余剰エネルギーが光子として放出される。励起子発光は電子と正孔の直接的な再結合であるため、時間的なボトルネックとなる中間的なエネルギー状態は経由しない。また、量子閉じ込め効果によって励起子の束縛エネルギーが増大し、更に、量子閉じ込め構造によって励起子の自由な移動も制限されるため、無輻射遷移が抑制されている。

 化合物の合成は文献(5)に従って行い、結晶は当該化合物の高濃度溶液から、徐々に溶解度を低下させる方法によって析出させ、これを測定試料に用いた。蛍光強度は、東京大学原子力研究総合センターのバン・デ・グラーフ型加速器で発生させた高エネルギーイオンビームを試料に照射し、発光スペクトルの面積を既存のシンチレータと比較することにより、相対的に求めた。蛍光寿命は、東京大学大学院工学系研究科附属原子力工学研究施設の電子線形加速器を用いて発生させたパルス電子線を試料に照射し、発光タイムプロファイルをMCP内臓光電子増倍管もしくはストリークカメラで撮影することにより、測定した。

 まず、臭化物の蛍光強度測定を低温(約25K)と室温で行ったところ、低温ではタリウムを添加した沃化ナトリウムの蛍光強度を100として26、室温では6.5であった。低温から室温の間で蛍光強度は約4分の1に低下したが、高密度な無機シンチレータとして広く用いられているゲルマニュウム酸ビスマス(BGO)の蛍光強度が8.3であることから、室温でも実用的な蛍光強度を保持していることが確かめられた。なお、沃化物の蛍光強度は室温で11であった。

 次に、臭化物の蛍光寿命測定を室温で行ったところ、2.8ナノ秒(38%)、18ナノ秒(39%)、130ナノ秒(23%)の三成分であった。また、沃化物では0.39ナノ秒(28%)、3.8ナノ秒(29%)、16ナノ秒(43%)の三成分であった(図(3))。それぞれ、第一成分が自由励起子の輻射緩和に由来し、第二・第三成分は欠陥の関与によるものと考えられる。比較的高速な三価のセリウムを添加した無機シンチレータの寿命が数十ナノ秒であるが、沃化物の応答速度はこれよりも一桁以上大きい。また、0.39ナノ秒の第一成分は、既存の如何なるシンチレータの減衰時定数よりも短い。

 したがって、半導体を低次元化することによって、励起子発光の高速応答性を失うことなく、室温での蛍光強度を増大できることが確認された。

3. まとめ

自己組織的に超格子構造を形成するハロゲン化鉛系有機無機ペロブスカイト型化合物をシンシレータに適用し、加速器を用いて蛍光強度と応答速度の評価を行った。

 量子閉じ込め効果による励起子準位の熱的な安定化と励起子寿命の短縮、および量子閉じ込め構造による実効的な無輻射中心密度の低下により、室温においても励起子発光でBGO並みの蛍光強度が得られることが明らかとなった。また、特に沃素系では自由励起子の発光が390ピコ秒であり、既存の如何なるシンチレータよりも高速な応答を示すことが確かめられた。

 低次元半導体の励起子準位を発光中心に代わる電子の「受け皿」として機能させることにより、不純物準位などの中間的なエネルギー状態を経由させずに無輻射遷移を抑制することができ、サブナノ秒の極めて高速な応答を、室温でも実用的な蛍光強度で実現することができた。図(4)に、当該化合物と既存のシンチレータの性能比較表を示す。

 量子効果を用いて、従来のデバイスを凌駕した性能を実現する技術はナノ・テクノロジーと呼ばれるが、このナノ・テクノロジーをシンチレータに適用することによって、高性能シンチレータを構築するための新しい概念を提示するに至った。

 なお、本研究は日本学術振興会の特別研究員奨励費(DC1、14-08674)を得て行われた。

参考文献文献(1) C. W. E. van Eijk: Nucl. Instrum. & Methods A 509, 17 (2002).文献(2) S. E. Derenzo, M. J. Weber, M. K. Klintenberg: Nucl. Instrum. & Methods A 486, 214 (2002).文献(3) Y.-M. Yu, S. Nam, K.-S. Lee, Y. D. Choi, and B. D: J. Appl. Phys. 90, 807 (2001).文献(4) T. Ishihara, J. Takahashi, and T. Goto: Phys. Rev. B 42, 11099 (1990).文献(5) T. Ishihara: in Optical Properties of Low-dimensional Materials, edited by Y. Kanemitsu and T. Ogawa, World Scientific, Singapore (1995) Chap. 6.

図の説明

図(1):PET装置の原理とシンチレータの役割.

図(2):ペロブスカイト型有機無機ハイブリッド化合物の超格子構造.

図(3):沃化物の蛍光強度のタイムプロファイル.

図(4):ペロブスカイト型有機無機ハイブリッド化合物と既存のシンチレータの性能.

審査要旨 要旨を表示する

 放射線照射により蛍光を発するものはシンチレータと呼ばれ、放射線の検出のセンサとして広く用いられている。その性能は速さ(時間分解能)と明るさ(検出効率)で特徴づけられる。これらは蛍光の減衰速度と発光量に対応する特性である。近年、医療分野の診断装置としてのPET(positron emission tomography)の技術開発が盛んになっているが、精度の良い画像を、低被ばく量で、短時間に得るために、高時間分解能、高効率を実現する蛍光寿命の短い、蛍光強度の大きなシンチレータの開発が望まれている。第一章では、このような高性能シンチレータの開発の必要性を示し、新規のアイデアに基づく高分解能、高効率シンチレータの開発を行うことが本研究の目的であることを述べている。

 第二章では半導体シンチレータの動作原理を概説し、従来の材料では極低温で強く発光するものの、室温では大幅に発光が減少し、実用化への障害になっているため、室温でも発光量を維持することが必要であるとしている。

 第三章では高性能の半導体シンチレータを実現するための手段として半導体の低次元化による量子閉じ込め効果により、発光の実体である励起子の熱的な安定化と蛍光効率の増加が期待できることを理論的な側面から説明している。ハロゲン化鉛系有機無機ペロブスカイト型化合物では自己組織化により閉じ込め構造が形成されることから、有望材料の候補と考えられ、実際にこの材料を合成した。合成と結晶化の過程について述べ、従来、困難であった結晶化は、時間をかけての溶媒の揮発や、ゆっくりとした貧溶媒導入などの工夫により可能であり、比較的大きな結晶の製造法を確立した。この手法に従い、C3H7NH2あるいはC6H13NH2が絶縁層となり、各々PbBr4とPbI4のハロゲン化鉛の層をサンドイッチした構造を持つ、略称C3PbBr4とC6PbI4の結晶を作成した。

 第四章は量子閉じ込め効果を期待して作成した新規シンチレータの特性について述べてある。高エネルギーHeイオン照射時のスペクトルを極低温から室温までの広い温度範囲で測定した。C3PbBr4とC6PbI4はそれぞれ450、558nmに発光のピークをもち、その発光量は汎用シンチレータであるBGOの発光量の各々3倍、5倍となり、室温でも十分蛍光効率の高い材料であることが確認できた。蛍光寿命は10ps程度の電子線パルスを発生できる電子線形加速器をパルス源として照射し、その際の発光の時間挙動をストリークカメラやMCP付きフォトマルを用いて測定、評価した。C3PbBr4の減衰成分とその割合は、2.8ns(38%)、18ns(39%)、130ns(23%)であるのに対し、C6PbI4では0.39ns(28%)、3.8ns(29%)、16ns(16%)となり、最も速い減衰項の減衰寿命はさらに短いものであった。後者はこれまで最も速いとされるBaF2シンチレータの0.8-0.9nsよりも短く、極めて高性能を有している。

 第五章は得られた低次元化半導体シンチレータの特性をまとめてある。蛍光機用度が大きく、減衰時定数が短い素子を作成できること、この考えを発展させ、さらなる性能向上の可能性を議論するとともに具体的な適用例を例示している。

 以上要すれば、半導体シンチレータを低次元化することにより室温でも高速で、蛍光強度の大きな新しいシンチレータを作成できることを実際に示すことにより高性能シンチレータを構築する新概念を提示した。これは放射線計測分野でのブレークスルーであり、システム量子工学の発展に大きく寄与すると判断した。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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