学位論文要旨



No 120098
著者(漢字) 井上,祐貴
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,ユウキ
標題(和) 生体との相互作用の制御を目的とした含フッ素セグメントを有するリン脂質ポリマーからなる新規バイオインターフェース
標題(洋) Novel Biointerfaces Composed of Phospholipid Polymers Having Fluorinated Segments for Controlling Biointeractions
報告番号 120098
報告番号 甲20098
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6040号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石原,一彦
 東京大学 教授 片岡,一則
 東京大学 教授 吉田,豊信
 東京大学 助教授 吉田,亮
 東京大学 講師 高井,まどか
内容要旨 要旨を表示する

 多くの生物学的反応が最初に誘起されるバイオマテリアル表面は、生体とバイオマテリアルとの相互作用に大きな役割を果たしている。そのため様々なバイオマテリアル表面の設計概念が提唱されてきた。特に近年、バイオマテリアル表面は「生体の代替を担う」ために効果的な特性改質がなされるだけでなく、生体との相互作用の詳細を理解するための場としての重要性が高まっている。これまで提唱されてきた表面設計により、バイオマテリアルの発展に必要な様々な特性が明らかとなってきているが、マテリアルと生体との微細かつ特異的な相互作用、たとえば、タンパク質吸着や細胞接着を制御しうるマテリアル表面の設計はなされていない。このようなバイオマテリアル表面を創製するためには、その構造や特性をより精密に規格することが必要であると考えられる。

 そこで本研究では、生体との微細な相互作用を制御するためのバイオマテリアル表面を創製することを目的とした。すなわち、リビングラジカル重合法により精密に規格されたモノマーユニット配列を有するポリマーを合成し、表面特性改質を行った。モノマーユニット配列としてランダムコポリマーおよびブロックコポリマーに加えて、分子内でモノマーユニット組成が連続的に変化する傾斜型コポリマーに着目した。さらに、モノマーユニット配列による表面構造や特性の差を明確にするため、特性の大きく異なるモノマーユニットを使用した。つまり、極性モノマーユニットとして側鎖にリン脂質極性基を有する2-methacryloyloxyethyl phosphorylcholine (MPC)を、非極性モノマーユニットとしてフルオロアルキル基を側鎖に有する2,2,2-trifluoroethyl methacrylate (TFEMA)を用いた。

 近年、リビングラジカル重合法を用いて合成した構造明確なポリマーのバイオマテリアルへの応用は非常に注目を浴びている。モノマーユニット配列が高度に規格されたポリマーによるバイオマテリアル表面の改質に関する本研究は、マテリアルと生体との微細な相互作用の解明に大きな福音をもたらすと考えられる。

 現在報告されている傾斜型コポリマーはstyrene、n-butyl acrylate、methyl methacrylateなど一般的で反応性などが良く知られたモノマーユニットを用いて合成されている。本研究では特性が大きく異なり、反応性も未知であるMPCとTFEMAを使用するため、まずランダムコポリマーの合成によりその反応性、リビングラジカル重合法の適応性、反応速度について調査した。結果、MPCとTFEMAからなる系はリビングラジカル重合が進行することが分かった。さらに反応性の指標であるモノマー反応性比はMPC、TFEMAそれぞれ1.43、1.06であり、またランダムコポリマーは統計的な理想的な統計的モノマーユニット配列を有していることが分かった。反応速度定数はTFEMAがモノマー濃度に依存しなかったことに対し、MPCはモノマー濃度の増加に対し大きくなった。

 傾斜型コポリマーの合成は反応速度の大きなMPCモノマー溶液に熱を加えながらTFEMAを添加して行った。TFEMAの添加速度をMPCの反応速度にあわせて調整することで、純水に対する溶解性の異なる二種類の傾斜型コポリマーの合成に成功した。

MPCとTFEMAからなるブロックコポリマーもリビングラジカル重合法により合成できた。

モノマーユニット配列の異なる三種類のコポリマーのバルクでの相構造を熱分析により調査した。ランダムコポリマーは単相状態でありブロックコポリマーは相分離状態にあった。ブロックコポリマーの相分離構造はMPCセグメントとTFEMAセグメントの極性の大きな差異によるものであると考えられた。一方、傾斜型コポリマーには明確な相構造が存在しなかった。

ランダムコポリマーおよびブロックコポリマー表面の構造をXPS測定とTEM観察により解析した。ランダムコポリマー表面は乾燥状態で非極性のTFEMAユニットが表面に配向した。ブロックコポリマー表面には海−島構造やラメラ構造などのミクロドメイン構造がバルクのモノマーユニット組成に対応して存在することが示唆された。一晩純水に浸漬させ凍結乾燥した擬似水和表面のXPS測定により、ランダムコポリマー、ブロックコポリマーとも極性のMPCユニットが表面に配向していることが分かった。これはMPCユニットの水との強い親和性に由来すると考えられた。

 ランダムコポリマー、ブロックコポリマーおよび傾斜型コポリマー表面の濡れ性を、静的および動的接触角測定により解析した。ランダムコポリマー表面の濡れ性はTFEMAユニットが配向した表面で低かった。ブロックコポリマーはランダムコポリマーに比べ、MPCユニット組成が低い表面でも濡れ性が高かった。これはブロックコポリマー表面に形成されたミクロドメイン構造に由来すると考えられた。一方、傾斜型コポリマーはその濡れ性が二種類の表面で劇的に変化した。

 動的接触角における後退接触角は、高い表面張力を有するモノマーユニットに影響を受ける接触角である。全てのコポリマー表面の後退接触角は小さかったことから、水中に浸漬させることでMPCの親水性の効果がモノマーユニットの組成、配列にかかわらず発現された。

 ランダムコポリマーおよびブロックコポリマー表面の水と接触した状態の物理的な特性を調べるため、ゼータ電位測定を行った。MPCユニットで覆われた表面の電位は中性であることが知られている。MPCユニット組成の低いコポリマーを比較すると、ブロックコポリマー表面は中性であったが、ランダムコポリマー表面はやや負の電位になっていた。これはMPCユニット組成の低いランダムコポリマー表面が一部TFEMAユニットに覆われていることを示唆した。

 ランダムコポリマーおよびブロックコポリマー表面に吸着したタンパク質の定量を行った。血栓形成を誘起するフィブリノーゲンを比較すると、ブロックコポリマー表面においてランダムコポリマー表面より有意にその吸着を抑制した。ミクロドメイン構造が形成されたブロックコポリマーは低いMPCユニット組成でもタンパク質吸着抑制効果が発現された。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、低侵襲治療を目指した医療材料の基本的性質であるマテリアルと生体との相互作用を制御するポリマーマテリアルの設計概念の提示および精密合成法の確立を目的としている。マテリアル表面(バイオインターフェース)の構造・特性をナノオーダーで制御すべく、ポリマー中のモノマーユニット配列に着眼している。その中で、モノマーユニットの組成がポリマー鎖に沿って傾斜する傾斜コポリマーの精密合成法を研究し、マテリアルの表面改質に利用するという独創的視点に立ち、リン脂質極性基およびトリフルオロアルキル基を有するポリマーの分子設計からその表面の物理化学的・生物学的評価までを系統的に研究している。2−メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)ポリマーは側鎖に細胞膜の主成分であるリン脂質極性基を有するポリマーバイオマテリアルである。また、2,2,2−トリフルオロエチルメタクリレート(TFEMA)は含フッ素モノマーであり、MPCと大きく異なる特性を有する。本論文では、リン脂質極性基を含む傾斜コポリマーを世界ではじめて実現するための反応特性の調査をし、これよりリビングラジカル重合法によるポリマー一分子内のモノマーユニット配列の制御、バイオマテリアルとして応用する際に重要な表面構造や表面の物理化学的・生物学的特性とポリマー中のモノマーユニット配列との関連性などについて系統的に全6章で展開している。

 第1章では、社会的背景、目的、意義、および周辺領域の研究例の概観を通し、本研究の新規性・独創性を示しており、以降の各章への導入となっている。

 第2章では、傾斜コポリマーを合成するために重要な各モノマーの反応特性を、ランダムコポリマーの合成により調査している。モノマーユニット配列の精密な設計のため、できるだけ反応性が類似するメタクリル酸エステルモノマーを選択し、反応性や反応速度の具体的な数値を算出することで、傾斜コポリマーの合成に基礎的な情報を与え、より簡便に、速度論的に進めている。また、ここで合成されたランダムコポリマーを表面解析の参照材料とすることでより幅の広い研究となっている。

 第3章では、具体的なモノマーユニット配列の制御法としてとしてリビングラジカル重合法を適用し、傾斜コポリマーおよびブロックコポリマーを合成している。特にリビングラジカル重合法の中でも操作の簡便性を考慮し、可逆的付加−開裂型連鎖移動重合法(RAFT重合法)および光リビングラジカル重合法を用いてポリマーの合成を行っている。傾斜コポリマーの合成には一方のモノマーを重合系に断続的に添加するセミバッチ型の重合法を用いている。また、傾斜コポリマーの合成の確認は、鎖長とモノマーユニット組成の関係および鎖長と分子量の関係を継時的に評価することで行っている。これらの手法により、2種類の傾斜コポリマーの合成に成功している。

 第4章では、これまでに得られたランダムコポリマー、ブロックコポリマーおよび傾斜コポリマーのバルクおよび表面の構造を調査している。ランダムコポリマーは単一相構造をバルクでとっていることが熱特性の調査より明らかとなった。また、ランダムコポリマー表面には乾燥状態で疎水性のTFEMAが配向した表面構造が存在することが明らかとなった。周囲の環境が水の場合、親水性のMPCユニットが配向することもわかった。ブロックコポリマーは明確な相分離構造をバルク状態で有していることが明らかとなった。また、それに対応してブロックコポリマーの乾燥表面にはミクロ相分離構造が形成されていることが明らかとなった。これらはMPCとTFEMAの特性の大きな違いに起因すると考えられた。周囲が水の場合、MPCセグメントが配向することが明らかとなった。一方、傾斜コポリマーのバルク特性はランダムコポリマーやブロックコポリマーと大きく異なり、明確な相構造有していないことが示唆された。また、その表面の構造もランダムコポリマー表面やブロックコポリマー表面と異なり、TFEMAの配向が起きなかった。

 第5章では、精密な配列を有するポリマー表面の静的・動的濡れ性や電位およびタンパク質の吸着量を評価し、前章で明らかとなった構造との相関を述べている。ランダムコポリマーとブロックコポリマーを比較すると、水との平衡化状態においてもブロックコポリマー表面はMPCユニットの表面電位の中性性およびタンパク質の吸着抑制などの特性が支配的であることが明らかとされた。これはブロックコポリマー表面に形成されたミクロ相分離構造に起因するものだと考えられた。一方、傾斜コポリマー表面はポリマー末端の影響により比較的負電位となったにもかかわらず、タンパク質の吸着を効果的に抑制した。吸着タンパク質のコンフォメーション、配列などの調査により、傾斜コポリマーの特異な特性が示される可能性を示唆している。

 第6章では、精密なモノマーユニット配列を有するコポリマーの合成、その表面の構造・特性の系統的な評価を総括している。これらの系統的研究の遂行により、生体との相互作用の制御を可能とするバイオインターフェースの設計概念の提示およびその基礎的な解析が行われた。ナノテクノロジーやバイオテクノロジーに多大な波及効果を持つバイオマテリアル工学領域の開拓を行なっている。

 以上、医療に利用する器具の低侵襲性を高めるためにポリマーバイオマテリアルの分子設計に新しい概念提示と合成法を開拓したことはマテリアル工学の発展、応用展開に大きな貢献をした。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認める。

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