学位論文要旨



No 120100
著者(漢字) 古賀,裕明
著者(英字)
著者(カナ) コガ,ヒロアキ
標題(和) cBN蒸着機構の理論研究
標題(洋) Theoretical study of deposition mechanism of cubic boron nitride
報告番号 120100
報告番号 甲20100
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6042号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邉,聡
 東京大学 教授 吉田,豊信
 東京大学 助教授 光田,好孝
 東京大学 講師 弓野,健太郎
 東京大学 助教授 杉野,修
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、次世代のワイドギャップ(約6eV)半導体として注目されている立方晶窒化ホウ素(cBN)の新しいエピタキシャル成長方法を提案し、その実現可能性を第一原理計算により示したものである。cBNは、グラファイトに類似の構造をもつsp2相の形成が抑制される条件下でのみ成長する。現行のcBN蒸着プロセスでは、数百eVに加速したイオンを成長表面に照射することでsp2相の形成を抑制しているが[1]、エピタキシャル成長の報告例がほとんどなく、また高強度のイオン衝撃が引き起こす照射損傷のため、デバイス作製に適さない可能性がある。したがって、イオン衝撃に依存しない新たなcBN成長方法が必要不可欠である。sp2相は成長表面上の吸着B原子と吸着N原子が会合してできるから、吸着原子種を一種に限定すれば、イオン衝撃なしにsp2相形成を抑制できる。そのような成長方法として、化合物の各原子層を単原子種蒸着により成長させる拡散促進エピタクシー(Migration Enhanced Epitaxy:MEE[2])法がある。そこで本研究では、MEEをcBN(001)上に適用した場合の成長素過程(図1)を第一原理的に予測し、cBN成長の実現可能性を示す。さらに、MEEによるダイヤモンド基板上でのcBN成長の実現可能性を示す。

 本研究では、平面波基底・ウルトラソフト擬ポテンシャル・一般化密度勾配近似を用いた密度汎関数理論に基づく第一原理計算[3]を行った。平面波展開のカットオフエネルギーは30.25Ryである。cBN(001)表面のモデルとして、6原子層(B面では5原子層)のスラブと、7原子層の真空領域からなる周期スラブモデルを用い、モデル裏面B原子のダングリングボンドは価電子数1.25eの仮想水素原子により終端した。蒸着表面の初期構造として、第一原理計算[5]によりN被覆率1.0での安定表面として予想されている(2×1)ダイマー再構成面を用いた。用いた計算セルの水平方向の大きさは2×2、2×4、4×2、4×4である。今回の条件で計算されたcBNの格子定数と体積弾性率(3.626Å及び3.725Mbar)は、実験値(3.615Å及び3.69−4.65Mbar)をよく再現している。また、B面のc(2×2)構造と(2×1)構造のエネルギー差(−0.004eV/1×1)は文献[4]の計算値(−0.01eV/1×1)とよく一致しており、またスラブ厚さ、真空領域の厚さ、k点サンプリングの諸条件について0.02eV/1×1まで収束していることを確かめた。

 はじめに、cBN(001)N面上にB層がエピタキシャルに成長できることを示す。まず、清浄なN面上でのB原子吸着位置を調べたところ、B格子位置であるNダイマー中心上のサイト(−7.8eV)が非格子位置より3eV以上安定であることがわかった。よって、蒸着初期ではB原子はB格子位置に取込まれる。

 B層の成長が進行してN面上のB被覆領域が大きくなると、被覆領域上の吸着サイト(つまりアンチサイト)とB格子位置のどちらにBが取込まれるかが問題になる。本計算によると、B格子位置(−7.5eV)がアンチサイト(−5.4eV)より吸着B原子にとって安定なので、B原子はほとんどB格子位置に取込まれ、B層がエピタキシャルに成長すると考えられる。

 さらに被覆率が大きくなると、すでにB原子で覆われている領域にB原子が入射してBアンチサイト欠陥が生じる。この欠陥が修復されるためには、このB原子がB被覆領域上を拡散して、すみやかに空のB格子位置に取込まれなければならない。そこで、B面上のB吸着原子位置(x,y)に関するポテンシャルエネルギー面E(x,y)を計算し、拡散バリアを決定した。計算の結果、(2×1)構造では拡散バリアはダイマー列方向に0.5eV、列に垂直な方向に1.1eV、c(2×2)構造では等方的に0.8eVであることがわかった。この値とアレニウスの式を用いると、B被覆領域上の吸着B原子は温度700 Kで毎秒107サイト訪れることがわかる。よって、空のB格子位置の濃度が10−7を下回らない限り、B原子はB層蒸着の時間(約一秒)内にB格子位置に取込まれる。まとめると、N面上へ供給されたB原子はB格子位置に取込まれるので、B層がエピタキシャルに成長するということができる。

 次に、cBN(001)B面上にN層がエピタキシャルに成長できることを示す。まず、清浄なB面上でのN原子吸着位置を調べたところ、N格子位置であるBダイマー中心上のサイト(−6.7eV)が非格子位置より2.4eV以上安定であることがわかった。よって、蒸着初期ではN原子はN格子位置に取込まれる。

 N層の成長が進行してB面上のN被覆領域が大きくなると、被覆領域上の吸着サイト(つまりアンチサイト)とN格子位置のどちらにNが取込まれるかが問題になる。本計算によると、B格子位置(−6.4eV)がアンチサイト(−3.3eV)より吸着N原子にとって安定なので、N原子はほとんどN格子位置に取込まれる。

 さらに被覆率が大きくなると、すでにN原子で覆われている領域にN原子が入射してNアンチサイト欠陥が生じる。計算によると、この欠陥から窒素分子が脱離するときのバリアは0.7eVであることがわかった。このバリアから、700Kでのアンチサイト欠陥の寿命が約10nsであることがわかる。このように、N被覆領域に吸着した余分なNはすみやかに窒素分子として脱離するので、Nの被覆率は一原子層(1ML)を越えない。本節の結果をまとめると、B面上へ供給された各N原子はN格子位置に取込まれるか、窒素分子として脱離するので、N層がエピタキシャルに成長するということができる。

 さらに、窒素脱離にもかかわらず残存したNアンチサイト欠陥について、入射原子との相互作用を調べるため以下の計算を行った。まず、Bダイマー再構成面上のB原子一つをN原子に置き換えて構造最適化を行い、Nアンチサイト欠陥を含む表面のモデルを作る。次に、このアンチサイト欠陥付近に入射B原子をおいて構造最適化を行う。この計算の結果、入射B原子はN-N結合に割り込んで(B-N交換反応)、アンチサイト欠陥をcBNの原子構造と互換性のある局所構造に変化させることがわかった。同様の計算により、Bアンチサイト欠陥もN原子との交換反応により修復されることがわかった。

 発展研究として、MEEによるダイヤモンド基板(001)面上のcBNヘテロエピタクシーの可能性を第一原理計算により示した。ダイヤモンドはcBNと格子整合がよく(ミスマッチ1.3%未満)、高圧合成により数センチ角の基板も作製されているので、cBN用基板として最適である。MEEでヘテロエピタクシーを行う場合、B単原子層蒸着とN単原子層蒸着のどちらを先に行うかが問題になる。計算によると、Nを先に蒸着する場合、窒素分子脱離のためdiamond(001)上でのN原子層の形成は困難であるということがわかった。つまり、diamond(001)上のNダイマー(−4.8eV/atom)は窒素分子(−5.0eV/atom)よりもエネルギーが高いため、窒素分子として脱離する。これに対しBを先に蒸着する場合については、初めの2層について平坦面が安定であること、3層目以降は吸着エネルギーがcBN(001)上のときとほぼ一致することがわかった。これにより、3層目以降の表面素過程が、cBN(001)を基板とする場合と同じと見なせることがわかる。したがって、B単原子層蒸着を先に行う場合、cBN/diamond(001)ヘテロエピタクシーがMEEにより実現すると期待できる。

 まとめると、cBN(001)面上での表面素過程について第一原理計算により調べ、MEEによるcBNエピタキシャル成長の可能性を示した。計算ではMEEの以下の特徴を明らかにした。(i) cBN(001)のB(N)面上では、cBNのN(B)格子位置がN(B)原子の優先吸着位置になる。(ii) B被覆領域上に吸着したB原子の拡散は速いので、すみやかに空のB格子位置に吸収されると期待できる。(ii) N被覆領域上に吸着したN原子は、窒素分子としてすみやかに脱離するので、窒素の吸着は一原子層を越えない。 (iv) B(N)アンチサイト欠陥付近にN(B)原子が入射すると、B-N交換反応によりアンチサイト欠陥が修復される。以上の特徴により、B原子はcBNのB格子位置に取込まれ、N原子はN格子位置に取込まれるか、窒素分子を形成して脱離するので、cBNがエピタキシャルに成長すると期待できる。また、ダイヤモンド(001)基板についても、MEEによるcBN成長の可能性を強く示す結果を得た。以上の結果より、MEEは高品質cBN薄膜成長の理想的な方法であるということができる。

[1] Mirkarimi et al., Mater. Sci. Eng. 21 (1997) 47.[2] Y. Horikoshi et al., Jpn. J. Appl. Phys. 25 (1986) L868.[3] Simulation Tool for Atom TEchnology (STATE) Ver. 5.01, Research Institute for Computational Sciences (RICS), National Institute of Advanced Industrial Science and Technology (AIST), 2002.[4] J. Yamauchi et al., Phys. Rev. B 54 (1996) 5586.

図1:拡散促進エピタキシー

審査要旨 要旨を表示する

 立方晶窒化ホウ素(cBN)は次世代ワイドギャップ半導体として注目されているが、エピタキシャル成長の報告例がほとんどなく、現行のcBN蒸着プロセスは照射イオンによる損傷のためデバイス作製に適さない可能性がある。よって高品質膜作製のための新しいプロセスの開発が強く望まれている。本論文は、化合物の各原子層を単原子種蒸着により成長させる拡散促進エピタクシー(Migration Enhanced Epitaxy:MEE)法のcBNへの適用を提案し、その実現可能性を第一原理計算により示したものである。本論文は7章からなる。

 第1章は緒言であり、cBNの構造、物性、用途について述べると共に、cBNに関するこれまでの実験および理論研究をまとめている。そして、イオン衝撃を用いないエピタキシャル成長法の開発がまだ不十分であることと薄膜成長素過程に対する第一原理計算が未だなされていないことを指摘して、本研究の目的を明確にした。

 第2章では、本研究の計算の基盤となる密度汎関数法と擬ポテンシャル法の概略を述べている。また、本研究で必須となる原子構造最適化についても手法の概略を述べている。

 第3章では、本研究の計算方法の詳細を述べている。具体的には、用いた表面構造モデルを述べ、供給ガスの吸着エネルギー、反応経路、反応速度等の計算法を説明している。さらに、いくつかの表面及び分子について予備計算を行ない、計算条件の信頼性が十分であることを確認している。

 第4章では、cBN(001)面上におけるMEEの可能性を第一原理計算で検討した結果を述べている。まず、cBN(001)N面上のB層のエピタキシャル成長について、(1)清浄なN面上ではB格子位置が非格子位置より3eV以上安定なので、蒸着初期ではB原子はB格子位置に取込まれること、(2)N面上のB被覆領域が大きくなっても被覆領域上の吸着サイトよりB格子位置の方が吸着B原子にとって安定なので、B層がエピタキシャルに成長すると考えられること、および(3)さらに被覆率が大きくなった場合にB原子で覆われている領域にB原子が入射して生じるBアンチサイト欠陥は、B原子がB被覆領域上を拡散してすみやかに空のB格子位置に取込まれることによって修復されること、を第一原理計算によって明らかにした。次に、cBN(001)B面上のN層のエピタキシャル成長について同様に検討し、(1)蒸着初期ではN原子はN格子位置に取込まれること、(2)B面上のN被覆領域が大きくなっても吸着N原子はほとんどN格子位置に取込まれること、および(3)さらに被覆率が大きくなった場合に生じるNアンチサイト欠陥の寿命が700Kで約10nsという短時間であり、このためNの被覆率は1原子層を越えないこと、を明らかにした。さらに、窒素脱離にもかかわらず残存したNアンチサイト欠陥と入射原子との相互作用を調べ、入射B原子がN-N結合に割り込んでアンチサイト欠陥をcBNの原子構造と互換性のある局所構造に変化させることを明らかにした。同様の計算により、Bアンチサイト欠陥がN原子との交換反応により修復されることも見出した。以上の結果から、cBN上でMEEが実現可能であると結論している。

 第5章では、cBNと格子整合がよく、数センチ角の基板も作製されているためにcBN用基板として最適なダイヤモンド(001)面上で、MEEによるcBNヘテロエピタクシーの可能性を検討している。まずダイヤモンド基板上にNを先に蒸着する場合には、窒素分子脱離のためN原子層の形成が困難であることを明らかにした。次にBを先に蒸着する場合については、初めの2層について平坦面が安定であることと、3層目以降の吸着エネルギーがcBN(001)上の時とほぼ一致することを明らかにした。後者は、3層目以降の表面素過程がcBN(001)を基板とする場合と同じと見なせることを示している。以上より、B単原子層蒸着を先に行う場合には、cBN/ダイヤモンド(001)ヘテロエピタクシーのMEEによる実現が期待できると結論している。

 第6章は総括である。

 第7章は補遺であり、cBN上のMEE成長を実際的な時間スケールで追跡するための動的モンテカルロ計算を試みた予備的な結果と、種々のプロセスの検討に際して有用と考えられる水素終端cBN表面の構造と反応性の理論的検討の結果について述べている。

 以上のように、本論文は、cBNおよびダイヤモンド基板上の拡散促進エピタクシーによる高品質cBN薄膜作製の可能性を第一原理計算により検討した。蒸着の各段階で起こりうる様々な状況についてエネルギー論および運動論の面から解析することにより、拡散促進エピタクシーが高品質cBN薄膜成長の方法としてきわめて有望であることを明らかにした。よって本論文の薄膜プロセス工学、表面物性工学への寄与は大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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