学位論文要旨



No 120109
著者(漢字) 神谷,宗明
著者(英字)
著者(カナ) カミヤ,ムネアキ
標題(和) 密度汎関数法における長距離補正汎関数の開発
標題(洋) Development of long-range corrected functionals in density functional theory
報告番号 120109
報告番号 甲20109
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6051号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平尾,公彦
 東京大学 教授 山下,晃一
 東京大学 教授 北森,武彦
 東京大学 助教授 中嶋,隆人
 東京大学 助教授 常田,貴夫
内容要旨 要旨を表示する

密度汎関数法(DFT)は、さまざまな物質の電子状態を、波動関数ではなく電子密度に基づく平均場ポテンシャルを利用した非線形Kohn-Sham方程式を解いて求める計算法である。この方法では量子論的な交換相関相互作用を電子密度の汎関数として近似しているため、電子相関を取り込んだ高精度な計算を少ない計算コストで実現する。DFTはエネルギーや構造といった一次の物性は精度よく算出するものの、二次の物性の計算精度は必ずしもよくない。化学反応における反応障壁は過小評価され、van der Waals結合も記述されない。また時間依存DFT計算によるRydberg励起エネルギーの過小評価、電荷移動励起の非再現性、電場応答量の過大評価、といった問題が存在し、DFTのリアル系への適用の大きな障害となっている。

 ここでDFTの計算精度は交換相関汎関数により決定される。現在一般的に用いられている一般化勾配近似(GGA)では、電子密度に依存する無次元数xσという変数を用いて、電子ガスの交換相関汎関数を補正する形でつくられている。このため(1)1電子系で交換相互作用とクーロン相互作用が打ち消しあわないという自己相互作用誤差、(2)原子核からはなれた長距離漸近領域での交換ポテンシャルの振舞いの悪さが問題になっている。

 本研究の目的はこれらDFTのさまざまな問題を解決し、DFTの適用範囲を大幅に拡大することにある。まず、自己相互作用誤差を取り除くために、一電子の運動エネルギー密度がWeizsacker運動エネルギー密度で表されることを用いて、新しい自己相互作用補正法を開発した。この新しい自己相互作用補正法を反応障壁の問題に適用した。また長距離電子間相互作用を取り扱う長距離補正法とvan der Waals汎関数を用いる方法を開発しvan der Waals結合の記述に成功した。さらに長距離補正法を時間依存DFTに適用することにより分極率、超分極率の問題に取り組んだ。

(1) 新しい自己相互作用補正法の開発

 自己相互作用誤差とは、本来打ち消されるべきCoulomb自己相互作用の効果が残ってしまうための誤差である。従来のDFTの交換汎関数は必ずこの誤差を含んでおり、DFTによる反応障壁過小評価の原因はこの交換汎関数の自己相互作用誤差であるとされてきた。この誤差を解消するため、様々な自己相互作用補正(SIC)法が提案されてきたが、未だ決定的な方法は提案されていない。

 全運動エネルギー密度が1電子的振る舞いをする領域ではWeizacker運動エネルギー密度で表される。

ここで1電子領域は自己相互作用が支配的な領域のあので、自己相互作用に支配された空間領域をtσ=τσW/τσで定義した(図. 1)。この図において、黒い部分は従来の汎関数で記述可能な領域を示し、白い部分は自己相互作用が重要な領域である。そこでこの割合を用い、

のように、運動エネルギー密度の汎関数である分割関数により従来の交換汎関数の自己相互作用領域を、水素様原子モデルを用いた交換自己相互作用エルギーで補完する領域的自己相互作用補正(RSIC)を開発した。

このRSIC法を様々な化学反応の反応障壁計算に適用した結果、従来の汎関数であるBOPでは反応障壁が無い系や、負の値を算出する系でも補正をしたRSICでは大幅に改善したこれにより、DFTによる化学反応障壁エネルギーの過小評価の原因が、交換汎関数の自己相互作用領域での交換エネルギーの再現性に問題があることを確認できた。

(2) van der Waals相互作用を記述するDFTの開発

 van der Waals結合は、主に長距離電子間交換相互作用によるPauli反発と分散力による引力とのバランスにより結合してる。従来のDFT交換相関汎関数は、交換汎関数が長距離交換を、相関汎関数が分散力をそれぞれ取り込んでいないため、誤差相殺により、結合するか解離するか傾向がわかれていると考えられる。

 本研究では、DFTの長距離電子間の交換相互作用をあらわに取り扱うために、Coulomb相互作用を

のように分割し、GGAの交換汎関数の長距離成分をHF交換積分で補正する長距離補正(Long-range Corrected)法を用いた。

長距離の電子相関である分散力の取り扱いにはAnderssonらによるvan der Waalsの汎関数(ALL)

を用い、短距離の電子相関の記述には従来の相関汎関数を用いた。これによりvan der Waals相互作用を取り込んだ長距離交換相互作用補正法を開発した。

 この方法により、希ガス二量体であるNe2、He2、Ar2の解離ポテンシャルを計算し、これまでの汎関数の結果と比較した。従来の汎関数としては希ガスのvan der Waals相互作用を記述するようにparameterを調節したmPWPW91、mPW1PW91交換相関汎関数、B3LYPに古典的なvan der Waals補正をしたB3LYP+vdW法を用いた。

 図3にAr2のポテンシャルエネルギー曲線を示した。mPWPW91とmPWPW91ではHe2、Ar2ではそれぞれ過小、過大に結合を評価し、また1/R6というvan der Waalsに特徴的な振る舞いも記述ができていない。B3LYP+vdW法は、経験的なvan der Waals補正により、1/R6という振る舞いを記述できているが、すべての系で結合を過小評価した。本研究で開発したLC-BOP+ALL法はすべてポテンシャル曲面に対し、理論的にvan der Waals相互作用を取り込んでいるMP2法と同等以上に、正確な記述が得られた。

 このことより、長距離交換相互作用とvan der Waals相互作用をバランスよく取り込むことにより、希ガスのポテンシャル曲面を正確に記述することができた。

(3) 長距離補正法による分極率、超分極率の計算

 非線形応答による物性である分極率、超分極率という計算においては、電子相関の効果が計算結果に強く影響を及ぼすことが知られている。時間依存密度汎関数法(Time dependent DFT: TDDFT)は、時間依存Hartree-Fock法と同等の計算コストで、相関汎関数により電子相関を取り込むことが可能なため期待されている。しかしながら従来の汎関数による計算では分極率、超分極率を過大に評価する傾向があることが報告されている。これを改善する方法として、漸近的な振る舞いを示すように作られた汎関数を用いる方法が提案されているが、共役π電子系では結果が改善されないことが知られており、根本的な解決法は見つかっていない。

 従来の交換相関汎関数はRydberg励起、電荷移動励起エネルギーを精度よく算出することができない。これらはそれぞれ小さな分子、push-pull pi共役系で重要な寄与をすると考えることができる。そこで本研究では長距離補正(LC)法を応答量計算とくに一次の超分極率の計算に適用することにより、大きな系に対して適用可能な理論開発をめざした。

TDDFT法を用いた応答量計算では、TDHF法と同様に、n次の1電子方程式

を解くことによりにより、2n+1次の応答量計算をおこなう。長距離補正法によるTDDFTにおいては高次のKohn-Sham行列を

と定義する。ここではn次の交換相関ポテンシャルの短距離部分、KlrはHF交換積分の長距離部分である。このようにして従来の汎関数同様にして、をもとめることができる。

 push-pull π共役系である、さまざまなCH=CH鎖の長さに対するα,ω-nitro aminopolyene (NH3(CH=CH)nNO2)の超分極率(β)の計算を行った結果を図4に示す。従来の汎関数であるBLYPやB3LYPでは鎖の長さNが大きくなるにつれ、定性的にも異なる振る舞いをする。一方LC法では鎖の長さが伸びるにつれてβ/Nが収束していくという振る舞いを再現することができた。

 本論文では、密度汎関数法の汎関数が長距離電子間の相互作用をきちんと取り扱っていないことによる諸処の問題点に対し、(1)新しい自己相互作用誤差補正法を開発することで反応障壁の問題、(2)長距離交換補正法とvan der Waals汎関数によりvan der Waals結合に関する問題を、さらに(3)長距離交換補正法に基づくTDDFT法開発により分極率、超分極率の問題、を解決する新しい汎関数を開発することができた。

図1 H2COに対する自己相互作用領域のプロット

表Calculated reaction energy barriers ( kcal/mol)

図2 誤差関数による1/r12の分割

図3 Ar2のポテンシャルエネルギー曲線

図4 σ,ω-nitroaminopolyeneの超分極率

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「Development of long-range corrected functionals in density functional theory (密度汎関数法における長距離補正汎関数の開発)」と題し、全7章からなっている。密度汎関数法(DFT)における新しい汎関数、特に長距離補正をおこなった交換汎関数を開発し、これまで記述することが困難であったさまざまな分子物性を精度良く記述できることを明らかにし、DFT法の適用範囲を大幅に拡大したものである。

 第1章は序論である。理論化学、特にDFTの現状がまとめられている。DFTはさまざまな物質の電子状態を、波動関数ではなく電子密度に基づく平均場ポテンシャルを利用した非線形Kohn-Sham方程式を解いて求める計算法である。この方法では量子論的な交換相関相互作用を電子密度の汎関数として近似しているため、電子相関を取り込んだ高精度計算を少ない計算コストで実現する。DFTはエネルギーや構造といった一次の物性は精度よく算出するものの、二次の物性の計算精度は必ずしもよくない。化学反応における反応障壁は過小評価され、van der Waals結合も記述されない。また時間依存DFT計算によるRydberg励起エネルギー、電荷移動型励起エネルギーの過小評価、電場応答量の過大評価といった問題が存在し、これがDFTの生体分子や大規模系への適用の大きな障害となっている。このDFT法の欠陥は長距離での電子密度の振る舞いの悪さにある。長距離補正を施した汎関数の開発が急務であることが強調され、本論文の研究目的が述べられている。

 第2章は電子密度による運動エネルギー、交換エネルギーおよび相関エネルギーの間の関係をあきらかにしたものである。DFTの精度は汎関数に依存する。したがって汎関数を開発する際には、それぞれの項が互いに相関しあっていることに注意して開発すべきであると指摘している。

 第3章は、自己相互作用を補正した汎関数の開発についての研究である。自己相互作用誤差とは、本来打ち消されるべきCoulomb自己相互作用の効果が残ってしまうための誤差である。これまで提唱されている交換汎関数にはこの誤差が含まれており、化学反応における反応障壁の過小評価の原因であるとされてきた。この誤差を解消するため、さまざまな自己相互作用補正(SIC)法が提案されてきたが、未だ決定的な方法はない。自己相互作用が支配的な領域は、全運動エネルギー密度が1電子的振る舞いをする領域である。申請者はこの領域がWeizsacker運動エネルギー密度で表されることを示し、この領域を水素様原子モデルを用いた交換自己相互作用エルギーで補完する自己相互作用補正(RSIC)法を開発した。このRSIC法をいくつかの化学反応の反応障壁計算に適用し、改善が見られることを数値的に検証した。DFT計算で化学反応障壁エネルギーが過小評価される原因の1つに交換汎関数の自己相互作用領域での交換エネルギーの再現性に問題があることが示された。

 第4章はvan der Waals相互作用を記述するDFTの開発に関する研究をまとめたものである。van der Waals相互作用は長距離電子間交換相互作用によるPauli反発と分散力による引力とのバランスによる。これまでのDFT交換相関汎関数には長距離交換が含まれていないし、相関汎関数には分散力も含まれていない。申請者はDFTの長距離電子間の交換相互作用をあらわに取り扱うために、誤差関数を導入することによってCoulomb相互作用を

に分割し、短距離部分の交換汎関数にはGGA汎関数を用い、長距離成分はHartree-Fock (HF) 交換積分で補正する長距離補正法(LC)を開発した。また長距離の電子相関である分散力の取り扱いにはAnderssonらによるvan der Waalsの汎関数(ALL)

を導入し、van der Waals相互作用を取り込んだ長距離交換相互作用補正法を開発した。

 この方法を希ガス二量体であるNe2、He2、Ar2の解離ポテンシャルの計算に応用している。これまでの汎関数はvan der Waals相互作用を過小評価したりあるいは過大評価し、1/R6というvan der Waalsに特徴的な振る舞いも記述できない。申請者が開発した方法はすべてポテンシャル曲面を正確に記述する。Ab initio分子軌道法であるMP2法と比較しても遜色がない。長距離交換相互作用とvan der Waals相互作用をバランスよく取り込むことにより、希ガスのポテンシャル曲面が正確に記述されたものである。

 第5章は、長距離補正法による分極率、超分極率の研究をまとめたものである。非線形応答による物性である分極率、超分極率は、電子相関の効果が計算結果に強く影響を及ぼすことが知られている。時間依存密度汎関数法(Time dependent DFT: TDDFT)は、時間依存HF法と同等の計算コストで、相関汎関数により電子相関を取り込むことができる。しかしながら従来の汎関数による計算では分極率、超分極率を過大に評価する傾向がある。これを改善する方法として、漸近的な振る舞いを示すように作られた汎関数を用いる方法が提案されているが、共役π電子系では結果が改善されず、根本的な解決法は見つかっていない。これまでの交換相関汎関数はRydberg励起、電荷移動型励起エネルギーを精度よく算出することができない。これらはそれぞれ小さな分子、push-pull π 共役系で重要な寄与をすると考えることができる。申請者は長距離補正法を応答量計算、とくに一次の超分極率の計算に適用することにより、大きな系に対して適用可能な理論開発を行った。

 第6章ではこの理論をpush-pull π共役系であるさまざまなCH=CH鎖の長さに対するα,ω-nitroamino-polyene (NH3(CH=CH)nNO2)の超分極率(β)の計算に応用している。従来の汎関数であるBLYPやB3LYPでは鎖の長さNが大きくなるにつれ、定性的にも異なる振る舞いをする。一方長距離補正法では鎖の長さが伸びるにつれてβ/Nが収束していくという正しい振る舞いを再現する。長距離補正の重要性が指摘されている。

 第7章は本論文のまとめであり、分子の電子状態理論、DFTに関する将来の展望が述べられている。

 以上のように本論文は、密度汎関数法の課題であるとされたいたさまざまな問題を解決し、密度汎関数法の適用範囲を大幅に拡大したものであり、理論化学、物質科学に貢献するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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