学位論文要旨



No 120112
著者(漢字) 中川,善直
著者(英字)
著者(カナ) ナカガワ,ヨシナオ
標題(和) γケギン型遷移金属二置換ポリオキソタングステートを触媒としたエポキシ化反応
標題(洋)
報告番号 120112
報告番号 甲20112
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6054号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 水野,哲孝
 東京大学 教授 藤田,誠
 東京大学 助教授 大越,慎一
 東京大学 助教授 引地,史郎
 東京大学 助教授 河野,正規
内容要旨 要旨を表示する

緒言

 エポキシ化反応は、界面活性剤・樹脂・医薬品等の原料となるエポキシドを合成する、工業的にも有機合成的にも重要な反応である。すでに分子状酸素によるエポキシ化が工業化されているエチレンを除き、工業的なエポキシ化反応は高価で環境負荷の大きい過酸や有機過酸化物を酸化剤に用いて行われている。これらの酸化剤に比べより安価で環境負荷の小さい過酸化水素や分子状酸素を用いた反応系の開発が望まれている。また、分子性酸化物クラスターであるポリオキソメタレートは、熱や酸化剤に対する安定性に優れ、酸化反応触媒として有望な化合物である。特に、構成元素の一部を酸化反応に有効な金属に置換することで、酸化酵素の活性点で多くみられる複核の金属から成る活性点を構築することができる点は興味深い。

 本研究では、過酸化物を酸化剤とした多くの酸化反応に活性なバナジウムと、酸化酵素の活性中心に多くみられ分子状酸素の活性化に有効な鉄に着目し、これらの金属を隣接して2個含むポリオキソメタレートを触媒に用いたエポキシ化反応を検討した。

1.バナジウム二置換ポリオキソタングステートのキャラクタリゼーションと反応性

 γケギン型バナジウム二置換ポリオキソタングステート[γ-H2SiV2W10O40]4-(以下、1)は、既報に基づき二欠損型ポリオキソタングステート[γ-SiW10O36]8-の酸性水溶液にバナジン酸イオンを加えることで合成した。1のテトラメチルアンモニウム(TMA)塩の単結晶を合成し、構造解析を行った。Figure1に示すように、1はγケギン構造をしており、2個のバナジウムが2個の酸素原子(O1,O2)で架橋されている。Bond Valence Sum計算と1H NMRより、O1,O2にはプロトンが結合していることを確認した。1が持つVV-(μ-OH)2-VV 構造は +4価のバナジウム錯体では報告例があるが、+5価のバナジウムでキャラクタリゼーションされたのは初めてである。

 1のV-(μ-OH)2-Vサイトの反応性をアルコールをプローブ分子に用いて検討した。1のアセトニトリル溶液にメタノールを加えると、速やかに反応してメチルエステル体(2)を生じた。2の単結晶はクラウンエーテルカリウム錯体を対カチオンに用いて合成し、単結晶構造解析により分子構造を決定した。Figure2に示すように、2個のバナジウム間を1個のメトキシ基が架橋していることが明らかとなった。Bond Valence Sum計算と1H NMRから、炭素原子が結合していないバナジウム架橋酸素(O2)はプロトンが結合しており、2は[γ-SiV2W10O38(μ-OH)(μ-OCH3)]4で表されることを確認した。エステル体2の構造は51V NMRと183W NMRでも確認した。さらに、18Oでラベルしたメタノールを用いてCSI-MSを測定し、架橋メトキシ基の酸素(O1)はアルコール由来であることを確認した。

 以上から、1のV-(μ-OH)2-V サイトはメタノールと反応してモノエステルV-(μ-OH)(μ-OCH3)-Vを生成することがわかった。

 式(1)の反応は可逆であり、2は水の存在で加水分解が進行した。298K、アセトニトリル中での式(1)の平衡定数K(={[2][H2O]}/{[1][CH3OH]})は、51V NMRより 75±5と求められた。この値は、これまで報告されている種々のバナジン酸エステルの生成定数や、酢酸エステル・リン酸エステルの生成定数に比べ1桁以上大きく、1のV-(μ-OH)2-Vサイトの高い反応性が示された。

 1はメタノール以外のアルコールとも反応して対応するエステル体を生じた。1級アルコールでは炭素数3までは炭素数の増加につれてエステル体の生成定数Kは減少した。(メタノール, 75 ± 5; エタノール, 20 ± 2; 1-プロパノール, 9.5 ± 0.5; 1-ブタノール, 9.7 ± 0.9)。2級アルコールはほとんどエステルを生成せず (K < 0.01)、3級アルコールは全くエステルを生成しなかった。Kの値の序列がアルコールのpKaの序列と一致しない点と、メチルエステル体2の分子構造に基づいて構築したイソプロピルエステル体のモデル構造について検討した結果から、2級および3級アルコールにおけるエステル体生成の阻害は、アルキル基とポリオキソメタレート骨格との立体反発によるものと推定した。

 以上より、1の持つV-(μ-OH)2-V サイトの架橋ヒドロキソ基は高い反応性を有し、かつその反応性は周囲のポリオキソメタレート骨格から大きな立体効果を受けることがわかった。

2.バナジウム二置換ポリオキソタングステートを触媒としたエポキシ化反応

 1を含む種々のバナジウム置換ポリオキソタングステートを触媒に用いて過酸化水素を酸化剤とした1-オクテンのエポキシ化反応を行ったところ、1を触媒に用いた場合のみ良好にエポキシ化が進行し、基質と過酸化水素の量論比が1:1の条件においても収率93%、選択率99%に達した。単離収率も86%に達した (50倍スケールアップ)。これまでの報告では、基質基準収率と過酸化水素基準収率の両方が70%を超える末端オレフィンのエポキシ化の系はない。触媒に用いた1は溶媒の蒸発除去と洗浄によって容易に回収できた。回収した1はIR, UV/vis, 51V NMR, 183W NMRから元の構造を保っていることが確認された。回収した1を再度エポキシ化反応の触媒に用いたところ、3回の回収と再使用を繰り返しても活性の低下は見られなかった。さらに、これまでの報告で過酸化水素を酸化剤としたエポキシ化に有効とされているタングステンを活性金属とする触媒は、この条件ではほとんど反応しなかった。以上から、1は触媒反応中も構造を保っており、バナジウムを活性点としてエポキシ化が進行していると考えられる。

 1を触媒に用い、種々のアルケンのエポキシ化を行った結果をTable 1に示す。反応性の低い末端オレフィン、副反応が起きやすいスチレンやシクロヘキセンのエポキシ化が良好に進行した。ジエン類のエポキシ化では、両端にアルキル置換基を有する内部二重結合よりも電子密度が低く一般には反応しにくいとされる末端二重結合部位が優先的にエポキシ化された (位置選択率, >93%)。また、cis-2-オクテンとtrans-2-オクテンの競争エポキシ化では、立体の影響の小さいcis体がtrans体の50倍以上の速度でエポキシ化された。さらに、3位を置換したシクロヘキセンを基質に用いると、3位の置換基に対しanti位置のエポキシ化が優先的に進行した (ジアステレオ選択率, >88%)。これらの位置選択率、cis/trans速度比、ジアステレオ選択率は、いずれもこれまで報告されている値よりもはるかに大きい。

 さらに、速度論、51V NMR、CSI-MSの測定から、本反応は1と過酸化水素が反応して架橋ヒドロペルオキソ種 [γ-SiV2W10O38(μ-OH)(μ-OOH)]4-が生成し、さらにこれが脱水して [γ-SiV2W10O38(μ-O2)]4-で表される活性種が生成し、そしてこの活性種がオレフィンと反応してエポキシ化が進行すると推測した。

 以上から、1は過酸化水素を用いたオレフィンのエポキシ化に有効な触媒であり、かつきわめて大きな立体効果を持つことが明らかとなった。

3.鉄二置換ポリオキソタングステートを触媒とした分子状酸素によるエポキシ化反応

 バナジウム二置換ポリオキソタングステートと同様に、二欠損型ポリオキソタングステート [γ-SiW10O36]8 の酸性水溶液に硝酸鉄を加えて合成したポリオキソタングステート(3)を触媒に用い、分子状酸素を酸化剤に用いたオレフィンのエポキシ化を検討した。Table 2に示すように、種々のオレフィンについてエポキシ化が進行し、ターンオーバー数(TON)はシクロオクテンを基質とした場合には10000に達した。このTONはこれまで報告されている分子状酸素のみを酸化剤としたシクロオクテンのエポキシ化反応系での値に比べ2桁以上大きかった。これより、鉄二置換ポリオキソタングステートが分子状酸素を用いたオレフィンのエポキシ化に有効な触媒であることが明らかとなった。

4.まとめ

 本研究では、ポリオキソタングステートをマクロリガンドとして用い、バナジウムと鉄の二核活性点を構築してその反応性とエポキシ化触媒活性を検討した。その結果、(1)バナジウム二置換ポリオキソタングステートが持つビスヒドロキソ架橋二核バナジウムサイトは、アルコールと反応して容易にエステルを形成する、(2)バナジウム二置換ポリオキソタングステートを触媒として用いると、量論量の過酸化水素を用いて末端オレフィンを高収率でエポキシ化できる、(3)バナジウム二置換ポリオキソタングステートのエステル化とエポキシ化触媒作用はポリオキソメタレート骨格による大きな立体効果を受ける、(4)鉄二置換ポリオキソタングステートは分子状酸素を酸化剤としたオレフィンのエポキシ化に対して有効な触媒である、ことを明らかにした。

Figure1.ORTEP view of 1.

Figure2. ORTEP view of 2.

Table1. Epoxidation of various olefins with H2O2 catalyzed by 1α

Table2. Oxygenation of various olefins with molecular oxygen catalyzed by 3α

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「γケギン型遷移金属二置換ポリオキソタングステートを触媒としたエポキシ化反応」と題し、全5章で構成されている。

 第1章は序論である。まず、エポキシ化反応の重要性と、既存の方法について述べ、過酸化水素または分子状酸素を用いた高効率・高選択的なエポキシ化反応系の開発が望まれていることを述べている。そして、遷移金属複核の活性点が過酸化水素または分子状酸素の活性化に有望であることと、遷移金属置換ポリオキソタングステートが金属複核の活性点を設計する際に適した化合物群であることを述べ、特にγケギン型構造の遷移金属二置換ポリオキソタングステートのエポキシ化反応触媒への適用可能性について述べている。

 第2章では過酸化物の活性化に有効な金属種であるバナジウムに着目し、γケギン型バナジウム二置換ポリオキソタングステートの反応性について詳細に検討している。まず、このポリオキソメタレートを単結晶構造解析によって構造を決定し、有機錯体では報告例のない、2個のヒドロキソ基によって2個の5価のバナジウムが架橋された V-(OH)2-V サイトを持つことを示している。続いて、アルコールおよびカルボン酸をプローブ分子としてV-(OH)2-V サイトの反応性を検討し、メタノールと反応して大きな生成定数でエステル体 V-(OH)(OR)-V が生成すること、ギ酸と反応して単原子架橋formate錯体 V-(OH)(OOCH)-Vが生成することを明らかにしている。さらに、V-(OH)2-V サイトの反応はポリオキソタングステート骨格から大きな立体効果を受けることを示している。

 第3章では第2章の結果を踏まえ、アルコールやカルボン酸と同じヒドロキソ化合物である過酸化水素を酸化剤に用いてγケギン型バナジウム二置換ポリオキソタングステートをエポキシ化反応の触媒に適用している。その結果、基質と過酸化水素を等量用いる条件で反応性の低い末端オレフィンのエポキシ化において90%以上の収率を達成している。また、本反応系が位置選択的エポキシ化やジアステレオ選択的エポキシ化といった立体選択的反応において極めて大きな立体効果を示すことを見いだしている。さらに、本反応系について速度論やNMR等を用いて反応機構を解析し、触媒のV-(OH)2-Vサイトが過酸化水素と反応してヒドロペルオキソ種 V-(OH)(OOH)-V が生成し、次いでこのヒドロペルオキソ種を前駆体として活性種が生成しエポキシ化反応が進行する機構を提案している。また、本反応系が示す立体効果は触媒上で活性化された酸素を囲むポリオキソタングステート骨格に起因すると推定している。

 第4章では、分子状酸素の活性化に有効な金属種である鉄に着目し、γケギン型鉄二置換ポリオキソタングステートを分子状酸素を酸化剤としたエポキシ化反応の触媒に適用している。その結果、高選択的かつ既報の反応系に比べターンオーバー数が100倍以上大きい反応系の開発に成功している。

 第5章は全体の総括である。

 以上、本論文は工業的および有機合成的に重要なエポキシ化反応にポリオキソタングステート骨格を置換したバナジウム2核、鉄2核の活性点が有効であることを示し、さらにポリオキソタングステート骨格の立体障害により立体選択的反応が進行することを示している。これらの結果は、無機化学的、触媒化学的に重要な知見である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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