学位論文要旨



No 120113
著者(漢字) 寳角,敏也
著者(英字)
著者(カナ) ホウズミ,トシヤ
標題(和) 特異な磁気構造を有するシアノ架橋型金属錯体強磁性体の合成と外場応答性
標題(洋)
報告番号 120113
報告番号 甲20113
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6055号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 教授 水野,哲孝
 東京大学 教授 藤田,誠
 東京大学 助教授 河野,正規
 東京大学 助教授 大越,慎一
内容要旨 要旨を表示する

 1980年代後半から分子磁性体の研究が盛んに行われ、強磁性を示す金属錯体および有機結晶が多く見出されてきた。さらに近年になって、分子磁性体の電気伝導性や外場応答性(光、圧力、磁場、…)といった機能性に関する研究が盛んになってきている。これまでの研究より、多くの物質群のなかでもシアノ架橋型金属錯体は結晶構造および磁気特性の設計、制御が容易であることが分ってきている。本研究では、シアノ架橋型金属錯体を用いて今までに報告例のない特異な磁気構造を有する磁性体の合成およびその外場応答性の検討を行った。希土類金属イオンは大きな一イオン異方性を示すことが知られており、異なるタイプの一イオン異方性を有する希土類金属イオンを多元化することにより特異な磁気構造を示す磁性体の合成が期待される。そこで、一軸異方性のSmIIIと等方性のGdIIIを多元化したSmxGd1-x[Cr(CN)6]・4H2O(1)を合成し、バルク磁性体として初めて逆ヒステリシスループを見出した。また、一イオン異方性が直交するSmIIIとTbIIIを多元化することによりSmxTb1-x[Cr(CN)6]・4H2O(2)において新規な非直線型スピン配置を示す磁性体を合成した。オクタシアノ金属酸イオンの配位構造の多様性および酸化還元活性を活かして、Sm(H2O)5[W(CN)8](3)において冷却速度により強磁性−反強磁性スイッチング磁性体および光磁性を示すCs2Cu7[Mo(CN)8]4・6H2O(4)磁性体を合成した。

SmIIIxGdIII1-x[CrIII(CN)6]・4H2O(1)における逆ヒステリシスループ

 得られた化合物の結晶構造は組成比x(0〓x〓1)によらず、斜方晶であった。また、CN伸縮振動はx の増加に伴い連続的に減少した。これらの結果は、SmとGdがシアノ基の窒素サイトにランダムに配位した3元金属系錯体が得られたことを示している。

 Sm0.52Gd0.48[Cr(CN)6]・4H2O (SmIII:S = 5/2, L = 5, J = L - S = 5/2;GdIII:J = S = 7/2)は、2 Kでの磁気ヒステリシスループにおいて、外部磁場+800 Gで磁スループのメカニズムについて検討するため、外部磁場および分子磁場によるエネルギーと結晶磁気異方性によるエネルギーを考慮に入れたモデル計算を行った。その結果、この現象はスピンフリップ現象とSmIIIの一軸異方性による磁化反転の束縛という2つの機構の組み合わせによって発現していることが示唆された。

SmIIIxTbIII1-x[CrIII(CN)6]・4H2O(2)における非直線型スピン配置

 2元系(x = 0 , 1)の交流磁化率は、強磁性転移温度に対応する1つのピークを示した。一方、SmとTbが混合したSm0.36Tb0.64[Cr(CN)6]・4H2Oの交流磁化率は、8.2 Kに強磁性転移(Tc1)に対応するピークを示し、さらに3.6 K (Tc2)に新たなピークを示した。分子磁場理論をもとに強磁性転移温度を計算した結果、Tc2 ≦ T ≦ Tc1ではSmIIIとTbIIIの磁化が直交したスピン配置(非直線型配置)であることが示唆された。これは、希土類イオンの一イオン異方性が大きく、超交換相互作用よりも支配的でるためだと考えられる。一方、T ≦ Tc2では希土類イオンとCrIIIイオン間の反強磁性的な超交換相互作用が大きくなり、直線型のフェリ磁性配置をとるものと考えられる。

SmIII(H2O)5[WV(CN)8](3)の結晶構造と冷却速度依存型磁性

 室温での単結晶構造解析より、錯体3は2次元シート構造であることがわかった(正方晶系, P4/ncc, a = b = 10.9203(8)Å , c = 14.658(4)Å)。2次元シートはab面内に広がり、シート内ではW とSmがシアノ基を介して架橋し正方格子を形成している。さらに、同じイオン種が重なるように2次元シートがc軸方向に重なり、シート間距離は7.329Åであった。Wの配位構造は歪んだdodecahedronであり、4つのシアノ基はSmと結合し、残りの4つのシアノ基は末端基となっている。一方、Smは4つのシアノ基および5つの水分子と配位した9配位で、その配位構造はmonocapped square antiprismである。

 錯体3を300 Kから10 K へ1 K/min で徐冷し、外部磁場10 Gで磁化の温度依存性を測定したところ、3.0 Kで反強磁性転移を示した。一方、サンプルを10 Kのサンプル室に直接導入した場合(急冷)は2.8 Kで強磁性転移を示した。比熱測定の結果、166 Kに異常比熱のピークが観測された。また、粉末試料を室温から1 K/minで徐冷したところ、15 Kではc軸方向が約5%縮み、a(b)軸方向は約1%伸びた。この結果より、166 Kで構造相転移が起こり、低温では2次元シート間の距離が短くなることがわかった。以上の結果より、急冷した場合は、2次元シート間に強磁性的相互作用がはたらくことにより強磁性を示し、徐冷した場合は構造相転移が起こりシート間の相互作用が反強磁性的に変化することにより反強磁性を示したと考えられる。

CsI2CuII7[MoIV(CN)8]4・6H2O(4)の結晶構造と光磁気特性

 錯体4は電気化学的手法により合成した。pH = 3に調製した蒸留水でCuII(NO3)2とCs3[MoV(CN)8]の混合水溶液を調製し、電解溶液とした。この溶液を+500 mV vs. Ag/AgClで定電位電解することで作用極(ネサガラス)上に薄膜を作製した。また、Pt線を作用極として用いて定電位電解することで単結晶を得た。

 単結晶構造解析および元素分析の結果、単結晶の分子式はCsI2CuII7[MoIV(CN)8]4・6H2Oであり、モリブデンイオンが5価から4価に還元されていることがわかった。また、元素分析およびXRDの結果より薄膜試料も単結晶と同様の組成および構造であることがわかった。CuIIイオンには2種類の配位構造があり、Cu1は5配位で4角錐構造であり、Cu2は平面4配位構造である。また、Moの配位構造はbicapped trigonal prismで、すべてのシアノ基の窒素サイトにはCuIIイオンが配位している(正方晶系, I4/mmm, a = b = 7.2444(9)Å, c = 28.417(5)Å)。錯体4は紫色をしており、530 nm付近に原子価間電荷移動(IT)バンドに帰属されるピークが観測された。

 錯体4は常磁性体であるが、5 Kにおいて450-500 nmの光を照射することで自発磁化(Tc = 23 K)が発現し、光照射後ヒステリシスループ(Hc = 350 G)を示した。また、光照射後昇温することにより、自発磁化は消滅し常磁性体へ戻った。IR, ESR測定において光照射前後のスペクトルを比較するとMoIVイオンおよびCuIIイオンが減少していることが示唆された。以上の結果より、ITバンドに対応する光を照射することによりMoIV (S = 0)からCuII (S = 1/2)へ電子移動が起こり、生成したMoV (S =1/2)イオンと電子を受け取らなかったCuIIイオン間に強磁性的な相互作用がはたらくことにより強磁性を発現したと考えられる。また、光照射前後のXRD測定を行ったところ、c軸は変化せず、a (b)軸の格子定数がわずかに大きくなった。この結果は、5配位4角錐構造(Cu1)のエカトリアル方向の結合が伸びることで説明され、MoIVからにCu1に優先的に電子移動が起こったと考えられる。

 一イオン異方性の異なる希土類金属イオンを多元化することにより、逆ヒステリシスループ(錯体1)、非直線型スピン配置(錯体2)といった特異な磁気構造を示す磁性体の合成に成功した。また、オクタシアノ金属酸イオンの構造の多様性、酸化還元活性といった特徴を利用することにより、錯体3では冷却速度に依存した磁気特性を、錯体4では光磁性を見出した。希土類イオンを含む分子磁性体およびオクタシアノ金属酸イオンを構築素子とした分子磁性体の研究はまだ報告例が少なく、これらの特徴を生かすことにより、今後さまざまな磁気構造および機能性を有する磁性体が見出されると期待される。

図1.Sm0.52Gd0.48[Cr(CN)6]・4H2Oの磁気ヒステリシスループ(2K)

図2.交流磁化率の実部の温度依存性;x=0(□),x=0.36(○),x=1(▲)

図3.Sm(H2O)5[WV(CN)8]の磁化温度曲線(10G):徐冷(1K/min)(●)、急冷(▲)

図4.Cs2Cu[Mo(CN)B]4・6HOの磁化温度曲線(10G):光照射前(■)、光照射後(●)、アニール後(△)

審査要旨 要旨を表示する

 1980年代後半から分子磁性体の研究が盛んに行われ、強磁性を示す金属錯体および有機結晶が多く見出されてきた。さらに近年になって、分子磁性体の電気伝導性や外場応答性(光、圧力、磁場、…)といった機能性に関する研究が盛んになってきている。金属イオンがシアノ基により架橋されたシアノ架橋型金属錯体は、これまでの研究より結晶構造および磁気特性の設計、制御が容易であることが分ってきている。本論文では、大きな一イオン異方性をもつ希土類金属イオンもしくは構造・酸化数に多様性のあるオクタシアノ金属酸イオン[M(CN)8]n-(M = Mo, W)を用いて、新規な磁気特性を示すシアノ架橋型金属錯体の合成および外場応答性に関して検討した研究をまとめている。本論文は全六章からなっており、構成は以下の通りでる。

 第一章は序論であり、本研究の背景、目的について述べている。

 第二章では、異なる一イオン異方性をもつ希土類イオンを多元金属化することにより、新規な磁気特性の発現を目指し研究を行った。既知のLnIII[CrIII(CN)6]錯体の希土類イオンのサイトに一軸異方性のSmIIIと等方性のGdIIIを混合したSmIIIxGdIII1-x[CrIII(CN)6]・4H2Oの合成を行った。x = 0.52において、外部磁場がまだ正であるにもかかわらず磁化が負になるという逆ヒステリシスループをバルク磁性体として初めて見出した。分子磁場理論をもとに系全体のエネルギーを計算することにより、この逆ヒステリシループはスピンフリップ現象とSmIIIの一イオン異方性による磁化反転の束縛という2つの現象の組み合わせで発現していることを明らかにした。

 第三章では、一イオン異方性が直交すると考えられるSmIIIとTbIIIを多元金属化した錯体SmIIIxTbIII1-x[CrIII(CN)6]・4H2Oの合成を行った。多元金属化した試料の交流磁化率において、強磁性転移温度に対応するピークと低温側に新たなピークが観測され、温度によるスピン再配列が示唆された。分子磁場理論を用いた解析より、強磁性転移温度以下ではSmIIIとTbIIIの磁化が直交した非直線型スピン配置をとることが示された。また、スピン再配列後はフェリ磁性配置をしていると考えている。

 第四章では、オクタシアノ金属酸イオンを含む新規シアノ架橋型金属錯体SmIII(H2O)5[WV(CN)8]を合成した。構造解析よりSmとWがシアノ基により架橋された二次元シート構造をしていることを明らかにした。この錯体は室温より1 K/minの速度で徐冷した場合は反強磁性(TN = 3.0 K)を示し、10 Kに急冷した場合は強磁性(TC = 2.8 K)を示すという冷却速度に依存した磁気特性を見出した。また、比熱、赤外吸収スペクトルの温度依存性より、この錯体は166 Kで構造相転移をしていることが示唆された。この冷却速度に依存した磁気特性は、徐冷した場合は構造相転移がおこり二次元シート間に反強磁性的相互作用がはたらき、一方、急冷した場合は過冷却のため構造相転移が起きず二次元シート間に強磁性的相互作用がはたらくことで説明される。

 第五章では、電気化学的手法を用いて新規シアノ架橋型金属錯体CsI2CuII7[MoIV(CN)8]4・6H2Oの単結晶および薄膜の合成を行った。構造解析よりCuとMoがシアノ基に架橋された三次元構造をしていることが明らかになった。この錯体は2 Kまで常磁性体でるが、450-500 nmの光を照射することにより強磁性転移温度23 Kの強磁性体へ転移した。また、IR, ESRにおける光照射実験においてMoIVおよびCuIIの減少が観測された。この錯体はCuIIとMoIV間の電子移動に伴う原子価間電荷移動バンド(IT band)をもつため、このバンドに対応する光を照射することによりMoIV(S = 0)からCuII(S = 1/2)への電子移動がおこる。生成したMoV(S =1/2)と電子を受け取らないCuII(S = 1/2)の間に強磁性的な相互作用がはたらくことにより光誘起強磁性が説明された。

 第六章は総括であり、本研究で得られた成果を要約し、結論と今後の展望を述べている。

 以上のように本論文は希土類イオンの一イオン異方性およびオクタシアノ金属酸イオンを用い、新規な金属錯体の合成に成功し、また、興味深い磁性現象を見出している。これらの結果は新たな磁性材料の開発、磁性物理の発展に貢献すると期待される。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として認められる。

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