学位論文要旨



No 120114
著者(漢字) 岡島,周平
著者(英字)
著者(カナ) オカジマ,シュウヘイ
標題(和) 細胞シグナル応答材料を用いた自己修復型細胞培養材料システムの開発
標題(洋)
報告番号 120114
報告番号 甲20114
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6056号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 山口,猛央
 東京大学 教授 中尾,真一
 東京大学 教授 山口,由岐夫
 東京大学 助教授 酒井,康行
 東京大学 教授 片岡,一則
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 近年、バイオリアクターやバイオ人工臓器といった、細胞と人工材料を組み合わせ、高度な生体機能を模倣しようとする、細胞集積型材料が注目されている。バイオテクノロジーの発達によって、材料側から細胞を制御しようという試みがなされている。しかし、現在までの材料は、予め、細胞がある機能を発現するように、予め材料表面に特定のポリマーを修飾し、一定の機能を誘導するようにシステムを組んでおくものが殆どであった。また、刺激応答性材料を用い、特定の期間だけ外部刺激によって機能が発現される材料も開発されてきた。とは言え、このような材料は、未だ生体機能を再現しているとは言い難いものばかりである。

 本研究では、細胞があるシグナルを発したとき、その情報を材料が認識し、材料が細胞機能を制御する、細胞と材料が協調的に働く新しいシステムを開発することを目的とした。生体内では、常にホメオスタシス(恒常性)が保たれており、何か異常が起きたとき細胞はシグナルを放出することによって、次のリアクションが起こり、系内を元の状態に修復しようとする。本博士論文は、細胞死に注目し、細胞と材料が協調的に働く新規なシステムを構築した。細胞集積型材料は、生体内と異なり新陳代謝が不可能なため、細胞死を起こすと、外に漏れ出した細胞質や酵素が周辺に傷害を及ぼし、組織レベルの炎症が起きて長期使用が困難となる。そこで、本研究では膜上に細胞を培養し、細胞死が起きた場合、細胞死というシグナルを膜界面が認識することによって、材料が協調的に死細胞に作用し、選択的に炎症部を排除する新陳代謝可能なシステムを考えた。排除された空間は、細胞が増殖することによって自己修復する、自己修復型細胞集積材料システムである。

 本研究では、Fig.1に示すように、特定イオンに応答する細胞シグナル認識ポリマーを固定した材料表面に細胞の培養を行う。この細胞シグナル認識ポリマーは、N-isopropylacrylamide (NIPAM)およびクラウンエーテルをペンダントとして持つBenzo-18-Crown-6-acrylamide (BCAm)モノマーの共重合鎖である。NIPAMは、32℃に相転移温度(LCST)を持ち、その前後で親・疎水性に変化することが知られている。また、クラウン環にカリウムなどのイオンが捕捉されると親水性が増すので、相転移温度が高温側にシフトする。そのため、相転移温度シフト範囲である、生体が活動する37℃付近で用いると、クラウン環に特定のイオンが捕捉されたときのみNIPAMが親水性になり、膨潤が起きる。一方、細胞が死滅すると、恒常性が維持できなくなるために、細胞内容物の流出が起きる。通常、細胞内部でのカリウムイオン濃度は140mMであるが、細胞外では5mMである。しかし、細胞死が起きると細胞膜が破壊され、カリウムイオンの流出が起きる。さらに、細胞は、培養温度37℃からNIPAMのLCST以下に温度変化を与えたとき、NIPAM固定表面から脱着することが知られている。これは、温度をLCST以下に下げると、表面が親水性になり細胞の接着しにくい表面に変化し、細胞接着の足場を奪うことで脱着すると説明されている。そこで、細胞死が起きると、膜界面が死細胞から流出されるカリウムイオンを認識し、NIPAMが親水性となり膨潤することで死細胞の脱着が起きると考えられる。これにより、選択的に死細胞が脱着すると考えた。さらに、死細胞脱着後はカリウムイオンが拡散しNIPAM鎖が元の収縮した状態に戻るため、周辺の生細胞が増殖することで元の状態に再生することが可能であると考えた。

 自己修復型細胞培養材料システムの開発のため、まず、細胞認識材料上に細胞を培養し、温度変化なしでカリウムイオンシグナルを人工的に添加することで生細胞が脱着可能か確認を行った。その後、実際に紫外線によって細胞死を誘導し、死細胞が脱着するか確認を行った。さらに、死細胞脱着後、周辺際生細胞の増殖によって、元の状態に自己修復するか確認を行った。

2.実験

細胞シグナル認識材料の作製

 膜基材は多孔性ポリエチレン膜及びフィルムを用いた。基材へのNIPAMの重合には、モノマー溶液5wt%、プラズマグラフト重合を用い、プラズマを30W、1分間照射し重合を行った。基材へのNIPAM-co-BCAmの重合には、モノマー溶液5%(NIPAM:BCAm =85:15)で、同様の条件でプラズマを照射した。照射後1分間空気にさらした後に重合を行った。

細胞培養

 作製した膜またはフィルムと未処理の膜またはフィルムを、12穴プレートに貼り付けてEOG(エチレンオキサイドガス)滅菌を行った。実験に使用する細胞としては、A549を選んだ。播種後、37℃、5%CO2インキュベータ中で培養を行った。

生細胞脱着実験

 各膜に培養した細胞に100mMカリウムイオンまたはナトリウムイオンを含有する培地を添加した。その後、AP assayにて脱着率を求めた。

死細胞脱着実験

 超高圧水銀ランプにて、細胞への紫外線照射を行った。脱着率を求めるために各膜全体に紫外線を照射し、1日後に脱着細胞数を測定した。生死細胞の数をトリパンブルー染色を用いて、血球計算盤にて測定した。

細胞再生実験

 各フィルム上に培養した細胞に3分間、スポット的に紫外線を照射し、部分的に細胞死を誘導した。その後、1日おきに培地交換を続けた。各フィルム上に培養した細胞の様子を、位相差顕微鏡を用い、ホットプレート使用し培養液を37℃に保ちながら観察・写真撮影を行った。また、回収した培地から炎症性サイトカインの量を測定した。

3.結果

生細胞脱着実験

 Fig.2に示すように、カリウムイオンを添加したところ、PE-g-NIPAM-co- BCAm膜のみから8割近い細胞の脱着が確認された。NIPAMのみ、また未処理膜からは細胞は殆ど脱着しなかった。カリウムイオンを添加すると、この膜のクラウン環がカリウムイオンを捕捉し、親水性が増すため、LCSTが高温側にシフトし、細胞が接着しにくい表面に変化し、細胞脱着が起きたと考えられる。また、ナトリウムイオンを添加した結果、どの膜からも細胞は脱着しなかった。ナトリウムイオンは、本実験で用いたクラウン環にはサイズがフィットしないため、細胞脱着が起きなかったと考えられる。

死細胞脱着実験

 紫外線を各膜全体に照射して細胞死を誘導し、脱着死細胞率を測定した。その結果、Fig.3に示すようにPE-g-NIPAM-co-BCAm膜から選択的に、死細胞が脱着した。細胞死を起こすことにより、細胞が貯えられていたカリウムイオンが放出され、PE-g-NIPAM-co-BCAm膜が膨潤し、死細胞が選択的に脱着したものと考えられる。NIPAM膜は細胞死のシグナルであるカリウムイオンを認識できないため、死細胞は選択的に脱着できない。

細胞再生実験

 紫外線を部分的に照射し、局所的な細胞死を誘導した。その後の再生現象について考察を行った。PE film, PE-g-NIPAM film, PE-g-NIPAM-co-BCAm film上にconfluentに達するまで培養した細胞に、細胞死を誘導した。位相差顕微鏡下の結果をFig.4に示す。30時間経過すると、PE-g-NIPAM-co-BCAm film上の細胞は殆ど脱着していた。それに対し、PE-g-NIPAM film上の細胞は基材上にへばり付き、接着している様子が観察される。3日間経過すると、PE-g-NIPAM-co-BCAm film上の細胞は殆ど除去されていたのに対し、NIPAMフィルム上では、まだ接着している細胞が観察された。その後、PE-g-NIPAM-co-BCAm filmでは再生が始まり、10日経過するとほぼ完全に修復した。それに対し、PE-g-NIPAM filmでは完全に再生するまでに、その倍以上の日数を要した。10日目の低倍率で撮影した写真を見ると、その様子が分かる。

また、再生中の炎症状態を知るために、炎症物質の測定を行った。炎症性サイトカインでも、組織の外傷を与えたときに、炎症の指針として測定されている、IL-6の放出量について検討を行った。この実験では、炎症の影響を増幅させるため紫外線照射面積と数を増やした。測定結果をFig.5に示す。PE-g-NIPAM膜では高濃度のIL-6が検出され、炎症が広がったと考えられる。IL-6は炎症や組織損傷に応答する急性反応の誘導因子であり、細胞の増殖機能を制御するため、NIPAMでは細胞の再生が抑制される一因であったと考えられる。それに対し、PE-g-NIPAM-BCAm膜では、死細胞が素早く除去され、周辺の細胞が炎症を起こすことなく、素早い再生が起きたものと考えられる。

4.結言

 本研究では、細胞と材料が協調的に働く新しいシステムを開発することに成功した。死細胞から発せられるシグナルによって、材料が応答し、死細胞を選択的に脱着し、周辺細胞の増殖によって、組織が再生する系を提案した。細胞シグナル認識膜は、カリウムイオンをシグナルとして添加することで、生細胞の接着・脱着を制御できることを明らかにした。さらに、細胞シグナル認識膜を用いることで材料が細胞自身のシグナルに応答して、死細胞を脱着出来ることが分かった。局所的な細胞死を誘導すると、炎症を防ぎ、組織の修復速度は優位に速まることが分かった。これにより細胞シグナル認識膜は新陳代謝可能材料として有用であることが分かった。

Fig.1 自己修復型細胞培養材料システムの提案

Fig.2 様々なシグナルによる生細胞脱着実験

Fig.3 紫外線照射によるA:死細胞脱着実験の細胞存在比、B:死細胞脱着率

Fig.4 細胞再生の様子

Fig.5 炎症性サイトカインIL-6の放出量

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「細胞シグナル応答材料を用いた自己修復型細胞培養材料システムの開発」と題し、細胞が発した分子シグナルを材料が認識し材料が細胞機能を自発的に制御する新規な材料システムの研究である。生体では細胞と材料が協調的に働く高度なシステムを有しているが、その生体システムを模倣した新しいシステムの開発を目的に行われ、5章から成る。

 第1章は序論であり、本研究の目的を述べている。まず分子シグナル応答膜、および細胞機能を制御する機能性材料について既往の研究のレビューを行なった。その上で、死細胞からのシグナルであるカリウムイオンに応答して、その状態を劇的に変化させる分子シグナル応答膜上に細胞を培養するシステムの提案を行った。分子シグナル応答膜とは、多孔基材の細孔表面に、特定のイオンシグナルに応答して親水性または疎水性に変化するポリマーであるpoly-N-isopropylacrylamide-co-benzo-18-crown-6-acrylamide (NIPAM-co-BCAm) をグラフト重合法によりグラフト鎖として固定した構造を持つ膜である。この膜はカリウムイオンなどの特定シグナルを捕捉認識すると親水化する。一方、細胞は死滅すると恒常性が維持出来なくなるために細胞内部に高濃度で保持されていたカリウムイオンを流出する。細胞死が起きると人工膜界面が死細胞から流出したカリウムイオンを認識し、膜表面が細胞の接着しにくい親水性となり、死細胞の脱着が起きると考えた。これにより選択的に死細胞が脱着するだろう。さらに、死細胞脱着後はカリウムイオンが拡散しグラフト鎖が元の収縮した状態に戻るため、周辺の生細胞が増殖することで元の状態に自己修復することが可能と考え新陳代謝が可能な材料システムの提案を行った。

 第2章は生細胞脱着実験について述べている。分子シグナル応答膜上に細胞を培養し、人工的にカリウムイオンを添加することにより生細胞が脱着回収可能であるか実験を行った。死細胞脱着実験の際の指針とするとともに、温度応答による細胞回収法に代わる新規なシグナルによる細胞回収法として利用できるか確認を行った。まず、接触角、SEM写真、IRによって、分子シグナル応答膜の性能評価を行った。その後、膜上に細胞を培養し、接着細胞数の評価を行った。細胞が膜上に培養可能なことを確認し、膜上に培養した細胞に人工的にカリウムイオンを添加することにより、一定温度下で分子シグナル応答膜からのみ生細胞が脱着することを示した。また、細胞脱着はグラフト鎖の分子量に依らず、親・疎水性変化によって起きることを確認した。最後に、回収細胞の顕微鏡下観察及び生存率を測定し、60 mMのカリウムイオンを用いれば高活性を維持した細胞を回収することが可能であることを示した。以上のことから、カリウムイオンシグナルによって分子シグナル応答膜から温度変化なしで、高活性を保持した細胞の脱着が可能であることを確認した。

 第3章は死細胞脱着実験について述べている。分子シグナル応答膜上に培養した細胞に紫外線を照射することにより実際に細胞死を誘導し、死細胞自身のシグナルによって死細胞が選択的に脱着するか確認を行った。まず、カリウムイオンの拡散時間を計算し、グラフト鎖が応答可能か確認した。その後、実際に紫外線により細胞死を誘導し、分子シグナル応答膜からのみ死細胞が選択的に脱着することを示した。また、培地中にクラウンポリマーを添加することによって、死細胞から放出されるカリウムイオンが脱着のトリガーとなっていることを実験的に証明した。死細胞脱着においても、幅広いグラフト重合量で現象が発現することを示した。さらに、紫外線以外の細胞死誘導法でも同様に死細胞が脱着するか確認を行った。分子シグナル応答膜に応答しないリチウムイオンを添加することで、細胞の浸透圧を変化させて細胞死を誘導した。その結果、紫外線による死細胞脱着実験とほぼ同様の結果が得られ、異なる細胞死誘導法でもカリウムイオンが放出されれば死細胞の脱着は起き、この現象は幅広い状況に応用できることを示した。また、実験結果と既往の研究を参照することにより、死細胞脱着メカニズムの考察を行った。

 第4章は細胞再生実験を行っている。紫外線による局所的な死細胞脱着を行った後、周辺細胞の増殖によって素早い再生が起きるか確認を行った。まず、フィルム基材を用いることで顕微鏡下での観察を可能にした。フィルム上に培養した細胞に紫外線を照射し、その後の再生の様子を位相差顕微鏡によって確認した。また、修復速度を観察写真から測定することで、分子シグナル応答フィルム上の細胞は非常に速い再生が起きることを発見した。炎症状態を確認するためにインターロイキン6量を定量し、分子シグナル応答膜で炎症が抑制されていることを実証した。BrdUを用いることによって活性細胞の蛍光による観察を実現させ、分子シグナル応答フィルム上の細胞は死細胞の影響を受けず、活性の高い状態が保持されることを確認した。最後に、実験結果と既往の研究から再生機構についての考察を行った。さらに、細胞増殖モデルを適用することによって、おおよその修復速度を見積もることができることを示した。

 第5章は、第1章から第4章に記載した内容を総括するとともに、自己修復型細胞培養システムの具体的な応用用途について示した。死細胞を選択的に脱着し周辺細胞の活性を保つ本システムは、プライマリーカルチャーなど培養困難な細胞培養法の確立に大きく貢献出来る可能性がある。また、バイオリアクターの長寿命化にも有効であると考えられ、新規なバイオマテリアルとして有用であることを述べている。

 以上要するに、本論文は今までの生体模倣材料システムに比べ、細胞と材料が協調的に働く、より生体に近い高次なシステムを開発したものである。このような協調現象は生体内においては恒常性を保つために普遍的に行われているものであるが、人工的に再現することは難しかった。本論文は新陳代謝を人工的に再現したという個別の技術開発にとどまらず、細胞と材料とを組み合わせることで細胞機能をそのシグナルによって制御出来る可能性があることを示した。これは、新たな生体材料工学分野の先駆的な研究になると考えられ、化学システム工学への貢献は大きいものと考えられる。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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