学位論文要旨



No 120117
著者(漢字) 菊地,哲
著者(英字)
著者(カナ) キクチ,サトシ
標題(和) ホスフィン/ルイス酸複合系試薬を用いる新規合成手法の開発と応用
標題(洋)
報告番号 120117
報告番号 甲20117
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6059号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 橋本,幸彦
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 講師 金原,数
内容要旨 要旨を表示する

1)緒言

 今日,広く用いられている還元剤の一つにホスフィン類があるが,単体での還元力はそれ程高いものではない。そこで近年当研究室では,ルイス酸の添加によりホスフィンの還元力を補った,ホスフィン/ルイス酸複合系試薬を用いた反応の開発に取り組んできた。そして,これまでに,ホスフィン単体では進行しないα-ブロモアミドの脱臭素化反応や,α-ブロモアミドとアルデヒドとのReformatsky型反応が穏和な条件下,高収率・高選択的に進行することを報告している。

 そこで,本複合系試薬のさらなる可能性を求め新規反応の探索を行い,より高い汎用性を有する反応試剤へと発展させることを目的に研究を行った。

2)ホスフィン/ルイス酸複合系試薬を用いるReformatsky型反応

 従来のReformatsky反応は,立体選択性に乏しく,その要因としては,反応条件の過酷さや,もっぱら金属亜鉛が用いられることによると考えられる。これに対し,前述の当研究室で開発した,α-ブロモアミドのReformatsky型反応は,高立体選択的に付加体を与えることができ,優れた特徴を有するものの,これまでのところ,基質がα-ブロモジフェニルアミドに限定されており,汎用性に乏しかった。そこで,より一般性の高い反応として確立することを目的とし,α-ブロモケトン,およびα-ブロモエステルに適用することを試みた。

 その結果,どちらの場合も,ホスフィンとしてトリo-トリルホスフィン,ルイス酸として四塩化チタンを用いる複合系試薬存在下において,最も円滑に反応が進行することが分かった。特に,α-ブロモケトンの場合では,-78 ℃に反応温度を下げることで,高収率,高立体選択性が実現でき,また,α-ブロモエステルの場合は,立体障害の大きな基質,2,4,6-トリイソプロピルベンゼンチオール由来のα-ブロモチオエステルを用いることで,種々の芳香族および脂肪族アルデヒドとの反応が,これまた高収率,高立体選択的に進行することを見出した。

3)ホスフィン/ルイス酸複合系試薬を用いた還元的Claisen縮合型反応

 前述した,α-ブロモチオエステルの反応において,求電子剤であるアルデヒドを共存させずに反応を行うと,ベンゼンチオール由来のα-ブロモチオエステルが求核種,求電子種双方の働きをし,Claisen縮合型反応が進行することも見出した。この反応は,強塩基性条件下での従来法に対し,ルイス酸性条件下,還元的に進行するため,極めて興味深い反応である。そこで種々の検討を行った結果,トリフェニルホスフィンと四塩化チタン存在下,ジクロロメタンと1,2-ジクロロエタン混合溶媒中において円滑に反応が進行することが分かった。

 また,本反応には,α位が臭素化された基質を選択的に求核種とすることができるという特徴がある。そこで,従来法では困難であった交差Claisen型縮合反応にも応用できるのではないかと考え,反応を行った。その結果,2,4,6-トリイソプロピルベンゼンチオール由来のα-ブロモチオエステルを求核種として用いることで,期待した通り反応が円滑に進行し,良好な収率で目的の交差型縮合生成物のみが得られることが分かった。

4)ホスフィン/ルイス酸複合系試薬を用いる還元的Mannich型反応

 さらに求電子種としてイミンを用いることでMannich型反応が進行することも見出した。

 各種の条件検討を行った結果,p-アニシジンから調製したイミンと2,4,6-トリイソプロピルベンゼンチオール由来のα-ブロモチオエステルを用い,アセトニトリル中,トリフェニルホスフィンと四塩化チタンの複合系試薬を作用させることにより,反応が高収率,高立体選択的に進行することを見出した。本反応は,様々な芳香族アルデヒド由来のイミンとの反応が円滑かつ短時間で還元的に進行するため,有機合成化学上有用性が高い。さらに本反応の生成物であるβ-アミノカルボン酸誘導体は,β-ラクタム等,より高い汎用性を有する骨格への変換が容易であることから,極めて有用な反応であると言える。

5)トリフェニルホスフィンを用いたtrans選択的β-ラクタム環形成反応

 上述したイミンを用いた反応において,α-ブロモカルボン酸を基質として用い,ホスフィンを単独で作用させることで還元的カップリングに加えて,β-ラクタム環形成反応が進行することが分かった。種々の条件検討により,ベンゼン還流下トリフェニルホスフィンを単独で用いると高い収率,高いtrans選択性でβ-ラクタム環が形成されることが分かった。そこで,この最適条件下,様々なα-ブロモカルボン酸とイミンとの反応を行ったところ,本反応は,従来用いられてきたケテン経由で進行するStaudinger反応とは異なり,抗生物質等の中心骨格を成すβ-ラクタム環をtrans選択的に,しかもほぼ定量的に与えることが分かり非常に興味深い。

6)ホスフィン/ルイス酸複合系試薬を用いた1,2-ジカルボニル化合物の還元反応

 これまで述べてきたReformatsky型反応等により,ルイス酸/ホスフィン複合系試薬の有用性を示すことができた。そこで続いて,α-ブロモカルボニル化合物以外の還元反応への応用を目指し,本複合系試薬を用いた新規反応の探索を行った。

 初めに1,2-ジカルボニル化合物の還元を試みた。種々の検討により,ルイス酸として臭化物塩を用いることで円滑に還元反応が進行することが分かった。さらに,この時,ルイス酸によって溶媒を使い分けることができ,例えば,無水のジクロロメタン中三臭化ホウ素を用いる条件や無水のアセトニトリル中四臭化ケイ素を用いる条件などにおいても良好な結果を得ることできた。中でも,アセトニトリル中一当量の水の存在下,トリフェニルホスフィンと三臭化アルミニウムを作用させることで,種々の1,2-ジカルボニル化合物の還元反応が円滑に進行することが分かった。

7)ホスフィン/ルイス酸複合系試薬を用いるスルホキシドの脱酸素化反応とその応用

 次にスルホキシドの脱酸素化反応に本複合系試薬を適用したところ,種々のスルホキシドの反応がテトラヒドロフラン中,トリフェニルホスフィンと四塩化チタン存在下,高収率で進行することが分かった。この脱酸素化反応は,立体障害の大きい基質では反応速度がやや低下するものの,いずれの場合も高収率で目的生成物が得られることが分かった。酸を触媒に用いたトリフェニルホスフィンによるスルホキシドの脱酸素化反応は報告例があるが,一般に過酷な条件が必要とされている。それに対し,本反応は穏和な条件下進行することから,有用性が高い。

 さらに,このスルホキシドの脱酸素化反応は視点を変えると,スルホキシドによるホスフィンの酸化反応であるとみなすことができる。そこで,この反応を利用して,ホスフィンの速度論的光学分割を試みた。ラセミ体のホスフィン化合物に対し,光学活性なスルホキシドを反応させることで,一方のエナンチオマーを選択的に酸化できれば,光学活性なホスフィン化合物を容易に得ることができると考えられる。光学活性なホスフィン化合物は,触媒的不斉合成反応の配位子や,不斉補助基等として有機合成化学において多くの重要な役割を担っている。その為,簡便な光学分割法が実現できれば有用性が高い。

 種々の条件検討の結果,テトラヒドロフラン中,四塩化チタン存在下,(R)-メチルp-トリルスルホキシドを作用させることで,円滑に反応が進行することが分かった。そこで,この最適条件の下,種々のラセミ体のホスフィン化合物の反応を行ったところ,リン原子上に不斉点を有するホスフィンや,隣接炭素原子上に不斉中心を持つもの,さらには面不斉リン化合物といった様々なタイプのホスフィン化合物に関して,中程度ながらも速度論的光学分割に成功した。

8)結言

 以上述べてきたように,これまでの研究において,ホスフィンの還元能力を最大限に活用した様々な新規還元的手法の開発に成功した。その中でも,ホスフィン/ルイス酸複合系試薬は極めて優れた反応試剤であり,様々な反応への適用が可能であることが分かった。しかも,個々の反応は,従来法よりも条件が穏和であり,また高収率,高立体選択的に進行するなど優れた結果を得ることができるため,有機合成化学上有用な反応であると言える。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,ホスフィン/ルイス酸複合系試薬を用いた新規合成手法の開発とその応用について述べたものであり,全8章より構成されている。

 第1章は序論であり,有機合成化学における酸化反応と還元反応の特徴,トリフェニルホスフィンの特性,そして,複合系試薬の重要性を述べるとともに,本研究の目的と意義を述べている。

 第2章では,ホスフィン/ルイス酸複合系試薬を用いたα-ブロモケトン,α-ブロモチオエステルのReformatsky型反応を試み,その結果について述べている。反応条件の検討より,どちらの基質を用いた場合もトリo-トリルホスフィンと四塩化チタンとの組み合わせ存在下,反応が円滑に進行することを見出している。さらに遷移状態を考察することによって,立体選択性についても議論している。本反応は,従来の亜鉛金属を用いるReformatsky型反応に比べ,高収率,高立体選択的に反応が進行することなど意義深い。

 第3章では,前章で用いたアルデヒドの代わりに,新たな求電子剤としてアシル化剤であるチオエステルを用い,ホスフィン/ルイス酸複合系試薬を用いた自己型の還元的Claisen縮合型反応を試みている。種々の検討の結果,トリフェニルホスフィンと四塩化チタンの組み合わせによって,自己型のClaisen縮合型反応が円滑に進行することを明らかにしている。さらに本反応は,同条件下,2,4,6-トリイソプロピルベンゼンチオール由来のα-ブロモチオエステルを求核種として用いることで,従来の強塩基性条件下では困難であった,単一の交差型縮合生成物を得ることにも成功している。

 第4章では,第2章,第3章に引き続き,α-ブロモチオエステルを求核種として用い,求電子種にイミンを用いた,ホスフィン/ルイス酸複合系試薬を用いる還元的Mannich型反応を試みている。検討の結果,トリフェニルホスフィンと四塩化チタンの組み合わせをアセトニトリル中で作用させることで,反応が円滑に進行することを見出している。本反応では,これまで報告例の少なかったanti体のβ-アミノカルボニル化合物を優先的に得ることができ,含窒素化合物の合成法として,有機合成化学への大いなる貢献が期待される。

 第5章では,トリフェニルホスフィンのみを用いた,α-ブロモカルボン酸とイミンとの[2+2]型のカップリング反応によるβ-ラクタム形成反応を試みている。専らβ-ラクタムを得るのに用いられているcis選択的な反応であるStaudinger反応とは異なり,trans選択的に生成物を得ることができ,有機合成化学上有用性の高い反応であり意義深い。

 第6章では,これまで用いてきたα-ブロモカルボニル化合物以外の基質を用いた反応への適用を目指し,本ホスフィン/ルイス酸複合系試薬を用いて,1,2-ジカルボニル化合物の還元反応を試みている。種々の条件を検討した結果,トリフェニルホスフィンと臭化アルミニウムとの組み合わせ存在下,様々なタイプの1,2-ジカルボニル化合物の還元反応が円滑に進行することを見出している。さらに本反応は,溶媒系に合わせて,ルイス酸を使い分けることができ,状況に合わせた有機合成を行えることも明らかにしている。

 第7章では,本ホスフィン/ルイス酸複合系試薬を用いたスルホキシドの脱酸素化反応を試みている。条件の最適化を行った結果,トリフェニルホスフィンと四塩化チタン存在下において最も円滑に反応が進行することを見出している。さらに,この反応を応用し,ホスフィンのラセミ体の速度論的光学分割を試みている。光学活性なホスフィンは,不斉補助基や不斉配位子として有用性が高い化合物群ではあるが,比較的入手が困難である。そのため,本反応は,その入手法の一つとして今後の発展が期待される。

 第8章は本論文の総括であり,見出した反応の有用性,本ホスフィン/ルイス酸複合系試薬の有効性を述べるとともに,将来展望を述べている。

 以上のように,炭素-炭素結合生成から官能基変換反応まで,ホスフィン/ルイス酸複合系試薬を用いた様々な反応の開発に成功している。これらの反応は,従来法にはない特徴を有しており,その成果は有機合成化学および有機工業化学の進展に寄与するところ大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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