学位論文要旨



No 120118
著者(漢字) 岸村,顕広
著者(英字)
著者(カナ) キシムラ,アキヒロ
標題(和) 11族金属イオン間の相互作用を利用した分子集積体を基盤とする新規発光材料の開発
標題(洋) Novel Luminescent Materials Based on the Self-assembly via Metal-Metal Interactions among Group 11 Metal Ions
報告番号 120118
報告番号 甲20118
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6060号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 助教授 橋本,幸彦
 東京大学 講師 金原,数
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 現在、フラットパネルディスプレイ、あるいは電子ペーパーなどへの応用に向けて、有機発光材料の開発が盛んに行われている。この点では、分子それ自体に宿る発光能を利用した発光材料の開発が、これまでの中心であった。一方、分子集積体に基づく発光材料を用いれば、集積構造の変化に伴う発光機能の変化を期待することができる。本研究では、集積化の駆動力となるだけでなく、発光の起源になり得る相互作用として、金属イオン間に働く相互作用に注目した。これは主に1価の11族金属錯体間に見られるものであり、以前の研究において、ある種の11族金属ピラゾール錯体が金属間相互作用を介して自己集積化し、発光性のファイバーを与えることを報告している[1]。また、この金属間相互作用に基づく発光は、その多くが三重項からの発光(燐光)になることが知られており、その発光寿命の長さや発光効率の高さから、センサーやLEDなどへの応用が期待されている。これらの知見をもとに、本研究では、一歩進んだ機能性材料への展開を図り、外部刺激に応答する燐光材料の開発を行った。

2.発光性有機ゲルの分子設計とそのスイッチング機能2)

2. 1. sol-gel転移に対応した発光のON/OFFスイッチング

 これまでにある種のピラゾール3核錯体がファイバー状に集積化し、発光機能を獲得することを見出していることから[1]、本研究では、得られる集積体の形成/崩壊を制御できれば、発光機能のON/OFFスイッチングが可能な材料を創出することができると考えた。そこで、ピラゾール3核錯体に長鎖のアルキル基を導入することにし、ソフトマテリアルとして可逆に刺激応答する材料の開発を目指した。その結果、ファイバー構造がネットワークを形成し、有機ゲル化剤として機能することにより、熱的刺激に応答する発光材料を生み出すことに成功した。

【実験・結果】オクタデシロキシ基を導入した芳香環を有するピラゾール配位子(1)を設計し、3核平板状錯体(1-[M]; M = Au(I), Cu(I))を合成した(Scheme 1)。これらの3核錯体は、スタッキングしてカラム状集積体(1-[M]-SA)を与えると考えられるが、それらは有機溶媒中ではほとんど発光を示さないのに対し、固体状態においては、金属間相互作用に特有の発光を示した。1-[M]は、カラム状集積体が束となったファイバーからなるネットワーク構造を基に、ヘキサンなどの有機溶媒をゲル化する能力を示した。乾燥させたゲルに対し、粉末X線解析(XRD)、及び走査型電子顕微鏡(SEM)観察を行ったところ、カラムがC2mmのrectangular構造でパッキングし、50 nm程度のファイバーを形成していることが明らかとなった(Fig. 1 and 2)。またここで得られたゲルは、sol-gel転移、即ち、熱による集積体の形成・崩壊に伴って、発光のON/OFF制御が可能な材料であることを見出した。

2. 2. 物理的及び化学的刺激に応答した発光のRGBスイッチング

 燐光材料は、蛍光材料より高い効率で発光することが期待できるため、有機EL材料などをはじめとして、最近集中的に研究・開発が行われている。特に、発光性の遷移金属錯体を用いて、発光色のチューニングを行うべくリガンド設計を詳細に検討している例はあるものの、単一材料が環境に応答して発光色をスイッチさせる例は限られている。本研究では、1-[Au]-SAからなる赤色発光ゲルが、外部から添加したAgOTfに応答して発光色をsol状態で緑、gel状態で青へと可逆的に変化し、RGBカラースイッチング材料として機能することを見出した(Fig. 3)。

【実験・結果】ヘキサンに対して5 wt%の1-[Au]を加え、加熱溶解後冷却するとゲルが得られ、赤色に発光した(Fig. 3b)。一方、このゲルに1-[Au]と等量のAgOTfを加えると、新たに青色発光が観察できた(Fig. 3d)。この青色発光ゲルを加熱してゾルへと変化させると、緑色の発光を示した(Fig. 3c)。このsol-gel転移に対応した青⇔緑の発光色変化は熱的に可逆であった。AgOTfを添加した系にAg+と等量のセチルトリメチルアンモニウムクロリドを加えると、それぞれ対応するAg+フリーの発光状態に戻った(Fig. 3a and b)。これは、Ag+がAgClとして取り除かれたために起こる変化と考えられ、Ag+の添加/除去で発光が可逆にスイッチングできることが明らかとなった。発光寿命測定より、ここで観測された赤、青、緑の寿命はそれぞれ6 μs, 3 μs, 5 μsであり、全て燐光であることを見出した。

3.熱的刺激に応答して発光色をスイッチさせる記録材料3)

 室温で2つの状態を有し、外部刺激に応答して相互変換できる材料は、書き込み/消去がどちらもできる記録材料としての応用が可能である。特に、photoluminescenceなどを利用し、特別なinputがなければ読み出しできない情報を記録することができれば、"Security Ink"として利用できる。本研究では、ある種の銅(I)ピラゾール3核錯体が、室温で発光の2色性を有することを利用し、熱的刺激で書き換え可能な燐光性"Security Ink"を開発した。

【実験・結果】異なるアルキル鎖長、異なる大きさのピラゾール配位子を合成し(Scheme1; 1 〜 4)、銅(I)錯体を合成した(1-[Cu] ~ 4-[Cu])。大きさの制御には、デンドリティックな分子設計を採用した。まず、炭素数が18のアルキル長鎖を有する2-[Cu]を用いてPET(ポリエチレンテレフタレート)シート上に、ある種の樹脂と混合した3-[Cu]のフィルムを形成させたところ均一な発光を示した(Fig. 4a and b)。このフィルムに熱転写プリンタで熱処理を行うと、加熱した部分の発光が変化し、書き込みを行うことができた(Fig. 4c)。さらに、フィルム全体を100 ℃で加熱し、45 ℃でアニーリングを行うことにより、データの消去、及び初期化ができることを見出した(Fig. 4d)。バルクの固体について、温度可変の発光スペクトルを測定したところ、加熱融解後の処理の仕方で、発光色が異なることを明らかにした。すなわち、室温に直冷すると赤色発光(640 nm; Fig. 5a)を示し、40 〜 50 ℃付近でアニーリングするとオレンジ発光(615 nm; Fig. 5b)を示した。さらに、示差走査熱量測定(DSC)、温度可変赤外吸収スペクトル(VT-IR)測定、及びXRD測定から、発光色の変化がアルキル鎖の融解/結晶化による相転移に基づいており、急冷した場合にはアルキル鎖が優先的に結晶化し、アニーリングした場合にはより熱力学的に安定な集積体の形成が優先することが明らかとなった。つまり、書き込み後の発光が加熱-急冷により生じる構造に由来し、初期化後の発光がアニーリング後に生じる構造に由来している。また、XRD測定より、どちらの構造も内部にカラム構造を有していた(2-[Cu]-SA)。加えて、モデル錯体5-[Cu]の単結晶X線構造解析では、3核錯体が金属間相互作用に基づくダイマーを単位とするカラムを形成していた(Fig. 6)。以上の結果から、発光色の変化は、安定なカラム状集積体の形成と、安定なダイマー構造の維持という、2つの構造的要因の微妙なバランスのもとに引き起こされていると結論できる。

 アルキル長鎖の炭素数が12の3-[Cu]の場合、書き込み(加熱・急冷)による記録はできるものの、記録の寿命が約半日と短く、自発的に記録が消去された。この現象は、アルキル鎖長が短くなったことに伴い、室温におけるアルキル鎖の結晶化力が、安定なカラム状集積体を形成する力に比べ弱くなったことに起因すると考えられる。一方、アルキル長鎖の炭素数が18で、2-[Cu]よりリガンドサイズの小さい1-[Cu]では記録可能であったのに対し、よりサイズの大きい4-[Cu]では記録ができなかった。この結果は、デンドロン部位がある程度以上大きくなることによって、ダイマーの取り得るコンフォメーションが規制され、単一の集積体しか形成できない結果として説明できる。

4.溶媒蒸気などに応答して発光色をスイッチさせる材料4)

 外部刺激を、発光の変化としてアウトプットできる材料は、センサー、あるいはメモリー材料としての期待ができる。本研究では、固体構造の変化に基づき、ある種の有機溶媒に応答して発光色を変化させる材料を開発した。

【実験・結果】6-[Cu]から得られるキャストフィルムは、調製法に応じてオレンジ色あるいは黄緑色という異なる発光色を示すフィルムとして作り分けられることがわかった。この時、オレンジ色発光のフィルムは、ベンゼンなどの有機溶媒蒸気にさらすことで速やかに黄緑色発光に変化することを見出した(Fig. 7)。XRD測定より、この変化がフィルムの固体構造の変化に由来することが明らかとなった。一方、変化後の黄緑発光の固体は、内部に溶媒などを含んでいないことが元素分析、及び熱重量測定からわかった。また、この発光色変化は、加熱や加圧でも引き起こすことができたが、全て不可逆であった。以上の結果は、準安定状態であるオレンジ発光構造に溶媒分子が吸着・浸透し、構造変化を誘起して黄緑発光を示すようになり、その後溶媒が揮発する、として説明できる。これは、浸透性(親和性)が低いと考えられる貧溶媒では応答が遅いことからも裏付けられ、ある種のセンシングや表示に使える材料であることが明らかとなった。

5.結言

 本研究では、金属間相互作用を利用して発光性の超分子集積体を構築し、さらにそれらを外部刺激に応答する発光材料へと展開することに成功した。金属錯体を基本単位としたことで配位子設計に応じて集積構造を制御でき、その結果として刺激応答能の制御もできる手法を確立したことは非常に意義深い。また、一般に室温では制御しにくい燐光をスイッチングできた点で、有機発光材料設計のマイルストーンとなると言える。

6.参考文献1) Enomoto, M.; Kishimura, A.; Aida, T. J. Am. Chem. Soc. 2001, 123, 5608-5609. 2) Kishimura, A.; Yamashita, T.; Aida, T. J. Am. Chem. Soc., in press. 3) In preparation. 4) In preparation.
審査要旨 要旨を表示する

 d10金属イオン間に見られる金属間相互作用は、時には水素結合に匹敵するほどのエネルギーを有しているにもかかわらず、超分子的な分子集積体材料、特にソフトマテリアルを構築するのにはほとんど用いられてこなかった。一方、この金属間相互作用は、その生成とともに特異な発光機能(特に燐光)を発現することで知られており、本論文では、全体を通じて、金属間相互作用とその結果生じてくる発光機能を、分子集積体の制御を通じて制御することを目的とした研究について述べている。

 序論では、金属間相互作用とその発光機能について概観するとともに、超分子化学的なアプローチを利用することによって、分子集積体の構造のスイッチングが発光機能のスイッチングにつながる可能性について述べている。また、具体的な分子設計として、ピラゾールを用いた1価の11族金属の3核平板状の錯体を提案し、新しいタイプの発光スイッチング材料を実現できる可能性を明示している。

 第1章では、金のピラゾール3核錯体に長鎖アルキル基を導入することによって自己組織化を促し、ある種の有機溶媒をゲル化する現象と発光能の関係について述べている。ここで形成されるゲルは、金属間相互作用を介した自己集積体の形成・崩壊に基づいて熱的刺激に可逆に応答してゾル・ゲル転移を引き起こし、それに同期した発光機能(赤色発光)のON/OFFスイッチングを達成している。さらにこの系に外部からAg(I)イオンを導入するとゾル・ゲルどちらの状態でも発光色を変化させることができ、緑色発光ゾル、青色発光ゲルを得ることが出来る。さらに、この発光は、ゾル・ゲル転移に伴って相互変換可能であり、その結果、可逆な発光色のスイッチングを実現している。また、ゾル・ゲル転移に伴う発光のシフトは、アルキル鎖の自己集合により、金属間相互作用が摂動を受けることに基づいていると述べている。光の3原色であるRGBの発光(実際には燐光)を室温大気下で可逆に行った例はなく、燐光材料設計の新しいアプローチとして非常に意義深いと言ってよい。

 第2章では、銅のピラゾール3核錯体に長鎖アルキル基を導入することにより、室温における分子集積体の構造を熱処理過程に応じて作りわけることに成功し、熱的刺激に応答して画像を書き込み・消去できる『セキュリティペーパー』を開発したことについて述べている。バルクの固体の発光挙動と金属間相互作用を含む自己集積構造の関係について詳細に評価した結果、アルキル鎖の結晶化による速度論的な自己集積化のプロセスとそれに競合する熱力学的に安定な自己集積化のプロセスを制御することにより、室温固体状態における発光色のコントロール(赤と黄色)を実現している。また、モデル錯体の単結晶構造解析から、3核錯体はダイマー構造を安定に取りやすく、その時赤色発光を示すと述べており、その結果、融解状態、及びそれを室温まで直冷することによって速度論的に生じる集積体では、金属間相互作用としては安定なダイマー構造が発光の起源であるとし、その一方で、熱力学的に安定な集積体では、長距離的に安定なカラム状集積体を形成するために一つ一つの金属間相互作用自体は不安定化されており、発光のブルーシフトが起こるのだと結論している。最終的には、単純な作成法で得られるフィルム材料が、単純な方法により書き込み・消去が行えるデバイスになることを実証している。以上のような動作原理に基づく自己発光性の記録材料はこれまでになく、固体発光材料の新たな設計指針を提示している。

 第3章では、まず、X線単結晶構造解析を基に、発光の変化と金属間相互作用の関係について述べている。特に、外部環境、特に結晶溶媒の有無に応じて銅のピラゾール3核錯体ダイマーの構造、特に金属間相互作用が容易に歪み、発光色の変化(ブルーシフト)をもたらすことを明らかにしている。さらに、この知見を基に、結晶性フィルム材料を作成し、ある種の揮発性有機物蒸気に応答して金属間相互作用が変化した結果、発光色が変化し、それらの蒸気を検出し得るセンサー材料となることを述べている。特に、素材となる錯体とのアフィニティが低い化合物に対しては可逆な応答を示し、高い化合物に対しては不可逆な応答を示すとしており、ある種の有害蒸気試験紙として応用できることを実証している。これらは錯体化学及び超分子化学としては基礎的な発見に基づいた新しい材料の提案であり、その意義は大きい。

 結論では、本論文の総括と展望を述べている。

 以上、本論文では、金属間相互作用に基づく発光性の分子集積体の集積構造を超分子化学的なアプローチにより制御し、集積体の発光機能のスイッチングへと展開するという材料設計の新しいアプローチが提案されていると同時に、その実現について述べられている。また、機能発現とその発現の基礎原理についても詳細に述べられている。これらの成果は、今後の有機材料工学、特に刺激応答性の発光材料の発展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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