学位論文要旨



No 120121
著者(漢字) 西井,雅之
著者(英字)
著者(カナ) ニシイ,マサユキ
標題(和) アミノ酸誘導体からなる液晶性分子集合体の構築
標題(洋) Development of Liquid-Crystalline Molecular Assemblies Based on Amino Acid Derivatives
報告番号 120121
報告番号 甲20121
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6063号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 渡辺,正
 東京大学 講師 金原,数
 東京大学 講師 北條,博彦
内容要旨 要旨を表示する

 液晶は、結晶の異方性と液体の流動性をあわせもつ代表的な有機分子材料である。一方近年、分子間に働く相互作用を活用して分子を高次に組織化させる超分子液晶材料の開発が広く注目を集めている。このような材料では、外部からの刺激や環境の変化に応じて分子間の相互作用および分子集合構造が動的に変化するため、従来の有機材料にはない高度な機能の発現が期待される。水素結合性液晶は代表的な超分子材料の一つであり、分子間水素結合により形成される種々の超分子液晶構造の構築および機能化がこれまでに行われてきた。本研究では、新しい液晶性分子材料の構成部位として、生体分子の一つであるアミノ酸に着目し、そのサーモトロピック液晶化と自己組織構造制御を行なった。アミノ酸は化学修飾が容易であり、また水素結合能や分子キラリティーなどの特徴を有しているため、自己組織化材料の優れた構成部位として活用できると考えられる。

 本研究ではアミノ酸の一つであるグルタミン酸を、枝分かれおよび直鎖状と異なる様式で連結させた二種類のオリゴペプチド骨格に基づいた水素結合液晶性化合物を設計・合成した。オリゴペプチド骨格のコアや側鎖に疎水性置換基やメソゲン構造を導入したオリゴグルタミン酸誘導体を合成し、その集合構造の制御を行った。液晶の配向性や動的特性とアミノ酸の分子キラリティーを反映した新しい分子集合体の構築を試みた。さらに、より精緻で複雑な分子集合体の構築を目指し、優れた水素結合能およびイオン認識能を示す生体分子である葉酸のプテリン環部位をオリゴアミノ酸構造に導入した葉酸誘導体を合成し、その液晶相挙動およびイオンなどの外部刺激に対する応答性を調べた。

 グルタミン酸を枝分かれに連結させ、末端にアルキル鎖からなる疎水性置換基 2-(3,4-dialkyloxyphenyl)ethyl 基を導入したオリゴグルタミン酸誘導体を設計・合成した。合成したオリゴグルタミン酸誘導体は、水素結合部位と疎水性部位のブロック構造からなる扇形分子である。これらの誘導体では、世代の増加による液晶性の発現および熱的安定化が観察された。例えばオクタデシル基を有するグルタミン酸誘導体は、65 ℃ で融解する結晶であったのに対して、オリゴグルタミン酸誘導体は加熱時 71 ℃ から 78 ℃ までヘキサゴナルカラムナー相を示した。IR 測定によりカラムナー相では、オリゴグルタミン酸部位のペプチド結合の吸収 (Amide I) が 1653 cm-1 に観察され、等方相では 1680 cm-1 にシフトする様子が観察された。オリゴペプチド部位の分子間水素結合の形成および、水素結合部位と疎水性部位のナノ相分離作用が液晶相の発現に寄与していると考えられる。X 線回折測定より得られたカラムのサイズから、このカラムナー相ではオリゴグルタミン酸誘導体によるダイマーがカラム構造の断面を充填していると考えられる。このカラム状に自己組織化するアミノ誘導体は、コアのアミノ基に様々な置換基を導入することにより、さらなる機能化および機能の異方的秩序化が可能になると考えられる。

 γ-位に 2-(3,4-dialkyloxyphenyl)ethyl 基を導入したグルタミン酸誘導体を直鎖状に連結させたオリゴグルタミン酸誘導体を設計・合成した。グルタミン酸部位の数および骨格の違いが液晶性に与える影響について調べた。直鎖状のオリゴグルタミン酸誘導体は、枝分かれの誘導体よりも安定かつ広い温度範囲でサーモトロピック液晶性を示した。ペプチド結合が伸長するにしたがって液晶相が熱的に大きく安定化された。例えば、側鎖にヘキシル基を有するグルタミン酸部位が五つ連結した誘導体は、?9 ℃ から 147 ℃ までヘキサゴナルカラムナー相を示し、これはグルタミン酸の数が二つのものより透明点が 119 ℃ 高く、カラムナー相の温度範囲が 111 ℃ 広い。また、等方相への転移エンタルピーもペプチド結合の伸長に従い増大した。液晶状態における IR 測定では、オリゴペプチド主鎖の Amide I の吸収が 1635 cm-1 に観察され、等方相ではその吸収強度は大きく減少した。さらに配向試料に対する X 線回折測定および偏光 IR 測定の結果から、カラムナー相においてカラム軸に平行な方向に β-sheet 型の分子間水素結合が形成され、液晶相構造を安定化させていることがわかった。

 直鎖状のオリゴグルタミン酸部位の側鎖に、代表的な液晶性部位である棒状および円盤状の二種類のメソゲン構造を導入したオリゴペプチド誘導体を設計・合成し、新しい側鎖型液晶性オリゴマーの開発を行った。アミノ酸誘導体の数や組成および配列が、液晶相構造に与える影響を調べた。これらのオリゴグルタミン酸誘導体は、非液晶性である 2-(3,4-dialkyloxyphenyl)ethyl 基を導入した誘導体とは異なり、側鎖のメソゲン部位の液晶性を反映したサーモトロピック液晶性を示した。すなわち棒状メソゲンのみを導入したオリゴグルタミン酸誘導体は、スメクチック相を示したのに対して、円盤状のトリフェニレン側鎖のみを有する誘導体では、カラムナー相が観察された。さらに二種類のメソゲンを導入したオリゴグルタミン酸誘導体では、棒状メソゲン構造の方が液晶性を発現しやすいことがわかった。例えば、棒状メソゲン三つ、円盤状メソゲン一つのテトラペプチドはスメクチック相を示したのに対して、円盤状メソゲンが三つ棒状メソゲンが一つの誘導体では液晶相が発現せず室温以下でガラス化した。さらに二種類のメソゲンを二つずつ導入した誘導体では、異なるアミノ酸の配列順序の違いによる液晶性の変化が観察された。このようなアプローチは、側鎖型液晶性オリゴマーの分子設計への新しい指針を与えるものと考えられる。

 液晶性オリゴグルタミン酸誘導体をさらに高次に自己組織化させるため、優れた水素結合能およびイオン認識能を示すことが知られている葉酸のプテリン環部位を、扇形分子のコアに導入した葉酸誘導体を設計・合成した。葉酸誘導体はいずれも室温から 200 ℃ 付近までの非常に広い温度範囲でサーモトロピック液晶性を示した。グルタミン酸部位を一つ有し、スメクチック相あるいはカラムナー相を示す葉酸誘導体に対して、アルキル鎖長や分子キラリティーの効果およびアミノ酸をアスパラギン酸に変換した影響を検討した。プテリン環に対する置換基のかさ高さが葉酸誘導体の自己組織化に対して重要な役割を果たすことがわかった。

 一方、よりかさ高いオリゴグルタミン酸部位を導入した葉酸誘導体では、カラムナー相に加えてその高温側に光学的に等方なキュービック相が観察された。外部刺激としてナトリウムトリフラートを添加した複合体においてもカラムナー−キュービック相転移が観察された。例えばウンデシル基を有する葉酸誘導体と 0.25 モル当量のナトリウム塩複合体は、-10 ℃ から 137 ℃ までカラムナー相を、さらに 137 ℃ から 189 ℃ までキュービック相を示した。X 線回折測定および IR 測定よりカラムナー相では、プテリン環部位の分子間水素結合により形成されたテトラマーが集積していることがわかった。さらにキュービック相では、熱運動によるアルキル鎖の運動性の増大によりカラムが断片化されてミセルとなり、それらが構成単位となってキュービックの三次元格子 (空間群: Pm3n) を構築していることがわかった。格子定数、複合体の密度、IR 測定および分子モデリングより、キュービック相におけるミセル状集合体は、八枚のテトラマーが集積して構成されていることがわかった。

 葉酸誘導体が形成する分子集合体のキラル構造を CD スペクトル測定により調べた。葉酸誘導体単独のカラムナー相では、明瞭なコットン効果は見られなかったのに対して、ナトリウム塩との複合体は、プテリン環部位の吸収波長領域に顕著なコットン効果を示した。ナトリウム塩とテトラマーとの相互作用およびグルタミン酸部位の分子キラリティーの効果によって、テトラマーがらせん状に集積したために集合体にキラリティーが誘起されたと考えられる。カラムナー相におけるコットン効果は、温度の上昇とともに減少したが、キュービック相に転移すると強い誘起 CD スペクトルが観察された。これは、光学的には等方性であるはずのキュービック相の内部にキラルな秩序が存在していることを示している。キュービック格子を形成する断片化されたカラム構造のヘリシティーが CD スペクトル測定で検出されたと考えられる。これはキラルなキュービック液晶相の初めての例である。

 以上本研究では、グルタミン酸をビルディングブロックとして用いた二種類のオリゴペプチド骨格から誘導されるサーモトロピック液晶化合物を合成した。これらの誘導体では、オリゴペプチド部位の分子間水素結合が液晶相の発現および熱的安定化に大きく寄与することがわかった。さらに水素結合部位のコアや側鎖に対する種々の置換基の導入により、液晶性や自己組織化構造の制御を行った。特にプテリン環を導入した液晶性葉酸誘導体は、キラルなカラムナー相およびキラルなキュービック相を示した。本研究で示したアプローチは、新しい機能性分子集合体の分子設計に対する指針を与えるものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 水素結合のような分子間に働く相互作用を活用して分子を組織化することにより、外部からの刺激や環境の変化に応答する動的な超分子材料の構築が可能となる。本論文は、新しい液晶性分子集合体の構成部位として、生体分子の一つであるアミノ酸およびオリゴペプチド構造に着目し、それらによる分子間水素結合の形成を駆動力として構築される新しいサーモトロピック液晶材料の開発とその自己組織構造制御に関する研究について述べている。

 序論では、液晶性分子集合体および超分子液晶材料についての概説と本論文の目的や位置づけについて示している。生体分子であるアミノ酸を液晶分子のパーツとして活用することを提案し、その利点や特徴、および分子設計について述べている。アミノ酸の中でも特にグルタミン酸の構造に着目し、分岐状および直鎖状の二種類のオリゴペプチド骨格に基づいて設計している。それらのオリゴペプチド部位は、水素結合能を有し、さまざまな機能性官能基の導入や分子キラリティーの精密な制御が可能なことなど、分子集合材料のパーツとして優れていると考えられる。序論の最後では、論文全体の構成や概要について述べている。

 第一章では、オリゴペプチド構造からなるサーモトロピック液晶化合物の設計・合成およびそれらの液晶性について示しており、まず分岐状の誘導体について述べている。カルボキシル基に疎水性の 2-(3,4-ジアルコキシフェニル)エチル基を導入したグルタミン酸誘導体は、オリゴペプチド構造とすることにより、カラムナー液晶性が発現することを見出している。X 線回折測定によりカラム構造のサイズやパッキングについて解析し、カラム構造がオリゴペプチド誘導体のダイマーにより形成されていると推察している。さらにオリゴペプチド部位の分子間水素結合の形成を フーリエ変換赤外吸収スペクトル測定により詳細に調べ、液晶相発現にそれらが重要な役割を果たしていることを明らかにしている。そのような水素結合性オリゴペプチド部位からなる液晶化合物はこれまでに報告例がない。またそれらは、コアのアミノ基に様々な置換基を導入することにより、機能性液晶材料としてのさらなる活用が可能になると提案している。さらに直鎖状の誘導体について述べている。ペプチド鎖の伸長による分子間水素結合の形成と液晶相発現の関連性について系統的に調べた結果が記述されている。それらに対しても、カラムナー液晶性の観察結果が示されている。赤外吸収スペクトル測定などの解析により、カラム軸に平行な方向にオリゴペプチド鎖による β−シート 型の分子間水素結合が形成され、それが液晶相の熱安定化に寄与することを明らかにしている。さらに、異なるアミノ酸誘導体の配列の変化による液晶性の制御や、液晶性置換基の導入による機能性分子集合体の構築について述べている。これらの結果は新しい側鎖型液晶化合物開発のモデルとなると考えられる。

 第二章では、液晶性オリゴペプチド誘導体をさらに高次に自己組織化させるため、優れた水素結合能およびイオン認識能を示すプテリン環を導入した葉酸誘導体について述べている。カラムナー相およびキュービック相の観察結果が示されている。X 線回折測定および 赤外吸収スペクトル測定によりこれらの液晶相は、プテリン環部位の分子間水素結合により形成されたテトラマーにより構築されていることを示している。キュービック相は、アルキル鎖の運動性の増大により断片化されたカラムが、三次元的に集合することにより形成されている。さらに、それら分子集合体のキラル構造を円二色性スペクトル測定により調べた結果、カラムナー相およびキュービック相において、塩の添加によりコットン効果が誘起されることを見出している。特に、光学的に等方性であるキュービック相にキラリティーを誘起したのは本例が初めてである。キュービック格子を形成するカラム構造のヘリシティーが円二色性スペクトル測定で検出されたと考察している。

 第三章では、得られた結果に対する著者の知見に関して述べられている。一連の化合物における液晶相発現のための最も重要な要素は、水素結合を効率よく形成させるためのペプチド部位の設計と、それに適度な揺らぎを与えるアルキル鎖のバランスであると結論づけている。これまで水素結合を活用した液晶材料は数多く開発されているが、オリゴペプチド構造を基に液晶性集合体を構築した本例が有する意義は非常に大きいとしている。これは、液晶状態が脂質膜のような生体組織に普遍的に見られる状態であり、ペプチドのような生体分子を液晶化することは、生体組織になじみやすい構造や機能を示す材料開発の諸端となりうるからである。

 このように本論文におけるアプローチは、機能性分子集合体の分子設計に対して新たな指針を与えるものと期待できる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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