学位論文要旨



No 120122
著者(漢字) 平川,秀彦
著者(英字)
著者(カナ) ヒラカワ,ヒデヒコ
標題(和) 非水溶媒中での利用を目的とした酵素触媒の開発
標題(洋) Develpment of enzymatic catalysts working in nonaqueous media
報告番号 120122
報告番号 甲20122
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6064号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 渡辺,正
 東京大学 教授 小宮山,眞
 東京大学 助教授 鈴木,勉
 東京大学 講師 新海,政重
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

 酵素は多くの化学反応を触媒し,有機合成の触媒として多くの有用性質を有している。特に,酸化還元酵素は不斉,あるいは,位置選択的酸化還元反応を触媒することができ,これらの反応によって得られる有機化合物は医農薬などファインケミカルのビルディングブロックとして重要である。酸化還元酵素の基質となる有機化合物の多くは水に溶けにくいため,酸化還元酵素による反応は非水溶媒中で行われることが望ましいものの,酸化還元酵素の中には水溶性補酵素を要求するものもあり,酵素反応を利用した有機合成では非常に大きな反応容積が必要となる。さらに,補酵素は高価なため非水溶媒において補酵素再生系を確立することが大きな課題である。また,市販されている酸化還元酵素は限られているため,安定な有用化合物生産のための新規な酵素触媒系を開発することは極めて重要である。

2. 超好熱古細菌Aeropyrum pernix K1由来アルコールデヒドロゲナーゼの諸性質

2.1 緒言

 アルコールデヒドロゲナーゼ(ADH)は広く自然界に存在し,多くのほ乳類,植物,微生物から見出されている。この酵素はさまざまな生理的過程において重要な役割を担っている。様々な生物種よりカルボニル基の立体特異的な還元反応を触媒するアルコールデヒドロゲナーゼが発見されてきている。例えば,Rhodococcus erythropolisやThermoanaerobium brockii由来アルコールデヒドロゲナーゼは(S)−アルコール,Lactobacillus kefir由来ADHは(R)−アルコールを生成する。光学活性なアルコールは様々な天然化合物,医薬を合成する際の重要なビルディングブロックである。しかし,多くのアルコールデヒドロゲナーゼは不安定であるため,工業利用には適していない。

 近年,好熱性生物由来のアルコールデヒドロゲナーゼが単離されている。これらのアルコールデヒドロゲナーゼは熱安定であり,広い基質特異性を示す。本項では近年,構造が解かれた超好熱古細菌Aeropyrum pernix K1由来の亜鉛要求性中鎖アルコールデヒドロゲナーゼの精製およびその諸性質について報告する。

2.2 結果及び考察

 リコンビナントA. pernix ADHは誘導無しで大腸菌発現系を利用して発現させることに成功した。精製したA. pernix ADHはSDS-PAGEでは単一バンドを示した。遺伝子配列より計算して得られる分子量は39.57 kDaであり,SDS-PAGEの結果から得られて分子量は40 kDaであった。ゲルろ過クロマトグラフィーから得られた未変性体の分子量は1.6 × 102 kDaであった。このことはA. pernix ADHがホモ四量体を形成していることを示唆している。

 A. pernix ADHの活性の温度依存性を図1に示す。これまで最も熱安定性が高いことが知られていた中鎖ADHであるS. solfataricus ADHと同様に,反応速度は95℃まで上昇した。アレニウスプロットには30℃から95℃までの範囲で明らかな転移点は見られなかった。98℃で30分間のインキュベーション後,A. pernix ADHは24%の活性を維持していた。一方,これまで最も熱安定性が高いと報告されているS. solfataricus ADHは95℃で30分間のインキュベーションにより90%の活性を失うことが報告されている。したがって,A. pernix ADHは現在最も熱安定性の高い中鎖ADHである。

 脂肪族から芳香族までの様々なアルコールの酸化反応においてA. pernix ADHの基質特異性を検討した。脂肪族直鎖アルコールでは幅広い第一級アルコールを酸化した。アルキル鎖が長くなるにつれKmは減少した。第二級アルコールでも同様に長いアルキル鎖を有するものを好んだ。芳香族アルコールに関してもアルキル鎖が長くなるにつれてKmは減少した。したがって,長いアルキル鎖を有するアルコールを基質として好むようであった。

 還元反応における基質特異性を脂肪族ケトン,環状ケトン,芳香族ケトン,ベンズアルデヒドについて検討した。脂肪族ケトンでは,アルキル鎖が長くなるにつれてKmは減少した。また,芳香族ケトンは良い基質ではなかった。

 さまざまな脂肪族ケトンに関してエナンチオ選択性を示したのが表1である。この酵素は脂肪族ケトンを選択的に(S)−アルコールへと還元した。2-ヘキサノンを除いてエナンチオ過剰率の値はアルキル鎖が長くなるほど向上した。

 エナンチオ選択的な還元反応を触媒する超好熱性生物由来ADHはこれまでのところ報告されていない。高い熱安定性,可逆性,広い基質特異性,そして高いエナンチオ選択性というA. pernix ADHの性質はキラルな脂肪族アルコールの工業生産の有用な生体触媒の一つといえよう。

3. 好熱性アルコールデヒドロゲナーゼに対する有機溶媒のlog P効果

3.1 緒言

 非水溶媒中の酵素学が発展するにつれて,付加的な効果が示されるようになった。特に微少な水を含む水非混和性有機溶媒中での懸濁酵素や固定化酵素は水系に比べれば多くの場合に触媒活性はかなり低下するが,新たな性質を獲得することが示されている。水溶性補酵素を必要とする酵素,例えば,デヒドロゲナーゼはこれらの溶媒中ではほとんど利用されていない。それは市販されている補酵素要求性酵素の多くは不安定であり,また,補酵素の再生手段が限られてしまうためである。水非混和性有機溶媒中の酵素反応では物質移動が律速段階となりうるのに対して水混和性有機溶媒を含む均一溶媒系では物質移動が律速段階とはなりえないが,水混和性有機溶媒は酵素から酵素活性を維持するのに必要な水分子を剥ぎ取るために,多くの酵素が水混和性有機溶媒により失活することが知られている。したがって,水混和性有機溶媒中でのほとんどの研究は水混和性有機溶媒に対する耐性に集中しており,酵素,特に補酵素要求性酵素に対する水混和性有機溶媒の正の効果については検討されていない。そこで,本項ではA. pernix ADHに水混和性有機溶媒に与える影響について検討を行った。

3. 2 結果及び考察

 酸化反応は水混和性有機溶媒の添加により向上した。水のモル分率を一定にした場合の速度論パラメータに対するlog Pの影響を調べたところ,Vmaxは溶媒のlog Pに対して強い正の相関を示した(図2)が,KmはVmaxほどの相関は示さなかった。Log P値と水のモル分率を一定にした場合,Vmaxは溶媒の組成には影響を受けなかったが,Kmは溶媒の組成に影響を受けた。このことは酵素と有機溶媒分子との間の直接的な相互作用の影響は酵素活性に対して無視できるほど小さく,酵素分子周辺の極性が触媒活性に対する支配因子であることを示している。酵素活性に対するlog Pの影響は加水分解酵素についてのみ報告されているが,log P依存的な活性化は報告されていない。

 酵素活性は系中の水分量に大きな影響を受けるということがよく知られているが,本酵素においても水分量は大きな影響を与え,log Pが一定の条件下では水分量の低下と共にVmaxは減少した。

4. 自己完結型P450camシステムの構築

4. 1 緒言

 シトクロムP450は幅広い酸化反応を触媒するヘム含有モノオキシゲーゼの一つのスーパーファミリーである。このスーパーファミリーは細菌からほ乳類まで広く分布しており,多くの生理的機能に関わっている。最もこれまで研究されてきたPseudomonas putida由来のシトクロムP450camは電子伝達タンパク質としてプチダレドキシンとプチダレドキシン還元酵素を必要とする。プチダレドキシンはP450camに対して基質として作用するために過剰量が必要となる。このため,プチダレドキシン還元酵素−プチダレドキシン−P450camの直鎖型融合タンパク質による人工自己完結型P450camシステムが報告されている。しかし,立体的制約のために活性は極めて低い。本項ではStreptomyces mobaraensis由来トランスグルタミナーゼを用いて分岐型P450camシステムを構築した(図3)。

4. 2 結果及び考察

 Pdr-Qlinker-P450camとPdx-CKtagを個別に大腸菌発現系により発現させ,カラムクロマトグラフィーにより精製した。分岐型融合タンパク質はPdr-Qlinker-P450camとPdx-CKtagをトランスグルタミナーゼで反応させることによって得た。

 (+)−カンファーの存在下における酸化型は典型的なハイスピンのスペクトルを示した。亜二チオン酸ナトリウムによる還元後に一酸化炭素を吹き込むとソーレー体は450 nmに移動した。P450は変性すると一酸化炭素付加体のソーレー体は420 nmにあらわれることが知られていることを考慮すると,この分岐型融合タンパク質のヘムドメインは未変性であると考えられる。

 この融合タンパク質の活性は(+)−カンファーの濃度に対してミカエリス−メンテン型の依存性を示した。また,活性はタンパク質濃度に対して一次の依存性を示した(図4)ことは分子内電子伝達が起こっていることを示唆している。

表1 脂肪族ケトンの還元反応におけるエナンチオ過剰率(ee)

図2 Vmaxに対するlogPの効果

図3 分岐型融合タンパク質

図4 触媒活性のタンパク質濃度依存性

審査要旨 要旨を表示する

 酸化還元酵素は立体選択的,位置選択的反応を触媒することができ,化合物にキラリティーを付与することができる。近年,キラル化合物は医農薬品などのファインケミカルのビルディングブロックとして重要性が増しつつある。酸化還元酵素の中でもシトクロムP450は分子状酸素を利用した様々な酸化反応を触媒することができるため,有機合成用触媒として注目を集めている。シトクロムP450による酸化反応の特徴として,(1)基質のほとんどが疎水性である,(2)電子供与体としてNADH,NADPHなどの水溶性補酵素を要求する,(3)水溶性補酵素からシトクロムP450へ電子を伝達するために電子伝達タンパク質が必要である,という点が挙げられる。疎水性基質の溶解度を上げるためには非水溶媒を利用せざるを得ないが,有機溶媒中では酵素が失活する場合が多い。水溶性補酵素は高価であり,生産コストの観点からは何らかの方法によって再生する必要がある。また,電子伝達はタンパク質の結合解離を介して進行するため,補酵素からシトクロムP450へ効率の良い電子伝達を行うには過剰量の電子伝達タンパク質が必要となる。シトクロムP450を有機合成用酸化酵素として利用するためにはこれらの問題点を解決することが不可欠であり,これまでシトクロムP450が有機合成用触媒として用いられている例は極めて少ない。

 本研究では,シトクロムP450を有機溶媒系の一つである逆ミセル系で利用するために,シトクロムP450と2種類の電子伝達タンパク質を連結した分岐型シトクロムP450システムを構築し,分子内電子伝達によって電子が極めて効率的に供給される新規酵素反応系の開発に取り組み,成功している。さらに,安定に補酵素を再生するための酵素として新規な超好熱古細菌由来のアルコールデヒドロゲナーゼに着目し,この酵素の大腸菌を用いた発現系の構築、精製法の確立を行うとともに,その諸性質を検討している。これらの2つの酵素を用いた逆ミセル反応系を構築することにより,補酵素再生を伴う疎水性基質の立体選択的水酸化反応に成功している。

 第1章では研究の背景,研究目的について述べている。

 第2章では,逆ミセル系において,酵母菌由来のアルコールデヒドロゲナーゼを用いて補酵素NAD+からNADHへの再生反応を行えることを,市販の酵素を用いて示している。逆ミセル中では水溶液中よりも酵素の安定性は若干向上し,補酵素の再生反応は水系よりも長時間行うことができるものの,中温菌由来のデヒドロゲナーゼの安定性は低く,安定に補酵素を再生し続ける触媒として用いるのには不十分であることを明らかにしている。

 第3章では安定な補酵素再生を行うために,熱安定性の高い酵素を入手することを目的として,超好熱古細菌Aeropyrum pernix K1由来のアルコールデヒドロゲナーゼの大腸菌を用いた発現系の構築、精製法を確立し,pH依存性,温度依存性,熱安定性,基質特異性,エナンチオ選択性,有機溶媒耐性などの諸性質について検討している。その結果,A. pernix由来のアルコールデヒドロゲナーゼは,これまで報告されたアルコールデヒドロゲナーゼの中で最も高い熱安定性を有していることを明らかにしている。また,基質特異性に関しては長いアルキル鎖を有する基質,すなわち,疎水性の高い基質を良い基質とし,ケトンの還元反応では高いエナンチオ選択性を示し,キラルアルコールの生産用酵素としても有望であると述べている。さらに,A. pernix由来アルコールデヒドロゲナーゼは高い有機溶媒耐性を示すのみならず,有機溶媒の添加により活性が向上するという極めて稀な性質を持つことを見出している。この活性化の度合いは溶媒のlogP値に対して強い正の相関を示すことを明らかにしている。超好熱菌由来の酵素は水溶液中において高い安定性を獲得するために内部の疎水度を高めコンフォメーションのフレキシビリティーを低下させていると考えられているが,有機溶媒の添加による活性化はlogPの上昇,すなわち,溶媒の極性の低下により疎水相互作用を低下させフレキシビリティーが増すためであると述べている。この有機溶媒の添加による活性化は反応の活性化エネルギーの減少によるものであり,有機溶媒の添加効果は温度が低いほど大きいことを明らかにしている。超好熱菌由来の酵素は熱安定性が高い一方で,室温付近では活性が低いという問題点が指摘されているが,有機溶媒の添加はこの問題に対する解決の糸口となると述べている。本研究で明らかしたA. pernix由来アルコールデヒドロゲナーゼの(1)高い熱安定性,(2)疎水性基質に対する高い親和性,(3)有機溶媒耐性,(3)有機溶媒による活性化などの性質により,本酵素が非水溶媒系において安定に補酵素NADHを再生するのに適した酵素であると結論づけている。

 第4章では,シトクロムP450を逆ミセル系で利用するために,まず,シトクロムP450camと補酵素NADHから電子伝達を行うのに必要な電子伝達タンパク質putidaredoxin reductaseおよびputidaredoxinの3つのタンパク質からなる新規な3元系融合タンパク質を構築している。すなわち,トランスグルタミナーゼによる部位特異的な架橋化反応を利用することによって,分岐型構造を有する融合タンパク質の構築に成功している。この分岐型シトクロム450camについて諸性質を速度論的,分光学的手法を用いて検討している。その結果,この分岐型シトクロムP450camは分子内で電子伝達が起こるため,新たに電子伝達タンパク質を加える必要のない自己完結型(self-sufficient)シトクロムP450であると述べている。そのため,低タンパク質濃度においても十分な触媒活性と極めて高い反応のカップリング効率が得られ,シトクロムP450を利用する際に過剰量の電子伝達タンパク質を必要とするという大きな課題を解決することができたとしている。この手法を他のシトクロムP450系に応用することで様々な化合物の様々な酸化反応に応用可能であり,分岐型シトクロムP450はシトクロムP450を実用的な触媒として利用する道を開くものであると述べている。最後に本研究で得られた分岐型P450camとA. pernix由来アルコールデヒドロゲナーゼを利用した逆ミセル反応系を構築している。逆ミセル系における分岐型シトクロムP450camの触媒活性は,シトクロムP450cam系を構成する3つのタンパク質を独立した逆ミセル中に封入した場合に比べて非常に高く,分岐型シトクロムP450camの有効性を逆ミセル系においても示すことに成功している。また,逆ミセル系におけるA. pernix由来アルコールデヒドロゲナーゼの触媒活性は,逆ミセル中に溶解している有機溶媒の活性化効果により,水系よりも5倍以上も高くすることができたと述べている。分岐型シトクロムP450camとA. pernix由来アルコールデヒドロゲナーゼを組み合わせた共役酵素系を利用して,逆ミセル中におけるNADHの再生を伴うd−カンファーの効率的な立体選択的水酸化反応に成功している。

 第5章では本論文の総括と展望を述べている。

 以上、本論文は新規な超好熱性アルコールデヒドロゲナーゼの発現・精製と,分岐型構造を有する3元系シトクロムP450システムの構築を行い,これらの酵素の諸性質を明らかにした上で逆ミセル系での補酵素再生を伴う疎水性化合物の酸化反応系に応用し、d-カンファーの立体選択的水酸化反応を例にその有効性を実証したものである。これらの成果は,酵素工学の発展,環境負荷の小さい酸化還元反応プロセスの開発,ならびに化学生命工学分野の発展に寄与するところが大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格であると認められる。

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