学位論文要旨



No 120132
著者(漢字) 山木,辰一郎
著者(英字)
著者(カナ) ヤマキ,シンイチロウ
標題(和) イネにおける胚珠分化の発生遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 120132
報告番号 甲20132
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2815号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 教授 山岸,順子
 東京大学 助教授 経塚,淳子
 東京大学 助教授 中園,幹生
内容要旨 要旨を表示する

 胚珠は高等植物における雌性配偶器官であり、大胞子形成、大配偶子形成、受精、胚発生といった主要な生殖活動の舞台となる。それ故、胚珠を正常に分化させられるか否かは植物にとって世代交代の成否に直接の影響を及ぼす重要な問題である。生物学的には、胚珠分化のメカニズムを解明することは植物の性と生殖についての理解を助ける興味深いテーマの1つである。また農学的には、胚珠分化の是非は種子数や種子稔性の制御といった農業形質と密接に関係しており、育種分野への応用が期待される事象である。

 本研究では、イネにおいて胚珠分化に関わる遺伝的制御機構を解明することを目的に、野生型イネの胚珠分化過程の詳細な観察とシロイヌナズナ相同遺伝子の単離を行うとともに、胚珠分化に異常を示す新規の変異体を解析した。

1.野生型イネにおける胚珠の分化様式

 イネの雌蕊は単心皮、単胚珠である。胚珠は屈曲の弱い半倒生型で、頂部が花床側へと倒れる。また子房壁との連結組織である珠柄が形成されないため、合点が子房壁と直に接する特徴的な形態をとる。さらに合点から伸長した内珠皮が珠心のほとんどを包むのに対し、外珠皮は花柱側で内珠皮の4分の1程度までしか伸長しない。

 胚珠分化過程の観察では、心皮原基の分化に続いて胚珠原基が分化していた。心皮が閉じて子房室が形成される直前、胚珠原基の基部から珠皮原基が一重のリング状に分化し、心皮が閉じた直後に2枚に分かれて内珠皮と外珠皮になっており、他の植物ではあまり例のない特徴的な分化様式をとることが分かった。その後、両珠皮の伸長と同時に珠心内部ではPolygonum型の胚嚢分化がみられ、その過程で胚珠の頂部が花床側へと倒れていくことが分かった。

 in situ ハイブリダイゼーションによるマーカー遺伝子の発現解析では、心皮原基分化直後、花分裂組織においてOSH1(分裂組織の未分化細胞のマーカー)の発現が抑制されるとすぐにOsMADS13(胚珠のマーカー)の発現が始まっていた。また胚珠原基ではDROOPING LEAF(心皮のマーカー)の発現がみられなかった。よって、胚珠原基が心皮から形成される一般的な分化様式とは異なり、イネの胚珠原基が花分裂組織から直接形成される可能性が示された。

2.イネにおけるAINTEGUMENTA相同遺伝子の解析

 シロイヌナズナのAINTEGUMENTA(ANT)は分化直後の胚珠原基、珠皮原基で強く発現する。よってイネでも同様な発現がみられるならば、胚珠の分化過程を観察する上での良いマーカーとなる。そこでイネにおけるANT相同遺伝子の同定を行った。

 イネゲノムデータベース内でANTと高い相同性を示す配列を複数得て、そのうちの3つに該当するcDNAをライブラリーから単離し、塩基配列を決定した。それら(OsANT1、OsANT2、OsANT3)の推定アミノ酸配列はそれぞれANTと同程度の相同性を示し、ANTに特徴的なAP2domain内でも相同性に大差はなかった。

 RT-PCRにより、OsANT1は葉身で、0sANT2は初期胚と根を除く広い範囲で発現することが分かったが、OsANT3については明確な発現部位を特定できなかった。よって、OsANT1、OsANT2、OsANT3では発現部位が分担され、機能分化が進んでいる可能性が示された。in situハイブリダイゼーションによる観察では、栄養生長期、OsANT2は分化直後の葉原基や発生が進んだ葉原基の維管束で強く発現していた。また胚珠分化過程では、胚珠原基で明確な発現がみられなかったが、珠皮原基で強く発現していた。よって、OsANT2はANTと類似した発現パターンを示し、珠皮の分化過程を観察する上での良いマーカーになることが分かった。

3.胚珠の原基分化を制御するOVULELESS遺伝子の解析

 イネ品種日本晴のカルス再分化集団から、雌蕊内部に胚珠が分化しないovuleless(ovl)の変異体を得た。ovlではまれに正常な胚珠が分化し、その頻度が種子稔性とよく一致していたため、ovlは雌性不稔性の系統であると判断した。

 胚珠原基分化期、ovlでは胚珠原基に似た突起がみられたが、その高さは野生型に比べて低かった。原基状突起からの珠皮分化はみられず、心皮の発達につれて子房壁内面と区別できなくなっていた。in situハイブリダイゼーションによる観察では、原基状突起においてOsMADS13の発現がみられたことから、ovlでは胚珠原基が分化するものの、以後のパターン形成へと進まないことが分かった。

 胚珠の分化異常以外に、ovlでは生殖生長の様々な段階で器官分化が停止し、それ以降の器官が欠失する表現型がみられた。器官が欠失した小花において分裂組織の痕跡が確認できなかったことから、ovlでは分裂組織の維持が野生型よりも早い時期に停止し、その後の器官分化によって分裂組織の細胞が消費されると考えられた。また分裂組織が器官分化の早い時期に消失しやすいとか、1次枝梗内で先端に近いほど器官の欠失が著しいといった特定のパターンが見出せなかったことから、ovlでは生殖生長期のランダムな発生段階で分裂組織が消失していると考えられた。

 よって、OVLには胚珠原基をパターン形成へと移行させる機能があること、OVLが生殖生長期の分裂組織の維持に関わることが考えられ、さらに胚珠分化の制御と生殖生長期の分裂組織の維持に共通した機構が存在する可能性が示された。

 またovlでは胚珠が分化しないため、雌蕊内部が空洞化する。従ってovlは花粉管誘導における胚珠の役割を明らかにするための良い材料になると考え、ovlの雌蕊における花粉管伸長を観察した。野生型の雌蕊において、花粉管は柱頭から花柱へと伸長する。子房室に進入すると、子房壁と胚珠の隙間を伸長し花床側の外穎寄りに位置する珠孔へと達する。ovlの雌蕊においても花粉管は子房室へ到達し、空洞化した子房室の内面に沿って伸長し花床側へと達していた。よって、子房室内の花床側への花粉管誘導には胚珠が必要でないことが分かった。

4.珠皮の分化を制御するGYPSY EMBRYO遺伝子の解析

 イネ品種台中65号のMNU変異原処理集団から、種子中の胚の位置に異常を示すgypsy embryo(gym)変異体を得た。gymでは約6%の種子で胚の位置が野生型に比べて頂部側へとずれていた。gymの受粉5日後の雌蕊では約6%の頻度で異所的に発生する胚がみられたことから、gymの種子における胚の位置異常は胚発生が異所的に開始されることに起因し、gymでは受精前の段階で卵細胞の位置が異常になっていると推測された。

 開花期の雌蕊において、gymの約10%の胚珠では胚珠の屈曲が弱まり、直生型に近くなっていた。それらの胚珠では卵細胞が花柱側へとずれていたことから、gymの種子における胚の位置異常は卵細胞の位置異常に起因することが示された。またそれらの胚珠では内珠皮の花柱側が十分に伸長せず、さらに低頻度で内珠皮と外珠皮の代わりに1枚の厚い珠皮が形成されていた。この珠皮の伸長は著しく抑制されており、これを内珠皮として扱った場合、内珠皮の伸長程度は胚珠の屈曲の強弱とよく一致していた。よって、イネにおいて胚珠の屈曲の強弱は内珠皮の伸長程度によって制御されると考えられた。

 胚珠原基分化期、gymの胚珠原基は野生型に比べて大きく、さらに珠皮原基の花柱側も野生型に比べて大きかった。また珠皮原基の花柱側が内珠皮と外珠皮に分かれず、1枚の厚い珠皮のままである場合も観察された。さらに野生型の花分裂組織では心皮原基の分化とともにOSH1の発現が抑制されるが、gymでは花分裂組織の頂部で遅い時期まで発現が維持され、さらに胚珠原基、珠皮原基の花柱側でも発現が異所的に残存していることが分かった。さらにその領域ではOsMADS13とOsANT2の発現が野生型に比べて遅い時期まで開始されないことが分かった。よって、gymでは花分裂組織の有限性が部分的に失われ、花分裂組織に由来する未分化細胞が胚珠アイデンティティーの確立を遅らせ、正常な珠皮分化を妨げていると考えられた。従って、GYMは花分裂組織の有限性の獲得に関係すると推測された。

 花分裂組織が増大し花器官数が増加するfon2-3との二重変異体gym fon2-3では心皮が無限生長的に分化し、花分裂組織の有限性が大幅に失われた。よって、GYMとFON2は冗長性をもって花分裂組織の有限性の獲得に機能すると考えられた。

 一般に、胚珠の屈曲の強弱は花粉管の受け入れに関係する形質であるといわれていることから、gymの雌蕊における花粉管伸長を観察した。すると、gymの直生型に近い胚珠では半倒生型の胚珠に比べて卵細胞の受精効率が低かった。よって、イネにおいても胚珠の屈曲の強弱は花粉管の受け入れに関係すると考えられた。またgymにおいて胚の位置異常の頻度が卵細胞の位置異常の頻度よりも低いことは、卵細胞の位置に依存した受精効率の差によって説明できることが分かった。

 以上の解析から、イネにおける胚珠の分化様式には特徴的な点が数多くみられることが分かった。また単子葉植物においては現在までに胚珠分化に関する変異体が得られておらず、本研究で得られた2つの変異体はその先駆けとなるものである。今後それらを用いて解析を発展させることは、単子葉植物における胚珠分化のメカニズムを解明することにつながり、ひいては植物全体の性と生殖を理解するための大きな助けになると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 胚珠は高等植物の雌性配偶器官であり、発生して種子となる。従って、胚珠分化のメカニズムを解明することは作物における種子形成の基本的な理解につながる。しかし、イネを含む単子葉植物での胚珠分化についての知見は極めて少ない。本研究では、イネの胚珠分化に関わる遺伝子および変異体を同定し、胚珠分化の発生遺伝的解析を行ったものである。本論文の内容は、4つの章から構成されている。

1.野生型イネにおける胚珠の分化様式

 まず、野生型イネにおける胚珠の発生過程を詳細に解析した。イネの胚珠は頂部が花床側に倒れる半倒生型である。また内珠皮は珠心のほとんどを包むが、外珠皮は花柱側で内珠皮の1/4程度にしか伸長しない。

 花器官分化期、心皮に続いて胚珠原基が分化し、珠皮原基は胚珠の基部から一重のリング状に分化し、やがて内珠皮と外珠皮に分裂するという他種ではあまり例のない分化様式をとっていた。その後、珠心内部で胚嚢分化が進むにつれて、胚珠の頂部が花床側へと倒れていき、半倒生胚珠を形成した。 in situハイブリダイゼーションにより遺伝子発現をしらべたところ、花分裂組織においてOSH1(未分化細胞のマーカー)の発現が抑制された直後にOsMADS13(胚珠のマーカー)の発現が始まっていた。また胚珠原基ではDL(心皮のマーカー)が発現していなかった。従って、イネの胚珠は、心皮からではなく、花分裂組織から直接形成されると考えられた。

2.イネにおけるAINTEGUMENTA相同遺伝子の解析

 シロイヌナズナAINTEGUMENTA (ANT)の配列をもとに、イネ幼穂cDNAライブラリーからOsANT1、OsANT2、OsANT3を単離した。3つのOsANTはANTと同程度のアミノ酸相同性を示し、特徴的なAP2 domain内でも相同性に大差はなかった。RT-PCRでは、OsANT1は葉身、OsANT2は初期胚と根を除く広い範囲で発現していたが、OsANT3はどの組織でも発現していなかった。in situハイブリダイゼーションにより、OsANT2が葉原基と珠皮原基で強く発現し、それらの器官の良いマーカーになることが分かった。

3.胚珠の原基分化を制御するOVULELESS遺伝子の解析

 イネカルス再分化集団から、胚珠が分化しないovuleless(ovl)変異体を得た。胚珠分化期、ovlでは野生型と同様に胚珠原基に似た突起がみられたが、以後の生長はみられなかった。胚珠原基状突起でOsMADS13が発現していたことから、この突起は胚珠原基であり、OVLには胚珠原基をパターン形成へと移行させる機能があると考えられた。

 またovlでは様々な程度で小穂器官が欠失していた。小穂分化期、ovlでは分裂組織が野生型より早く消失し、器官分化が停止していた。従って、OVLには生殖生長期に分裂組織を維持する機能があると考えられた。

4.珠皮の分化を制御するGYPSY EMBRYO遺伝子の解析

 イネMNU変異原処理集団から種子中の胚の位置が頂部へとずれるgypsy embryo(gym)変異体を得た。初期胚の位置もずれていたため、開花期の雌蕊を観察したところ、gymの胚珠はあまり屈曲せず、直生型に近くなっていた。それらの胚珠では卵細胞が花柱側へとずれており、gymでの胚の位置異常は卵細胞の位置異常に起因することが分かった。またそれらの胚珠では内珠皮の花柱側が十分に伸長せず、その伸長程度が胚珠の屈曲程度とよく一致していたため、内珠皮の伸長が胚珠の屈曲を制御すると考えられた。これはシロイヌナズナで外珠皮の伸長が胚珠の屈曲を制御することと異なり、珠皮の機能の多様性を示している。

 胚珠分化期、gymの花分裂組織、胚珠原基、珠皮原基の花柱側は野生型より大きくなっていた。それらの部位ではOSH1が異所的に発現し、逆にOsMADS13、OsANT2の発現が弱まっていたことから、gymでは花分裂組織の有限性が部分的に失われ、残存した未分化細胞が胚珠アイデンティティーの確立と正常な珠皮分化を妨げていると考えられた。また、花分裂組織が増大し花器官数が増加するfon2-3との二重変異体gym fon2-3では花分裂組織の有限性が失われ、心皮が大幅に増加していた。よってGYMとFON2は冗長的に花分裂組織の有限性を制御すると考えられた。

 以上、本研究は,イネの胚珠分化に関わる重要な遺伝子、変異体を同定するとともに、胚珠分化の制御機構を明らかにしたものであり,学術上、応用上価値が高い.よって,審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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