学位論文要旨



No 120133
著者(漢字) 目黒,直樹
著者(英字)
著者(カナ) メグロ,ナオキ
標題(和) 冠水ストレスに対するイネ科植物のミトコンドリア型アルデヒド脱水素酵素の役割
標題(洋)
報告番号 120133
報告番号 甲20133
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2816号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 教授 杉山,信男
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 助教授 中園,幹生
内容要旨 要旨を表示する

1. 植物の冠水抵抗性とミトコンドリア型アルデヒド脱水素酵素の発現との関連性について

 植物は、冠水時のエタノール発酵系の中途段階や、冠水解除後に出来るアセトアルデヒドの毒性により障害を受ける。この有毒なアセトアルデヒドを毒性の低い酢酸に換える反応を触媒するのがアルデヒド脱水素酵素ALDHである。ALDHは細胞質に存在するALDH1とミトコンドリアに局在するALDH2が存在するが、イネではALDH2が冠水解除後にアセトアルデヒドによって引き起こされる障害の緩和に関わると考えられている。そこで、冠水抵抗性の高いイネにおけるALDH2のこのような働きが、冠水抵抗性を持つ植物において普遍的であるのかどうかを調べるために、イネ科の冠水抵抗性の高い植物と低い植物について、ミトコンドリア型ALDH2遺伝子の発現の冠水応答性について解析した。トウモロコシについてはさらに詳細な解析を行い、イネとの比較を行った。

 冠水抵抗性の高いタイヌビエと冠水抵抗性の低いトウモロコシ、オオムギについて、mRNAの蓄積量を調査した。タイヌビエのALDH2aでは冠水前に見られなかったmRNAの蓄積が、冠水処理により増加し、冠水解除後には減少した。トウモロコシのALDH2a mRNAは冠水前には存在せず、冠水中には若干量増加し、冠水解除後もわずかに蓄積が見られた。オオムギのALDH2aは未同定であるため、他の植物のALDH2aの配列をプローブとして用いてノーザン解析を行ったが、mRNAは検出できなかった。ALDH2bは、タイヌビエ、トウモロコシ、オオムギともに、冠水前に見られていたmRNAの蓄積が、冠水により減少し、冠水を解除すると冠水前の水準に戻った。

 冠水中、冠水解除後に、タイヌビエ、トウモロコシ、オオムギのALDH2のタンパク質量がどのように変化するのかを調べた。タイヌビエにおいてはALDH2aとALDH2b がいつも一定の量で存在した。トウモロコシ、オオムギではALDH2のバンドは1本しか見られず、冠水により減少し、冠水解除後も冠水中のレベルと同等か冠水前のレベルに戻るという挙動を示した。トウモロコシとオオムギではALDH2a mRNAの蓄積量は非常に少なく、トウモロコシとオオムギのALDH2の発現パターンがイネのALDH2bの発現パターンと同じであったことから、トウモロコシ、オオムギのALDH2はALDH2bであると考えた。これらから、イネ、タイヌビエとトウモロコシ、オオムギの冠水抵抗性の違いは、ALDH2aが関与していると考えられた。

 イネにおいて、ALDH活性は冠水中は冠水前と同程度だが、冠水解除後2-4時間で3-4倍に増加する。また、冠水処理するとアセトアルデヒドは増加し、冠水解除後4時間目に減少し始める。そこで、トウモロコシの冠水中、冠水解除後のALDH活性の測定とアセトアルデヒドの定量を行い、イネと比較した。トウモロコシのALDH活性は、冠水により減少し、冠水解除後4時間で冠水前と同等のレベルにまで回復した。冠水前に少なかったアセトアルデヒドは冠水により増加し、冠水解除後もさらに緩やかに増加し続け、冠水解除後4時間目には冠水中の約2倍になった。

 これらから、冠水抵抗性の高いイネ、タイヌビエには、植物がアセトアルデヒドの障害を受ける冠水中、冠水解除直後において、冠水抵抗性の低いトウモロコシ、オオムギよりも多くのALDH2タンパク質、特にALDH2aタンパク質を蓄積させ、アセトアルデヒドの無毒化を促進していることが、冠水抵抗性を高めている一因になっていると考えられた。

 トウモロコシ植物体内に存在するALDH2は主にALDH2bであると推定される。ALDH2bもアセトアルデヒドによる障害を回避する役目を果たしていると考えられ、ALDH2bが欠損するとアセトアルデヒドによる障害を受けてしまうかどうかを確かめるために、トウモロコシのALDH2b(RF2A)変異体rf2a-m8904に冠水、冠水解除処理を行った。コントロールである自殖系統Ky21では冠水解除後24時間で多少の障害が葉身に認められる程度であったのに対し、rf2a-m8904では葉身全体が壊死した。また、アセトアルデヒドを定量したところ、rf2a-m8904では冠水前、冠水中、冠水解除後において一貫してKy21よりも多量のアセトアルデヒドが存在した。これらから、rf2a-m8904が冠水解除後に大きな障害を受けたのは、ALDH2bによるアセトアルデヒドの無毒化を短時間で行うことができなかったためと示唆された。よって、ALDH2bもアセトアルデヒドの無毒化に寄与していることが確かめられた。

 以上により、植物のアセトアルデヒドの無毒化には、ALDH2a、ALDH2bの両方が寄与しており、イネ、タイヌビエはALDH2aを持つことによりトウモロコシ、オオムギよりも冠水抵抗性が高いと考えられた。

2. イネ子葉鞘の伸長とミトコンドリア型アルデヒド脱水素酵素の発現との関連性について

 イネやタイヌビエでは、冠水条件下での発芽時には、子葉鞘という器官が伸長する。子葉鞘は物理的な障害から本葉を保護し、生育中の他の器官へ養分を供給する役割を果たす器官である。冠水中で伸長した子葉鞘においてもエタノール発酵系は活性化されており、エタノール発酵系の中間産物のアセトアルデヒドを酢酸に酸化するALDH2が、イネの冠水中、冠水解除時において発現が誘導され、イネの冠水抵抗性に関して重要な役割を果たすと考えられているため、イネ子葉鞘の伸長とALDH2の発現との関連性について解析を行った。

 イネ幼植物体で見られた冠水応答性がイネ子葉鞘においても見られるのかどうかを調べるために、冠水中、冠水解除後の子葉鞘におけるmRNAの蓄積量を調べた。ALDH2a mRNAは冠水中に十分量存在し、冠水解除により減少した。ALDH2b mRNAは冠水中の子葉鞘にはほとんど存在せず、冠水解除により増加した。冠水中、冠水解除後の子葉鞘からミトコンドリアタンパク質を抽出し、ALDH2タンパク質の蓄積量を調査した。冠水中の子葉鞘にはALDH2aが主に存在し、ALDH2bはほとんど存在しなかった。冠水を解除すると、ALDH2aは減少し始め、ALDH2bは増加した。

 ALDH2aと子葉鞘の伸長の関連を調べるために、ALDHの阻害剤を用いた実験を行った。まず、ALDHの阻害剤であるジスルフィラム(DSF)がイネのALDH2タンパク質のALDH活性を阻害することを確かめるために、イネALDH2a、ALDH2bタンパク質それぞれを高発現させた大腸菌から粗酵素抽出液を抽出し、DSFを作用させた後、アセトアルデヒドに対するALDH活性を測定した。ALDH2aはDSFにより強くALDH活性が阻害されたが、ALDH2bはALDH2aほど強くは阻害されなかった。次にDSF水溶液にて冠水した状態でイネを発芽させ、子葉鞘の伸長を調査した。子葉鞘の伸長はDSFの濃度依存的に抑制された。また、もう1つのALDHの阻害剤であるシアナマイド(Cya)水溶液にて冠水処理し、子葉鞘の伸長を調査した。Cya水溶液においてもCyaの濃度依存的に子葉鞘の伸長は抑制された。これらとALDH2タンパク質の蓄積パターンから、子葉鞘の伸長にはALDH2aが関わっていると考えられた。

 ALDH2がアセトアルデヒドを酢酸に酸化する際に、補因子としてNAD+が必要である。そこで、ミトコンドリア内で嫌気状態においてもNAD+が作り出される反応として、グルタミン酸脱水素酵素(NADH-GDH)が触媒する2オキソグルタル酸をグルタミン酸に変える反応に着目した。この反応は同時にNADHをNAD+に酸化する。データベースでイネGDH遺伝子の配列情報を検索したところ、イネのNADH-GDHはゲノム中に少なくとも3コピーが存在した。この情報を基に、冠水中、冠水解除後の子葉鞘におけるmRNAの蓄積量を調査した。その結果、2コピーのmRNAが冠水条件下の子葉鞘に蓄積しており、残り1コピーのmRNAは冠水解除後の子葉鞘に蓄積していた。GDHの触媒する反応は可逆的だが、嫌気状態の子葉鞘ではNAD+ができる方向に反応が進んでいること、冠水中の子葉鞘ではGDHの活性が増大することが知られており、これらと本研究での冠水条件下の子葉鞘におけるGDH mRNAの蓄積から、子葉鞘の伸長に、ALDH2の触媒する反応にNAD+を供給するという形で、GDHが関与している可能性が示唆された。

 本研究により、植物のアセトアルデヒドの無毒化には、ALDH2a、ALDH2bの両方が寄与しており、イネ、タイヌビエはトウモロコシ、オオムギでは蓄積していないALDH2aを持つことにより、より冠水抵抗性が高められていると考えられた。また、冠水条件下における発芽時のイネ子葉鞘の伸長に、ALDH2aが関与していることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では、イネ科植物の冠水抵抗性およびイネ子葉鞘の伸長にミトコンドリア型アルデヒド脱水素酵素が寄与するかどうかについて明らかにすることを目的として行ったものであり、2つの章から構成されている。

1. 植物の冠水抵抗性とミトコンドリア型アルデヒド脱水素酵素の発現との関連性について

 植物は、冠水時のエタノール発酵系の中途段階や、冠水解除後に出来るアセトアルデヒドの毒性により障害を受ける。この有毒なアセトアルデヒドを毒性の低い酢酸に換える反応を触媒するのがアルデヒド脱水素酵素ALDHである。ALDHは細胞質に存在するALDH1とミトコンドリアに局在するALDH2が存在するが、イネではALDH2が冠水解除後にアセトアルデヒドによって引き起こされる障害の緩和に関わると考えられている。そこで、冠水抵抗性の高いイネにおけるALDH2のこのような働きが、冠水抵抗性を持つ植物において普遍的であるのかどうかを調べるために、イネ科の冠水抵抗性の高い植物と低い植物について、ミトコンドリア型ALDH2遺伝子の発現の冠水応答性について解析した。トウモロコシについてはさらに詳細な解析を行い、イネとの比較を行った。

 冠水抵抗性の高いタイヌビエと冠水抵抗性の低いトウモロコシ、オオムギについて、mRNAおよびタンパク質の蓄積量を調査した。タイヌビエのALDH2aでは冠水前に見られなかったmRNAの蓄積が、冠水処理により増加し、冠水解除後には減少した。トウモロコシ、オオムギのALDH2a mRNAは冠水前には存在せず、冠水中には若干量増加し、冠水解除後もわずかに蓄積が見られた。タンパク質の蓄積量については、タイヌビエではALDH2aとALDH2b がいつも一定の量で存在した。トウモロコシ、オオムギではALDH2のバンドは1本しか見られず、冠水により減少し、冠水解除後も冠水中のレベルと同等か冠水前のレベルに戻るという挙動を示した。これらから、イネ、タイヌビエとトウモロコシ、オオムギの冠水抵抗性の違いは、ALDH2aが関与していると考えられた。

 トウモロコシの冠水中、冠水解除後のALDH活性の測定とアセトアルデヒドの定量を行い、イネと比較した。冠水抵抗性の高いイネには、植物がアセトアルデヒドの障害を受ける冠水中、冠水解除直後において、冠水抵抗性の低いトウモロコシよりも多くのALDH2タンパク質、特にALDH2aタンパク質を蓄積させ、アセトアルデヒドの無毒化を促進していることが、冠水抵抗性を高めている一因になっていると考えられた。さらに、ALDH2bの役割を明らかにするために、トウモロコシのALDH2b(RF2A)変異体rf2a-m8904に冠水、冠水解除処理を行った。野生型である自殖系統Ky21では冠水解除後24時間で多少の障害が葉身に認められる程度であったのに対し、rf2a-m8904では葉身全体が壊死した。また、アセトアルデヒドを定量したところ、rf2a-m8904では冠水前、冠水中、冠水解除後において一貫してKy21よりも多量のアセトアルデヒドが存在した。これらから、rf2a-m8904が冠水解除後に大きな障害を受けたのは、ALDH2bによるアセトアルデヒドの無毒化を短時間で行うことができなかったためと示唆された。よって、ALDH2bもアセトアルデヒドの無毒化に寄与していることが確かめられた。

 以上により、植物のアセトアルデヒドの無毒化には、ALDH2a、ALDH2bの両方が寄与しており、イネ、タイヌビエはALDH2aを持つことによりトウモロコシ、オオムギよりも冠水抵抗性が高いと考えられた。

2. イネ子葉鞘の伸長とミトコンドリア型アルデヒド脱水素酵素の発現との関連性について

 イネやタイヌビエでは、冠水条件下での発芽時には、子葉鞘という器官が伸長する。子葉鞘は物理的な障害から本葉を保護し、生育中の他の器官へ養分を供給する役割を果たす器官である。冠水中で伸長した子葉鞘においてもエタノール発酵系は活性化されており、エタノール発酵系の中間産物のアセトアルデヒドを酢酸に酸化するALDH2が、イネの冠水中、冠水解除時において発現が誘導され、イネの冠水抵抗性に関して重要な役割を果たすと考えられているため、イネ子葉鞘の伸長とALDH2の発現との関連性について解析を行った。

 イネ幼植物体で見られた冠水応答性がイネ子葉鞘においても見られるのかどうかを調べるために、冠水中、冠水解除後の子葉鞘におけるmRNAの蓄積量を調べた。ALDH2a mRNAは冠水中に十分量存在し、冠水解除により減少した。ALDH2b mRNAは冠水中の子葉鞘にはほとんど存在せず、冠水解除により増加した。冠水中、冠水解除後の子葉鞘からミトコンドリアタンパク質を抽出し、ALDH2タンパク質の蓄積量を調査した。冠水中の子葉鞘にはALDH2aが主に存在し、ALDH2bはほとんど存在しなかった。冠水を解除すると、ALDH2aは減少し始め、ALDH2bは増加した。

 ALDH2aと子葉鞘の伸長の関連を調べるために、ALDHの阻害剤を用いた実験を行った。まず、ALDHの阻害剤であるジスルフィラム(DSF)がイネのALDH2タンパク質のALDH活性を阻害することを確かめるために、イネALDH2a、ALDH2bタンパク質それぞれを高発現させた大腸菌から粗酵素抽出液を抽出し、DSFを作用させた後、アセトアルデヒドに対するALDH活性を測定した。ALDH2aはDSFにより強くALDH活性が阻害されたが、ALDH2bはALDH2aほど強くは阻害されなかった。次にDSF水溶液にて冠水した状態でイネを発芽させ、子葉鞘の伸長を調査した。子葉鞘の伸長はDSFの濃度依存的に抑制された。これらとALDH2タンパク質の蓄積パターンから、子葉鞘の伸長にはALDH2aが関わっていると考えられた。

 以上、本研究はイネ科植物の冠水抵抗性やイネ子葉鞘の伸長にミトコンドリア型アルデヒド脱水素酵素が寄与することを明らかにするとともに、将来的な冠水抵抗性作物の作出の可能性を示すことができ、学術上、応用上価値が高い。従って、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値があるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク