学位論文要旨



No 120134
著者(漢字) 馮,暁歌
著者(英字)
著者(カナ) フン,ショウカ
標題(和) 高等植物のミトコンドリア形態に関する研究
標題(洋)
報告番号 120134
報告番号 甲20134
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2817号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平野,博之
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 助教授 中園,幹生
 東京大学 助教授 高野,哲夫
内容要旨 要旨を表示する

ミトコンドリアは真核細胞にほぼ普遍的に存在している。生物は細胞呼吸によって、外界から取りいれた糖やタンパク質、脂肪などの栄養物質を酸化することにより生産したエネルギーをATPの形で細胞のさまざまな活動へと供給する。この過程は細胞内のオルガネラ-ミトコンドリア内で進行する。ミトコンドリア内では、クエン酸回路、電子伝達系、その他多様な代謝過程が行われる。またミトコンドリアは細胞へのエネルギー供給のほか、アポトーシス、細胞のストレス反応、老化、さまざまな遺伝病について鍵となる役割をしていることが徐々に明らかにされつつあり、注目されている。

 ミトコンドリアの構造は、内膜外膜の2種類の膜で取り囲まれており、これら代謝物質の透過障壁になるのは、ミトコンドリア内膜である。ここには各代謝産物のトランスロケーターがあり、必要に応じて輸送を行っていると考えられている。ミトコンドリア外膜は多くの代謝産物を自由に透過することができるため、低分子物質に限って言えば内膜と外膜の膜間空間は膜外空間と同一と見なされる。そしてミトコンドリアの"原形質"に相当する内膜に囲まれた区画は、ミトコンドリア・マトリックスと呼ばれる。ミトコンドリア内膜には、呼吸鎖電子伝達系の酵素群が存在し、またその内膜表面積を拡大するため、管状あるいは折りたたまれた膜になって、マトリックスに陥入している。ミトコンドリアのこのような構造の中で、百種類以上の酵素、DNA(ミトコンドリアゲノム)、 およびタンパク質合成に必要となる各種RNAが存在している。ミトコンドリアの多様な機能は、ミトコンドリア自身の構造とよく関連していることが明らかにありつつある。そのため、ミトコンドリアの構造や形態に関する研究が近年盛んに行われている。

 これまで、ミトコンドリア形態についての研究は主に出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)および哺乳類細胞を用いたものが中心となっていた。高等植物においてもミトコンドリアの形態はその機能とよく関連していることが予想される。しかしながら、出芽酵母あるいは哺乳類細胞のミトコンドリアの形態、動態、分配などに関する知見に比べて、高等植物に関する情報は極めて不足している。そこで、実験植物シロイヌナズナを用いて、ミトコンドリア形態に関する新規遺伝子を単離することを目標として、突然変異体のスクリーニングを試みた。

1.変異体のスクリーニング

 ミトコンドリアを可視化する目的で、ミトコンドリア移行シグナルを付加した緑色蛍光タンパク質(GFP)遺伝子を導入した形質転換シロイヌナズナを材料として用いた。この形質転換体は、GFPの蛍光により生きたまま容易にミトコンドリアを観察することができる。この系統にEMS処理を行い、この後代約19,000ラインのM2植物を用いて、スクリーニングを行った。播種後2−3週間の本葉を用いて、蛍光顕微鏡下で観察することによりミトコンドリアの形態異常株を探索した。その結果、17個体のミトコンドリア形態異常を示す変異体が得られ、それぞれ突然変異系統(ライン1 - 17)とした。

2.各変異系統のミトコンドリア形態以外の特徴

 ライン3、6、9、11において、草丈が野生型より若干小さかった。また、ライン6は、植物体地上部の色が薄緑であった。ライン4、10、14は、茎が赤みを帯びていた。M3世代での稔性は、ライン16は不稔になり、ライン17は非常に稔性が低かったが、それら以外は、野生型植物とほぼ同様であった。変異体の莢のサイズは、ライン1、3、4、5、6、10、11は、野生型とほぼ同様であり、ライン2、9、12、13、14、15、17は、野生型より小さくなり、ライン7、8は、野生型よりすこし大きくなった。

 発芽率は、ライン16、17は、野生型と比較して非常に低かった。ライン2、9、15は、ほぼ野生型の半分ぐらいであり、それ以外のものは、野生型とほぼ同様であった。

 変異体それぞれ16株ずつにおける開花までに要する平均時間を調査したところ、ライン6、11は野生型より非常に早かったが、ライン3、8、9、14、17 は、遅くなった。それ以外のものは、野生型とほぼ同様であった。

3.各変異系統のミトコンドリアの形態

  蛍光顕微鏡下で観察したミトコンドリアの形、サイズおよび細胞内での分布などは、系統ごとにそれぞれ異なっていた。共通の変化としては、以下二つの変化がみられた。野生型のミトコンドリアが直径0.5-2μmほどの粒状もしくは桿状で、数も非常に多いのに対して、突然変異系統では非常に長いもの(4-50μm)が多かった。また直径8μm程度の球状のミトコンドリアも同時に観察された。変異系統では、野生型と比較して細胞あたりのミトコンドリアの数が減少することが多かった。ミトコンドリアの形態は野生型植物体においても低酸素などの環境に応答して、また、組織や器官によってもその形態が著しく異なることが知られている。突然変異系統においても、観察する時期によってその形態に違いが観察され、同じ葉の中でも程度や様子に違いが観察されることがあったが、いずれも野生型のミトコンドリアとは明らかに異なる形態であった。

 ライン1、12、13は、植物生育の初期においては、ミトコンドリアが野生型より少し長い程度であるが、植物の生長にしたがってさらに長くなった。ライン6、10は逆に植物発育の初期におけるミトコンドリアのサイズが野生型より大変長かったが、植物の生長にしたがってミトコンドリアは短くなった。特にライン10は、生育後期にはほぼ野生型の形態と同様にまで戻った。

 ミトコンドリアが野生型よりも大変長く、そして植物発育の全過程中においてのサイズ、分布などに変化のないものは、ライン2、3、4、7、8、9、11、14、15、16、17であった。ただ植物の生長にしたがって、ライン2、4、7、8、14は、大きな球状のミトコンドリアが混ざり、ライン15では、網状につながったものが観察された。ライン5は、野生型よりも長いが、他の変異体のミトコンドリアよりも短かった。すべての変異系統は、野生型と交配したF2世代で変異型ミトコンドリアを持つ植物を分離した。

 正常なミトコンドリアの形態は、分裂と融合のバランスによって維持されているといわれている。酵母でも植物でも、ミトコンドリア分裂が阻害されて融合のみが起ることによって、ミトコンドリアが長大化する。酵母においては、ミトコンドリア融合に関わる遺伝子が破壊された場合は、融合はできないが分裂が起こり、小さな粒状の多数のミトコンドリアになると同時に、ミトコンドリアDNAも失うことが知られている。本研究で得られた突然変異体は、いずれも野生型よりも伸長したミトコンドリアを持つものであった。酵母において、ミトコンドリアの分裂と融合のバランスによってミトコンドリアの形態が維持されていることから推測すると、本研究でスクリーニングした変異体の原因遺伝子は、すべて分裂に関する遺伝子であり、その遺伝子の機能が阻害されたため、ミトコンドリアが伸長したと考えられる。

 高等植物のミトコンドリアは、酵母や哺乳動物と比較すると大変小さいのが特徴である。もしも融合に関する遺伝子が阻害された場合、さらに小さなものが得られる可能性はあると思われるが、野生型ミトコンドリアの形との区別は困難であると考えられ、今回は融合に関する変異体が見つかっていない。酵母の場合には、融合遺伝子が破壊されるとミトコンドリアゲノムの欠失が起こり、発酵によってのみ生育する。高等植物の場合、このようなミトコンドリアゲノムの欠失が起こると、好気呼吸がおこなわれなくなるため、生長できなくなる可能性もある。このように、ミトコンドリア融合遺伝子に関する突然変異体は致死となったため、本研究で用いた方法では変異体を獲得できなかった可能性も考えられる。

4.突然変異体原因遺伝子のマッピング

 得られた17系統の変異系統から7系統を用いて、遺伝子のマッピングを行った。その結果、4系統(ライン1、2、3、4)の原因遺伝子が4番染色体、3系統(ライン5、6、7)の原因遺伝子が5番染色体に座乗することがわかった。4番染色体に原因遺伝子を持つ4系統のうち3系統(ライン2、3、4)については、4番染色体の16,280〜16,500 Kbの領域にマップされた。この領域は、既にミトコンドリア分裂に関与することが報告されているダイナミン様タンパク質DRP3A(ADL2a)をコードする遺伝子が存在している16,200 Kbに極めて近い位置である。他の1系統(ライン1)は、4番染色体の9,600〜11,800 Kb領域に座乗していることがわかった。

 5番染色体にマップされた3系統のうち、1系統(ライン7)は5,940〜7,500Kbの領域、また2系統(ライン5、6)は7,500〜 8,800Kbの領域に原因遺伝子が座乗することがわかった。この領域の近傍には、シロイヌナズナを用いて同様の方法で単離されたミトコンドリア形態異常の遺伝子が既に報告されている。

 以上のように、本研究では7系統の突然変異遺伝子についてラフマッビングをおこなった。その結果、6系統についてはその原因遺伝子が既に報告されているシロイヌナズナのミトコンドリア形態に関する遺伝子と同一である可能性を否定できなかった。残りの1系統(ライン1)については、他の生物種で知られているミトコンドリア形態に関する遺伝子のホモログが、シロイヌナズナゲノム上のこの領域には存在しないので、全生物種においてはじめて見出した遺伝子である可能性が高い。

審査要旨 要旨を表示する

 ミトコンドリアは真核細胞にほぼ普遍的に存在し,クエン酸回路,電子伝達系,その他多様な代謝過程が行われる.またミトコンドリアは細胞へのエネルギー供給のほか,アポトーシス,細胞のストレス反応,老化,さまざまな遺伝病について鍵となる役割をしていることが徐々に明らかにされつつある.このようなミトコンドリアの多様な機能は,ミトコンドリア自身の構造とよく関連していることが酵母や哺乳動物細胞において明らかになるにしたがい,ミトコンドリアの構造や形態に関する研究が注目されてきた.高等植物においてもミトコンドリアの形態はその機能とよく関連していることが予想される.しかしながら,酵母あるいは哺乳類細胞のミトコンドリアの形態,動態,分配などに関する知見に比べて,高等植物に関する情報はほとんどないのが現状である.本論文では実験植物シロイヌナズナを用いて,ミトコンドリア形態に関する基礎的な知見を得るために突然変異を誘発し,その後代からミトコンドリアの分裂に関与すると思われる新規遺伝子を同定した.

1.変異体のスクリーニング

 申請者は,ミトコンドリアを可視化する目的で,ミトコンドリア移行シグナルを付加した緑色蛍光タンパク質(GFP)遺伝子を導入した形質転換シロイヌナズナを材料として利用した.この形質転換体は,GFPの蛍光により生きたまま容易にミトコンドリアを観察することができる. この系統にEMS処理を行い,この後代約19,000ラインのM2植物を用いて,スクリーニングを行った.播種後2−3週間の本葉を用いて,蛍光顕微鏡下で観察することによりミトコンドリアの形態異常株を探索した.その結果,17個体のミトコンドリア形態異常を示す突然変異系統(ライン1 ? 17)を得た.ミトコンドリアの形態異常となる突然変異株を得る目的で,ミトコンドリアを可視化した系統に対し突然変異を誘発した点は,非常に独創的である.

2.各変異系統のミトコンドリアの形態

 申請者は,得られたそれぞれの系統についてのミトコンドリアの形態を詳細に観察して,記録している.蛍光顕微鏡下で観察したミトコンドリアの形,サイズおよび細胞内での分布などは,系統ごとにそれぞれ異なっていた.共通の変化としては,以下二つの変化がみられた.野生型のミトコンドリアが直径0.5-2μmほどの粒状もしくは桿状で,数も非常に多いのに対して,突然変異系統では非常に長いもの(4-50μm)が多かった.また直径8μm程度の球状のミトコンドリアも同時に観察された.変異系統では,野生型と比較して細胞あたりのミトコンドリアの数が減少することが多かった.

 正常なミトコンドリアの形態は,分裂と融合のバランスによって維持されているといわれている.本研究で得られた突然変異系統は,すべてミトコンドリアが長大化しており,ミトコンドリア分裂が阻害されて融合のみが起ることによって,ミトコンドリアが長大化したものと考えられた.

 本論文では,ミトコンドリア形態異常を持つ系統の植物体の草型,稔性,開花に要する日数,発芽率等も同時に調べているが,ミトコンドリアの形態異常の程度と植物体のこれら植物体の表現型には大きな相関はなく,総じて野生型と大きな差異は認められなかった.

3.突然変異体原因遺伝子のマッピング

 さらに申請者は,得られた17系統の変異系統から7系統を用いて,原因遺伝子のマッピングを行った.その結果,4系統(ライン1,2,3,4)の原因遺伝子が4番染色体,3系統(ライン5,6,7)の原因遺伝子が5番染色体に座乗することがわかった.4番染色体に原因遺伝子を持つ4系統のうち3系統(ライン2,3,4)については,4番染色体の16,280〜16,500kbの領域にマップされた.この領域は,既にミトコンドリア分裂に関与することが報告されているダイナミン様タンパク質DRP3A(ADL2a)をコードする遺伝子が存在している16,200 kbに極めて近い位置である.他の1系統(ライン1)は,4番染色体の9,600〜11,800 kb領域に座乗していることがわかった.

 5番染色体にマップされた3系統のうち,1系統(ライン7)は5,940〜7,500 kbの領域,また2系統(ライン5,6)は7,500〜 8,800 kbの領域に原因遺伝子が座乗することがわかった.この領域の近傍には,シロイヌナズナを用いて同様の方法で単離されたミトコンドリア形態異常の遺伝子が既に報告されている.

 以上のように,本研究では7系統の突然変異遺伝子についてラフマッビングをおこなった.その結果,6系統についてはその原因遺伝子が既に報告されているシロイヌナズナのミトコンドリア形態に関する遺伝子と同一である可能性を否定できなかった.残りの1系統(ライン1)については,他の生物種で知られているミトコンドリア形態に関する遺伝子のホモログが,シロイヌナズナゲノム上のこの領域には存在しないので,全生物種においてはじめて見出した新規遺伝子である可能性が高い.

 以上本論文では,ミトコンドリアをGFPで可視化した形質転換シロイヌナズナに突然変異を誘発することにより,通常観察することが困難なミトコンドリアの形態変化を効率よく観察し,変異系統を作製した.さらに,一部の系統については,その原因遺伝子をマッピングし,座乗位置を決定した.その結果,少なくとも1個の遺伝子は,全生物種を通じて新規のミトコンドリア形態に関する遺伝子であることがわかった.これらの知見は,ミトコンドリアの分裂に関する基礎的知見を与えるとともに,ミトコンドリアの機能の人為的調節を考える際の基礎となるものであり,学術上また応用上,価値あるものである.したがって,審査委員一同は本論文が博士(農学)に値するものと認めた.

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