学位論文要旨



No 120135
著者(漢字)
著者(英字) Munyiri Florence Njeri
著者(カナ) ムニリ フロレンス ジェリ
標題(和) キボシカミキリPsacothea hilarisにおける発育と休眠の制御に関する研究
標題(洋) Studies on the control of development and diapause in the yellow-spotted longicorn beetle, Psacothea hilaris
報告番号 120135
報告番号 甲20135
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2818号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 石川,幸男
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 教授 富樫,一巳
 東京大学 教授 嶋田,透
 東京大学 教授 田付,貞洋
内容要旨 要旨を表示する

 不良な環境条件は昆虫の幼虫期における成長ならびにその蛹化・変態に大きな影響を与える.昆虫は不良な環境条件に対応するため様々な手段を進化させてきたが,その中で最も代表的なものとして発育休止(quiescence)と休眠(diapause)を挙げることができる.発育休止とはプログラムによらない発育の停止状態であり,不良な環境によって直接的に引き起こされる.一方,休眠はプログラムにもとづく自発的な発育の停止である.典型的な例として、冬の訪れを予期させる短日条件が多くの昆虫の休眠を誘導することが知られている.休眠状態の昆虫は一般に,不良な環境に対して強い耐性を示す.

 キボシカミキリPsacothea hilarisは極東に分布する甲虫で,日本ではクワやイチジクの害虫として知られている.環境ストレスが本種の幼虫発育、休眠、そして蛹化・変態に及ぼす効果を詳細に研究することは,本種の発育と変態を制御しているメカニズムを解明することにもつながると期待される.昆虫においては、幼若ホルモン(juvenile hormone,JH)とエクダイソンがその発育と休眠の制御に重要な役割を果たしていることはよく知られているが,このほか,JHエステラーゼは血中のJH濃度を低下させる作用を通してこの制御に間接的に関与している.本研究は絶食がキボシカミキリの幼虫発育と休眠、そして蛹化・変態に及ぼす効果を詳細に究明すること,そして,その効果を引き起こすメカニズムを生理学的および内分泌学的なレベルで明らかにすることを目的として行ったものである.また,この研究の基礎として、長日条件下での変態の開始および短日条件下での幼虫休眠の誘導に関する内分泌学的基盤についても究明している.

1.絶食による早熟変態が起きる体重の閾値

 キボシカミキリの4齢幼虫を種々のプログラムにもとづいて絶食状態におくことにより,変態のために必要な最低体重があるかどうかを調べた.4齢幼虫に自由に摂食させた場合,約半数の個体は13日間で5齢へと脱皮し,18日間の5齢幼虫期間を経て蛹化したが,残りの半数は24日間の4齢幼虫期の後,5齢を経ずに蛹化した.4齢への脱皮の直後に絶食状態においたところ,5齢幼虫へ脱皮する個体は皆無であり,ほとんどの個体が蛹化することなく死亡した.一方,4齢脱皮後1日間だけ摂食させたのち絶食させた場合は,47%の個体が4齢18日目に早熟蛹化した.蛹化する個体の割合は,摂食期間の増加に伴って上昇し,4日間摂食させた場合は97%に達した.これらの蛹からは,小型ではあるが形態的に正常な成虫が羽化した.絶食中の4齢幼虫の体重変化と蛹化率との関係を精査したところ,7または8日齢における体重が幼虫の運命決定に大きく関わっていること,そしてこの日齢における体重が180 mgを越えていることが変態への必要条件であることが示唆された.絶食状態のキボシカミキリにおける早熟蛹化の適応的な意義を,予測できない食餌条件下における生活史戦略という観点から考察した.

2.休眠に入るための体重閾値の存在

 上述のように,長日条件下ではキボシカミキリの幼虫は通常4齢もしくは5齢から蛹化するのに対し,短日条件下では幼虫脱皮を2〜3回繰り返したのち6齢〜7齢で休眠に入る.休眠に入るための体重閾値の存在の可能性を探るために,短日条件で飼育した4, 5, 6齢のキボシカミキリ幼虫を,脱皮当日または脱皮後4日目または脱皮後8日目から絶食状態においた.4齢への脱皮当日から絶食状態におかれた幼虫の60%が40日以内に死亡したが,それ以降のステージで絶食させらされた個体は全て40日後に生存していた.生き残った個体が休眠に入っているかどうかは,15日間の冷却(15℃)により休眠を覚醒し,その後25℃に戻した後に蛹化するかどうかで判定した.その結果,休眠している個体の割合は絶食状態に入るのが遅いほど高くなっており,5齢への脱皮当日から絶食させたものでは11%だったが,6齢の4日目ないし8日目から絶食させたものでは100%であった.絶食に入った時の体重とその個体の蛹化率の関係を詳しく分析した結果,540 mgより軽い個体は全く蛹化せず,690 mgより重い個体は全て蛹化したことが分かった.この結果は約600 mgに閾値が存在し,これより軽い個体は休眠に入ることが出来ないことを示唆している.以上の発見をキボシカミキリの生活史に照らして議論した.

3.変態と休眠の誘導に伴う内分泌環境の変化

 血中のJHIII濃度及びエクジステロイド濃度,そしてJHエステラーゼ活性の変動をi) その齢で蛹化することがわかっている幼虫,ii) 次齢以降に休眠に入ることがわかっている休眠前幼虫,そしてiii) その齢で休眠することがわかっている幼虫,について調査した.蛹化予定の5齢個体の血中JH濃度は脱皮直後の1.3 ng/mlから減少を続け,13日齢では検出限界以下にまで低下した.この時同時に,JHエステラーゼ活性は最大になった.エクジステロイド濃度に関しては,ガットパージが起こる前日にあたる8日齢に小さなピークが認められ,幼虫が前蛹化する2日前にあたる11日齢に大きなピークが認められた.この2つのエクジステロイドのピークは,それぞれ蛹化の運命決定づけ(コミットメント)と蛹化の誘起と関連していると考えられた.6齢以降で休眠に入ることが予定されている5齢幼虫では,JH濃度は最初の5日間は〜1.5 ng/mlに保持されていたが,その後上昇し,11日目でピーク(3.3 ng/ml)に達した.JHエステラーゼ活性は一貫して低いレベルに保たれていた.エクジステロイド濃度については,6齢への脱皮とほぼ同時期にあたる18日目に40 ng/mlという大きなピークがみられた.休眠に入ることが予定されている7齢幼虫では,JHは3日目に1.9 ng/mlを示したが,7齢に入ってから30日〜60日経過しても1.1 ng/ml程度のレベルが維持されていた.エクジステロイドは,測定期間中ずっと約0.02 ng/mlのきわめて低い濃度で維持されていた.以上の結果から,本種の休眠誘導にはJH濃度が高く,エクジステロイド濃度が非常に低いことが必要であることが示唆された.

4.絶食による早熟変態に伴う内分泌環境の変化

 絶食によって早熟変態が引き起こされるメカニズムを内分泌学的に明らかにするため,血中JH濃度及びエクジステロイド濃度を摂食期間と絶食期間の両方にわたって測定した.通常の摂食状態にある4齢幼虫は,JH及びエクジステロイド濃度の変動パターンにより2つのグループに分けることができた.第一グループでは13日間の摂食期間中、JH量は1.2 ng/mlから2.1 ng/mlという比較的高い値の範囲を変動した。第二グループでは,初期には第一グループと同様に高濃度を示したが,その後低下し続けて,13日目には0.1 ng/mlという低濃度になった.エクジステロイドに関しては,第一グループでは10日齢に43 ng/mlに達するピークを示したが,これは約半数の幼虫が5齢への脱皮をする時期(13日齢)とほぼ一致していた.第二グループでは,蛹化への運命を決定づける(コミットメント)と考えられる14 ng/mlの小さなピークが14日目にみられ,17日目には70 ng/mlの大きなピークが観察された.この2つ目のピークは約半数の個体が前蛹になる時期と一致していた.4齢幼虫を4日間の摂食ののち絶食条件下におくと,JH濃度は24時間で急激に減少し,以後、回復することはなかった.また、6日齢には小さいが有意なエクジステロイド濃度の上昇が見られ,11日齢には63 ng/mlの大きなピークが見られた.これらの結果から,絶食状態はJH濃度を速やかに低下させ,この刺激が一つ目の小さなエクジステロイドのピークを引き起こすことで幼虫の早熟変態が決定づけられている可能性が示唆された.

5.グルコースとスクロースの摂取は絶食による早熟変態を抑制するが,トレハロースは抑制しない

 絶食による早熟変態の誘導メカニズムを探るため,まず,絶食状態の幼虫の血中トレハロースとグルコースの濃度を測定した.4日間の摂食後に絶食状態においた幼虫(体重は閾値に達している)では,血中のグルコース濃度は24時間で4分の1に減少したが,トレハロースは一時的にわずかな減少を示したものの,その後著しく増加し,前蛹となる直前に最も高い値を示した.次に,様々な栄養素の摂取が絶食状態の幼虫の発育プログラムと血糖濃度に与える影響を調べた.スクロースまたはグルコースを8%含む寒天を与えたところ早熟変態は完全に抑制されたが,トレハロース,フルクトース,カゼイン,デンプンのいずれかを含む寒天を与えた場合は早熟変態を抑制することが出来なかった.グルコースまたはトレハロースを与えた場合はともに,血中のグルコース濃度は6分の1に急減し,トレハロース濃度は著しく上昇した.つまり,早熟変態を抑制する効果はグルコースとトレハロースの両者で全く異なるのにも拘らず,グルコースとトレハロースの摂取は,両方とも同様の血糖濃度の変化を引き起こすことが示された.グルコースの摂取は味覚器官によって認知され、脳に送られたこの情報に基づいて内分泌系が調節されている可能性が示唆された.

 以上,本研究は栄養摂取の制限がキボシカミキリの発育と休眠に及ぼす影響を詳細に明らかにするとともに,ほとんど報告がない甲虫類の変態や休眠にともなう内分泌活動の変動を明らかにし,さらには栄養摂取の制限が本種の内分泌系に及ぼす影響について究明したものである.

審査要旨 要旨を表示する

 キボシカミキリPsacothea hilarisは極東に分布する甲虫で,日本ではクワやイチジクの害虫として知られている.本研究は絶食がキボシカミキリの幼虫発育と休眠、そして蛹化・変態に及ぼす効果を詳細に究明すること,そして,その効果を引き起こすメカニズムを生理学的および内分泌学的なレベルで明らかにすることを目的として行ったものであり,5つの章から構成されている.

1.絶食による早熟変態が起きる体重の閾値

 キボシカミキリの4齢幼虫を種々のプログラムにもとづいて絶食状態におくことにより,変態のために必要な最低体重があるかどうかを調べた.4齢への脱皮の直後に絶食状態においたところ,ほとんどの個体が蛹化することなく死亡した.一方,4齢脱皮後1日間だけ摂食させたのち絶食させた場合は,47%の個体が4齢18日目に早熟蛹化した.蛹化する個体の割合は,摂食期間の増加に伴って上昇し,4日間摂食させた場合は97%に達した.絶食中の4齢幼虫の体重変化と蛹化率との関係を精査したところ,7または8日齢における体重が幼虫の運命決定に大きく関わっていること,そしてこの日齢における体重が180 mgを越えていることが変態への必要条件であることが示された.

2.休眠に入るための体重閾値の存在

 休眠に入るための体重閾値の存在の可能性を探るために,短日条件で飼育した4,5,6齢のキボシカミキリ幼虫を,脱皮当日または脱皮後4日目または脱皮後8日目から絶食状態においた.個体が休眠に入っているかどうかは,15日間の冷却(15℃)により休眠を覚醒し,その後25℃に戻した後に蛹化するかどうかで判定した.その結果,休眠している個体の割合は絶食状態に入るのが遅いほど高くなっており,5齢への脱皮当日から絶食させたものでは11%だったが,6齢の4日目ないし8日目から絶食させたものでは100%であった.絶食に入った時の体重とその個体の蛹化率の関係を詳しく分析した結果,540 mgより軽い個体は全く蛹化せず,690 mgより重い個体は全て蛹化したことが分かった.この結果は約600 mgに閾値が存在し,これより軽い個体は休眠に入ることが出来ないことを示している.

3.変態と休眠の誘導に伴う内分泌環境の変化

 血中のJHIII濃度及びエクジステロイド濃度,そしてJHエステラーゼ活性の変動をi) その齢で蛹化することがわかっている幼虫,ii) 次齢以降に休眠に入ることがわかっている休眠前幼虫,そしてiii) その齢で休眠することがわかっている幼虫,について調査した.蛹化予定の5齢個体の血中JH濃度は脱皮直後の1.3 ng/mlから減少を続け,13日齢では検出限界以下にまで低下した.エクジステロイド濃度に関しては11日齢に大きなピークが認められた.休眠予定の7齢幼虫では,JHは7齢に入ってから30日〜60日経過しても11 ng/ml程度のレベルが維持されていた.エクジステロイドは,測定期間中ずっと約0.02 ng/mlのきわめて低い濃度で維持されていた.以上の結果から,本種の休眠誘導にはJH濃度が高く,エクジステロイド濃度が非常に低いことが必要であることが示された.

4.絶食による早熟変態に伴う内分泌環境の変化

 通常の摂食状態にある4齢幼虫は,JH及びエクジステロイド濃度の変動パターンにより2つのグループに分けることができた.第一グループでは13日間の摂食期間中、JH量は1.2〜2.1 ng/mlという比較的高い値の範囲を変動した。第二グループでは,初期には第一グループと同様に高濃度を示したが,その後低下し続けて13日目には0.1 ng/mlという低濃度になった.エクジステロイドに関しては,第一グループでは10日齢に43 ng/mlに達するピークが,第二グループでは17日目に70 ng/mlのピークが観察された.4齢幼虫を4日間の摂食ののち絶食条件下におくと,JH濃度は24時間で急激に減少し,以後、回復することはなかった.また、11日齢には63 ng/mlの大きなエクジステロイドのピークが見られた.これらの結果から,絶食状態はJH濃度を速やかに低下させ,この刺激がエクジステロイドのピークを引き起こすことで幼虫の早熟変態が決定づけられている推定された.

5.グルコースの摂取は絶食による早熟変態を抑制する

 絶食状態の幼虫にグルコースを8%含む寒天を与えたところ早熟変態は完全に抑制されたが,トレハロースを含む寒天を与えた場合は早熟変態が抑制されなかった.早熟変態を抑制する効果はグルコースとトレハロースでこのように全く異なるのにも拘らず,グルコースとトレハロースの摂取は,両方とも血中グルコース濃度の急減と,血中トレハロース濃度の上昇を引き起こした.グルコースの摂取は味覚器官によって認知され、脳に送られたこの情報に基づいて内分泌系が調節されている可能性が示唆された.

 以上,本研究は栄養摂取の制限がキボシカミキリの発育と休眠に及ぼす影響を詳細に明らかにするとともに,変態や休眠にともなう内分泌活動の変動を明らかにしたものであり,学術上,応用上価値が高い.よって,審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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