学位論文要旨



No 120137
著者(漢字) 井上,晴彦
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,ハルヒコ
標題(和) イネ科植物の鉄獲得に関わる遺伝子群の3次元発現解析
標題(洋)
報告番号 120137
報告番号 甲20137
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2820号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 助教授 鈴木,義人
 東京大学 助教授 吉村,悦郎
内容要旨 要旨を表示する

第1章  序論

 鉄は全ての生物にとって必須の元素であり,植物は土壌から鉄をとりこむ。土壌中には鉄は豊富に存在しているが,石灰質アルカリ土壌のような中性からアルカリ性の土壌では,高いpHのために鉄がFe(OH)3の形態をとり土壌中に沈殿しているため,植物が利用しにくい。このように鉄の吸収が困難な土壌は,地球上の耕地面積の約3分の1を占めると言われている。鉄欠乏症が進むと,やがて植物は枯死に至り農業上深刻な問題となっている。

 イネ科植物はStrategy-IIと呼ばれる鉄獲得機構を持つ。イネ科植物は体内での鉄の要求性が高まると,根においてイネ科植物特有の三価鉄のキレート物質であるムギネ酸類を合成し,根圏に分泌する。分泌されたムギネ酸類は土壌中の不溶態鉄をキレートにより溶解する。溶解された鉄は,「Fe(III)-ムギネ酸類」錯体として固有のトランスポーターにより根で再吸収される。本研究室では,ムギネ酸類生合成に関わる遺伝子群を単離してきた。しかし,植物体内におけるムギネ酸類やその前駆体であるニコチアナミンの機能は詳細には明らかになっていない。これを明らかにするために,本研究ではニコチアナミン,ムギネ酸類合成に関与する遺伝子,さらに「Fe-ムギネ酸類」錯体,「Fe-ニコチアナミン」錯体を輸送するトランスポーター遺伝子が,時期特異的にどの組織で発現するかをイネを用いて三次元的に解析した。

第2章  デオキシムギネ酸生合成に関わる遺伝子の発現様式

 ニコチアナミンはムギネ酸類生合成の前駆体であるとともに,二価の金属イオンと安定な錯体を形成するキレート物質である。イネの全ゲノム上には,三つのニコチアナミン合成酵素遺伝子(OsNAS1,OsNAS2,OsNAS3)が存在し,これらの遺伝子産物はいずれも酵素活性を示した。ノーザン解析の結果,OsNAS1とOsNAS2の転写量は,鉄十分条件の根において少なく,鉄十分条件の地上部では検出されなかった。鉄欠乏条件では,地上部,根ともに転写量が著しく増大した。一方,OsNAS3は鉄十分条件の地上部で発現が観察され,根では弱い発現が観察された。さらにOsNAS3の転写量は,鉄欠乏条件においては,地上部で発現が抑制され,根で誘導された。すなわち,OsNAS3の発現パターンは,鉄栄養によって,地上部と根では異なる制御を受けていた。

 ニコチアナミンアミノ基転移酵素(NAAT)は,ニコチアナミンを基質としてケト体を生成する酵素である。NAAT遺伝子は,はじめにオオムギより二つ単離された。イネゲノムデータベースを検索すると,HvNAAT遺伝子と相同性の高い遺伝子が5つ見出された。これらのうちHvNAAT遺伝子と最も相同性の高いOsNAAT1遺伝子は全長1332bpであり,推定ORFは444アミノ酸残基であった。ノーザン解析を行うと,5つのOsNAATのうちOsNAAT1のみがイネの鉄欠乏条件の根,地上部において発現が強く誘導された。またOsNAAT1は鉄十分条件の根,地上部でも恒常的に弱い発現が観察された。大腸菌で発現させたOsNAAT1は,in vitroで酵素活性の測定を行うとNAAT活性を有していた。

 デオキシムギネ酸合成酵素(DMAS)は,NAATによって生成されたケト体を基質として,NADPH依存的に還元を触媒する酵素である。鉄欠乏および鉄十分条件のイネのマイクロアレイ解析により,イネの鉄欠乏誘導性遺伝子の一つとしてOsDMAS1を見いだした。この遺伝子はAldo-keto reductase superfamilyに属する還元酵素遺伝子である。OsDMAS1は全長1285bpであり,推定ORFは318アミノ酸残基であった。ノーザン解析を行うと,鉄十分条件の根で恒常的に発現していた。鉄欠乏条件では,根,地上部において著しく発現が誘導された。大腸菌で発現させたOsDMAS1は,in vitroで酵素活性の測定を行うと,DMAS活性を有していた。

さらに,OsNAS1,2,3,OsNAAT1,OsDMAS1の各プロモーター領域をレポーター遺伝子であるβ-グルクロニダーゼ(GUS)遺伝子に連結したコンストラクトを作成し,イネに形質転換して発現部位を解析した。OsNAS1とOsNAS2の発現部位は互いによく似ており,鉄十分条件において根の篩部伴細胞,原生導管に隣接する内鞘細胞で恒常的に発現していた。一方,鉄欠乏条件では,発現部位は根の全体へ広がった。OsNAS3は,鉄十分条件で地上部の篩部伴細胞で発現が観察され,根の篩部伴細胞と内鞘細胞でも観察された。鉄欠乏条件では,地上部で発現は抑制され,根で若干誘導された。OsNAAT1遺伝子は鉄十分条件の根,地上部において,内鞘細胞,篩部伴細胞で発現していた。鉄欠乏条件では,根と地上部の全ての組織で強い発現が観察された。OsNAAT1の発現様式は,OsNAS1,2の発現様式と似ていた。これら3つの遺伝子は,同じ細胞で働き,ムギネ酸類生合成を行っていると考えられる。さらに,これら3つの遺伝子が維管束で強く発現することから,ニコチアナミンまたはムギネ酸類が鉄の長距離輸送に関与していると考えられる。また,OsNAS1, 3, OsNAAT1遺伝子はいずれも種子登熟期にも発現していた。

第3章 「Fe(III)-デオキシムギネ酸」錯体を輸送する遺伝子(OsYSL15)の解析

 トウモロコシの「Fe(III)-ムギネ酸類」錯体のトランスポーター遺伝子(ZmYS1)に相同性が高い遺伝子をイネのゲノムデータで検索し,18個のホモログ(OsYSL)を見いだした。これらのうち,鉄欠乏条件の根で発現が強く誘導されるOsYSL15の解析を行った。OsYSL15は673アミノ酸残基からなり,14個の推定膜貫通領域を持っていた。OsYSL15とGreen Fluorescent Protin (GFP)との融合タンパク質を,タマネギの表皮細胞に一過的に発現させると,細胞膜へ局在した。プロモーター-GUS形質転換イネを用いて発現部位を解析した。鉄十分条件では,根の篩部伴細胞で弱く発現していた。鉄欠乏条件では,根の表皮細胞と外皮細胞で強く,篩部伴細胞においても強く発現した。さらに,種子登熟過程でも発現が見られた。OsYSL15が輸送する物質を調べるために,アフリカツメガエルの卵母細胞を用いて,電気生理学的な解析を行った。OsYSL15は「Fe(III)―デオキシムギネ酸」錯体を輸送した。

第4章 「金属―ニコチアナミン」錯体を輸送する遺伝子(OsYSL2)の解析

 18個のOsYSLのうち,鉄十分条件,鉄欠乏条件の根で発現が観察されず,鉄欠乏条件の地上部で発現が強く誘導されるOsYSL2に着目し,研究を進めた。OsYSL2は674アミノ酸残基からなり,14個の膜貫通領域を持っていた。OsYSL2とsGFPとの融合タンパク質は細胞膜へ局在した。プロモーター-GUS解析を行うと,鉄十分条件の根において篩部にOsYSL2の弱い発現が観察された。鉄十分条件の葉でも,維管束の篩部にOsYSL2は発現した。鉄欠乏条件の葉では,OsYSL2は全ての細胞で発現しており,特に篩部伴細胞で強い発現が観察された。また,OsYSL2は種子の登熟過程においても維管束を中心に発現した。OsYSL2が輸送する物質をアフリカツメガエル卵母細胞を用いて電気生理学的に解析した。OsYSL2は「Fe(II)―ニコチアナミン」錯体と,「Mn(II)―ニコチアナミン」錯体を輸送するが,「金属―ムギネ酸類」錯体を輸送しなかった。OsYSL2は生物界で初めて単離された「金属-ニコチアナミン」錯体トランスポーターである。OsYSL2はFe(II),Mn(II)の篩管輸送に関わっており,さらに,Fe(II)とMn(II)を種子へ集積させる重要な役割を担っていると考えられる。

第5章 OsFRDL遺伝子の解析

 シロイヌナズナの鉄栄養異常変異株から単離された遺伝子,AtFRD3に着目した。AtFRD3はMultidrug toxin and effluxファミリーに属し,低分子を体外に放出する機能を持つと推定されている。このイネのホモログは,ニコチアナミンまたはムギネ酸類の放出トランスポーターとして機能しているのではないかと考え研究を進めた。イネのゲノムには,AtFRD3遺伝子と相同性の高い遺伝子(OsFRDL)が4つ存在した。これらのうち3つOsFRDL1,OsFRDL2,OsFRDL3を鉄欠乏イネのcDNAライブラリーから単離した。OsFRDL1とsGFPとの融合タンパク質は細胞膜へ局在した。OsFRDL1は鉄十分と鉄欠乏の根で発現しており,地上部でも弱く発現していた。OsFRDL2は地上部,根ともに恒常的に発現していた。 OsFRDL3は地上部で発現しており,鉄欠乏により発現が若干誘導された。OsFRDL1のプロモーター-GUS植物の解析を行うと,OsFRDL1は鉄十分,鉄欠乏条件ともに維管束で発現していた。特に,篩部伴細胞での発現が強かった。さらに,OsFRDL1の発現は,種子の登熟期においても観察された。

審査要旨 要旨を表示する

 イネ科植物における鉄吸収機構におけるムギネ酸類の役割はよく知られているが、その前駆体であるニコチアナミン(NA)の植物体内における機能は詳細には明らかになっていない。NAはムギネ酸類生合成の前駆体であるとともに,二価の金属イオンと安定な錯体を形成するキレート物質である。本研究ではイネから、NA とイネの分泌するムギネ酸類であるデオキシムギネ酸(DMA)合成に関与する遺伝子,さらに「Fe-DMA」錯体,「Fe−NA」錯体を輸送するトランスポーター遺伝子を単離し,それぞれがどの組織でいつ発現するかを3次元的に解析することによって、イネ科植物における鉄獲得の分子機構を明らかにすることを目的にした。

 序論に続き,第2章ではDMA生合成に関わる遺伝子群をイネから単離し,その発現について解析した。イネから、3つのニコチアナミン合成酵素遺伝子(OsNAS1-3)を単離した。ニコチアナミンアミノ基転移酵素(NAAT)は,NAを基質としてケト体を生成する酵素である。オオムギの NAAT遺伝子と相同性の高い遺伝子5つをイネNAAT候補として単離した。DMA合成酵素(DMAS)は,NAATによって生成されたケト体を還元する酵素である。イネのマイクロアレイ解析により,新たに OsDMAS1候補遺伝子を見いだし単離した。上記の遺伝子の遺伝子産物は,それぞれ,NAS,NAAT,DMAS活性を有することを証明した。これらの遺伝子の各プロモーター領域をレポーター遺伝子である?−グルクロニダーゼ(GUS)遺伝子に連結したコンストラクトを作成し,イネに導入して発現部位を解析した。その結果,これら3つの酵素の遺伝子は,同じ細胞で働きDMA合成を行っていると考えられた。また,3種の酵素遺伝子がともに維管束で強く発現することから,NAまたはDMAが鉄の長距離輸送に関与していると推定された。

 第3章では,「Fe(III)−DMA」錯体を輸送する遺伝子(OsYSL15)の単離と解析を行った。トウモロコシの「Fe(III)−DMA」錯体トランスポーター遺伝子(ZmYS1)に相同性が高い18個のホモログ(OsYSL)をイネゲノム中に見いだし、これらのうち鉄欠乏の根で発現が強く誘導されるOsYSL15の解析を行った。OsYSL15は16個の推定膜貫通領域を持ち細胞膜へ局在した。プロモーター-GUS形質転換イネを用いて発現部位を解析したところ、鉄十分条件では根の篩部伴細胞で弱く発現し,鉄欠乏条件では,根の表皮細胞と外皮細胞で強く,篩部伴細胞においても強く発現した。アフリカツメガエルの卵母細胞を用いて電気生理学的に輸送基質を調べたところ, OsYSL15は「Fe(III)−DMA」錯体を輸送した。

 第4章では,「金属−NA」錯体を輸送する遺伝子(OsYSL2)を単離し解析した。18個のOsYSLのうち,鉄十分,鉄欠乏の根では発現が観察されず,鉄欠乏の地上部で発現が強く誘導されるOsYSL2に着目し研究を進めた。OsYSL2は14個の膜貫通領域を持ち細胞膜へ局在した。プロモーター−GUS解析を行うと,鉄十分の根において篩部にOsYSL2の弱い発現が観察された。鉄十分の葉でも,維管束の篩部にOsYSL2は発現した。鉄欠乏の葉では,OsYSL2は全ての細胞で発現しており,特に篩部伴細胞で強い発現が観察された。また,OsYSL2は種子の登熟過程においても維管束を中心に発現した。OsYSL2の輸送基質を卵母細胞を用いて解析した。OsYSL2は「Fe(II)−NA」錯体と,「Mn(II)−NA」錯体を輸送し,「金属−DMA」錯体を輸送しなかった。すなわちOsYSL2は生物界で初めて単離された「金属-NA」錯体トランスポーターである。OsYSL2はFe(II),Mn(II)の篩管輸送に関わっており,さらに,Fe(II)とMn(II)を種子へ集積させる重要な役割を担っていると考えられる。

 第5章では,シロイヌナズナの鉄栄養異常変異株から単離された遺伝子,AtFRD3のイネのホモログであるOsFRDL遺伝子の解析を行った。OsFRDLは、NAまたはDMAの放出トランスポーターとして機能しているのではないかと考え研究を進めた。イネのゲノムには,AtFRD3遺伝子と相同性の高い遺伝子(OsFRDL)が4つ存在した。OsFRDL1のプロモーター−GUS植物の解析を行うと,OsFRDL1は鉄十分,鉄欠乏条件ともに維管束で発現しており、特に篩部伴細胞での発現が強かった。以上,本論文ではイネの鉄獲得に関わる遺伝子群を単離し,その発現を詳細に解析することによって、イネ科植物の鉄獲得の分子機構の一端を明らかにしたものであり,学術,応用上貢献するところが少なくない。よって,審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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