学位論文要旨



No 120138
著者(漢字) 井上,宏隆
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,ヒロタカ
標題(和) アメリカザリガニの外骨格由来基質ペプチドの構造と石灰化における役割
標題(洋)
報告番号 120138
報告番号 甲20138
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2821号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 片岡,宏誌
 東京大学 助教授 吉村,悦郎
 東京大学 助教授 作田,庄平
内容要旨 要旨を表示する

 多くの生物はその細胞内外に鉱物を主成分とする硬組織を形成し、体の保持、外敵からの防御、ミネラルの貯蔵、平衡感覚の維持等に利用している。このように生物が鉱物を形成する現象をバイオミネラリゼーション(生鉱物形成作用)といい、それによって形成された無機鉱物をバイオミネラルと呼ぶ。このバイオミネラリゼーションは原核生物から哺乳類まで、生物において普遍的に見られる現象である。これらのバイオミネラリゼーションは単なる無機化学反応ではなく、生物により厳密に制御された反応であるが、その機構は不明な点が多い。これまでの研究から、バイオミネラルに含まれる少量の有機基質によってバイオミネラリゼーションが制御されていると考えられており、これらの有機基質が結晶の核形成の促進や抑制、結晶多形の選択、結晶成長の制御を行うことにより、人工では作り得ない高機能、高性能であり、精密な形を有する有機-無機複合体を形成すると考えられている。また、多くの水棲生物によって形成される炭酸カルシウムはCO2の固体への固定反応として、地球上の炭素循環に重要な役割を果たしている。

 近年、生化学的あるいは分子生物学的手法を用いて、様々な生物のバイオミネラルからそれらの形成に関与すると考えられる有機基質が単離、同定され、構造解析および機能解析が行われてきた。この中でも甲殻類の外骨格は炭酸カルシウムが沈着した代表的な石灰化組織である。外骨格の石灰化は個体の脱皮周期と連動しており、その過程においては脱皮前のカルシウムの吸収、貯蔵と脱皮後の再石灰化という上皮細胞を介した、他の生物にはない非常にダイナミックなカルシウムの移動が見られる。しかし、有機基質による炭酸カルシウムの核形成や成長制御、多形の選択などの分子機構はほとんど何もわかっていない。このような状況を踏まえて、筆者はアメリカザリガニを材料とし、その外骨格に含まれる石灰化に関与する有機基質を精製、単離し、構造解析および機能解析を行うことによって、外骨格の石灰化の分子機構を明らかとすることを目的とした。

1.外骨格基質ペプチドのクローニングおよび発現解析

筆者は修士課程において、アメリカザリガニの外骨格から基質ペプチドとしてcalcification-associated peptide(CAP)-1およびCAP-2を単離した(Fig.1)。どちらも酸性アミノ酸に富む構造を有しており、特にCAP-1はC末端領域にホスホセリンと連続したアスパラギン酸配列による高度に酸性化した領域を有する。また、分子中央部にキチンとの結合に関与していると考えられ、他の節足動物のクチクラタンパク質で保存されているRebers & Riddifordコンセンサス配列を有している。これらのペプチドはin vitroにおける初期の炭酸カルシウムの結晶形成を抑制し、キチンとの結合活性を有することから、外骨格の石灰化に重要な役割を果たしていると考えられている。そこで、これらのペプチドがin vivoにおいて石灰化に寄与している可能性を調べるために、これらのペプチドが発現する組織や脱皮ステージごとの発現解析、そして、CAP-1およびCAP-2についてin vitroでのさらなる機能解析を行うための組み換え体の作製を目的として、それぞれのペプチドをコードするcDNAをクローニングした。

 CAP-2においては、そのORFはシグナルペプチドとCAP-2ペプチド本体をコードしているのに対して、CAP-1ではシグナルペプチドとCAP-1ペプチド本体以外にCAP-1ペプチドのC末端に天然物ペプチドには存在しないArg-Lysをコードしていた。このジペプチドが存在している意味、切断される機構などはわかっていない。Northern hybridizationとRT-PCRの結果、CAP-1およびCAP-2は外骨格の石灰化が起こる脱皮後期特異的に、石灰化に関与する表皮組織において強く発現していることがわかった。以上の結果から、CAP-1およびCAP-2は脱皮後期の表皮組織で合成され、クチクラに分泌された後に、キチンと結合し、外骨格の石灰化に重要な役割を果たしていることが示唆された。

2.組み換え体および変異体ペプチドを用いた外骨格基質ペプチドの機能解析および高次構造解析

 得られた塩基配列の情報を基に、大腸菌を用いたCAP-1およびCAP-2の組み換え体(rCAP-1およびrCAP-2)、CAP-1関連ペプチド(rCAP-1-RK:rCAP-1のC末端にArg-Lysを付加、S70D:リン酸化されるべき70残基目のSerをAspに置換、ΔN:N末端17残基を削除、ΔC:C末端17残基を削除)の発現系を構築した。すべてのペプチドは誘導後の菌体破砕物の可溶性成分から回収され、2段階の逆相HPLCによって精製した。

 各種組み換え体のin vitroにおける炭酸カルシウム結晶形成阻害活性を測定した結果、ΔNおよびΔCの活性はそれぞれ天然物の約60%および50%であったことから、N末端およびC末端領域共に阻害活性に重要であることがわかった。またrCAP-1とS70Dの活性が約70%および80%であり、rCAP-2が天然物とほぼ同程度の活性であったことから、CAP-1の70残基目のリン酸基の重要性が示された。一方、rCAP-1-RKはrCAP-1と比較して活性が上昇したことから、天然には存在しないArg-Lysは初期の結晶形成に何らかの影響を与えていることが示唆された。

 次に、これらのペプチドのカルシウム結合活性を測定した。方法としてはペプチドをPVDF膜にドットプロットし、その膜を一定量の45Ca2+および10μMから50mMまでの濃度のCa2+を含む緩衝液中でインキュベートし、その放射活性を測定することによって結合量を算出した。すべてのペプチドは濃度依存的な結合を示し、Scatchard解析の結果、ΔCとrCAP-2以外はカルシウムに対して2つの結合様式を有していることがわかった。ΔCはrCAP-1と比較してカルシウムに対する親和性が低下し、rCAP-2ではその結合量が少ないことがわかった。以上の結果から、CAP-1のC末端領域がカルシウムに対する親和性および結合量の両方に重要であることがわかった。

 In vitroにおけるこれら2つの機能とペプチドの高次構造の関係性を明らかとするために、CDスペクトルとNMRスペクトルを用いてCAP-1の高次構i造の解明を試みた。CDスペクトルから、rCAP-1および変異体ペプチドはα-ヘリックスを含まない構造をしており、Ca2+の濃度依存的にスペクトルが変化することがわかった。また、ΔNではそのスペクトルが他のペプチドと比較して大きく変化したことから、CAP-1のN末端領域はペプチドの構造の維持に寄与していることが示唆された。NMRスペクトル解析を行うために大腸菌を用いて15NラベルしたrCAP-1を調製した。NMRスペクトルを測定したが、rCAP-1は溶液状態ではランダムな構造を有しており、その立体構造を解析することはできなかった。

3.CAP-1の発現制御機構の解明

 CAP-1は脱皮後期において特異的に発現していることから、その遺伝子の発現は特殊な機構により制御されていると考えられる。そこで発現に重要な領域を特定し、その機構を明らかとするためにCAP-1の上流領域約1.7kbpをルシフェラーゼ遺伝子に結合し、レポーターアッセイを行った。様々な長さの上流領域についてCOS7細胞に用いて解析を行った結果、コントロールと差がなかったことから、CAP-1の上流領域COS7細胞では機能しないことが示唆された。現在、昆虫細胞を用いて同様の実験を行うとともに、ザリガニ表皮の組織培養により、CAP-1の発現を解析している。

4.総括

 本研究により、CAP-1およびCAP-2は外骨格においてキチンと結合し、カルシウムと結合、濃縮することにより、炭酸カルシウムの核形成を誘導、結晶成長の制御を行うことにより、外骨格の石灰化に重要な役割を果たしていることが示唆された。今回得られた結果は外骨格の石灰化機構を考える上で極めて重要な知見を与えるものであり、さらには環境科学や材料科学などの分野への応用が期待される。

参考文献

Inoue,H.,Ozaki,N.and Nagasawa,H.(2001)Biosci.Biotechnol.Biochem.65,1840-1848.Inoue,H.,Ohira,T.,Ozaki,N.and Nagasawa,H.(2003)Comp.Biochem.Physiol.136B,755-765.Inoue,H.,Ohira,T.,Ozaki,N.and Nagasawa,H.(2004)Biochem.Biophys.Res.Commun.318,649-654.

Fig.1 CAP-1およびCAP-2のアミノ酸配列(*はホスホセリンを示す。)

審査要旨 要旨を表示する

 多くの生物はその細胞内外に鉱物を主成分とする硬組織を形成し、体の保持、外敵からの防御等に利用している。このように生物が鉱物を形成する現象をバイオミネラリゼーション(生鉱物形成作用)といい、それによって形成された無機鉱物をバイオミネラルと呼ぶ。このバイオミネラリゼーションは原核生物から哺乳類まで、生物において普遍的に見られ、生物により厳密に制御された反応であるが、その機構は不明な点が多い。これまでの研究から、バイオミネラルに含まれる少量の有機基質によってバイオミネラリゼーションが制御されていると考えられており、これらの有機基質が結晶の核形成の促進や抑制、結晶多形の選択、結晶成長の制御を行うことにより、人工では作り得ない高機能で高性能な有機-無機複合体を形成すると考えられている。本論文は、代表的なバイオミネラルのひとつであるアメリカザリガニの外骨格を対象にしてそこに含まれる基質ペプチドの構造と機能を調べたもので、序論と3章からなる。

 序論では、研究の背景と申請者が修士課程で行った研究、すなわちアメリカザリガニの外骨格から基質ペプチドとしてcalcification-associated peptide (CAP) -1およびCAP-2を単離し、その化学的性質について調べた結果について概説している。

 第1章では、これら2つのペプチドをコードするcDNAのクローニングと発現解析について述べている。CAP-2においては、そのORFはシグナルペプチドとCAP-2ペプチド本体をコードしているのに対して、CAP-1ではシグナルペプチドとCAP-1ペプチド本体以外にCAP-1ペプチドのC末端に天然物ペプチドには存在しないArg-Lysをコードしていた。Northern hybridizationとRT-PCRの結果、CAP-1および-2は外骨格の石灰化が起こる脱皮後期特異的に、石灰化に関与する表皮組織において強く発現していることから、CAP-1および-2は脱皮後期の表皮組織で合成され、クチクラに分泌された後に、キチンと結合し、外骨格の石灰化に重要な役割を果たしていることが示唆された。

 第2章では、組み換え体および変異体ペプチドを用いた外骨格基質ペプチドの機能解析および高次構造解析について述べている。得られたcDNAの塩基配列を基に、大腸菌を用いたCAP-1および-2の組み換え体(rCAP-1およびrCAP-2)、CAP-1関連ペプチド(rCAP-1-RK: rCAP-1のC末端にArg-Lysを付加、S70D:リン酸化されるべき70残基目のSerをAspに置換、ΔN: N末端17残基を削除、ΔC: C末端17残基を削除)の発現系を構築した。すべてのペプチドは誘導後の菌体破砕物の可溶性成分から回収され、2段階の逆相HPLCによって精製した。これらの組み換え体のin vitroにおける炭酸カルシウム結晶形成阻害活性を測定した結果、ΔNおよびΔCの活性はそれぞれ天然物の約60%および50%であったことから、N末端およびC末端領域共に阻害活性に重要であることがわかった。また、rCAP-1とS70Dの活性が約70%および80%であり、rCAP-2が天然物とほぼ同程度の活性であったことから、CAP-1の70残基目のリン酸基の重要性が示された。一方、rCAP-1-RKはrCAP-1と比較して活性が上昇した。

 次に、これらのペプチドのカルシウム結合活性を測定した。すべてのペプチドは濃度依存的な結合を示し、Scatchard解析の結果、ΔCとrCAP-2以外はカルシウムに対して2つの結合様式を有していることがわかった。ΔCはrCAP-1と比較してカルシウムに対する親和性が低下し、rCAP-2ではその結合量が少ないことがわかった。以上の結果から、CAP-1のC末端領域がカルシウムに対する親和性および結合量の両方に重要であることがわかった。

 In vitroにおけるこれら2つの機能とペプチドの高次構造の関係性を明らかとすることを試みた。CDスペクトルから、rCAP-1および変異体ペプチドはα-ヘリックスを含まない構造をしており、Ca2+の濃度依存的にスペクトルが変化することがわかった。また、ΔNではそのスペクトルが他のペプチドと比較して大きく変化したことから、CAP-1のN末端領域はペプチドの構造の維持に寄与していることが示唆された。大腸菌を用いて15NラベルしたrCAP-1を調製し、NMRスペクトルを測定したが、rCAP-1は溶液状態ではランダムな構造を有しており、その立体構造を解析することはできなかった。

 第3章では、CAP-1の発現制御機構の解析について述べている。CAP-1は脱皮後期において特異的に発現していることから、その遺伝子の発現は特殊な機構により制御されていると考えられる。そこで発現に重要な領域を特定し、その機構を明らかとするためにCAP-1の上流領域約1.7 kbpをルシフェラーゼ遺伝子に結合し、レポーターアッセイを行った。様々な長さの上流領域についてCOS7細胞に用いて解析を行った結果、コントロールと差がなかったことから、CAP-1の上流領域はCOS7細胞では機能しないことが示唆された。一方、ザリガニ表皮の組織培養系において、20-ヒロドキシエクジソンに一旦曝された後、それがなくなることによってCAP-1遺伝子が発現することがわかった。

 以上、本論文はアメリカザリガニの外骨格に含まれる2種類の微量ペプチドCAP-1および-2の構造機能相関解析、遺伝子解析、遺伝子発現解析、カルシウム結合解析、立体構造解析等を行い、外骨格の石灰化におけるこれらのペプチドの機能を推定したもので、バイオミネラリゼーション研究領域において基礎的、応用的にきわめて重要な知見を与えるものである。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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