学位論文要旨



No 120141
著者(漢字) 都築,稔
著者(英字)
著者(カナ) ツヅキ,ミノル
標題(和) 光合成細菌の塩ストレス応答に関する研究
標題(洋)
報告番号 120141
報告番号 甲20141
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2824号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 安保,充
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 篠崎,和子
内容要旨 要旨を表示する

 地球上の自然環境は極めて多様であり、生命が生きていくには過酷とも思える環境においても適応可能な生物がおり、その適応機構は非常に興味深い問題である。環境中の高塩濃度を感知して生育するために、細菌はいくつかの恒常的かつ誘導的な適応機構を有している。例えば、塩ストレスに応答して細胞内に低分子有機化合物(適合溶質)を蓄積することが知られている。一方、塩ストレス環境に適応するために働いているいくつかの誘導タンパク質に関する報告もなされている。しかし、シグナル伝達経路はもちろん、制御および適応機構全般に関しても未だに分かっていないことが多い。

 Rhodobacter sphaeroides (R. sphaeroides)はα-3subdivisionに属するグラム陰性細菌であり、極めて多様な環境で生育できることが知られている。好気条件では酸素呼吸により、嫌気条件では光合成をエネルギーとして生育することが可能である。塩ストレスへの適応としては、本菌は淡水より単離されたものの、培地NaCl濃度が4%(0.68M)まで生育が可能である。また、塩ストレスに応答してトレハロースを細胞内に適合溶質として蓄積することが知られている。一方、プロテオミクス解析により、塩ストレス条件下において、機能未知タンパク質SspAが顕著に発現されることが確認されている。遺伝子全長をクローニングしたものの、sspA遺伝子には高い相同性を有する遺伝子はなく、特徴的なドメインやモチーフも確認されなかったことから、塩ストレスに関与する新規遺伝子である可能性が示唆された。さらに、分画や配列を元にしたデータベース解析により、局在は外膜であることが予測された。外膜はグラム陰性細菌にとって外界と直接的に接触して物質輸送等を行なっている重要な構成要素である。そのため、塩ストレス応答機構の全容解明に向けたアプローチの中で、SspAの生体内機能を明らかにすることを研究の目的とした。

1.SspAの大量発現とポリクローナル抗体の作製

 機能未知タンパク質であるSspAの生体内での役割を解明するためには、発現条件、局在情報、相互作用タンパク質の解析など基本情報を一つずつ決定していく必要がある。そこで機能を探る一つの手段として、SspAのポリクローナル抗体の作製を試みた。抗原タンパク質として、sspA遺伝子を発現ベクターに組み込んだ後、大腸菌を宿主に発現させることにより組み換えタンパク質を得ることを考えた。精製方法は目的タンパク質であるSspAのN末端側にHisタグを発現させ、Niカラムによるアフィニティ精製を行なうことにした。

 組み換え質の発現はIPTGを添加してさらに30℃にて6時間培養をすることにより行なった。その結果、タンパク質は不溶性画分に検出されることが明らかになった。不溶性の封入体はグアニジンの添加によりほぼ全て可溶化した。

 可溶化した溶液はNiカラムを用いて精製した。その結果、組み換えタンパク質は溶出バッファーのpHが4.0の条件でほぼシングルバンドになるまで精製が成功した。最終的には10mlの培養菌体から2.5mgという大量のタンパク質が精製できたので、これを抗原としてポリクローナル抗体を作製した。

2.SspAの発現解析

 SspAのポリクローナル抗体の作製に成功したため、まずSspAがどのような条件で発現しているかをウェスタン解析した(発現条件解析)。次に、ストレス誘導後どのくらい経過してから発現しているのかを同じくウェスタンで解析した(発現時期解析)。

 その結果、各種ストレス源を変化させた発現条件解析により、SspAは嫌気光合成条件さらには好気暗条件においても、NaClやKClという塩ストレス条件下で高い発現量を示すことが確認された。また、他の条件下では高い発現量を示さなかったため、塩ストレス特異的に発現していることが示唆された。一方、発現時期解析により、SspAは嫌気光合成条件さらには好気暗条件においても、NaCl条件で培養を開始して6hrという培養の初期段階で発現していることが明らかになった。そのため、SspAは塩ストレスに応答して速やかに発現していることが見出された。

3.SspAの局在解析

 N-Lauroyl sarcosinateを用いた分画と配列を元にしたデータベース解析により、SspAの局在は外膜であることが示唆されている。SspAの機能を決定する一環として、作製した抗体を用いて正確な生体内局在決定を試みた。第一にショ糖密度勾配法による分画及びウェスタン解析を行なった。その結果、SspAは予想通り外膜に局在することが確認された。次に菌体にSspA抗体を結合させた後、二次抗体として金コロイドを結合させることにより電子顕微鏡で観察した。その結果、SspAは外膜の外側、すなわち塩ストレスを直接感受する細胞の最外殻に局在していることが確認された。

4.sspA遺伝子破壊株の作製と表現型観察

 さらにSspAの機能を明らかにするために、sspA遺伝子破壊株の作製を試みた。遺伝子破壊はconjugation法にて相同組み換えを起こすことにより行なった。取得した破壊株は、遺伝子周辺配列をシーケンスすることにより遺伝子の欠損を確認し、ウェスタン解析によりタンパク質レベルでも発現していないことを確認した。

 作製した破壊株がどのような表現型を示すかを確認するべく、野生株と比較解析することにより、sspA遺伝子が欠損した影響を観察した。

 第一に生育の変化を観察した。その結果、嫌気光合成条件においてはストレスの有無に関係なく生育の変化は見られなかった。一方、好気暗条件においてはいくつかの変化が観察された。最も目立ったのは、破壊株で見られた生育の抑制であった。破壊株はストレスのない条件下でも野生株と同程度まで生育することができなかった。加えて、塩ストレス条件下では全く生育することができなかった。

 第二に顕微鏡とフローサイトメータ(FACS)により菌体形状の変化を観察した。その結果、特徴的であったのが好気暗条件で破壊株に見られた菌体の凝集である。光学顕微鏡で観察したところ、NaClストレス条件下で大きな凝集体が観察された。同様の凝集体はKClによる塩ストレスでも観察された。この凝集体は培養開始から数時間という培養の初期段階で形成されることから、sspA遺伝子の欠損が直ちに菌体に重大な影響を与え、その結果生育抑制を引き起こしているのではないかと考えられる。

 さらに、破壊株はFACSによる解析や電子顕微鏡による観察において、塩ストレス条件下で菌体の内部構造が変化していることが観察された。そのため、SspAは何らかの形で細胞間相互作用や細胞保護に寄与している可能性が示唆された。

5.SspAと関連する因子の探索

 SspAの生理的な機能を明らかにすることを目指して、以下3種の手法を用いてSspAと関連する因子を探索した。

 第一に免疫沈降法を用いて、SspAと相互作用する可能性のあるタンパク質を探索したが、候補となるような結合タンパク質は検出されなかった。この結果から、SspAと相互作用するタンパク質は存在しないか、本法で同定できない非常に弱い相互作用しか有していないのではないかと考察された。

 第二に、他の菌株で塩ストレスセンサーであると示唆されているHistidine kinase遺伝子(Hiks)の配列を元に、相同性からSspAの上流因子の探索を試みた。ターゲットとした4種のHiksうち2種については破壊株の取得に成功した。しかし、ウェスタンで解析した結果、これらの遺伝子を破壊してもSspAの発現量に変化は見られなかったことから、共にSspAの上流因子である可能性は低いことが考察された。そのため、SspAは今回探索したシグナル伝達経路以外の経路で誘導されることが示唆された。

 最後に、塩ストレス応答における重要な役割が知られている適合溶質トレハロースとの関連性を探索した。トレハロース合成遺伝子を破壊することにより、トレハロースが細胞内に蓄積されていない状態でSspAの発現量に変化が生じているかどうかをウェスタンにより解析した。その結果、トレハロース蓄積の有無に関わらずSspAの発現量に変化は見られないことが明らかになった。一方、sspA遺伝子破壊株におけるトレハロース蓄積量も測定した。この際にも、野生株と比べて蓄積トレハロース量に変化が見られなかった。以上よりトレハロースとSspAの間に相関関係は低いことが確認された。

6.DNAマイクロアレイを用いた網羅的発現解析

 R. sphaeroidesの塩ストレス応答機構の全容解明のためには、sspA遺伝子を含めた全遺伝子の発現制御を網羅的に捉える必要がある。ここではゲノムプロジェクトが完了して、DNAマイクロアレイの解析も行なわれているRhodobacter sphaeroides 2.4.1株を用いて塩ストレス応答に対する発現解析を行なった。本実験の最も重要なポイントは、ストレス強度と誘導時間である。ストレス強度は0.25%(Low)と1.5%(High)NaClストレスという異なる濃度を採用することにより両者を比較解析した。一方、誘導時間に関してはNaClストレス誘導後7分と45分を採用した。これは7分においてNaClを感知する遺伝子群を、45分においてストレスに適応するための遺伝子群を捉えようと考えたからである。今回はまず嫌気光合成条件において実験を行なった。

 その結果、Low/NaClストレス添加後45分において122遺伝子が1.5倍以上発現量変化していることが見出された。このうち56遺伝子の発現が上昇しており、66遺伝子の発現が抑制されていた。特に適合溶質トランスポーターやトレハロース合成遺伝子と共に、sspAの発現上昇が観察された。また、全遺伝子の中でも相対的にsspAの発現量比は高いことが明らかになった。本実験でsspAのレギュロン遺伝子や塩ストレスのセンサー遺伝子を捉えることはできなかったものの、塩ストレス応答に関する新たな知見を得ることに成功した。

まとめ

 本研究により、機能未知タンパク質SspAの発現・局在情報やその欠損による影響を明らかにした。sspA遺伝子破壊株は好気暗条件で塩ストレスに対して感受性を示し、またその際に菌体の細胞内構造に変化が起きていることが観察された。さらに、破壊株は好気暗条件において塩ストレスの有無に関わらず菌体の凝集を示すことが見出された。そのため、SspAは細胞間相互作用や細胞保護に寄与しており、塩ストレス時に発現してその働きを強めているというのではないかと考えられる。

 塩ストレス条件下で遺伝子・タンパク質レベルで高発現する外膜タンパク質に関する報告はこれまでになく、本研究が細菌の塩ストレス応答機構を解明する一端を担うことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 地球上の自然環境は極めて多様であり、生命が生きていくには過酷とも思える環境においても適応可能な細菌が存在する。細菌はそのような厳しい自然環境下でも外的環境の変化に速やかに応答し、その環境に適応して生存している。これまでに、塩ストレスにより発現する遺伝子やタンパク質が多数同定されているものの、これらの遺伝子の誘導、あるいは抑制を含めた塩ストレス応答機構の全容は明らかになっていない。本論文は基礎生命科学研究としての立場から、塩ストレス条件で誘導が見出されたRhodobacter sphaeroides(R. sphaeroides)の機能未知タンパク質SspAの生体内機能を明らかにすることを目指して、種々のアプローチを試みたものである。

 1章の緒言では、これまでに知られている生物の塩ストレス応答機構に関して、細菌を中心に述べられている。また、本論文で使用しているR. sphaeroidesの特徴、およびSspAに関する基本情報を述べることにより、塩ストレス応答機構解明における研究の位置づけがなされている。

 2章は、機能推定の一つの手段として活用するSspAのポリクローナル抗体作製に関するものである。大腸菌を宿主にして、抗原となる組み換えタンパク質を作製することにより、抗原性の高い抗体を取得することに成功した。

 3章、および4章において、作製したポリクローナル抗体を用いてSspAの誘導条件、および局在情報をウェスタンや電子顕微鏡により解析した。ウェスタンによる誘導条件解析の結果、SspAはNaCl、KClというイオン性の塩ストレス条件下で特異的に誘導合成されることが明らかにした。一方、局在解析に関しては、ショ糖密度勾配法とウェスタンによる解析、および免疫電顕による解析によりSspAは外膜に局在していることをはじめて明らかにした。

 5章では、sspA遺伝子破壊株を取得して、その表現型観察を試みている。取得した破壊株がどのような表現型を示すかを観察するべく、大きく分けて3種類の観点から野生株と比較解析した。第一は生育の変化である。嫌気光合成条件においてはストレスの有無に関係なく優位な生育の変化は見られなかった。一方、好気暗条件においてはいくつかの顕著な変化が観察された。最も目立ったのは、破壊株で見られた生育の抑制であった。破壊株はストレスのない条件下でも野生株と同程度まで生育することができなかった。加えて、塩ストレス条件下では全く生育することができなかった。この結果から、SspAは好気条件で、より重要な役割を果たしていることが考えられた。第二に顕微鏡とフローサイトメータ(FCM)により菌体形状の変化を観察した。その結果、最も大きな変化であったのが、好気暗条件で見られたSSPA1の菌体凝集である。光学顕微鏡で観察したところ、NaClストレス条件下で大きな凝集体が観察された。この凝集体は培養開始から数時間という培養の初期段階で形成されることから、sspA遺伝子の欠損が直ちに菌体に重大な影響を与え、その結果生育抑制を引き起こしているのではないかと考えられる。さらに、破壊株はFCMによる解析により内部構造が変化していることが観察され、電子顕微鏡による観察において内部構造に何らかの変化が起こっていることが示唆された。

 6章ではSspAと関連する因子の探索も行なった。第一に免疫沈降法によりSspAと直接的に相互作用を持っているタンパク質の探索を試みた。しかし、結合タンパク質に関する情報を得ることはできなかった。第二に、他の菌株で塩ストレスセンサーであると示唆されているHistidine kinase遺伝子の配列を元に、相同性からsspAの上流因子の探索を試みた。しかし、ウェスタンで解析した結果、これらの遺伝子を破壊してもSspAの発現量に変化は見られなかったことから、sspAは今回探索したシグナル伝達経路以外の経路で誘導されることが示唆された。第三に、塩ストレス応答における重要な役割が報告されている適合溶質トレハロースとの関連性を探索した。トレハロース合成遺伝子を破壊することにより、トレハロースが細胞内に蓄積されていない状態でSspAの発現量に変化が生じているかどうかをウェスタンにより解析した。その結果、トレハロース蓄積の有無に関わらずSspAの発現量に変化は見られないことが明らかになった。一方、sspA遺伝子破壊株におけるトレハロース蓄積量も測定した。この際にも、野生株と比べて蓄積トレハロース量に変化が見られなかった。以上よりトレハロースとSspAの間に相関関係は低いことが示唆された。

 7章ではDNAマイクロアレイを用いて、塩ストレスに対する遺伝子発現レベルの変化を網羅的に解析している。これにより、sspAが全遺伝子の中で、どの段階でどの程度発現しているのかを決定しようと試みた。その結果、NaClストレス添加後45minにおいて、適合溶質トランスポーター遺伝子やトレハロース合成遺伝子と共に、sspAの顕著な発現上昇が観察された。また、全遺伝子の中でも相対的にsspAの発現量比は高いことが明らかになった。

 8章において、本研究のまとめ、および推測されるR. sphaeroidesの塩ストレス応答機構に関して述べられている。

 以上、本論文は機能未知タンパク質SspAの機能解析を行なうことにより、光合成細菌R. sphaeroidesの塩ストレス応答に関する新たな知見を得ることに成功している。本研究によりSspAの生体内での役割については明らかにすることができなかったものの、機能未知タンパク質SspAが塩ストレス条件下で特異的に誘導され、しかも好気塩ストレス下では本菌の耐塩性獲得メカニズムを解析する上で極めて重要かつユニークな足がかりとなったと考えられる。塩ストレス条件下で遺伝子・タンパク質レベルで高発現する外膜タンパク質に関する報告はこれまでになく、本研究が細菌の塩ストレス応答機構を解明する一端を担うことが期待される。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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