学位論文要旨



No 120142
著者(漢字) 徳山,孝仁
著者(英字)
著者(カナ) トクヤマ,タカヒト
標題(和) 細胞を用いた高感度マイクロバイオアッセイシステムの開発
標題(洋)
報告番号 120142
報告番号 甲20142
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2825号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 安保,充
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 宮脇,長人
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
内容要旨 要旨を表示する

緒言

 生命科学分野において、細胞を扱う実験は生命の複雑さを反映した応答を得る手段として欠かせないものであり、特に細胞を用いたバイオアッセイは、様々な分野で用いられている。さらに近年では医療、創薬などの分野を中心に希少な生物の細胞や個々の生命体固有の細胞など、少数しか存在しない細胞を用いた特異的かつ高効率高感度なアッセイが求められている。また、細胞が本来存在している空間的スケールや液流のある環境といった生体環境の再現も望まれている。しかし、現在のディッシュやマイクロタイタープレートを使用する系ではこれらの実現には限界があった。現在、この壁を越える新たなアプローチとして、数センチ角のチップ上に細胞保持部、培地や試薬を流す流路、あるいは有機反応部、検出部などを集積する、マイクロチップテクノロジーが世界的に注目されはじめている。細胞を用いた一連の実験系を高度に集積することにより、実験に使用する細胞や試薬量の少量化、アッセイ効率の向上など、実験系が飛躍的に効率化することが期待されている。

 マイクロチップ上での細胞を用いたバイオアッセイに求められる要素技術として、マイクロチップ上に細胞が活性を維持して保持できていること、細胞の様子が直接観察/観測できること、細胞放出物が測定できることが特に重要であると考えられる。また、細胞は、大きく接着細胞と浮遊細胞に分けることができ、それぞれの細胞系に重要な生体情報が含まれている。しかしこれまでマイクロチップ上に細胞を保持してのアッセイにおいて、細胞自身の接着力により流路内壁に固定可能な接着細胞が使用され、浮遊細胞を保持した例はほとんど無い。そこで本研究では、膜を用いて浮遊細胞をマイクロチップ上に保持する機構を開発し、細胞の直接観察、細胞放出物の高感度測定が可能なバイオアッセイシステムを構築した。さらに、そのままでは検出不可能な放出物を高感度検出可能な蛍光物質へ誘導体化する反応を集積することにより、汎用的な高感度高効率マイクロバイオアッセイシステムの開発を目指した。

マイクロチップの作製

 マイクロチップの基板材料として、光学分析を行うことから光学特性に優れていること、加工が容易であること、薬品耐性があることなどが求められる。そこで本研究ではシリコンエラストマーの一種であるポリジメチルシロキサン(PDMS)をチップ基板材料として使用した。ガラス基板上にフォトリソグラフによって高さ数十μmの凸型構造を作製し、PDMSの鋳型として用いた。さらに造形した複数のPDMSシートを積層することで三次元的流路構造を持つマイクロチップを構築した。送液はマイクロシリンジポンプを用いて行った。

細胞保持機構

 本研究ではPDMSが造形や接着が容易で、構造物を挟み込むことが可能な素材であることに着目し、マイクロチップ上に浮遊細胞を保持するための細胞保持機構をデザインした。PDMSの層と層の間に細胞が通過できない孔径のメンブレンを配置し、上層から下層へメンブレンを通過する縦の流路を設計した。さらにメンブレン上部に細胞が留まる空間を設けることで、フィルタリングによる細胞保持システムを完成させた。使用するメンブレンとして透明なものを選択することにより、細胞染色による評価など、倒立顕微鏡による観察が可能となる。実際に容量数百nl程度の円筒形細胞保持空間を持つマイクロチップを作製し、浮遊細胞である急性白血病細胞HL-60(直径10〜15μm)を細胞保持部に導入して細胞を観察した。培地を1μl/minで送液した結果、細胞が溶出することなく保持することに成功した。

 微小流路での送液においては、溶液の混合、液温の変化などわずかな環境の変化により気泡が発生し、細胞の活性や分析に悪影響を与える。特に本研究で用いる細胞保持機構の場合、一度混入した気泡を除去することは困難である。そこで、流路を親水処理し、流路に接する疎水性の気泡除去路を設けることにより、細胞保持空間の手前で気泡を除去する機構を開発した。本研究では流路のPDMS表面を血清で処理することで親水処理を行い、気泡除去路は酸素プラズマ処理をした後、フッ素樹脂(サイトップ、旭硝子)をコートした。これにより、数日以上の送液に耐えられる気泡除去機構が完成した。また比較的高濃度(20%)のFBSを含む培地を送液した場合においても、数回のアッセイに耐えることができた。

細胞生存活性/毒性試験チップ

 活性を維持した状態で浮遊細胞を保持し、アッセイ中の細胞自体の観察、および細胞溶出物をリアルタイム測定可能なバイオアッセイシステムの構築を目指した。ここでは細胞生存活性/毒性試験をマイクロチップ上に構築した。マイクロチップは図1のように、細胞保持部の上流に気泡除去部を持ち、下流において蛍光スペクトル測定が可能なフロー型のシステムとした。また、倒立顕微鏡で細胞の観察を行うため、細胞保持に使用するメンブレンは透明なものを使用した。細胞生存活性の測定は細胞内の酵素活性に応じて蛍光物質に還元されるレサズリンを培地に添加し、細胞保持部を通過した溶液の蛍光の増減を流路上で検出することによって行った。マイクロチップ上での検出において、小スケール化により検出部の容積は非常に小さくなる。このため検出には空間分解能が高く、高感度な検出器が必要となる。そこで、本実験では蛍光検出にはCCD検出器を接続した蛍光顕微鏡を使用した。このシステムを用いることにより、チップ内の細胞の生存活性をリアルタイムに検出することに成功した。さらに毒性物質添加時には、生存活性が低下していく様子を観察することが出来た。また、細胞がダメージを受けた後にCalcein-AM染色を行った結果、生細胞の減少をマイクロチップ上で直接観察することができた。これにより浮遊細胞を保持したバイオアッセイの構築に成功した。本システムは細胞試験で多くの場合に必要となる細胞の直接観察、培地中に放出された物質の測定などに利用できると考えられる。

ヒスタミン遊離/遊離抑制試験チップ

 一般的な細胞放出物測定では、上記レサズリンのように放出物質自体が蛍光を持つことは希である。このため多くの場合、放出物を測定可能な物質に誘導体化することが要求される。そこで、細胞の保持に加えて細胞放出物の誘導体化機構を集積したマイクロチップを開発した。ここでは、肥満細胞を保持し、刺激に応じて放出されるヒスタミンを蛍光誘導体化して測定できるマイクロチップ(図2)を作製し、ヒスタミン遊離/遊離抑制試験を行った。ヒスタミンは刺激に応じて肥満細胞から放出されるメディエータの一種で、アレルギー反応では中心的な役割を果たす。これを定量することにより、刺激物質のアレルギー性の程度を知るヒスタミン遊離試験を行った。また、抗アレルギー薬を共存させることによる応答の減少率を測定することによりドラッグスクリーニングに利用される、ヒスタミン遊離抑制試験を行い、構築したシステムの評価を行った。使用細胞として初代細胞であるラット腹腔肥満細胞(浮遊細胞)を用いた。肥満細胞をマイクロチップ内に保持し、これに刺激物質(C48/80)を作用させた。細胞保持部の下流となる層で、刺激に応じて遊離したヒスタミンをo-phthalaldehydeと混合することにより、特異的に蛍光誘導体化した。これを最下流で蛍光顕微鏡を用いて検出することにより遊離ヒスタミンのリアルタイム定量を行うことが出来た。さらに、抗アレルギー薬クロモグリク酸存在下でヒスタミンの遊離が抑制されることも検証でき、ドラッグスクリーニングにも使用できるシステムとなった。

 マイクロチップ上に本アッセイを構築したことにより、従来法に比べ使用細胞数にして1/20程度、アッセイ時間はおよそ半分に短縮させることができた。また、細胞が生存したまま細胞溶出液を有機反応に供することができるため、従来不可能であったリアルタイム測定を行うことに成功した。

結言

 本研究では、細胞のチップ内保持、細胞の直接観察、溶出物の誘導体化、検出といった、細胞を使用したバイオアッセイに要求される機能をマイクロチップ上に構築することに成功した。また、実際にマイクロチップ上に構築した高感度バイオアッセイシステムにおいて、従来法に比べ使用細胞数や試薬量の減少、アッセイ時間の短縮や作業工程の簡略化といった大幅な効率化を達成することができた。また、これらのシステムはフローシステムとして集積しているため、リアルタイム測定が可能であることも大きな特徴である。

 さらに、これまでマイクロチップ上に保持することができなかった浮遊細胞の保持を可能とした。接着細胞以外の細胞が利用できるようになっただけではなく、細胞種を選ばないアッセイにおいては、接着過程を必要としない浮遊細胞の利用により、作業の簡略化や試験時間の大幅な短縮が可能となる。

 本システムは目的に応じて細胞や反応系を変えることにより、様々なアッセイに応用できる。たとえば個々の患者由来のわずかな初代細胞を用いて、前培養なくアッセイが可能であると考えられることから、オーダーメイド医療などへの展開も期待される。

図1 細胞生存活性測定チップ

図2 ヒスタミン遊離試験チップ

審査要旨 要旨を表示する

 細胞応答を計測することにより、生物活性を持った物質を評価するシステムであるバイオアッセイは幅広い分野で用いられている。近年では少細胞数でのアッセイや迅速高効率なアッセイなどが求められているが、従来のウェルを用いたアッセイではこれらのニーズに対応するには限界があった。本論文はマイクロ空間を利用することにより、これらのニーズを満たす新しいシステムが完成するとの考えに基づいた、新規マイクロバイオアッセイシステムの開発に関する研究をまとめたもので、6章からなっている。

 第1章の緒言では、現在のバイオアッセイに要求されている点や問題点を明らかにし、その解決策として細胞を用いたバイオアッセイを行う空間をマイクロ化することが提案されている。またマイクロシステム化する上で必要な要素を検討し、細胞の保持および細胞の発したシグナルの評価系をマイクロチップ上に構築することによるマイクロバイオアッセイシステムの開発という指針を打ち出している。

 第2章では、バイオアッセイを行う上で、検出系も含めたマイクロチップシステムに要求される性能を検討し、基本的なマイクロチップシステムの構築を行った。ここではマイクロチップ基材や造形、検出システムなどについて検討を行い、PDMSを基材とした柔軟な設計が可能な、マイクロフルイディクスチップを得た。また検出システムとして空間分解能が高く、高感度検出を行うことのできる蛍光顕微鏡を採用し、検出器として波長分解機能をもつ冷却CCD検出器を接続して使用した。これにより直接観察と放出物測定をシームレスに行うことのできる、マイクロチップシステムの構築を行っている。

 第3章では、細胞を用いたバイオアッセイを行う上で基本となるマイクロチップ上への細胞保持法として、濾過膜を用いた新たなシステムを開発した。濾過膜をチップ層間に挟み込むことにより、フィルタリングにより細胞を流路上に保持するものである。これによって接着のための前培養を必要とせず、浮遊細胞も保持可能な細胞保持機構が構築できた。細胞の観察のために透明なスポンジ状濾過膜であるOmniporeを用いて白血病細胞HL-60(浮遊細胞)の保持を行った結果、細胞の濾過面積と流速を調整することにより、少なくとも数万以下の細胞を数時間に渡って生存したまま保持することに成功した。

 第4章では、前章で構築した細胞保持機構に加え、評価系を集積することによりバイオアッセイシステムをマイクロチップ上に構築した。評価系には直接観察による評価と放出物測定があると考え、それぞれCalcein-AMとEthidium homodimerによる生死細胞染色、レサズリンを用いた生存活性測定を行うことのできるバイオアッセイシステムを構築した。生死細胞染色においては、必要量の染色液を導入するだけで染色液と培地を連続的に交換できる染色システムの構築に成功し、染色された細胞を良好に観察することができた。生存活性測定においては流路上で蛍光測定を行い、細胞の数に応じた生存活性を測定することに成功した。得られたデータは従来型アッセイでは不可能であった、測定開始直後から拡散の影響をほぼ受けない経時測定値として得ることができた。少細胞数(500cells)使用時においてはアッセイ時間が十数時間から操作に必要な時間のみ(数十秒)へと数千分の一に短縮された。さらにこれらを基本的なバイオアッセイである毒性試験へ応用し、複合的な評価を行うことができる毒性試験マイクロチップを開発した。

 第5章では、より汎用的な利用が可能となるよう、化学反応を集積し、蛍光を持たない一般の放出物を蛍光誘導体化することにより高感度検出が行えるマイクロバイオアッセイシステムを開発している。ここではモデルとしてヒスタミン遊離試験をチップ上に集積し、チップ内に保持された初代肥満細胞が刺激を受けることにより放出するヒスタミンを、チップ上で蛍光誘導体化することによって検出を行うアッセイシステムを構築した。従来法に比べ使用細胞数は約1/1000に、アッセイ時間は1/2に短縮され、マイクロチップ化によって大幅な効率化を達成できた。また生物反応部は下流の化学反応部の影響を受けないため、従来では不可能であった反応開始直後からヒスタミン遊離の経時測定が可能となった。

 第6章では、本研究のまとめと今後の展望が述べられている。

 以上本論文は、従来型の細胞を用いたバイオアッセイでは限界のあった、少数の細胞を用いた、迅速高効率なアッセイを目指し、新規マイクロバイオアッセイシステムを開発したものであり、学術上、および実用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク