学位論文要旨



No 120143
著者(漢字) 平井,孝明
著者(英字)
著者(カナ) ヒライ,タカアキ
標題(和) 新規タンパク質リン酸化酵素PKCζIIの同定と機能解析
標題(洋)
報告番号 120143
報告番号 甲20143
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2826号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 助教授 久恒,辰博
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
内容要旨 要旨を表示する

 高等動物は発達した脳を持ち、認知、記憶、感情などの複雑な高次機能を有する。脳の多数の神経細胞同士は、シナプスを介した細胞間相互作用によって神経回路網を形成してこれらの高次機能を司る。機能的な神経回路網はいくつかの独立した段階を経て形成される。新生神経細胞は特定の位置へと移動し、目的の領域へ適切に神経突起を伸展させ、他の神経細胞とシナプスを形成する。神経細胞との間で形成されたシナプスは維持され、更に可塑的変化を受ける。各段階で重要なのは多様な細胞内情報伝達系を介して行われる神経細胞同士の情報交換である。従って高等動物の高次機能の仕組みを分子レベルで理解する上で、神経細胞における細胞内情報伝達機構の解明は必須と考えられる。

 重要な細胞内情報伝達分子の一つにプロテインキナーゼC(PKC)がある。PKCは脂質によって活性調節されるセリン/スレオニンキナーゼで、神経伝達物質や増殖因子などを介した情報伝達に関与している。PKCには10種類の分子種が存在し、構造上及び活性化機構の差異からcPKC(α、β、γ)、nPKC(δ、ε、η、θ)、aPKC(λ、ζ)の3群に分類される。中でも発生初期から中枢神経系において強く発現するのがζ分子種である(1)。上皮細胞や脂肪細胞を用いた研究によりPKCζが細胞極性形成や細胞内小胞輸送に関与することが示されている。しかし神経細胞でのPKCζの生理機能はほとんど不明である。また同定された当初から、脳では類似したmRNAが複数存在することが示唆されていることから、PKCζには未同定のサブタイプが存在すると考えられた。

 本研究では未知のPKCζサブタイプを同定し、初代培養系を用いて神経回路形成におけるPKCζの生理機能を検討した。更にPKCζ遺伝子欠損マウスを作製し、脳におけるPKCζの機能について分子レベルから個体レベルまで総合的に解析した。

1.新規PKCζサブタイプPKCζIIの単離と同定

 成体マウスの各組織おけるPKCζの発現を抗PKCζ抗体を用いて調べた。ほとんどの組織において相対分子質量75kDのPKCζ特異的なバンドを検出した。更に脳では50kDの特異的なバンドも検出した。この50kDのタンパク質は脳特異的に発現するPKCζサブタイプである可能性が考えられた。そこでPKCζ-cDNAをプローブとしてマウス脳cDNAライブラリーをスクリーニングしたところ、PKCζの触媒領域と同配列を持ち、上流側の制御領域とは異なる配列を持つクローンを得た。このクローンはPKCζの偽基質領域のエクソン上流に300bpの特異的配列を持っていたが、その中には開始コドンは存在しなかった。しかしPKCζにおける188番目のメチオニンから翻訳され得る配列を持っていたため、このcDNAをNRK細胞内で強制発現させたところ50kDのタンパク質が合成された。これは脳特異的に検出されたPKCζ低分子型バンドの50kDと一致した。更に特異的な配列を用いてノザン解析を行ったところ脳でのみ発現していた。そこでこのサブタイプ候補をPKCζIIとした(2)。粗精製したPKCζIIはPKCζの活性化因子であるホスファチジルセリン非存在下において活性化型PKCζと同等の酵素活性を示した。従ってPKCζIIはPKCζの触媒領域のみからなる分子質量が46,109の恒常的活性化型キナーゼであると考えられた。

 マウスPKCζ遺伝子の構造解析から、イントロン4の中にPKCζII特異的な単一エクソン(エクソン1')を見出した。エクソン1'の上流にはCRE配列が存在し、大脳星状膠細胞(CAGs)内で強いプロモーター活性が認められた。CREBを活性化したところ、PKCζIIのプロモーター活性は約30%上昇した。PKCζII-mRNAの発現はPKCζ-mRNAのスプライシングによらず、活性化型CREBによる転写調節により制御されると考えられた。

 PKCζ/ζII-mRNAの脳内発現分布を調べるために、成体マウスの脳切片を用いてin situハイブリダイゼーションを行った。PKCζは脳全体で弱く発現していたが、PKCζIIは前頭皮質、海馬、小脳プルキンエ細胞で強く発現していた。更に小脳顆粒細胞(CGNs)とCAGsを用いて細胞レベルでの発現分布を検討した。RT-PCR法によりPKCζII-mRNAはCGNsとCAGsの両方で検出された。一方ウエスタン解析ではPKCζIIの発現はCGNsでのみ認められた。従って神経細胞特異的な翻訳調節機構もしくは分解抑制機構によりPKCζIIの発現は調節されると考えられた。

 PKCζ/ζIIの細胞内局在を遠心分画法により検討した。PKCζはシナプス細胞質画分に多く検出され、核画分とシナプス膜画分にはほとんど検出されず、PKCα、PKCγの分画パターンと一致した。一方PKCζIIはシナプス膜を含むすべての画分においてほぼ均等に検出された。また海馬錐体細胞(HPNs)を用いたFLAGタグ融合タンパク質の強制発現系によりPKCζ/ζIIの細胞内局在を検討した。PKCζは細胞体、軸索、樹状突起、スパインに均一に検出され特徴的な局在を示さなかった。一方PKCζIIは細胞体、軸索、樹状突起に検出されたが、スパインには検出されなかった。シナプス膜画分にも検出されたことから、PKCζIIは細胞外刺激依存的に樹状突起からスパインへと局在変化する可能性が示唆された。

2.神経突起伸長、スパイン形成におけるPKCζ/ζIIの生理機能解析

 PKCζは細胞極性タンパク質Par3やPar6と複合体を形成し、Cdc42の活性制御を介してアクチン繊維の合成や細胞極性形成を制御することが知られている。そこでPKCζ/ζII及びドミナントネガティブ変異体PKCζ/ζII-KNをCGNsに導入し、神経突起伸長に与える影響を検討した。PKCζ導入細胞では約20%、PKCζII及びPKCζ-KN導入細胞では約40%突起伸長が阻害された。一方PKCζII-KN導入細胞では突起伸長は阻害されなかった。従って神経突起伸長においてPKCζはPar3/Par6との複合体を介してCdc42を正に制御している可能性が考えられた。またPKCζIIはPKCζとは異なる機構で神経突起伸長を負に制御すると考えられた。

 神経突起伸長と成熟ニューロンにおけるスパイン形成では類似の分子機構が存在するため、PKCζ/ζIIがスパイン形成に与える影響を検討した。培養5日目(DIV-5)のHPNsに遺伝子導入し、DIV-14に固定、染色により各遺伝子導入細胞のスパインの形態と密度を解析した。スパイン密度に有意な差はなかったが、PKCζII-KN導入細胞のみ細長いスパインの割合が高かった。従ってPKCζIIはスパインの成熟に必須と考えられた。

3.PKCζ遺伝子欠損マウスの作製と解析

 類似するPKCλの遺伝子欠損マウスが胚性致死となるため、PKCζ遺伝子欠損マウスはCre/loxP系を用いたコンディショナル法を用いて作製した。またPKCζとPKCζIIが別のプロモーターから転写されることから、活性中心であるATP結合サイトのエクソン8とエクソン9を標的とした。発生工学的に作製したキメラマウスからPKCζ/ζII+/floxマウスを得た後、全身でCreを発現するトランスジェニックマウスとの交配によりPKCζ/ζII-/-マウス(PKCζ/ζIIKOマウス)を得た。PKCζ/ζIIKOマウスはメンデルの法則による期待値通りに発生し、外見、行動、生殖能などに異常は認められなかった。また脳を含め主要なPKCζ発現組織に構造上の異常は認められなかった。

 胚性16.5日目の野生型マウス及びPKCζ/ζIIKOマウスのHPNsを培養し、神経突起長を計測したが有意な差はなかった。しかしPKCζ/ζIIKOマウス由来HPNsは野生型に比べて極性形成が正常な細胞の割合が低かった。またDIV-14、DIV-21の各細胞におけるスパイン密度に差はなかった。しかしPKCζ/ζIIKOマウス由来細胞では野生型に比べて未成熟なスパインの割合が高かった。

4.まとめ

 本研究では脳特異的に発現する恒常的活性化型キナーゼPKCζIIを同定した。一般的にこのようなキナーゼは細胞内で分解されやすいため、神経細胞特異的に発現しPKCζIIの活性を抑制する分子が存在すると予想される。候補としてPKCζIIに特異的に相互作用するKIBRAを見出している。KIBRAのPKCζIIに対する作用機構を検討することで、PKCζIIが神経細胞特異的に機能する仕組みが解明できると思われる。

 更にPKCζIIの生理機能として神経突起伸長とスパイン成熟に関与することを明らかにした。Par3/Par6との複合体を介してCdc42を正に制御することでPKCζは神経突起伸長を促進する。一方、PKCζIIは未知の機構によって神経突起伸長を抑制することが示唆された。最近PKCζIIはAMPA受容体を介して長期増強を維持し、ショウジョウバエでは記憶を増強することが報告された。また、静止シナプスにLTPを誘導するとAMPA受容体の後シナプス膜への挿入にともなうスパイン成熟を引き起こすことが知られている。スパイン成熟が必須である前頭皮質、海馬、小脳プルキンエ細胞においてPKCζIIが強く発現していたことからも、PKCζIIはAMPA受容体の膜輸送を促進することでスパイン成熟を正に制御している可能性が考えられた。現在のところスパイン成熟が個体の高次機能に与える影響はほとんど不明である。本研究で得られたPKCζ/ζIIKOマウスを用いた動物行動解析などを通して、スパイン形成を中心とした神経細胞の構造と個体の高次機能との関係を解明できると思われる。

(1)Hirai T. and Chida K. J. Biochem. 133, 1-7, 2003.(2)Hirai T., Niino Y. S. and Chida K. Neurosci. Lett. 348, 151-154, 2003.
審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、脳神経のシナプス形成を細胞内シグナル伝達分子プロテインキナーゼC(PKC)の機能解析から論じたものである。PKCは脂質によって活性調節されるセリン/スレオニンキナーゼで10種類の分子種が存在する。中でもζ分子種は発生初期から中枢神経系において強く発現するが、その生理機能はほとんど不明である。脳ではPKCζ類似のmRNAが知られ、未同定のサブタイプの存在が示唆されていた。本研究では新たなPKCζサブタイプを同定し、初代培養系を用いて神経回路形成におけるPKCζの生理機能を検討した。更にPKCζ遺伝子欠損マウスを作製し、脳におけるPKCζの機能について分子レベルから個体レベルまで総合的に解析した。論文は序論に続き、二章および総括で構成されている。

 序論では、高等動物の認知、記憶、感情などの複雑な高次機能を司る脳について概説し、シナプスを介した細胞間相互作用による神経回路網形成と多様な細胞内情報伝達系を介して行われる細胞同士の情報交換が、脳を理解する上で最も重要と説いている。高等動物の高次機能の仕組みを分子レベルで理解するために、脳特異的に発現するシグナル伝達分子の機能解析の重要性を強調し、本研究の目的を明確に述べている。

 第一章は、新規PKCζサブタイプPKCζIIの単離と同定について論じている。成体マウスでのPKCζの発現を抗体を用いて調べたところ、脳特異的にPKCζよりも低分子のタンパク質を発見した。マウス脳cDNAライブラリーから、PKCζの触媒領域と同配列を持ち、上流側の制御領域とは異なる配列を持つクローンを得た。このcDNAをNRK細胞内で強制発現させたところ50kDのタンパク質が合成され、脳のPKCζ低分子型バンドと一致したため、PKCζIIとした。PKCζIIはホスファチジルセリン非存在下において活性化型PKCζと同等の酵素活性を示し、触媒領域のみからなる恒常的活性化型キナーゼであることを明らかにした。

 マウス脳切片を用いたin situハイブリダイゼーションの結果、PKCζが脳全体で発現しているのに対して、PKCζIIは前頭皮質、海馬、小脳プルキンエ細胞で発現していた。RT-PCR法により、PKCζII-mRNAは小脳顆粒細胞(CGNs)とCAGsの両方で検出された。一方PKCζIIタンパク質はCGNsでのみ認められた。神経細胞特異的な翻訳調節もしくは分解抑制機構によりPKCζIIの発現が調節されることを示した。

 PKCζはシナプス細胞質画分に多く検出されるが、PKCζIIはシナプス膜を含むすべての画分においてほぼ均等に検出された。海馬錐体細胞(HPNs)においては、PKCζは細胞体、軸索、樹状突起、スパインに均一に検出され特徴的な局在を示さなかった。一方PKCζIIはスパインには検出されず、シナプス膜画分に検出されたことから、細胞外刺激依存的に樹状突起からスパインへと局在変化することが示唆された。

 第二章では、神経突起伸長、スパイン形成におけるPKCζ/ζIIの生理機能について論じている。PKCζ/ζII及びドミナントネガティブ変異体PKCζ/ζII-KNをCGNsに導入し、神経突起伸長に与える影響を検討した。PKCζ、PKCζII及びPKCζ-KN導入細胞では突起伸長が阻害されたが、PKCζII-KN導入細胞では阻害されなかった。PKCζIIはPKCζとは異なる機構で神経突起伸長を負に制御すると考えられた。また、PKCζ/ζIIがスパイン形成に与える影響を検討した結果、PKCζII-KN導入細胞のみ細長いスパインの割合が高かった。従ってPKCζIIはスパインの成熟に必須と考えられた。

 PKCζ遺伝子欠損(KO)マウスはメンデルの法則による期待値通りに発生し、外見、行動、生殖能などに異常は認められなかった。また脳を含め主要なPKCζ発現組織に構造上の異常は認められなかった。しかしPKCζ/ζIIKOマウス由来HPNsは野生型に比べて極性形成が正常な細胞の割合が低かった。またPKCζ/ζIIKOマウス由来細胞では野生型に比べて未成熟なスパインの割合が高かった。

 総括として、PKCζIIの神経細胞特異的に機能する仕組みを考察し、スパイン形成と成熟過程の関係を論じている。スパイン成熟が必須である前頭皮質、海馬、小脳プルキンエ細胞において強い発現を根拠に、PKCζIIがAMPA受容体の膜輸送を促進することでスパイン成熟を正に制御するモデルを提起している。

 以上、本論文はPKCζ/ζIIが神経細胞のスパイン形成と成熟に関与することを明らかにしし、学術上の貢献は少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク