学位論文要旨



No 120144
著者(漢字) 金,永千
著者(英字)
著者(カナ) キム,ヨンチョン
標題(和) シロイヌナズナの種子成熟過程におけるジベレリンの生理機能解析
標題(洋)
報告番号 120144
報告番号 甲20144
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2827号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 助教授 鈴木,義人
内容要旨 要旨を表示する

 ジベレリン(GA)は種子の発芽や茎部伸長など高等植物の様々な生理現象に関与する。特に、穀類種子の発芽過程では、胚で生合成されたGAが糊粉層へ移動し、α-アミラーゼ等の加水分解酵素遺伝子の発現を誘導し、胚乳中のデンプン分解に寄与することが広く知られている。それに加えて近年、茎部伸長におけるGA応答系に関しても、主に遺伝学的・分子生物学的な解析によりGAシグナルの伝達に関与する幾つかの因子が特定され、伝達経路の全容が明らかになりつつある。一方、ヒルガオ科やマメ科など一部の双子葉植物では、種子の成熟過程で高濃度のGAが種子中に蓄積することが古くから知られているがその役割については不明な点が多い。中山らにより、ヒルガオ科に属するアサガオの種子を対象として組織化学的解析が行われ、GAの局在部位ならびにGA生合成酵素遺伝子の発現部位が特定され、GAはα-アミラーゼの誘導を介して未熟種子内に存在するデンプン粒の分解に関与することを示唆する結果が得られている。

 本研究では、既にゲノム解析が終了して遺伝学的・分子生物学的な解析をより有利に展開することが可能なシロイヌナズナ種子を研究対象に据えて、(i)アサガオ種子を用いて観察された事象を双子葉植物に普遍的なものとしてシロイヌナズナ種子においても確認されるか否か、さらに(ii)変異体を用いた実験を行うことにより、一層確度の高い結論を導くこと、(iii)シロイヌナズナ種子特有の、あるいはアサガオ種子では観察し得なかった新たな事象の発掘を目的として、研究を展開した。

1.種子成熟過程におけるGA生合成酵素遺伝子の発現状況の把握

 当初はアサガオ種子に対して用いたアプローチと同様、種々の成熟度のシロイヌナズナ種子を調製してその内生GAの定量分析あるいは免疫組織化学を計画した。しかし、GA内生量は極微量であり免疫組織化学的にGAの局在部位を特定することは不可能であった。そこで、GA生合成酵素遺伝子、未熟種子で発現するものを探し、in situハイブリダイゼーションによりそれらの発現部位を特定することでGA存在部位とほぼ等価と考え得る情報の入手を計画した。すなわち、GA生合成酵素のうち、特に活性型GAの生産に直接関与する3-oxidase遺伝子(AtGA3ox,4種)およびその直前の前駆体生合成に関与するC20-oxidase遺伝子(AtGA20ox,4種)に着目して公開配列情報を参考にそれぞれの特異的プライマーを設計し、種子を含む莢(長角果)全体を対象としてRT-PCRによる8クローンの一斉発現解析を行った。その結果、AtGA20ox2,AtGA20ox3,AtGA3ox1,AtGA3ox4の各々について長角果における発現を認めた。さらに、成熟後期の長角果を種子・胎座・莢の3つに解剖して上記遺伝子の発現状況を調べたところ、AtGA3ox1のみ胎座で主に発現しており、残る3クローンとも種子が主な発現部位であることが明らかとなった。これら3クローンについて、成熟度の異なる長角果を用いて発現に関する時期特異性を検討したところ、いずれも成熟中期の5〜9DAP(Day after pollination)に発現量の上昇が認められその時期に内生GA量が増大すると予想される結果を得た。

 種子におけるGA生合成に寄与すると考えられるAtGA20ox2,AtGA20ox3,AtGA3ox4を対象としてin situハイブリダイゼーションを行ったところ、最も発現レベルの高いAtGA20ox3に関してのみ特異的な染色を種子の外層を形成する「珠皮」内に認めた。検出感度の向上に向けた最適化を検討し、AtGA20ox2,AtGA3ox4の2クローンのシグナルも検出可能となった。なお、染色の特異性に関する評価のために、通常のsenseプローブ処理区に加え、過剰量の非標識senseプローブをantisenseプローブと共存させた区を設定した。その結果、AtGA20ox2,AtGA3ox4の両クローンはAtGA20ox3と同様「珠皮」における特異的染色を確認するとともに、加えて「胚の表層」でも発現していることが判明した。これにより、シロイヌナズナの種子成熟過程でGAは少なくとも2つの部位、「珠皮」および「胚の表層」において機能する可能性が示唆された。

2.GA生合成変異株の入手と利用

 GA生合成欠損変異株ga1-3は生合成の初期段階であるent-コパリル二リン酸の合成能低下に起因して内生GA量が減少し、著しい矮性形質を示す。この変異株は発芽や稔実のために適度なGA処理が要求される。このことから、栄養成長期のGA処理濃度を調節して中程度のGA欠乏状況を作出し、得られる長角果の形質について調べた。その結果、通常行う100μM-GA4処理区と比較して1μM処理区では有為な長角果形成率の低下を招いた。濃度をさらに低下させると全く長角果が形成されないことから1μM処理区が長角果入手のための最低濃度と定め、後述する各種検討に用いた。

 一方、前項にて「珠皮」・「胚の表層」共に発現を認めたAtGA20ox2,AtGA3ox4両クローンの発現に関する器官特異性を調べたところ、未熟種子・花・葉・茎・根の各器官の中でAtGA3ox4にのみ未熟種子での発現に高い器官特異性が認められたのに対し、AtGA20ox2は未熟種子以外に花でも発現が認められた。そこで、ABRCストックセンターより入手したT-DNA挿入ラインから、AtGA3ox4ノックアウト(3ox4-KO)株のスクリーニングを行い、ホモ挿入ライン2株を選抜した。いずれも、長角果における明瞭なAtGA3ox4の発現抑制が確認され3ox4-KO株取得に成功した。

3.珠皮で生合成されるGAの機能の解明

 種々の成熟度の野生株由来の長角果を用いてパラフィン切片を調製し、アサガオ種子で得られている知見との照合を目的として、ヨウ素反応によるデンプン粒の存在場所・時期の特定を試みたところ、3〜7DAPの「珠皮」において青く染色される粒子状デンプンを検出した。一方、「胚の表層」では染色粒子の存在は確認できなかった。検出されたデンプン粒は、長角果におけるAtGA20ox2,AtGA20ox3,AtGA3ox4の発現レベルが上昇する5〜9DAP以降、次第に分解され消失する様子が観察されたことから、「珠皮」においてアサガオ種子の場合と同様にデンプン消化にGAが関与する可能性が示唆された。

 そこで、デンプン消化の鍵酵素α-アミラーゼに焦点を当て、その遺伝子発現様式がGAと時期的・空間的に関連するか、また、GA応答性を示すか検討した。公開配列情報を検索した結果、シロイヌナズナには3種(Amy1-6,Amy1-7,Amy3)のα-アミラーゼ遺伝子の存在が知られていることから、これらの遺伝子の長角果における発現状況をRT-PCRにより一斉に調べた。その結果、いずれも7〜13DAPにおいて発現レベルが上昇し、中でもAmy3が長角果において主要に発現することが判明した。さらに、成熟後期の長角果を種子・胎座・莢に分解して各々の発現状況を調べたところ、全クローンともいずれの部位でも発現は認められるが、少なくともAmy3は種子で最も強く発現していた。そこで、Amy3に関するin situハイブリダイゼーションを行ったところ、AtGA20ox2やAtGA3ox4と同様に「珠皮」と「胚の表層」で発現が認められた。また、GA溶液を長角果尖端からシリンジで注入し、48時間経過した時点での発現量を調べた結果、Amy3発現量の増加が認められGAに対する応答能を示すことも判明した。これらの結果から、GAはα-アミラーゼ遺伝子の発現を誘導し、それによって生合成される酵素が少なくとも「珠皮」では存在が認められたデンプン粒の分解を促すと考えて矛盾しない結果を得た。

 上述の事象が種子成熟過程において本質的なものであるならば、ga1-3株あるいは3ox4-KO株のようなGA欠損変異体においては、この現象に由来する表現形に異常が認められる可能性が大きい。そこで、ga1-3株あるいは3ox4-KO株より調製した完熟種子、成熟過程にある長角果を用いてその形態を精査した。走査型電子顕微鏡を用いて種子表面の観察を行ったところ、野生株では7DAP頃から表面に球形を単位とする模様が次第に発達し、13DAP頃までに整然と配置された六角形を単位とする凹凸模様に変形していくのに対し、ga1-3株(1μM-GA4処理区)より収穫した種子および3ox4-KO株種子においては、双方とも、表層全域で六角模様にパターンの大きな乱れが認められた。また、この構造の中には吸水時に膨潤するmucilageと呼ばれるポリサッカライドが格納されており、水分の獲得に寄与すると考えられている。そこで、ポリサッカライド染色試薬を用いてmucilageの膨潤状況を比較した。その結果、野生株ではいずれのmucilageも種子から均等な距離を保ち膨潤するため、全体として種子をほぼ円形に取り囲んでいたが、ga1-3株、3ox4-KO株ではいずれも極めて不均一な膨潤パターンになることが判明した。さらに、3ox4-KO株由来の長角果に関して(i)様々な成熟段階にある種子のパラフィン切片を調製し、ヨウ素反応によるデンプン粒の分解状況を調べたところ、野生株と比較して有為にデンプン粒の分解過程に遅れが生じていることを確認した。(ii)種子を摘出してα-アミラーゼ遺伝子の発現状況を調べたところ、Amy3をはじめ全クローンの発現量が低下していることも確認した。これらの結果から、「珠皮」におけるGAの機能の一つとして当初の想定どおりデンプン粒の分解過程への関与を通じて種子表面構造の形成に影響を及ぼすとの結論を得た。

4.胚表層で生合成されるGAの機能の解明に向けたGA応答性遺伝子に関する網羅的解析

 野生株、ga1-3株や3ox4-KO株の種子の形態観察においては、これらの種子の「胚の表層」では特に差異は確認できず、また、デンプン粒の存在も確認できなかった。一方、胚の発達状況との照合から上述のGA生合成酵素遺伝子の発現時期は、胚の形態がU字期を経過した後、すなわち外見的には完熟種子と大差ない程度に到達した時期と符合する。アブラナ科植物では、一旦、合成されたデンプンは分解されて、油脂の炭素骨格の原料となることが知られている。観察結果は、シロイヌナズナにおいてもこの時期、「胚の表層」で合成されたGAにより誘導されたα-アミラーゼが、デンプン粒が形成される前にデンプンを分解し、油脂合成の原料を供給している可能性を示している。また、油脂合成に関わる酵素の誘導など、「珠皮」のGAとは異なる役割を通しても、胚の成熟に関わっている可能性もある。そこで、「胚の表層」で合成されるGAの機能解明の糸口を掴むべく、初めに「胚の表層」で当該時期に発現するGA応答性遺伝子を網羅的に探索した。レーザーマイクロダイセクション(LMD)によりパラフィン切片中の「胚の表層」組織のみを分離回収することを試みた。アセトン固定した切片の一部をLMDにより収集し、得られた微細組織片からRNAを取得することは可能であったが、レーザーの解像度や不均一な組織硬度の関係から、目的とする十分な純度を保持したサンプル調製を行うことは出来なかった。そこで、野生株、3ox4-KO株から、同じ成熟段階にある種子を採取し、アレイチップを用いてGAに応答して変化すると考えられる遺伝子を網羅的に収集する試みを行っている。

本研究のまとめ

 双子葉植物の種子成熟過程で存在するGAに関して、空間的に隔たりのある「珠皮」と「胚の表層」の少なくとも2つの部位で生合成されることを初めて明らかにした。そして、「珠皮」ではアサガオ種子の場合と同様、α-アミラーゼの誘導を介してデンプン粒を分解すること、また、この「珠皮」のデンプン粒の分解が適切に進行するか否かが種子表面の形態形成に深く関わっていることをGA生合成欠損変異株との比較から明らかにした。また、「胚の表層」でGAの生合成が行われることを明らかにしたことにより、GAが胚の成熟においても生理的な機能を担っている可能性を示すことが出来た。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、シロイヌナズナ種子成熟過程におけるジベレリン(GA)の生理機能の解析に関するもので、序章に続き四章で構成される。GAは種子発芽や茎部伸長など高等植物の様々な生理現象に関与する。特に、穀類種子の発芽過程では、胚乳中のデンプン分解へのGAの寄与が広く知られる。近年、茎部伸長過程についてもそのシグナル伝達経路の全貌が明らかになりつつある。一方、ヒルガオ科やマメ科など一部の双子葉植物では、種子成熟過程でGAが蓄積するがその役割は不明な点が多いが、ヒルガオ科のアサガオ種子の成熟初期においてGAがα-アミラーゼの誘導を介してデンプン粒の分解に関与することが示唆されている。申請者はシロイヌナズナ種子を対象として、アサガオ種子で確認された事象が双子葉植物に普遍的であるか否かを明らかにすることを目的として、組織化学的解析を中心に研究を展開した。

 第一章は序章にあてられ、研究の背景と目的について述べ、第二章では種子成熟過程におけるGA生合成酵素遺伝子の発現状況を精査した結果について述べている。GA生合成酵素3-oxidase遺伝子と20-oxidase遺伝子に着目して長角果における発現状況をRT-PCRで解析した結果、AtGA20ox2,AtGA20ox3,AtGA3ox1,AtGA3ox4のみ発現を認めた。うち、AtGA3ox1は胎座を主な発現部位とし、残る3クローンは種子が主な発現部位であった。この3クローンを対象としてノーザン解析で発現時期を特定すると共に、in situハイブリダイゼーションにより、AtGA20ox3は珠皮内で、AtGA20ox2,AtGA3ox4は珠皮と胚の表層の2カ所での発現を明らかにした。

 第三章では2種の変異株を用いて、目的にあった材料の調製について行った検討結果について述べている。GA生合成欠損変異株ga1-3は内生GA量が減少しており、正常な発芽や稔実には適度なGA処理を要求する。このためGA処理濃度を調節して中程度のGA欠乏状況にある長角果を調製した。一方、AtGA3ox4の発現に関し未熟種子特異性を認め、T-DNA挿入ラインを入手してノックアウト(3ox4-KO)株を選抜した。

 第四章では珠皮に存在するGAの機能を解析した。長角果切片を用いてヨウ素デンプン反応を行い、粒子状デンプンを珠皮内で検出した。これらは、各GA生合成酵素の遺伝子発現が活性化されて以降、次第に分解されることから、GAのデンプン消化への関与が示唆された。そこで、α-アミラーゼ遺伝子に焦点を当て発現様式を調べた。8種のα-アミラーゼ遺伝子のうち、Amy1-6,Amy1-7,Amy3の3種のみ発現が認められ、中でもAmy3の発現レベルが最も高く、かつ、種子での強い発現を確認した。そこで、in situハイブリダイゼーションを行いAmy3の発現部位を解析した結果、AtGA20ox2やAtGA3ox4と同様に珠皮と胚の表層で発現していた。また、GA処理によりAmy3発現量の増加を認めGA応答能も確認した。これらの結果について、GAはα-アミラーゼ遺伝子の発現を誘導し、珠皮デンプン粒の分解を促すと考えて矛盾がないと判断している。続いて、3ox4-KO株を用いてデンプン粒の分解状況を野生種と比較し、有為にその分解過程の遅れを認めた。また、その種子中のα-アミラーゼ遺伝子の発現状況として、Amy3をはじめ全クローンの発現量の低下も確認した。さらに、ga1-3株と3ox4-KO株を用いて、走査型電子顕微鏡による種子表面の観察を行い、野生株で認められる六角模様の配列が両変異株においては、いずれも大きく乱れ、また、吸水時に膨潤するmucilageも不均一な膨潤を呈することが判明した。これらの結果から、珠皮におけるGAはデンプン粒の分解過程に関与して種子表面構造の形成に影響を及ぼすとの結論を得た。

 第五章では胚の表層に着目した。変異株の形態観察から胚の表層に関する差異は特に確認できず、また、デンプン粒の存在も確認できなかったため、解明の手がかりを得るべくGA応答性遺伝子を網羅的に探索した。野生株と3ox4-KO株から同時期の種子を採取し、アレイチップを用いて両株間で有為に発現量が変化する遺伝子情報を収集した。これらは機能解明のための重要な基盤情報としての活用が今後期待される。

 以上、本論文では、双子葉植物の種子成熟過程で存在するGAに関して、珠皮と胚の表層の各部位で生合成されることを初めて明らかにした。そして、珠皮ではアサガオ種子と同様、α-アミラーゼの誘導を介してデンプン粒を分解すること、また、その分解過程の適切な進行が種子表面の形態形成に深く関わることを変異株との比較より明らかにした。これらの成果は学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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