学位論文要旨



No 120148
著者(漢字) 海野,研二
著者(英字)
著者(カナ) ウンノ,ケンジ
標題(和) 酵母Saccharomyces cerevisiaeにおけるRNaseT1発現感受性変異株に関する研究
標題(洋)
報告番号 120148
報告番号 甲20148
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2831号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 助教授 前田,達哉
 東京大学 講師 舘川,宏之
内容要旨 要旨を表示する

 麹菌Aspergillus oryzaeはアミラーゼ、プロテアーゼ、ヌクレアーゼなどの多種類の有用な酵素を大量に分泌生産することから、清酒、味噌、醤油などの醸造に広く利用されている。麹菌のさらなる有効利用を目的として、これら分泌酵素の遺伝子がクローニングされ、出芽酵母S. cerevisiaeで発現させるという試みがなされてきた。その結果、α-アミラーゼ、グルコアミラーゼ、アルカリ性プロテアーゼ、中性プロテアーゼII、及びヌクレアーゼS1などを発現させた場合、宿主酵母は正常に生育し、培地中に活性のある酵素を分泌生産することが報告されている。

 これに対し、同じく麹菌の分泌酵素であるRNaseT1の酵母における発現について検討した結果、多コピープラスミドによりGAL1プロモーター制御下でRNaseT1を発現誘導した場合酵母の生育は阻害されるが、単コピープラスミドで発現誘導した場合宿主酵母の生育は阻害されないことを見出している。変異型RNaseT1、及び分泌シグナル欠損のRNaseT1を用いた解析から、酵母のRNaseT1発現感受性は、活性を持ったRNaseT1が分泌経路から外れて細胞質に誤局在することによることが示唆されている。

 分泌経路の各ステップがブロックされる変異株においてRNaseT1を単コピープラスミドで発現させたところ、小胞体膜透過、小胞体-ゴルジ体間輸送、及び液胞形成に関与する変異株の多くがRNaseT1発現に対して強い感受性を示すことがわかった。これらのことから、RNaseT1発現感受性と分泌経路の欠損が密接に関連した現象であり、RNaseT1発現感受性を指標にした分泌変異株の取得が可能であることが示唆された。

 RNaseT1発現感受性のメカニズムを理解し、分泌経路に関する新たな知見を得ることを目的として、単コピープラスミドによるRNaseT1発現により生育が阻害されるRNaseT1発現感受性(ribonuclease T1 expression sensitive;rns)変異株(GN1〜GN38)が単離されている。現在までに、GN14(rns1)、GN1(rns2)、GN3(rns3)株の変異遺伝子がそれぞれゴルジ体-小胞体間の逆行輸送に関与するDSL1、異常分泌タンパク質の分解に関与するUMP1、及びα-SNAPをコードするSEC17と同一であることがわかっており、この方法で実際に分泌に関わる遺伝子の同定が可能であることを確認している。

 本研究では、GN29(rns4-1)株の変異遺伝子の同定を行なうと共に、RNaseT1発現感受性の機構について細胞遺伝学的に解析することにより、RNS4遺伝子産物(Rns4)の分泌経路における役割の解明をめざした。さらに、RNaseT1発現時の酵母細胞の応答を網羅的遺伝子発現解析により検討し、RNaseT1発現感受性のメカニズム解明と共に、分泌経路における新規知見を得ることを目的とした。

1.rns4変異株の変異遺伝子の同定

 種々の薬剤に対するrns変異株の感受性を検討した結果、GN29(rns4-1)株がツニカマイシンに対して感受性を示すことを見出した。そこでこの性質を利用してGN29(rns4-1)株における変異遺伝子の同定を試みた。GN29(rns4-1)株にYEp13ベース酵母ゲノムライブラリーを導入し、ツニカマイシン感受性を相補する遺伝子としてVPS32/SNF7が含まれていることを見出した。VPS32/SNF7を単コピープラスミドを用いてオリジナルプロモーターによりGN29(rns4-1)株で発現させた結果、RNaeT1発現感受性、ツニカマイシン感受性、及び炭素源ラフィノース培地での生育欠損を相補した。

 GN29(rns4-1)株におけるRNS4ORFの塩基配列を解析した結果、55番目のコドンのチミンが脱落し、フレームシフトによりRns4/Vps32タンパク質のC末端側の大部分を欠失することがわかった。実際、遺伝的背景の異なるBY4741を親株とするrns4/vps32破壊株とGN29(rns4-1)株では、RNaseT1発現感受性、ツニカマイシン感受性、温度感受性、ミオイノシトール要求性、炭素源ラフィノース培地での生育欠損、DTT非感受性、200mMCaCl2感受性、アルカリ感受性、1MNaCl感受性など、調べた限り全て同じ表現型を示した。以上の結果から、GN29(rns4-1)株の変異遺伝子がVPS32/SNF7であると結論した。

2.rns4変異株の表現型解析

 GN29(rns4-1)株のRNaseT1発現感受性の機構を解明するため、Rns4/Vps32と相互作用することが知られているVps24、Vps4、Vma6、Rim13、Rim20、Ygr122w、及びYdr541cをコードする遺伝子の破壊株についてRNaseT1発現感受性を調べた。その結果、Multivesicular body(MVB)ソーティング経路の下流で機能するESCRT-IIIの構成因子Vps24とAAA-ATPaseであるVps4をコードする遺伝子の破壊株のみがRNaseT1発現感受性を示した。そこで、他のMVBソーティング変異株についても同様の実験を行った結果、Vps20を除くESCRT-IIIタンパク質(Rns4/Vps32、Vps2、Vps24)及びVps4をコードする遺伝子の破壊株がRNaseT1発現感受性を示すことがわかった。膜輸送系における小胞の出芽や融合にはCa2+及びカルモジュリン(CaM)が重要な働きをすることが知られており、MVBソーティング経路の下流においてもCa2+やCaMが陥入小胞の形成に関与している可能性が考えられる。実際、Vps20を除くESCRT-IIIタンパク質及びVps4はすべて推定上のCaM結合部位を持つことを見出した。さらに、CaMの推定結合部位を除去した変異型Rns4/Vps32ではGN29(rns4-1)株のRNaseT1発現感受性を相補できないことがわかった。細胞質内のCa2+濃度はストレス応答により増加する。そこで、MVBソーティング変異株のRNaseT1発現感受性と外界ストレス(200mMCaCl2、pH8.0、1MNaCl)感受性との相関性を調べたところ、rns4/vps32破壊株のみがRNaseT1発現感受性と共に上記の外界ストレスに感受性を示すことがわかった。近年、Rns4/Vps32が塩(イオン)ストレス応答に関与するRim101経路の活性化に必要な因子であることが報告されたことから、GN29(rns4-1)株の外界ストレス感受性の機構はRim101経路の欠損による可能性が考えられた。しかし、Rim101経路に関与するRim13、又はRim20をコードする遺伝子の破壊株はRNaseT1発現感受性を示さなかった。

 DNAマイクロアレイを用いた網羅的遺伝子発現解析から、GN29(rns4-1)株は富栄養・非ストレス条件下において、窒素源飢餓応答等のストレス応答及び関連遺伝子の発現上昇が見出された。特に、オートファジー関連遺伝子、液胞内プロテアーゼ及び液胞内プロテアーゼインヒビターをコードする遺伝子の発現が上昇しており、液胞内で菌体成分の分解を活発に行なっていることが示唆された。一方、不活性型RNaseT1*-GFP融合タンパク質を作製し発現させたところ、YPH500-P(RNS4pep4Δ)株では窒素源飢餓や低温処理等のストレス条件下でGFP蛍光の液胞への局在が観察されたのに対し、GN29-P(rns4-1pep4Δ)株では、ストレスの有無に関わらず、RNaseT1*-GFP融合タンパク質が液胞と小胞体に局在することが観察された。以上の結果から、GN29(rns4-1)株においては"RNaseT1発現感受性を引き起こす機構とRim101経路とは独立した恒常的ストレス応答を誘導する機構"との関連が想定された。また、GN29(rns4-1)株では、小胞体に蓄積したRNaseT1が細胞質に誤局在し、生育に必要なRNAを分解するため、RNaseT1発現に感受性を示すと考えている。

3.網羅的遺伝子発現解析によるRNaseT1発現感受性機構の解析

 野生型株YPH500でRNaseT1を発現させた時にその防御機構としてどのような一連の遺伝子が関与しているか調べることを目的として、RNaseT1発現時の細胞応答を網羅的遺伝子発現解析により検討した。GAL1プロモーター制御下でRNaseT1を発現誘導する単コピープラスミド、又はコントロールプラスミドを導入したYPH500株を炭素源グルコースの選択培地で対数増殖期まで増殖させ、炭素源ガラクトースの選択培地に移し、2時間、及び4時間RNaseT1を発現させた菌体のmRNAを使用し、DNAマイクロアレイの解析を行なった。4時間RNaseT1を発現させた場合は遺伝子発現変化の変動が大きくなることが予想されたため、2回行い再現性のとれた遺伝子のみ選抜した。2時間のRNaseT1発現により1.5倍以上発現が上昇した遺伝子は21個存在し、菌体内物質輸送に関連する遺伝子はBFR1のみであり、転写制御に関連する遺伝子としてはRNAポリメラーゼIII(PolIII)の転写制御因子TFIIIBの構成因子をコードするBDP1が含まれていた。1.5倍以下に発現が低下した遺伝子は17個存在した。4時間のRNaseT1発現では、1.5倍以上発現が上昇した遺伝子は29個存在し、菌体内物質輸送に関連する遺伝子は見出されなかったが、転写因子をコードするCIN5の発現が上昇していた。興味深いことに、tRNAなどの7個のPolIII転写産物の存在量の増加が検出された。対照として4時間麹菌のα-アミラーゼを発現させた場合は、このようなPolIII転写産物の増加はほとんど認められなかった。4時間のRNaseT1発現により、1.5倍以下に発現が低下した遺伝子は21個存在し、その中にはBDP1が含まれていた。これらの結果から、野生株でRNaseT1を発現させた場合、tRNAなどのPolIII転写産物の1本鎖RNA領域が切断され、BDP1の発現制御によりPolIII転写産物の量を調節している可能性が考えられる。

 DNAマイクロアレイにより富栄養条件下におけるrns1/dsl1変異株の網羅的遺伝子発現解析を行なった結果、YPH500株に比べ2倍以下に発現が低下した229個の遺伝子の中に、YPH500株でRNaseT1を発現させることによりCIN5と共に発現上昇するBNA1、TDH1、CPS1、UGA4、MEP2、YJL218w、YHR029c、YGL088w、YFR055wが含まれていた。Cin5は小胞体-ゴルジ体間の小胞輸送への関与が報告されているRns1/Dsl1と相互作用し、cin5破壊株がRNaseT1発現感受性を示すことが既に明らかにされていることから、これらの遺伝子はCin5のターゲットの可能性があり、単独あるいは協調して働くことによりRNaseT1発現に対する防御に関与していると考えている。

 本研究では、酵母のRNaseT1発現感受性の機構を解明していく過程で、野性株ではストレス依存的に液胞に蓄積するRNaseT1*-GFP融合タンパク質が、rns4変異株ではストレスの有無に関係なく液胞と小胞体に蓄積するという興味深い知見を得た。また、酵母のRNaseT1発現に対する防御機構として、PolIII転写産物とBdp1の転写制御機構やRns1/Dsl1-Cin5を構成因子とするシグナル伝達経路が関与している可能性を見出した。RNaseT1は細胞質への微量の誤局在が強い生育阻害をもたらすと考えられることから、細胞内タンパク質輸送の精度・効率に関与する因子の解析への有効なツールであり、その発現ストレスに対する応答機構の解析からさらに多くの細胞生物学的に興味深い知見が得られることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 麹菌A. oryzaeの分泌酵素であるRNaseT1を酵母S. cerevisiaeにより発現させると、生育阻害が観察される。単コピープラスミドで発現誘導した場合宿主酵母の生育は阻害されないが、このような条件下でも生育が阻害されるRNaseT1発現感受性(ribonucleaseT1 expression sensitive;rns)変異株(GN1~GN38)が単離されている。現在までに、GN14(rns1)、GN1(rns2)、GN3(rns3)株の変異遺伝子がそれぞれゴルジ体-小胞体間の逆行輸送に関与するDSL1、異常分泌タンパク質の分解に関与するUMP1、及びα-SNAPをコードするSEC17であることがわかっている。本論文は、GN29(rns4-1)株の変異遺伝子の同定を行なうと共に、RNaseT1発現感受性の機構について細胞生理学的および遺伝学的に解析したものであり、3章からなっている。

 第1章では、rns4変異株の変異遺伝子の同定を行った。種々の薬剤に対するrns変異株の感受性を検討した結果、GN29株がツニカマイシンに対して感受性を示すことを見出し、この性質を利用してGN29株に酵母ゲノムライブラリーを導入し、相補するDNA断片の塩基配列からVPS32/SNF7と同定した。VPS32/SNF7をGN29株で発現させた結果、RNaeT1発現感受性、ツニカマイシン感受性、及び炭素源ラフィノース培地での生育欠損をすべて相補した。

 第2章では、rns4変異株の表現型解析の詳細な解析を行った。また、GN29株のRNaseT1発現感受性の機構を解明するため、Rns4/Vps32と相互作用することが知られているVps24、Vps4、Vma6、Rim13、Rim20、Ygr122w、及びYdr541cをコードする遺伝子の破壊株についてRNaseT1発現感受性を調べた。その結果、Multivesicular body(MVB)ソーティング経路の下流で機能するESCRT-IIIの構成因子Vps24とAAA-ATPaseであるVps4をコードする遺伝子の破壊株のみがRNaseT1発現感受性を示すことを見出した。そこで、MVBソーティング変異株のRNaseT1発現感受性と外界ストレス(200mMCaCl2、pH8.0、1MNaCl)感受性との関連を調べたところ、rns4/vps32破壊株のみがRNaseT1発現感受性と共に上記の外界ストレスに感受性を示すことがわかった。さらに、DNAマイクロアレイを用いた網羅的遺伝子発現解析から、GN29株は富栄養・非ストレス条件下において、窒素源飢餓応答等のストレス応答関連遺伝子の発現上昇を見出した。一方、RNaseT1の細胞内局在を観察するため、不活性型RNaseT1*-GFP融合タンパク質を作製し発現させたところ、野生型株では窒素源飢餓や低温処理等のストレス条件下でのみGFP蛍光の液胞への局在が観察されたのに対し、GN29株では、ストレスの有無に関わらず、RNaseT1*-GFP融合タンパク質が液胞と小胞体に局在することが観察された。

 第3章では、RNaseT1発現感受性機構を解析するために、DNAマイクロアレイを使用して網羅的遺伝子発現解析を行った。GAL1プロモーター制御下でRNaseT1を発現誘導する単コピープラスミドを導入した野生型株を炭素源グルコースの選択培地で対数増殖期まで増殖させ、ガラクトース培地に移し、2時間及び4時間RNaseT1を発現させた菌体のmRNAを使用し、解析を行なった。1.5倍以上発現が上昇した遺伝子のうち、タンパク質輸送に関連する遺伝子としてBFR1、転写因子関連遺伝子としてCIN5及びRNAポリメラーゼIII(PolIII)の転写制御因子TFIIIBの構成因子をコードするBDP1が含まれていた。これらの結果から、野生型株でRNaseT1を発現させた場合、tRNAなどのPolIII転写産物の1本鎖RNA領域が切断されている可能性を考察した。

 また、富栄養条件下におけるrns1/dsl1変異株の網羅的遺伝子発現解析を行なった結果、野生型株に比べ2倍以下に発現が低下した229個の遺伝子中に、野生型株でRNaseT1を発現させたときにCIN5と共に発現上昇するBNA1、TDH1、CPS1、UGA4、MEP2などが含まれていた。Cin5はRns1/Dsl1と相互作用することから、これらの遺伝子はCin5の制御下にある可能性があり、RNaseT1発現に対する防御に関与していると考えられた。

 以上、本論文は、酵母のRNaseT1発現感受性変異株の変異遺伝子を同定し、その機能を解析したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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