学位論文要旨



No 120151
著者(漢字) 全,昭映
著者(英字)
著者(カナ) ジョン,ソヨン
標題(和) クメン分解系加水分解酵素変異体の機能と構造
標題(洋) Function and structure of hydrolase variants of cumene degrading pathway
報告番号 120151
報告番号 甲20151
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2834号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 野尻,秀昭
 東京大学 助教授 若木,高善
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

 ポリ塩化ビフェニル(PCB)やビフェニルを始めとする芳香族化合物は分解されにくく、環境に悪影響を与えることが問題になっているが、微生物による難分解性の芳香族化合物分解・環境修復の可能性が期待されている。芳香族化合物の代謝系では、一般に芳香環に直接に水酸基を導入する初発酸化によりdihydrodiol体となり、dihydrodiol dehydrogenaseによる脱水素反応、dioxygenaseによる環開裂(オルト開裂、メタ開裂)を経て、それぞれメタあるいはオルト開裂経路により分解され、最終的にTCAサイクルに入る。Pseudomonas fluorescens IP01株は、トルエンとビフェニルの中間的な化学構造を有するクメン(イソプロピルベンゼン)を唯一の炭素源として生育できる菌である。この株はクメン以外にトルエンやベンゼンなどの単環芳香族化合物で同様に生育できるのに対し、ビフェニルでは生育できない。これは、クメンのメタ開裂化合物のC-C結合を切る加水分解酵素であるCumD(図1)の基質特異性による。CumDはトルエン由来の基質よりもクメン由来の基質に対して高い分解活性を示すが、ビフェニル由来の基質に対する活性は非常に低い。つまり、基質であるメタ開裂物質のC6位側鎖の大きさが基質特異性に関係する。これまでCumDの立体構造は活性中心Ser103をAlaに置換した変異体だけで決められており、基質結合ポケットの構造や、基質のC6位側鎖の結合に関わると考えられる残基についてある程度の知見が得られている。本研究ではCumDの基質特異性を改変することを目指して、CumDの基質結合ポケットを構成しているアミノ酸残基を中心にBphD(ビフェニル分解系の加水分解酵素)やTodF(トルエン分解系の加水分解酵素)などを参考に変異体を作り、4種類の6-HODA基質(6-メチル,6-エチル,6-イソプロピル,6-フェニルの各HODA誘導体)に対するCumDの変異体のkcat,Kmを決定した。得られた変異体の中には、活性の上昇したものがあり、このうちA129V変異体は、野生型CumDでは得られなかった結晶を形成したので、X線結晶構造解析を行い、基質特異性や活性中心Serの役割などについて解明することをめざした。

2.基質結合ポケットに関わるアミノ酸を置換した変異体の解析

 CumDとBphDとの比較で、基質結合ポケット構成残基の中で相異しているL139,V142,W143,V226について、変異体を作成してみると、調べた限りでは、野生型CumDに比べてkcat/Kmの低下を示すものが多かった。6-フェニルHODAに対して分解活性が大幅に上昇したものは見当らなかった。これらのアミノ酸残基は、一残基だけ置換しても基質特異性を大幅に変換することはできず、触媒効率の低下をもたらすことが分かった。また、S34は、S103A変異体の構造解析から、反応産物であるイソ酪酸の酸素原子と水素結合を形成していてオキシアニオンホ-ルを形成し、メタ開裂物質のC-C結合の分解に関与すると考えられることから、2つの変異体を作った。そのうち、S34Gが6-フェニルHODAに対して野生型よりkcat/Kmの値が約7倍上がった。これはKmの減少によるもので、kcatも減少していた。一方、基質C6位側鎖結合ポケットを構成するアミノ酸残基をCumDのS103A変異体の構造をもとにBphDやTodFの対応する残基とおきかえて、kcat,Kmの変化を調べた。CumDの変異体の中で基質の横の位置を占めているA129,I199,V227の変異体は野生型CumDに比べて単環芳香族由来基質に対するkcat/Kmの値が4-10倍に上がった。kcat/Kmの高い順に基質を並べると、6-エチル-HODA>6-メチル-HODA>6-イソプロピルHODA>>6-フェニルHODAとなっており、kcatの増加とKmの減少が同時に起こることが多かった。これらの3つの残基は、CumDとTodF (Pseudomonas putida F1由来)との比較で、基質側鎖結合ポケット構成残基の中で相異している残基であり、CumDに対応するTodFのアミノ酸残基へと変換したものである。得られた変異体は、野生型CumDより高いkcat/Kmを示しただけでなく、TodFと比較しても6-エチル-HODAを基質とした場合2-5倍、6-methyl-HODAを基質とした場合4-10倍のkcat/Kmを示した。TodFは6-イソプロピルHODAはほとんど分解しない。以上のことから、A129,I199,V227の3残基を置換することによって野生型CumDやTodFよりも触媒効率のすぐれた、基質特異性の広い変異体が得られることが分かった。

3.A129V変異体の構造と機能

 野生型CumDよりも高いkcat/Kmを示すA129Vの変異体を用いて結晶化を行った。従来、野生型CumDでは結晶化が困難であったが、A129V変異体は良好な結晶を生じ、そのX線回析像から、分解能1.65Åで、R=17.3%、Rfree=19.1%まで精密化された構造を得た。A129V変異体の構造は、これまでに得られたS103A変異体と、全体的に良く似た構造をとっていた。A129V変異体の結晶は、非対称単位中にCumD分子(Asn3-Ala273)が1サブユニット、水が372分子とリガンド原子が11個(塩素イオンx1+リン酸イオンx2)入っていた。

 また、活性中心Ser103付近には、水より大きい単原子分子のものと見られる電子密度ピークが見られた。結晶化溶液の組成から、この原子を塩素イオンと判断して精密化した。Ser103のOγ原子は、Ser103とともにcatalytic triadを構成しているHis252のNε2原子と3.2Åの弱い水素結合を形成していた(図2)。

 最近、CumDの類似酵素である大腸菌由来のMhpCで提唱されている反応機構から、CumDでHis252のイミダゾール基のN原子が水分子のプロトンを引き抜く可能性が考えられている。他方、CumDのSer103のヒドロキシル原子が水分子からプロトンを引き抜き、His252との水素結合がその反応を助けているという可能性も考えられる。これらの二つの可能性を考慮して、CumDの反応機構を図3のように推定した。A129V変異体の結晶構造中には、Ser103の付近に塩素イオンが結合していた(図2)。MhpCで提唱されている反応機構では、基質はいったんオキシアニオン中間体を取り、これを安定化するオキシアニオンホールが存在すると考えられる。今回の立体構造では、塩素イオンが結合するサイトがオキシアニオンホールに相当すると考えられる。このサイトは、Phe104、Ser34の主鎖のN原子によって静電的に安定化されていると考えられる。また、CumDのS34AおよびS34G変異体ではkcatが大幅に低下した。これは、Ser34の側鎖のオキシアニオン中間体への配位も、その安定化に関わっていることを示唆するものである。A129V変異体と、S103A変異体のイソ酪酸複合体、S103A変異体のプロピオン酸複合体の結晶構造の重ね合わせて見ると、A129V変異体では側鎖が大きくなることによりポケットの空間が埋まり、短い側鎖を持つ基質の結合を安定化していることが分かる。また、A129V変異体構造のA129付近の主鎖は、他の2つの構造に比べて基質側に少しシフトしている。これがA129V変異によるものなのか、塩素イオンの結合によるものかは不明であるが、この動きもポケットのサイズをより小さいものへと変化させている。これまで、CumDの結晶構造は全てS103A変異体で解かれていたが、今回得られたA129V変異体の構造は、初めての活性型の酵素の構造である。これにより、活性中心や反応機構に関する議論を進めることができた。

4.文献

1) Saku et al. J. Biosci. Bioeng. 93, 568 (2002)2) Fushinobu et al. Protein Science 11, 2184 (2002)

図1 CumDの触媒する反応

図2 CumD A129V変異体の活性中心残基と付近の残基

図3.CumDの推定反応メカニズム

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、クメン(イソプロピルベンゼン)分解系の一連の酵素群の中で、第四段階の加水分解反応を触媒する酵素(CumD)の変異体の、機能と構造について検討したもので、全三章から構成されている。

 第一章は序論であって、環境汚染を引き起こす芳香族炭化水素を分解する微生物のうち、とくにクメンを唯一の炭素源として生育することができるPseudomonas fluorescens IP01株のクメン分解系酵素群の特徴が述べられている。本菌株はクメン以外にトルエンやベンゼンなどの単環芳香族化合物で生育出来るのに対して、ビフェニルのような複環芳香族化合物では生育できない。これは、クメン分解経路の第四段階の酵素であるCumDの基質特異性による。CumDは、単環芳香族化合物由来のメタ開裂物質である6-イソプロピルHODAや、6-エチルHODA、6-メチルHODAをのC-C結合を加水分解出来るのに対して、ビフェニル由来のメタ開裂物質である6-フェニルHODAを分解できない。CumDは、このように、高い基質特異性を示す。

 第二章では、CumDの基質結合ポケットに関わるアミノ酸残基を置換した変異体を作成し、その基質特異性などの機能を解析している。CumDについては、活性のないS103A変異体の立体構造が既に明らかになっており、その基質結合ポケットの形成に関わる残基が同定されている。CumDの基質特異性を改変することを目指して、これらの、基質結合ポケット形成残基を中心に、BphD(ビフェニル分解系の加水分解酵素)やTodF(トルエン分解系の加水分解酵素)などを参考に、変異体を作成し、4種類の6-HODA基質(6-イソプロピルHODA、6-エチルHODA、6-メチルHODA、6-フェニルHODA)に対する、変異体のkcat、Kmを決定した。CumDの変異体の中で、基質の横の位置を占めるA129V、I199V、V227Iの変異体は野生型CumDに比べて、単環芳香族由来基質に対するkcat/Kmの値が4-10倍に上がった。kcat/Kmの高い順に基質を並べると、6-エチルHODA>6-メチルHODA>6-イソプロピルHODA>>6-フェニルHODAとなっていた。これら三つの残基は、CumDとTodF(Pseudomonas putida F1由来)との比較で、基質側鎖結合ポケット構成残基の中で相違している残基であり、CumDに対応するTodFのアミノ酸残基へと変換したものである。得られた変異体は、野生型CumDより高いkcat/Kmを示しただけでなく、TodFと比較しても6-エチルHODAを基質とした場合2-5倍、6-メチルHODAを基質とした場合4-10倍のkcat/Kmを示した。TodFは6-イソプロピルHODAを殆ど分解しない。以上のことから、A129、I199、V227の三残基を置換することによって、野生型CumDやTodFよりも触媒効率のすぐれた、基質特異性の広い変異体が得られることがわかった。

 第三章では、野生型CumDよりも高いkcat/Kmを示した変異体のうち、A129Vを用いて、X線結晶構造解析を行い、活性中心の原子配置や、酵素の反応機構について解析している。従来野生型CumDでは結晶化が困難であったが、A129V変異体は良好な結晶を生じ、そのX線回折像から、分解能1.65Åで、R=17.3%、Rfree=19.1%まで精密化された構造を得た。A129V変異体の構造は、これまでに得られたS103A変異体と、全体的に良く似た構造を取っていた。A129V変異体の構造は、非対称単位中にCumD分子(Asn3-Ala273)が1サブユニット、水が372分子と、リガンド原子(塩素イオンx1+リン酸イオンx2)が11個入っていた。サブユニットの界面に、リン酸と思われる形状の電子密度ピークが、2ヶ所で観測された。リン酸の付近には、アルギニン残基などが存在していた。これらのリン酸分子は活性中心から遠く離れており、活性に与える影響は少ないと考えられる。また、活性中心Ser103付近には、水より大きい単原子分子のものと見られる電子密度ピークが見られた。結晶化溶液中の組成から、この原子を塩素イオンと判断して精密化した。この原子を水として精密化した場合の温度因子は1.0Å2以下になったが、これを塩素イオンとした場合には、12.05Å2と通常の範囲内の値になった。塩素イオンは、Ser103とSer34の側鎖、107番目の水分子、Phe104とSer34の主鎖のN原子と3.3Å以内にあり、これらの原子が配位していると考えられる。活性中心Ser103と変異させた残基であるVal129の側鎖の電子密度はいずれも明瞭に観測された。これまで、CumDの結晶構造は全てS103A変異体で解かれていたために、今回得られたA129V変異体は、初めての活性型の酵素の構造である。これにより、活性中心Serの側鎖のOγ原子の位置を決定することができた。Ser103のOγ原子は、Serとともにcatalytic triadを形成しているHis252のNε2原子と3.2Åの弱い水素結合を形成していた。

 CumDの類似酵素である大腸菌由来のMhpCで提唱されている反応機構を参照すると、Ser103のヒドロキシル原子は、水分子から水素原子を引き抜くと考えられており、His252との水素結合がその反応を助けていると考えられる。さらに、A129V変異体の結晶構造中には、Ser103の付近に塩素イオンが結合していた。提唱されている反応機構では、基質はいったんオキシアニオン中間体を取り、これを安定化するオキシアニオンホールが存在すると考えられる。今回の立体構造では、塩素イオンが結合するサイトがオキシアニオンホールに相当すると考えられる。このサイトは、Phe104、Ser34の主鎖のN原子によって静電的に安定化されていると考えられる。また、CumDのS34AおよびS34G変異体ではkcatが大幅に低下した。これは、Ser34の側鎖のオキシアニオン中間体への配位も、その安定化に関わっていることを示唆するものである。

 以上本論文は、クメン分解系加水分解酵素CumDの変異体の機能や、構造の解析を通して、CumDの基質特異性、立体構造、反応機構などを論じたものであって、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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