学位論文要旨



No 120152
著者(漢字) 伊東,靖子
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ヤスコ
標題(和) 大腸菌リポ蛋白質の選別輸送を担うABCトランスポーターの反応機構
標題(洋)
報告番号 120152
報告番号 甲20152
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2835号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳田,元
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 渡辺,嘉典
 東京大学 助教授 前田,達哉
 東京大学 助教授 西山,賢一
内容要旨 要旨を表示する

 細菌の細胞表層には、N末端のCysが脂質で修飾されたリポ蛋白質が数多く存在しており、形態維持、物質輸送、薬剤排出などの重要な細胞機能を担っている。大腸菌細胞表層は、外膜と内膜およびそれら2つの膜構造に挟まれた親水性のペリプラズム空間から成っており、約90種類あるリポ蛋白質の大部分は外膜に局在し、一部が内膜にとどまっている。リポ蛋白質が内膜にとどまるか、外膜に輸送されるかは、N末端(+1位)Cysの次(+2位)のアミノ酸がAspであるかどうかにより決定されている(+2位ルール)。

 ABCトランスポーター(LolCDE)は、内膜上で成熟体となった外膜リポ蛋白質を、内膜リポ蛋白質と区別して選択的に膜から遊離させる重要な役割を担っており、膜サブユニット(LolC、LolE)およびATPaseサブユニット(LolD)が、C:D:E=1:2:1から成る複合体を内膜上で形成している。LolCDEによるATP加水分解エネルギーを利用して内膜から遊離した外膜リポ蛋白質は、ペリプラズム蛋白質LolAと1:1の水溶性複合体を形成してペリプラズム空間を通過し、外膜に存在する受容体蛋白質LolBを介して外膜に組み込まれる。

 本研究では、LolCDEによるリポ蛋白質選別輸送の反応機構を分子レベルで解明することを目的として、研究を行った。

外膜リポ蛋白質を特異的に結合したLolCDHEの精製およびATPの影響

 HisタグをLolDのc末端側につないだLolCDHEを過剰発現させた大腸菌から膜画分を調製し、1%ドデシルマルトシド(DDM)存在下、±ATP条件下で可溶化して、Hisタグアフィニティーカラムで精製した。-ATP条件下で精製したLolCDHEには、CDHEのバンド以外に複数のマイナーバンドが確認されたのに対して、+ATP条件下では、これらのバンドは確認されなかった。そこで、-ATP条件下で観察されたマイナーバンドを同定するために、抗外膜リポ蛋白質抗体を用いたイムノブロッティングを行った結果、-ATP条件のLolCDHE精製標品ではリポ蛋白質が検出されたのに対して、+ATP条件のLolCDHE精製標品では検出されなかった(図1)。一方で、抗内膜リポ蛋白質、抗外膜蛋白質或いは抗内膜蛋白質抗体を用いたイムノブロッティングを行った結果、±ATPいずれの条件で精製したLolCDHE標品においても、これらの蛋白質は観察できなかった。さらに、LolCDHEの発現誘導を行わなかった大腸菌より調製した膜画分を同様の方法で精製したところ、±ATPいずれの条件でも、外膜リポ蛋白質はカラムに吸着しなかった。このことは、-ATP条件でLolCDHEと共精製された外膜リポ蛋白質は、カラムへの非特異的な吸着によるのではなく、LolCDHEを介してカラムに結合していたことを示している。以上の結果は、-ATP条件で精製したLolCDHEは、基質である外膜リポ蛋白質を特異的に結合した複合体(基質結合型 LolCDHE)であることを示している。

基質結合型LolCDHEは基質遊離反応の機能的な複合体である

 LolCDHEによるリポ蛋白質遊離反応にはLolAおよびATP加水分解が必須である。そこで、単離した基質結合型LolCDHEが、結合した基質を膜から遊離させる機能を持つかどうかを調べるために、基質結合型LolCDHEと大腸菌リン脂質からプロテオリポソームを再構成し、LolAおよびATP加水分解に依存した基質遊離反応を解析した。その結果、LolCDHEに結合した基質は、LolAおよびATP加水分解に依存してプロテオリポソームから遊離した。このことは、基質結合型LolCDHEが機能的な複合体であることを示している。

基質結合型LolCDHEは基質遊離反応の中間体である

 LolCDHEを過剰発現させた大腸菌の膜を外膜と内膜に分画すると、外膜リポ蛋白質の大部分は外膜に存在した。そこで、基質結合型LolCDHEに含まれる外膜リポ蛋白質が、実験途上でLolCDHEに持ち込まれた人為的産物なのか、遊離反応の中間体として内膜上で形成されたものなのかを調べた。LolCDHEを過剰発現させたPalおよびNlpC(外膜リポ蛋白質の一種)欠損大腸菌より膜画分を調製し、ここに野生型大腸菌より調製した外膜画分を加えて、LolCDHEの可溶化・精製を行ったところ、-ATP条件で精製されたLolCDHEには、PalおよびNlpCが結合していなかった。一方で、ここで用いた大腸菌株(Δpal、ΔnlpC)でも、他の外膜リポ蛋白質については、野生型大腸菌と同様にLolCDHEとの結合が観察された。以上の結果は、基質結合型LolCDHEは、内膜上で形成された遊離反応の中間体が可溶化・精製されたものであることを示している。

ATPとLolCDHEとの結合が、基質とLolCDHE間の疎水的結合を緩める

 先に触れたように、LolCDHEによるリポ蛋白質遊離反応にはLolAおよびATP加水分解が必須であるが、LolCDHEの可溶化・精製においては、膜の可溶化の際にATPを加えるだけでフリーのLolCDHEが精製できる。(本実験で調製した膜画分には、ペリプラズム蛋白質LolAは含まれない。)そこで、単離した基質結合型LolCDHEにATPおよびDDMを作用させてそれらの効果を調べた。その結果、ATP存在下では、DDMの濃度に依存して基質の解離が確認されたが、ATP非存在下では、DDM濃度に依存した基質の解離は確認されなかった。このことは、基質とLolCDHEは、疎水的な結合を介して複合体を形成していること、およびATPが基質とLolCDHEとの親和性を低下させることを示している。また、ATPアナログ基質やATPase阻害剤等を用いて、ATP加水分解反応が起こらない条件下で同様の実験を行ったところ、LolCDHEに結合した基質を外すためには、LolCDHEによるATPの結合のみで十分であった。本結果は、ATPが加水分解されなくても、ATPの結合エネルギーによって、LolCDHEとリポ蛋白質の相互作用が低下することを示している。

Walkerモチーフ変異体LolCDH(K48M)EおよびLolCDH(E171Q)Eの解析

 全てのABC蛋白質において、ATPの結合、加水分解に重要なWalkerモチーフが保存されている。これまでに、WalkerモチーフAのLysをMetに置換した変異体はATP結合能を失うこと、また、WalkerモチーフBのGluをGlnに置換した変異体はATP結合能は正常であるがATP加水分解能が損なわれていることが報告されていた。そこで、LolCDEの機能とATPの関係を明らかにするために、2つのWalkerモチーフ変異体LolCDH(K48M)EとLolCDH(E171Q)Eを構築し、ATPaseサブユニットLolDにおけるATP結合・加水分解の各反応が、膜サブユニットLolCおよびLolEの基質結合部位を介した基質結合・遊離の各反応とどのように共役しているのかを解析した。

 どちらの変異体も、LolCDHE複合体形成能は野生型と同様に正常であったが、ATPase活性およびリポ蛋白質遊離活性を完全に失っていた。一方で、ATPを結合できないLolCDH(K48M)EはATP存在下でも基質との複合体として精製されたことから、LolCDEはATPと結合する前に基質と結合することが明らかとなった。これに対して、ATP加水分解はできないがATPを結合できるLolCDH(E171Q)Eは、ATP存在下では野生型と同様にフリーのLolCDEとして精製された。このことは、ATPaseサブユニットLolDによるATPの結合が、何らかのシグナルとして膜サブユニットLolCおよびLolEに伝達され、基質との相互作用を緩めるのに必要なエネルギーを供給していることを示している。

まとめ

 本実験では、外膜リポ蛋白質を特異的に結合したLolCDHE複合体を基質遊離反応の機能的中間体として単離精製することに成功した。これは、数あるABC蛋白質の中で初めての例である。また、LolCDEはATPとの結合よりも先に基質と結合すること(図2-(i))、LolDによるATPの結合が、基質と膜サブユニットLolCおよびLolEとの相互作用を弱めること(図2-(ii))、LolcDEの触媒サイクルを廻すためには、LolAへのリポ蛋白質の受け渡しとLolDによるATP加水分解が要求されること(図2-(iii))が明らかとなった。本実験を通して考案された触媒モデルは、広くABC蛋白質の触媒機構を考える上で、重要な知見を与えると考えている。

図1 LolCDHE精製におけるATPの影響(Pal、LolBは外膜リポ蛋白質)

図2 LolCDEによるリポ蛋白質遊離反応の触媒機構

審査要旨 要旨を表示する

 大腸菌の細胞表層には約90種類のリポ蛋白質が存在し、その大部分が外膜に、一部が内膜に局在して重要な細胞機能を担っている。内膜上で成熟体となったリポ蛋白質のうち、+2位がAspであるものは内膜にとどまり、+2位がAsp以外のものは、ABCトランスポーター(LolCDE)のATP加水分解エネルギーを利用して内膜から遊離する。内膜から遊離したリポ蛋白質は、ペリプラズム蛋白質LolAおよび外膜受容体蛋白質LolBを介して外膜に挿入される。LolCDEは、C:D:E=1:2:1から成る典型的な細菌型ABCトランスポーターであるが、細胞膜の外側にアンカーした基質を膜から遊離させるという点で、他のABC蛋白質には見られない特徴をもつ。本研究は、LolCDEの触媒機構を明らかとするために、膜サブユニット(LolC、LolE)における基質の結合・解離の各反応とATPaseサブユニット(LolD)におけるATPの結合・加水分解の各反応とがどのように共役しているのかについて解析したものである。

 LolCDEを過剰発現させた大腸菌膜画分を界面活性剤ドデシルマルトシド(DDM)で可溶化し、LolDに付加したHisタグを利用してアフィニティーカラムで精製した。ATP非存在下で精製したLolCDEは外膜リポ蛋白質を結合していたのに対し、ATP存在下で精製したLolCDEは結合していなかった。一方、内膜リポ蛋白質や、脂質修飾されていない膜蛋白質は精製したLolCDEには結合していなかった。すなわち、ATP非存在下でLolCDEを精製すると、基質結合型のLolCDEが得られることが明らかになった。このような基質結合型のABCトランスポーターを精製した例は他にはない。

 基質結合型LolCDEをプロテオリポソームに再構成し、LolAとATPを加えるとLolCDEに結合していたリポ蛋白質はプロテオリポソームから遊離した。また、基質結合型LolCDEは、リポ蛋白質とLolCDEを別々に可溶化すると生じないことから、精製の過程で形成されたものではないことを明らかにした。以上の結果は、基質結合型LolCDEが内膜上で生成したリポ蛋白質遊離反応の中間体であることを示唆している。

 基質結合型LolCDEに対するATPおよびDDMの影響を調べるために、in vitroで解析を行った。ATP存在下では、DDMの濃度に依存して基質が解離したが、ATP非存在下では、基質の解離はなかった。また、ATPの加水分解ではなくATPの結合によってLolCDEと基質との相互作用が低下し、DDMの濃度が充分高い場合はリポ蛋白質が解離することが示された。

 ATP結合能を失ったLolCDE変異体、およびATP結合能は正常であるがATP加水分解能に欠陥を持つLolCDE変異体を構築した。これらの変異体を用いて解析した結果、LolCDEはATPの結合に先だってリポ蛋白質と結合することが明らかとなった。また、LolCDEと基質との相互作用を低下させるためには、ATPの結合が必要であることが示された。

 これらの知見を基に、ABCトランスポーターLolCDEがリポ蛋白質を遊離するときの反応機序に関するモデルを提案した。

 以上、本論文は、基質結合型LolCDE複合体を基軸とした解析により、LolCDEにおける主要な触媒機構を明らかとしたものであり、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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